13 妖精郷の追悼歌 3
監獄が襲われた、との急報が舞い込んだのはすぐのことだった。囚われていた政治犯思想犯は、すべて脱走したとか。少女はそれを知るや、少年の行く先を案じた。
このとき同時に、路地裏の浮浪児たちの首領、乞食たちの小覇王のうわさが流れていた。無益で非道な出兵に反対し、自分たちの街は自分たちで護ることを大義に。少女は、その者との接触を試みた。
裏街道の雑多な薄汚れた街並みに入るのは、少女は初めてだった。しかしたちまちのうちに情報が漏れたのか、ほんの小さな女の子が、案内してあげると少女の手を取った。
路地を転々とし、一角の屋敷に入る。驚いたことに、目的の少年が出迎えた。少年は苦笑しながら語った。
「そう、ぼくなんだ、ここの首領は。なにやら祭り上げられてしまってね。わざわざ会いに来てくれて、うれしいよ」
「私は身元を追われた。しかし、これで勲爵士なのだ。戦禍を避ける義務がある。あの扇動者のような愚劣な真似はすまい」
「そう、結束とは友愛と慈悲の心でもって成すべき。人々の絆を頼って」少年は穏やかに聞いていた。「きみは力を求めているの?」
「力ではなく、強さを。人は誰しもみな同じはず」
「そうして自らが生きていた証を求めて、か。切ないけれど」
「ここの浮浪児……いや、おまえたちは、みんな団結しているのか? よく国に対抗できるな」
「元海軍の、退役将官のおやじがいる。軍略に関しては専門家だ、ぼくたちに協力してくれる。この冬の雪の中、陸軍の騎兵は満足に動けない。主力は海軍だな、もっとも艦隊だけでは都市を制圧するには、戦力不足だ。きみならどう動く?」
「防衛戦に義勇兵として参加すべきだ。たとえ自分を陥れた国であれ、守らなければ」
「そんな必要はないよ」少年は軽く笑った。「戦端は開かれない。これは確実なんだ」
信じられなかった。しかしそれは事実だった。断片的に情報がもたらされる。敵艦隊によって、首都の港の出入りは封鎖された! 陸路の輸送の厳しい冬の中、重要な補給線を断たれた。
なんたる醜態! たとえ数において勝っていても、要所を押さえられたのでは手も足も出ない。
敵港湾都市への遠征に向かった、あの将軍の陸軍本隊はどうしている? どうやら平地に塹壕を広く作って、長期戦の構えだ。これでは戦線は簡単には動かないだろう。
この雪の季節に敵都市の攻略ともなると、無理がある。ならば遊兵同然、引き返して首都の防衛に当たらせるべき、との意見が自然高まっていた。共和国政府は、討伐軍の撤退命令を下した。
しかし。あの扇動者上がりの将軍は裏切った! 撤退命令を無視し、戦線を固持したまま戻ってこないだと?!
「いったいどういうことだ?」
と、問う少女は勲爵士として武術は学んでいたが、この事態を飲み込みかねていた。
『乞食たちの小覇王』はここで手の内を明かした。
「ぼくらのなかまの退役将官の意見が的中したのさ。きっとね。これは共和国政府へは裏切りだが、その国民相手には多大な貢献だ! 戦争を避けるつもりなんだ、かれは……まさかこんな奥の手があったとは」
少女は当惑していた。それでは将軍は……
戦争が膠着状態に入って、二カ月が過ぎていた。敵味方互いに交戦しようのない、動けない状態。情報は少しは入ってくる。
敵は盗賊都市として知られるが、皮肉にも住民の自由と豊かさならその敵港湾都市の方が勝っていた。比べたら、かつての王国を打倒した同盟都市の格差社会には目に余るものがある。単に王侯貴族が官僚にとって代わられただけ。そもそも敵が賊軍というのは擬態である。外に敵を作り、自国の軍事力を保ったままにするための。
都市に閉じ込められた中で、民衆の不満は高まって行った。それが限界に達したころ、情勢に変化が生じた。敵艦隊の撤退である。春の雪解けを前に、ということだ。そうなれば、自らの都市が撤退しなかった討伐軍により攻撃を被ること確実だから。
同時に軍法会議並びに共和国評議会が開かれ、双方とも速やかに命令に背いた将軍の処刑の決が下された。
道理に合わない! あの将軍は撤退命令を拒否した、それは罪としても敵陣を膠着させ、結果的に敵艦隊を撤退させたのだ。なのに処刑とは! 軍の幹部とは無能揃いか、卑怯者か?!
「天使の断罪と悪魔の取引は等価」少年は引用していた。「正しいことをしても報われない。卑怯者がつるんで陰で口裏合わせて陥れる。それが現実だ、権力者になびく、多数が勝つ」
こうして戦争は両軍とも犠牲らしきものを出すことなく、終わった。少女は役場に赴き、勲爵士としての身元を明かした。役人は戸惑った対応で、いちおう少女に身分に相応する役職を与えた。
共和国法下武官。この立場を利用し、少女は特別な計らいで獄舎の将軍と面会することを許された。
将軍は地下牢に入れられており、満足な食事も与えられず足枷を嵌められ、疲れやつれていた。それでも決然と言う。
「わたしは扇動者や将軍である以前に、護民官なのだ。それだけを矜持に生きてきた。お嬢さん、貴女はもしや伝書官の?」
少女は自認の印に一礼した。将軍は声を高めた。
「生きておられたのですか、ならば戦うことはなかった。わたしがしたことはなんだったのだ」
「私は味方の手により、謀殺されかけたらしいのです」
「確かめようもない。しかし敵には貴女を人質にするならともかく、殺す理由はないはず。殺してはなんの得にもならないのですから、それはおそらく事実でしょう。身辺、ご注意を」
「敵国の宣戦布告も、いまとなっては疑わしい。私が接した限り、太守は公正で寛大な方でしたよ。対して同盟都市側の要求があまりに貪欲過ぎた。こちらから喧嘩売ったようなものだ」
「母国政府の詭弁の可能性は、大いにあります。役人どもは、国益のためなら残忍になるものですよ」
「閣下は違った。自ら大任を引き受け、なお両軍とも流血を避けた。それなのに閣下は悪魔に魂を売ったとまで罵倒されました。大半の民衆は、先日まで閣下を英雄扱いしていたくせに」
しかし将軍は穏やかに微笑んでいた。
「良いでしょう。悪魔とされているものは、堕天使。かつて天界の燦然たる天使だったもの。輝きの大天使に率いられて神と戦った。天界の三分の一の天使がかれに従ったとされる」
太古の神話か。はっと問う少女だった。
「なぜ大天使が神と戦ったのです?」
「なぜって、ひとを解放するために、自由にするために。真実の知識という苦痛と代償に、ですが。神に敗れた天使たちは地獄へ堕とされ、悪魔や魔王とされた」
「そうして、この仕打ちを甘んじるのですか?」
「わたしは妖精を探していたのです。『妖精』、これは天使や小悪魔などとは違い、善でも悪でもない。無邪気なひとの幸せを願う心の結晶ともいうべき存在なのです。堕天使の中で地獄に落ちるほどではなく、地上に留まっているものとされている」
「妖精……」
戸惑ってつぶやく少女に、将軍はさみしげに告げた。
「わたしは肉体的に非力だ。生きるために戦うことも叶わない弱者だ。満足できる死に場所を探していただけ。付き合わせた者たちには、悪いことをしたが」
「そんな! これでは、なんのために戦ったのだ。なんで人間は過去から戦争を繰り返してきたのだ!?」
「権力者の力を高めるため、支配力を保つため」
政府のそんな体面のために民衆の命と死をもてあそぶなど。少女は言葉を詰まらせ、しばし間を置いた。
「閣下は……妖精は、見つかったのですか?」
「存在は感じますよ、つねに微笑んでくれる。ひとに勇気と優しさと誠実さを与えてくれる」
これほど崇高な心の持ち主がいるだろうか?! 少女は訴えた。
「いまからでも、申し開きを! 私が弁護します」
「残念ですが、法は曲げられません。わたしは軍紀に背いた身です。ここで例外を作るのは、法にとって悪い前例となります。軍紀はあくまで徹底されなくては、民主国家の病巣となるでしょう」
少女は説得を試みた。しかしここで面会時間は、終わった。
その深夜少女は、少年と二人で処刑所外の街壁にいた。白みかける東の空に向かい、悲痛に叫ぶ。
「なぜだ、こんなこと公正ではない!」
「避けられない運命だったんだ。将軍は承知の上だよ」
少女は反駁していた。違う。こんなこと、避けられたはず。分かり合えてさえいれば。分かり合う……それがどれほど難しいことか。
「私は……官位を捨てようと思う。こんな腐った社会組織の歯車になるなど、耐えられん」
「きみにはその地位を捨てないでもらいたい」少年は誠意のこもった視線で訴えた。「いずれこの国の要職に就くために。裏街道は、ぼくが護る。きみは表を堂々と歩けるよう支えてほしい」
「たしかに乱世には善政を敷く必要がある。さもなくば部下は裏切り、農民は反乱し、商人は金を持って逃げる。将軍は意図的に緊張状態を作り、社会に大手術を施したのか」
このからっぽの戦役で、皮肉にも官僚の腐敗ぶりは正された。税制は効率的に明確化され、政府の予算からは用途不明金は無くなり、民衆への社会厚生手当も行き渡るよう約束された。
路地裏からは、浮浪者が半減した。ひとたび徴兵されて兵役を務めたため、雇用や居住の受け入れ口ができたからだ。徴発されていた物資は、食べられない貧民の下へと運ばれた。
「社会を蝕んでいた膿を吸い出してくれた。それまで臭いものには蓋と伏せられていた欺瞞と不正が表沙汰になり、一気に快癒できた。英雄どころか救世主だよ、あの将軍は」
事実の前に、少女の心は重く沈んでいた。少年もやりきれない様子で、しきりに息を吐いた。
大功績だ。英雄の名に相応しい豪傑だ。しかし歴史には残るまい。裏切り者として――すべてのひとの罪と憎しみを一身に背負って――将軍は逝こうとしている。
黎明の薄明かりの中、十数発の銃声が轟いた。冷たい気の彼方に、それは虚しく木霊して消えた。