13 妖精郷の追悼歌 2
さらに二日かけ、夕刻少女は目的の港湾都市へ辿り着いた。使者としての任務を果たさなくては。街門で、門番に朗々と告げる。
「公式の伝書官だ。同盟都市最高評議会の決議書を預かっている。都市太守に面会願いたい」
直ちに少女は、『王宮』へ案内された。途上大通りを歩むと、平和な雰囲気と豊かさに溢れた活気に驚く。王宮は見事な造形のたたずまいだった。広々とした石造りの建物を歩く。
謁見室では玉座に中年の引き締まった体躯の男が、見ただけではとても太守と思えない簡素な布の衣服姿で腰かけていた。
「そう」太守は少女の訝しげな視線に気づいたようだ。「俺は正式な太守ではないのです。本職は、商船隊総督を務めています。目下、この都市で最大の決定権を有するのは俺なのです。なんといってもこの前の海戦で、女王は戦死なさったものですから」
少女は、石床に膝をつき厳粛な礼をした。封蝋で封印された密書を差し出す。文官がそれを受け取り、太守へ手渡した。
太守は文面を読み始めた。読み進むにつれ、かれの顔は渋面になっていった。読み終えると、太守は少女に険しい目を向けた。
「どういうことか、これは。といっても貴女は内容を知らないのですね、無論です」
「なにか?」
「まずは同盟都市への帰順。これは良いとして、並びに主権の放棄と軍隊の解散、さらには法外な諸税の供出を求めています。われらにはとうてい受け入れ難い条件です」
少女は言葉に詰まった。息苦しい緊張感が、胸を締め付ける。太守はうなずくと、続けた。
「貴女は旧王国において、代々要職の大臣を多々輩出した名家の御息女だ、つまり」太守は淡々と事実を述べた。「これは貴女をわれらの人質に取らせ、人質救出を大義名分にわが都市へ軍を差し向ける算段でしょうね。共和国評議会のやりそうな手口だ」
「そんなはず! 誤解しないでください、私は和平の使者として参ったのです」
少女は悲痛に訴えたが、太守は悲しげに首を振った。
「和平交渉を頼んだ、われらの偵察艦は戻ってこなかったのです。かれらは謀殺されたかも知れません。だが、俺たちの都市はそんな卑劣な真似はしません。貴女の安全は約束します。護衛をつけましょう、無事に都市まで送り返す所存です」
都市に賓客として受け入れられ一泊し。それからうやむやの内に、少女は自分の都市への帰路についた。今回は、一人旅ではない。剣を帯びた護衛兵が四名ついている。
たった一人での使者の任、そのものがおかしかった。少女の父が病に伏せて以来、その地位を剥奪、財産を横領しようとするやからも多々いた。少女は生贄にされるところだったのだ。
帰路は大変な吹雪の中となった。街道はすっかり雪に埋まり、歩くたびに足を取られるのにいらいらと閉口する。宿場村に泊まるや、暖炉の火で暖まる。食事を取ると、いまになって疲労を感じる。
まだ夜は浅いが、たちまち睡魔が襲ってきた。少女は一室の簡易寝台に横になると、速やかに眠りに落ちて行った。
しかし安眠は、束の間に終わった。寝ている少女の肩を、ゆするものがいる。声ではなく手で。それだけでただ事ではない。少女は無理に目覚めた。
灯りのない暗闇の中、護衛兵の一人が声をひそめて言う。
「刺客部隊が迫っています。もう、この村は大半が殺されたようです。これは貴女を狙ってのことです、同盟都市の回しものでしょう。ここはわれらが引き受けます、貴女はお逃げください」
少女は急いで身支度を整え、裏口から脱出した。月明かりが地の雪に反射し、ぼんやりと視界が開ける。見れば、戦とはなにも関係ない宿場村の住民が、ところどころに屍となって転がっている。
手慣れた暗殺者の技だ、目標を殺すのにそれを悟られないのだ。だから悲鳴も混乱もない。
少女もこれで暗殺術は知っていたから、成す術もわかっていた。新雪の積る地面を歩いては、敵に跡を悟られるだけだ。他人の足跡沿い、それも刺客の『仕事』の跡を逆に辿れば、気取られない。
努めて慎重に、少女は雪の夜を逃げた。
数日後。少女が自分の都市へ戻ると、人々は騒然としていた。戦争が始まるのだと、口々にうわさされている。
少女は自宅へは戻らなかった。これでは戻れるはずもない。この街から命を狙われた、とすれば。家族が心配だが、とりあえず大通りに向かう。雑多な人混みに紛れたほうが、なまじ安全だ。
広場では大勢の聴衆が、ある男の演説に耳を傾けていた。中年の華奢な優男だが、立派な衣を纏い精力ある精悍な顔つきをしている。
「あの卑劣な盗賊都市のものどもは、われらの和平交渉を無視した。それも使者を殺したのだ! 無慈悲にも、齢十六歳のほんの少女を。善意を土足で踏み躙り、武力で平和を乱すやつらに、これ以上交渉の余地があろうか?!」
少女は失笑した。私を誰が殺したって? これこそ、扇動者ってやつだな。そいつは腕を振りかざしながら、熱弁している。
「世界を改革しうる国の力とはひとびとの統一された意思だろう。団結こそが必要なのだ。いまこそ正義の旗の下に、集う時だ!」
賛同の声が上がった。しかし、若い男の声が反対した。
「ちがうな。個々の民衆の自由な権利なくしてなにが統一か」
少女はその声の主にはっとした。追い剥ぎに襲われたとき、助けてくれた少年だ。
少年は高い響く声で、問い掛ける。
「それで寛大なつもりか。人々の不満を力で抑えつけて異端と弱者を追放し迫害し権利を奪い。ほんとうの民主共和国なら、異分子を受け入れられるくらいの度量はあるはず」
扇動者は鼻で嘲弄した。
「統一された平和か乱世の無法か。わたしは前者でおまえは後者を選ぶのだな。諸君! どちらに大義があるかは明白なはずだ」
「違う! 違うはずだ。なにを争う必要がある、求めているのは平和と自由だ。乱世の束縛ではない。戦に徴兵なんてその典型だ」
「いまは勇気を持って立ち上がるべきときなのだ。憶病と利己心から戦えないようなものは人間のクズだ」
「あんた、ずいぶんたいそうなこというんだな、だったら、その壇上を降りてこのぼくと勝負してみろよ」
扇動者の顔色が変わった。少年はたたみ掛ける。
「怖いのか? たかだか一対一での素手での喧嘩が。戦場では大勢が銃と剣で戦うんだろ。あんた前線へ出るのか、出られるのか?」
「警備兵! この少年は錯乱している。保護してやれ」
扇動者が命じると、警備兵が五名駆けつけ強引に少年を拘束した。少年はそれでも訴え続けていた。
「力に対抗するのに力をなんてばかげている! 理想は同じなのに形式に拘泥するのはばかげている!」
少年は連れ去られた。場が収まるや、扇動者は報じた。
「先ほど盗賊都市より、軍使が遣わされた。憎むべき王国からのわれら共和国に対する、明確な宣戦布告だ! すべての同盟都市はこの脅威に対し、結集するべきだ。戦を! 正義を押し通すことを!」
民衆は喜びに沸いていた。無法な都市に対する、正義の戦争に。総兵力では、圧倒的に優位。勝利の疑いない戦いに。
少女は事態のあまりの展開に、打ち震えていた。あの聡明な総督の治める平和な港湾都市が宣戦布告!? ありえない。虚報だな。開戦の口実を敵になすり付けるための。
鬱々とした灰白い空を仰ぐ。こんな非道が通っていいのか?!
数日が過ぎた。先ほどの扇動者は、共和国評議会の推挙により正式に討伐軍将軍に任じられた。前線司令官職を。愚かしくもまた戦争となるのか。国中に徴兵令状が出回り、若者が集められ物資が徴発されている。
一方で掲示板には、ある政治犯の処刑の知らせが張り出されていた。扇動者に反論した、あの少年の。
利敵行為?! 反戦を訴えたものが死刑になるなんて。
……恐怖政治とはこういうことを指すのだろう。民主国家の腐敗とは、政府の誤りを公然と非難できなくなることを指す。
こうなれば国家は暴走する。破滅するまで、誰も抑えることができないだろう。反論すれば、死なのだから。
あの少年を助けなければ! こんな欺瞞に満ちた世界で、実直に生きていたあの少年を。たとえ失敗したとして、もはや失うものは、少女にはなかった。