14 妖精の祈り
話は王国都市艦隊と共和国艦隊が戦った、何年か過去に戻る。『盗賊都市』が海賊……王国艦隊の手に陥落したとの報告からしばらくして、であった。
首都の大通り、雑多な人並み溢れる賑やかな夏の晴天下にて。とあるやつれて身だしなみもぼろぼろの――まあよくある典型的な市民ではあるが――貧相な壮年の男がリュートを奏で歌っていた。
「……栄光は我らの赴く先に。いざ進め、進め、進め! 栄光満つる兵士たちよ! 自由意志で戦う戦士たちよ、その勇敢な戦い見せよ。高貴なる死にざま見せ……つけよ!」
しかし声に覇気もないし曲も下手だ。
「うるさい! 去れ!」
民衆に小石すら投げつけられ男は逃げた。大勢の嘲笑の声が追い打ちした。そんなかれは落ちぶれた王国貴族の息子だった。
王国が墜ちた戦争当時は十代の子供だったが、戦わなかった……というか貧弱で戦えなかったから、財産をほとんど反乱軍……解放軍に奪われても生かしてもらえた。
だからいまや共和国の食客として飼い殺されカツカツの生活でボロ着をまとい割り与えられた糧を食む身……
貴族の息子は貧困とそれより無為に耐えきれず、わずかに所有を認められた弦楽器のリュートをかき鳴らしていたのだ。これで稼げないか? と。
いま首都を始め共和国全土の都市では、大通りの広場で居丈高に扇動者が戦争を呼びかけていた。圧倒的多数の民衆がこれに呼応し歓声を叫んでいた。大勢の若者が募兵に応じていた。
だから楽師は国粋の軍歌を作曲することを目指していた。いまは反王国の機運高まっているのだ。勇ましい行進曲を、人心を鼓舞する歌を。涙する鎮魂曲を作り、歌い奏でる。一発当てれば大金持ちになれる。
仮にも王国艦隊を相手にするとは……いままでその海賊行為を受けても共和国は野放しだったのに。つまり勝ち目があるはずだ!
きっと大金をため込んでいる。それにあやからない手はないだろう。
楽師はひ弱で武具など身に付けたことはないし、戦術とは縁がなかった……というかまるで無知だが、これだけは分かる。勝算のない戦いは無意味だ。共和国は勝つ。これは明らかだ。
だから今日も大通りで歌い続ける。しかし。
「雑音をならすな! 失せろ」「は、能なしの無駄飯食いめ」「卑劣な裏切り者のヘボ詩人がほざくな!」
などとさんざんに呼ばれいささか屈辱を味わった。世が世なら自分はこんな平民に見下される身ではないのに……貧乏貴族のほおに涙流れた。いや、弱気になっては負けだ。成功し絶対に見返してやる!
ここでなぜかいきなり『自称』楽師に話しかけてきた声があった。
「仲間を裏切ることはたとえ仲間が悪人であれ、それより悪いこと……と、法はともかく民間の義理人情では常識よ」
見れば十代半ばの少女だった。どうやら表通りの娘。洗いざらしとはいえ清潔な木綿の衣服を身に着けていた。こんな餓鬼の意見聴けるか! 突っぱねる。
「そんな理屈があるか! 私はずっと王国は悪だと教わって生きてきたんだ! それも役立たずの貧乏貴族の汚物野郎といつも罵られて……」
「そうね。でも貴方は間違いよ。だって王国港湾都市の女王は万民に博愛な方だもの。戦争なんて狂っているわ」
はっと気づいたが、自称楽師は持論を曲げなかった。
「知るか。私はなんとしても歌で一旗揚げてみせる!」
「だからって、戦争を薦めるなんておそらく神様に背く行為よ」
「神なんか信じない! 私を馬鹿にするな」
「戦争になると、人が死ぬのよ。傷つくのよ。それでいいの?」
思わず「私を罵った連中の命なんて関係ない!」と叫びそうになったが、それをもし聴かれて言いふらされては、ただでさえない人望が失墜する。
「それは私の責任ではない!」
「でも貴方の妖精が嘆くわ、きっと……」
「妖精なんかいるものか!」
ふと気づいた。なぜか少女はいなくなっていた。辺りを見回しても、どこにも。あまりの暴言に楽師は見捨てられたか。いまさら気付くが、こんな些細なことで人は行き違うものだな……この戦争が起こったのだってどうせ大した理由はなかろう。
……などと足掻いている間に戦争は終わっていた……これが現実か。痛ましい。楽師は打ちのめされていた。戦死者は海葬……要は捨てられた。
問題は負傷しても死にきれなかったものたちだ。手や足を失ったもの、目が潰れたもの鼓膜が破れたもの……それは地獄絵図だった。
共和国は仮にも民衆主権、障害者を守る義務がある。敵味方問わず働けないものでもその命を最低限保障し全うする責任が。
ここで現実を遅まきながら、はっと自覚する楽師だった。
……子供、特に男の子はごく小さいころから戦争ごっこをして育つものだ。素手で殴り合うか、手ごろな木の棒でチャンバラして遊び、勝つことに自らの生きる価値を見出す。自分が強いことを誇る。力を誇示する。
これは他の動物と変わらぬ闘争の情動だろう。自然な摂理なのだ。
そんな子供が戦士になって英雄になりたいだなどほざき、血気はやるのはいささか危険なのは明らかではないか。もし戦争で前線に兵士として赴くとなれば、利己的な権力者に利用されるだけだ。
英雄願望、その思想を抱いたのはせいぜい三年間の情熱だろう。幼い頃の見識などはまず入らないから。青年の三年は大きいが、親ならその五倍もの経験があるのだ。
そんな無学なころに肉体は成長し続けることに青年は驚き、自らの力を試したくてたまらず、兵士なんかに徴用される。
子供の英雄願望熱には犠牲となる敵の命や諸権利なんて一切無視だ。とにかく弱いものを華麗な(と、信じる)力や技で多く倒せば強く理想だ……残酷で無慈悲。現実はそんな人間はたんなるごろつきやチンピラで、女性や紳士的な大人から嫌悪されるのに。
楽師は恥じていた。惨たらしい犠牲を出したものだ。たとえ平民だからって、たとえ仰ぐ旗が違っていても、いのちは五分の価値があるといまなら解る。
季節は過ぎていった……時とは無常だがけっして無情ではない。
何年過ぎたろう。いまは初夏。穏やかな晴天の昼間。ぼろい館の二階のバルコニーで日光浴をしていると。目に留まる空中に飛ぶ小さな白いものがあった。虫かな?
春に咲く小さな雑草の花の綿毛、つまり種が飛んでいた。まさか二階へ舞い上がるとは。ここに落ちたら生えないぞ、と思っていたら。
煉瓦の床に照りつける太陽の光の輻射熱にあおられたのか、ふわりと綿毛は舞い上がった。高く、高く。くるくる、くるくる。見えなくなる。
太陽と大地の掟、約束。熱は風を呼び水を蒸発させ雨を降らせる。この奇跡の連鎖の営みを人はいのちと呼ぶ。それで構成されているのがこの世界の理。
ただ穏やかに、健やかに、伸びやかに……強く、優しく、激しい果てしないいのちを安らかにまっとうするのだ。
限りある、限りない未来のために。それこそが生きる意味である。社会的な地位などなぜ必要か。似非楽士は誓っていた。これからは幸せをみなに奏でるのだと。いささか遅かった、遠回りしたがまだ手遅れではないはず。
いまなら神を信じていいような気がする。しかしすると同時に悪魔も認めることだし……なぜって悪魔とは堕天使か、貶められ地獄へ落とされた異教の神々と聞いた。それに多くの過去が想いが無駄になる。
だが。これらの神秘の事実にふと、つぶやく。
「妖精みたいだな……」
と、女の子の声がした。いつかの消えた少女?
「呼んでくれた?」
振り向くが、部屋には誰もいなかった。気のせいか。
思えば音楽を志してからずっと白昼夢に浸るな……いや、空耳にだって大いなるなにかの意図があるのだろうが、正直無意味な戯れ言に思える。
ただできるのは呑む……天地の運命の采配を乞うだけだ。
人は何故生き急ぐのか? 以下を考えてほしい。
老いたとしても人は多くの生き物より、余生はたっぷりある。たいていの生き物は数カ月ほどの寿命なのだから。そのためには。
一つ、戦争なんかしなければ。
二つ、経済が回転していれば。
三つ、国家が機能していれば。
四つ、災害が起こらなければ。
五つ、資源が枯渇しなければ。
六つ、病気事故遭わなければ。
七つ、人口調整が機能すれば。
八つ、自然が摩耗しなければ。
九つ、社会が退廃しなければ。
なにより万民がこれらの学習を怠り忘れなければ……天災人災問わず解決に立ち向かえる意志こそ大切だ。
欲望を身の丈に合わせることだ。『吾唯足知』これが実に心に響く。
働いたり子供がいたりしなければ、むろんすべて余暇。最低な日々の代償分は回収できた。すべてが空回り未来は壊れた……太陽が砕け散る音すら知った。
それでも楽師は幸せだった。虚構に生きるという不満を除けば。しょせんどんな媒体であれ創作芸術者は夢を売る商売。夢を無料で配布する素人のほうが良心的だな。
虚構といっても。勤め仕事は立派だが、このゆるやかに衰退する世界の中で、供給拡大は健全か? 滅びつつある人間の世界だから。
すべてはおままごと。戦争はそうはいかないが、最低の愚策。
ならば大いに創作と競技に昇華すべき。消費を抑え『足を知る』だな。
むしろ破滅を前提にしたほうが平和だ。相互扶助の精神が芽生えれば。そうではなく未来を貪欲に求めては、奪い合いが愚かしく起こり破滅早まるだけだろう。
いままた首都では戦禍起こりそうな機運高まっていた。楽師はもはや晩年に差しかかるが、こんどは平和の歌を流そうと決意していた。
生きるとは戦いだが、戦争とは欺瞞だから。何故って『公』より『私』を重視する、自由人の楽師だから。