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妖精伝奇  作者: 酒のつまみにあたりまえ
妖精はどこに
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19 妖精との別れ

 男は雇われの水夫だった。自由労働者といえば聞こえはいいが、身分は平民、つまり解放奴だ。だが父は王国近衛兵だったとは聞く。

 水夫の心を病んでいたのは、自分が取り換え子だという事実だった。水夫は孤児だった。幼児のころ、義理の親に捨てられた。水夫の実の母は王国の召使い、王妃の末娘の乳母をしていたとか。

 

 だから水夫は幼少のころは、劣悪な環境の孤児院にいた。十二年ほど前に連続強盗殺人を犯し処刑された男を出した孤児院。

 その事件以来、水夫を含め孤児院出のものたちは、世間から白眼視されて生きてきた。水夫は社会を呪った。

 世間は犯人を殺人鬼というが、水夫から見れば、決してかれはそんな少年ではなかった。腐った政治、無慈悲で無理解な冷たい人の世界がかれの心を歪めたのだ。

 

 以来、水夫はまともな職につくことができず、滅んだ王国の残兵艦隊に拾われ偵察艦の水夫となっていた。いうならば、海賊だ。

 昨年の夏、王国艦隊は共和国艦隊と戦い、敗れた。水夫の偵察艦は哨戒任務中だったので、海戦には加わらず、水夫は生き延びた。

 

 その偵察艦に、任務が与えられた。決死の任務だった。敵である共和国首都への、和平協定の伝達とは。

 『予想通り』、事はうまく運ばなかった。主都の港へ入るや、ちっぽけな偵察艦は大艦隊に包囲され、拿捕された。水夫を含め、乗組員は全員戦犯として捕らえられ、地下牢へ投獄された。

 

 かせを嵌められろくに日の光の差し込まない地下牢。家畜のエサのような食事。乗組員はみな、死を意識した。一年が経過した。

 凍える冬の寒さを過ぎ、真夏のじめじめした暑苦しい暗闇の中、鬱々とした絶望の時が流れて行った。

 

 突然、牢獄の檻は開け放たれた。地下牢から出され、水夫を始め乗組員は久しぶりにまともに太陽の光を浴びた。清潔な着替えに水風呂、一時金すら支給された。太守の突然の恩赦で釈放ということだ。

 代わりに偵察艦は、返還されなかった。兵役を捨て共和国一市民として、生きろということだ。

 

 乗組員たちは、大通りの居酒屋で軽く別れの挨拶を交わした。ビールで乾杯し、互いのこれからの人生を励まし合う。

 うわさによると、水夫らの王国都市の独立は依然保たれたままだった。互いの太守の計らいで、自由自治権を認めたまま都市国家として存続が許されたとか。

 酩酊のほろ酔い気分で、街を歩く。自分はもう自由なんだという事実を噛み締める。だが、どうしても後ろ向きにさせてしまうのが、過去の存在だった。実の父母。過酷な孤児院。それに王女。

 

 艦隊では、敗戦前までは王国の再興を望んでいた。水夫の身の上話はホラと一蹴されたが、女提督閣下は興味を示し、水夫と何回か質問を交わしていた。たいした情報は与えられなかったが。水夫は自分の母を奪った王女に、憎しみすら感じていた。

 

 追放されず、王族として乳母の庇護を受け、のうのうと生き延びた王女。対する自分は社会の屑として劣悪な環境の孤児院暮らし。悔しかった。屈辱だった。ゆえに、面と向かって言い放つ侮蔑の言葉も用意していた。

 

 とりあえず、共和国都市を歩く。一時金は大切に使わなければ。あせってもいけないが、早く仕事に就かないと生活できなくなる。貴重な恩赦とはいえたかだか銀貨十二枚では煮詰まってしまう。まさか辻斬りや追い剥ぎに身を落としたら、王国の恥だ。


 ここでとうとつに、声を掛けられた。

「僕は水夫を探していて。あなたが船乗りということは、匂いでわかりますよ」

 見れば浮浪者同然のみすぼらしい男だった。身なりも汚れていれば、体格もやつれている。

 水夫は言い放った。

「なんだおまえ」

「僕は造船技師だよ」


 水夫は思い出した。都市の掲示板の借金首。

「あの手配されている技師か? 賞金金貨五十枚」

「は、五十枚? 安く見られたものだな、僕の借金はつもり積って金貨五千枚。借りた千枚が五千枚だよ、これじゃ十万枚になるのもあっという間さ」

「そうか。お尋ね者に用はない」


 水夫は言い捨てるや、その場を立ち去ろうとした。しかし借金首の技師は呼び止めた。

「賞金首とわかって、なぜ僕を捕らえない」

「おれも似たような身の上だからな。それに賞金の百倍も借金抱えた賞金首、捕らえるのはなにか惜しくてね」

「なら、僕に雇われてくれないか、航海士として」

「おれは週給銀貨五枚はするぞ。あんたに金があるのか」

「これをあげるよ」

 技師は腰袋から、宝飾品を取り出した。


 純銀製で、到る所に宝石が散りばめられている。受け取り、しげしげと検分する。ロザリオか。かつての教会の。古びてはいるが、見事な造形だな。

 刻印をたしかめぎょっとする。これはかつての王家御用達の職人工芸品ではないか! 銀貨どころか金貨五枚はするな。

 いまとなっては骨董品としての値も加算される。好事家なら金貨二十枚払っても手に入れようとするだろう。これはとんだ儲け話だ。しかし。

「盗んだ品では、ないだろうな?」

 技師はなにも知らないらしく、軽く言い放った。

「まさか。船を失う前、格安で手に入れた。夜逃げした故売商が捨て値で売っていてね、これでたった銀貨十枚。幸運のお守りだとさ。お尋ね者の僕では換金できないのでね」

「船を失った? ならばおれを雇ってどうするのだ」

「きみに港湾造船所に赴いてもらって、僕の作った新型高速帆船の設計図面を買い取ってもらう。梃子と滑車、歯車を活用し運航要員が少なくて済む優秀な船だよ」

 技師は自慢げに、書類の束を差し出している。

 水夫は図面を受け取った。目を通して驚く。複雑にして、無駄の無い見事な設計図だ。単一機械、梃子、斜面、くさび、ネジ、滑車、車輪に加えバネとゼンマイ、歯車を利用している。

 建造には金貨一万枚単位の莫大な費用が掛かるだろうが、就航すればそれに数十倍するとんでもない利潤となるだろう。


 だが水夫はしばし、ためらった。この技師は誤解している。自分は共和国ではなく王国の水夫なのだ。ここは謀るか。

「素晴らしい船ですが……造船局との交渉手続きは、どうすれば良いのです?」

  

 ……

 首尾良く無事に『取り引き』を済ませ、翌日の夕刻、水夫は技師との待ち合わせ場所にいた。共和国港湾の波止場。技師はやってきた……姿を見て驚く。豪奢な高級官僚の制服を纏っている。おまけに部下らしき役人を数人連れていた。

 技師は軽く言った。

「ああ、雇用の件だけど。あれは無しだよ。僕は賞金首ではなくなったんでね」

「どういうことだ?」

「造船局から手配された。あんな設計図作れるの、僕しかいないってんで取っ捕まったんだ。そしたら、あの頑迷な太守が僕の借金、肩代わりしてくれるとさ、どういう風の吹きまわしだか」


「では、おれの報酬のロザリオは……」

「え? ああ、きみにあげるよ。いまの僕からは安いものさ、共和国政府お抱えの主任造船技師からすればね」

「返す。おれは贈収賄とただ働きはしない主義でね」

「じゃあ、新型帆船が完成したら、改めて雇われてくれるかい? 誇り高い王国艦隊の水兵さん」

「なぜそれを?」

「太守が話していた。共和国も王国も関係ないさ、もう同胞が戦うことなんかないんだ。いずれ一緒に行こう、どこへだって。冒険の計画があるんだ、この世界は広いよ。それとも狭いのかな、どこへ行っても人間が暮らしているから」


 海で働いていたというのに、ちっぽけな世界観しか持っていなかった自分に改めて気付く。この海原の彼方へ……

 水夫は波止場から、打ちよせる波の海と陽の落ちていく水平線を見回した。波のせせらぎが心臓の鼓動のように感じる。つぶやく。

「世界……」

「では、約束だ。そのロザリオは手付金だな。僕は忙しいので、これで。また会おう」

 

 それから水夫は、『王女』に関する情報を探した。海の荒くれの集う酒場で、それらしき『彼女』についての手掛かりは、いとも簡単につかめた。ずいぶんとむかしのことになるが、暴漢に乱暴されそうになった少女が、その男を殺めたという話があるのだ。その手口は、王家の女性なら誰しも嗜んでいる護身術ではないか?

 年齢も符合した。彼女は大変な美貌の持ち主で言動も涵養にして優雅、さまざまな男からの求婚の申し込みもたくさんあったとか。それがつい昨年、共和国の退役将官と結婚したそうだ。

 焼けるようなラム酒をすすりながら、水夫は敵であった共和国都市の水兵たちと、話こんだ。水夫は敵視も差別もされなかった。


 穏やかに、夏の日も沈むころだった。決定的な証拠が勝手に飛び込んだ。水夫に話しかけてきた女の子がいるのだ。というか、なんで幼い子がこんな酒場に?

 女の子は、おずおずといった。

「おじさん、そのロザリオ……」

「どうかしたかい、お嬢ちゃん」

「わたし、元の持ち主を知っているの」

 決め手だった。その持ち主というのがこの女の子の親で、しかもうわさの美貌の女性。年齢も符合する。退役将官が父だから、こんな女の子が酒場にいられる。酔漢水夫の多くは将官の部下なのだ。

 すぐにわかったが、この女の子は『導きの妖精』とのあだ名でこの街では有名らしい。水夫は女の子に街を案内された。

  


 古びてはいるが丁寧に手入れのとどいた立派なたたずまいの屋敷へ案内され、水夫は確信した。彼女こそはまさに王女だ。

 神の名に賭けても――水夫は息を呑んだ――これほど愛らしい女性は見たことが無い。自分と同い年……解放戦争からと同じ年齢のはず、とするとそう歳は若くないが、気品にあふれた美貌は可憐だ。

 皮肉なものだな、滅んだ王国の王女が、まさか共和国の退役将官と結ばれていたとは。それに十歳ほどになる女の子さえいるとなると、平穏な人生ではなかったろう。だから。


 水夫は、彼女にロザリオを差し出した。

「どうぞ、これは貴女のものですから。あ、いえ贈り物です。お代は頂きません」

「わざわざ持ってきていただいて? いいえ、確かに大切なものですが、もうわたしには必要ないものです」

「しかし……貴女が身につけるに、ふさわしいものですよ」

「なぜかしら。このロザリオは、あなたが持っていた方が良い気がして。きっと幸せを運んでくれる」

 母が持っていたロザリオ……水夫はぎゅっと握りしめていた。

 夫の退役将官も出てきて、挨拶した。それも、軍の敬礼を。水夫は反射的に、敬礼を返してしまった。王国海軍の。

「その体躯に身のこなし、きみは水兵だな」退役将官は穏やかに尋ねた。「それも共和国ではなく王国海軍。違うかな?」

「戦士に二言はない。その通りです。おれが憎いですか」

「互いに、互いの世界を守るために戦ったのだ。個人的に恨み憎む理由などない。こうして出会えたのもなにかの縁。晩餐を一緒にどうです? 妻の手料理でよろしければ」

「お断りするのも無礼でしょう、喜んで頂きます」

 

 こうして水夫は、『王女』の屋敷へ招かれた。

 晩餐の具材は、思いのほか質素だった。それでもふんだんな料理が次々と並んだ。口をつけると、味付けは格別なものだった。船の糧食ばかり食べていた水夫には、舌がとろけそうだ。この味付けは、母から教わったと彼女は話した。母の味……

 内心の燻る炎は、鎮まっていた。水夫は『王女』家族とにこやかに団欒し談笑した。身の上話を真剣に、一部隠して。

 彼女は聞いてきた。

「そう、あなた戦災孤児でいらしたの。奇遇なものね、わたしは片親で、そのお母さんも義理の育ての母だった。わたしは生みの親を知らない」


 疑惑に駆られる……彼女は、自分が『王女』だと知っているのだろうか?

「ひとつ聞かせてください」水夫は尋ねた。「貴女の……その義理の母は貴女を愛されていたのですか?」

 女は……王女は少しさみしげに、しかし嬉しげに答えた。

「お母さんほどわたしを愛してくれたひとはいないわ。いまの夫に逢うまでは」

 それで十分だった。この幸せは壊せない。復讐、王国の再興……それがなんだというのだ。彼女には世界がある。……だから。

 自分も自分の世界を見つけなくては。彼女だってつらい過去を抱え、彼女なりの世界を愛を見つけたのだから。壊せるはずもない、自分の実の母の愛したこの王女がようやくつかんだ安らぎを。


 晩餐は終わった。将官は泊まっていかないか、と申し出てくれたが、それを丁重に断り。水夫は不思議な満足感に囚われ、軽く挨拶すると、彼女たちから別れ。自らの道を歩き始めた。

 技師に会いに行こう。首都を離れよう、いや、旧王国の外へ。道を、世界を探すのだ。

  

 数奇な運命を抱え、ひとはみんな生きているのだ。いのちの奇跡というのだろうか。

 さよなら、幻の王女殿下。さよなら、導きの妖精。

 どうかつつがなく、姉さん。


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― 新着の感想 ―
 よい話ですね。  過去はプライド、未来は希望。こんな価値観な私としては、過去に拘り縛られるより、未来へ自由に羽ばたくことこそが望ましいと考えます。  そんなわけで、彼らに幸せな未来が訪れることを祈り…
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