16 妖精眠る夢 2
少年には、書記官が紹介された。意外にも、うら若い女性だった。学者風とでもいうか眼鏡をかけ、衣服にしても都市向けの型で上質で、時として地獄の形相を見せる海とは無縁の素振りだ。
「航法を務めさせていただきます。よろしくね、坊や」
「こちらこそ。技師どのの奥様ですか?」
「まさか。違うわよ、あんなやつ」
「あんなやつで悪かったね」技師は愚痴った。「僕は十のときから、機械と船が恋人でね。で、調べは済んだのかい、色気の無い眼鏡女」
書記官は右拳で技師の頭を小突いた。
「物資は海戦前に、王国都市に降ろされたらしいわ。つまり補給艦は共和国艦隊の目をそらすおとりだった。船は貨物室、海水だったのよ……喫水量をごまかしたわけね」
「痛いな、ではまったく無益だったのかい」
「いいえ、そうは言い切れない記事を見つけた」書記官は冷静に報告した。「航海日誌は、王国が全土を支配していた数十年前から記録されていた。それによると、王国が絶対不可侵として近寄ることを禁じていた『聖域』があるとか」
「聖域ねえ。王国が禁じていた、しかし王国はとっくに滅んだ。そこを僕たちが乗っ取っても、誰も文句は出ないよな」
「話が話だけに、誰にも打ち明けられないわ。こうなると、わたしたちだけで出向くしかなさそうね」
「だったらいっそ、この三人で行くか。別に三人でもこの船は動く。船長を省けばね」
「賛成、もとからお目付け役に過ぎない、共和国の飼い犬半民半官の国選船長なんて、いやだったものね」
こうしてうやむやのうちに慌ただしく進水式を済ませ、その足で目的地へ直行となった。塩漬け肉に酢漬け野菜を満載し、三人なら二カ月だって航海できる態勢だ。
もっとも、目的地の座標を知って失笑する。この快速の船なら、四日も掛からない。自分たちの住んでいる国が、いかにちっぽけかがわかる。世界の東の最果てにある、太陽にもっとも近い島国。
東には太洋が、西には大陸が続いていることは、船乗りなら誰しも常識とするところだ。この船なら、太洋だって横断できそうだ。
拍子抜けするほど簡単に、出港から三日目の夕刻、目的の島の峰を望遠鏡で確認できていた。なにも問題はなかった。少年は操船に慣れていたし、書記官は測量士として有能だった。技師も並の航海士以上の腕の持ち主だ。好天にも恵まれた。
しかし、喜び勇んで接近しようとしたとき、異変が起こった。
ドン、ズズン…… うなる轟音。砲撃だと!?
「落ち着くんだ。この船は小型だし快速だ、そうそう命中するはずはない……」
技師が自慢げに言い放つと同時に、ゴン、という気の抜けた音とともに被弾し、甲板に穴が空いた。弾丸は小口径だが、速度と貫通力は大変なものだ。少年は怖気を感じた。
「それに銅張りで頑丈だ、ちょっとやそっとで沈むわけはない」
断言する技師だが、それをよそに小さな砲弾は次々と命中した。
書記官は声を上げた。
「浸水してきているわよ! 現実を見なさい、この機械狂!」
「だめだ、防げない。船を捨てろ! 逃げるんだ」
少年は言ったが、技師は聞かなかった。やむなく、無理やり海に突き落とす。慌てて海に飛び込む。
少年が見守る中、船は炎上するまでもなく、砲弾に粉砕され轟沈した。破片の板きれにしがみつく。
技師は気を失っていた。少年が身体を力ずくで引き起こし、板きれに乗せてロープで固定する。
書記官は陸地に向けて、足をかいている。
「泳がないで!」少年は忠告した。「泳いだって海の広さからすると、なんの役にも立たないよ、無駄に疲れるだけだ」
「でも急がないと、鮫なんかに襲われたらひとたまりもないわ」
「この海域には、鮫はいません、ほとんどはね。潮の流れに乗れば、自然に陸地につくはず。無理に動かないで、海水の冷たさに体力を奪われると死ぬ。早春の海が最も冷たいんです」
「陸地まで、どのくらいかかるの?」
「もう見えているんだ、一刻もかからないはずです」
「一刻も耐えるのか……」
「僕の船! 借金が金貨二千枚もあるのに!」
明けて昼間。晴天の浜辺で、意識を取り戻した技師は嘆いた。
書記官は言い放った。
「生きているだけ上等よ。それにしても冷えるわね」
少年は砂浜に横になっている二人をよそに、焚き火をし捕らえた新鮮な魚を焼いていた。火は、技師の持っていた火打石にヤスリを取り付けた器具で、簡単に熾すことができたのだ。
「ゆっくり休んでください、この陽気で冷えるなら、身体は想像以上に疲れています。食欲がなくても、食べて」
「あんな遠距離から、超精密狙撃をするなんて。どうやらこれは、過去の文明の遺跡ね」
思わしげにいう書記官に、少年はぽかんと問い返した。
「遺跡? 過去の文明ってなんですか」
「むかしの人間はね、光の文明を築いていたわ。光によりあらゆる機械を動かし、光によりはるか彼方の人ときままに会話することができた。世界は巨大な情報網で築かれ、あらゆる世界中の情報が自由に手に入ったって。でも文明は滅んだ。人類もともに滅ぶところだった。地上で太陽が爆発したのだと、伝承ではされている」
「光の文明か」技師の目は輝いた。「僕なら再興してみたいな、技術を受け継ぎたい」
「俺は興味ないな」はっと言い放つ少年だった。「滅んだような文明なら、受け継いだって無駄だ」
「だが、これだけの防備がされていたなら、王国が禁忌として聖域としたのもうなずける。どこかにお宝があって自然だ」
「お宝といっても、街に帰らなければなんの価値もないでしょう? 船は沈んだ、帰りはどうするのです」
「ここで調達するしかないわね」書記官は持論を展開した。「入ってくるものには対処するのが、防衛。おそらく出ていくものは撃たれないと思うわ」
「この程度の船旅をする小舟なら、すぐに作れるよ。工具はないけど、建材はいくらでもある」技師は軽く言ってのけた。「それより、砲台を調べられないかな。だれかいるはずだ」
「いや」少年はかぶりを振った。「この島に、おそらく人はいない。見まわしても、炊事の様子のかげりもないから」
「だったらだれが撃ってきたというんだい?」
「それは」書記官は戸惑ったように話した。「光の文明では、人の手を借りずして自動的に動く機械が、多々開発されていたというわ。人工知能に自動人形」
「そうか。技師として言わせてもらえば、十分ありうるか。時計だって螺子を巻けば勝手に動く」
少年は事実に興奮していた。
「だったら大変な遺産が眠っているはずだ。今日は休むとして、体力が戻ったら探索しよう」
「でも、わたしたちに好意的なものとは思えないわ。砲台を調べるのは危険よ」
「そうかな」技師は反論した。「あの砲弾は炸裂炎上しなかった。船を沈めるだけで、僕たちは無傷だった。僕らを殺すためだけだったら、はるかに簡単なのに。それには、あの照準は精密過ぎた」
「だとしたらなおさら妙ね、かつての王国はこの存在を知っていながら、入ることを封じていたとは。なにか理由があるはずだわ。それに、わたしたちですら無事に流れ着いたのだから、自然ここにたどり着いて、なおかつ無事帰れた人がいる理屈になる」
「するとお宝は荒らされ、なにも残っていないかも知れないな」
「いいえ。わたしの知る限り過去の文献には、ここから財宝を持ち帰ったなんて記録はどこにもないわ。それにそんなことがあれば、この島は一躍有名になっているはず」
「どのみち足止めされているんだ、島をじっくり探索するしか当面の手はないよな」
いうや、技師は焼きあがった魚にかぶりついていた。一口含み、むせる。少年は一尾食べきったが、もう今日の働きは終わりだった。




