13 妖精郷の追悼歌 1
少女が生まれ育った城塞都市を離れ、となりの都市へ一人旅立ったのは粉雪散り舞う冬の朝だった。木々まばらな草原広がる、治安の悪い丘陵地帯の街道を、左腰に差した小太刀ひとつを頼みに。
少女は自由自治権都市同盟という、共和国連合の勲爵士だった。過去の地位でいうなら、騎士。弱冠十六歳にして、一人前の戦士だ。男性並みの長身に、すらりとした細身。丈夫な皮革の黒いコートを纏っている。
少女は任務を帯びていたのだ。王国の残党が支配する港湾都市へ向けて、共和国政府からの密書の伝達を。
少女は正直不満だった。王国は三十年以上前に民衆の反乱により滅んだというのに、その都市は共和国勢力を追い出し、王国を再興するなんて。
この過程の事実背景を知るほど、少女は大人ではなかった。
街道に点々とある宿場街を頼りに、少女は数日間歩き通した。宿代は取られなかった。少女の首に掛けてある共和国公認通行証は、宿泊費に食費を免除してくれる。
うわさは聞いていた。この荒れた辺境へ続く街道は、進むたびに命の値が下がると。いつなにがあるか、気が抜けない。
旅を続け、流れる川の橋に差しかかったときだった。薄汚れた身なりの男十数人が、橋桁から上り現れ、少女の行く手をふさいだ。そいつらは威圧的に、少女に言い放った。
「この橋を渡りたいなら、通行料を払ってもらおう」
「これが見えないか」
少女は通行証をかざした。厭らしい嘲りの声が答えた。
男どもは、剣や棍棒をちらつかせ、野卑な態度で脅しつける。
「金を置いて行けってんだよ、嬢ちゃん。なんなら身体でもいいぜ」
追い剥ぎ、か。少女は失笑した。大勢で満足な護衛もない旅人を襲い、弱者からむしり取った金で生活しているのだろう、こんなやつら、まともに相手にする理由があるか。
しかし少女は仮にも勲爵士だった。盗賊相手とはいえ、礼を欠くわけにはいかない。
少女は、頭を深々と下げおじぎした。嘲弄の声が上がった。盗賊どもは、すっかり油断し少女に歩み寄る。
少女は右手を剣の柄に伸ばした。頭をさっと起こす。刹那。
抜刀! 一瞬のうちに、ごろつき一人の首筋は切り裂かれていた。真っ赤な鮮血が、どばっと飛び散る。返す刀で至近のもう一人を斬る。左腕をざっくり抉っていた。致命傷ではないが、もはや戦えまい。薄く雪の積った白い街道が、血に染まる。断末魔の声が、冬の気に寒々と、弱弱しく漏れた。
残った追い剥ぎどもの怒声が響いた。
「殺りやがったな! こうなりゃただでは済まさねえぜ」
少女は小太刀を正眼に構え、重心を後ろに落としゆったりとたたずんだ。短く細身の小太刀は敵の長剣に比べると、ずいぶんと貧弱だ。互いに切り結んで打ち合わせれば、簡単に折れてしまうだろう。だから、受け太刀はしない。
追い剥ぎどもは、怯んではいなかった。まだ少女を見下している。「こけおどしだ、こんな不意打ちなんて」「見ろよ、この餓鬼腰が引けてやがるぜ」「こんな細っちい刀、折っちまえよ」
追い剥ぎの一人が進み出、長剣を打ち込んできた。少女はさっと退いた。刃をかわす。と、次の瞬間その敵が剣を立て直す前に鋭く踏み込み、小太刀の切っ先で胸を突いていた。
うわっと賊どもの混乱の声が口々に交わされる。「こいつ!」「やばいか?」「後ろに回れ!」
残った十名あまりに囲まれてしまった。これはさすがにまずいか。
少女は冷静に、四方に目を配る。そのときだ。
?! 小石が飛んできて、ひとりの追い剥ぎの後頭部を直撃した。そいつは酔っ払ったようにふらつくや、どうと倒れた。
見れば、十三歳くらいの小柄で痩せこけた少年が長細い布切れを手に、立っていた。衣服は汚れ、継ぎだらけだ。少年は悪戯に笑った。布切れに石を詰め、ぐるぐると振りかざしている。
「そうさ。後ろから、だな」
少年は軽くうそぶくや、大道芸にも劣らぬ見事な手捌きで布切れを振り回し、追い剥ぎの群れに次々と石弾を撃ち込んだ。
さして威力はないが、このささやかな援軍の威嚇に打撃を受けた追い剥ぎどもは怯み、山を崩し逃げていった。
少年は微笑んで語りかける。
「大した腕だね、女剣士さん。でも殺すことはないだろ、士族を憎む無法者を増やすばかりだ」
少女はむっとした。憮然と言い放つ。
「望んでしたことではない、私の関与するところか」
「まあ、正当防衛ではあるな。抵抗しなければ殺されはしなかったろうが、おそらく凌辱されていた」
「とりあえず、礼はいう」少女は、少年が細長い口の狭い籠を背負っているのに気づいた。蔦で編んだ籠は湿っている。生臭い匂い、魚か。「おまえは漁師か? 領主からの許可証は持っているか」
「許可証? いや、違うけど」
「密漁は罪だぞ、領内の獲物の権利は領主のもとにある。法の名のもとに命ずる。司法当局へ出頭せよ」
「謹んでお断りするよ」少年はのらくらという。「魚を釣ったくらいで、生きる権利を奪うのかい?」
「ならば私が断罪するが」
少年は肩をすくめると、そっけなく背を向けた。少女は尋ねた。
「なんの真似だ?」
「きみは後ろからぼくを刺せない。そうだろ」
「卑怯な、騎士の礼ぞ」
「ぼくは騎士ではないんで」
少女は気が抜けた。思わず、笑ってしまう。
「正式な武器も持たず、石ころに布切れ一つで戦うなど、おまえは大した戦士だよ。騎士ならずとも」
「戦士の栄光なんて、無縁でね」
少年はのんびりというや、気絶し倒れた追い剥ぎの傍らに、川魚を三尾置いた。
少女は少年の意外な行為に、問うた。
「盗賊に食糧を分けるのか、お人好しだな」
「街でも農村でも働けない喰い詰めものが、身を落として盗賊なんかになるものさ。そうした悲劇は無くさなくてはね。きみも一尾ほど、どうだい?」
「けっこうだ」
「士族が平民と同じものを食えるかっていうのかい?」
「そんな気はない。施しは受けない、それだけだ」
「じゃあ買ってよ。この先の空き地で焼くから」
「おまえ、口が上手いな」
少女はくすり、と笑うと金貨を一枚取り出し、少年に手渡そうとした。
しかし、少年は穏やかにその手をとどめた。
「悪いけど、それはお断りするよ。ぼくは自由人であることを誇りにするんでね」
「足りないというのなら、もう少し出そうか?」
「結構だ。一人旅はたいへんだろうけれど、従者になる気はない」
「従者? そんな話はしていないぞ。これは魚代だ」
「は? 魚一尾に金貨!?」少年は顔も声もとても驚いていた。「銅貨一枚でも儲かるよ。飯代に金貨だなんて。きみはどこのお嬢さまだい」
少女はたじろいで、不始末を取り繕うように言い捨てた。
「詮索するな。無礼にして無粋だ」
「あ、すまない。気にはしないけれど。ところで、そろそろ移動しようか。さっきの追い剥ぎどもが、もっと仲間を連れて戻りでもしたら面倒だからね」
少女は先ほど斬り殺した二人の盗賊に向け、直立し姿勢を正し、小太刀を立ててしばし黙祷した。それがすむと、少年に向き直る。
二人は半刻ほど歩き、街道脇の空き地に踏み入った。少年は手際よく乾燥したマキを集め火種を付け、雪の上というのに燃え上がらせ手慣れた様子で魚を炙り始めた。
少女は遠慮ぎみに話した。
「悪いが、いまは食欲がない」
「ぼくもだよ。人を殺した後に、なにが食べられるものか。煙で軽く燻製にするから、保存食として持っていくといい」少年は吞気な口調で、語りかけてくる。「きみのさっきの剣は、正規の騎士の剣術とは違うね。どこで師範を受けたのか」
「禁じ手の秘剣、『凶の太刀、暇乞い』」少女は答えていた。「速剣術、といえば聞こえはいいが。要するに暗殺術だ。非力な女でも、剛のものと互角に戦える実戦派剣術」
「暗殺術か、それはたいそうだね。でもきみは礼節を知る。立派な師に学んだんだろう?」
「そうかな。私の師は、『わたしには、刀を捨ててはなにも残らない。が、きみならばなにかが残るだろう』。そう言い残して、この小太刀だけ残して死んだ。ばかなものさ」
「ばかなんかじゃないさ、きっと。師はきみと同じ」
「師はいっていた。『わたしはかつて忍びでした。いまは心を捨てた刃。正規の剣術など持ち出すまでもない。卑怯などと呼ばれようが、気にはしない。武士道の心など、とうに捨てた。しかしいつの日か、一対一で戦える対等の敵が現れ、技の限りを尽くせるなら。暗殺術など使わないのですが』、と。私はそれすら叶わない」
「心に刃と書いて、忍ぶだよ。『きみにはなにかが残る』、か」少年は思わしげに引用した。「心が残るのであれば、素晴らしいね」
「そうか。手に友と書いて抜く。抜刀術とは刀を手の友にする術と教えられた。たしかに、正規の流派とはかけ離れているが」
「立派な武官になれるといいね。きみなら、きっと」
二人はしばし、燻されている焼き魚を前に談笑した。出来上がると二人は別れ、互いの道を歩き始めた。