第1話 欲しいモノ
1 ―ガリア暦1920年8月2日―
僕が生まれる前、ハルミールは世界一の国だったらしい。父さんが前に言っていた。
そりゃもう、ずいぶんと羽振りのいい暮らしをしていたそうだ。
特に、僕らの住んでる帝都フィルツはすごかったらしい。
きちんと整備されたライフライン、手厚い福祉制度に教育制度etc..。それらを支える豊富な資源。
街には近代的で立派な建物や、民需工場が建ち並び、「世界の食料庫」と謳われていたフィルツの市では、揃わない食材はないとまでいわれていた。
夜になれば、ムードのある橙色のランプが街を照らし、その様子は昼間とさして変わらず、賑やかであったと。
当時の宰相であったミリス・ワロライズはこう語っている。
「この帝国は我らが神により創造され、治められしエデンの園である。」
この発言が虚言や妄言ではないことは国の繁栄振りが物語っていた。
でも、14年前に戦争に負けてから、一日に一回かたいパンにありつけるかどうかも怪しい、こんな惨めな生活をを送ることになったらしい。
なんでも賠償やら何やらで、経済がぶっ壊れた結果、とても、裕福な………それどころか、まともな生活を送ることさえままならなくなったという。
ああ、そうそう。先の大戦で負けた理由っていうのは他でもない。共和国側が極秘に開発し、大戦に投入した戦略級生物兵器「クレア」、通称「狂戦兵」のせいだ。
ハルミールの諜報員でも気づけなかったそいつの開発はカインの首都、陥落してからは第二首都の地下の地下で超秘密裏に行われていたことらしく、まあ、気づけるわけもなかったそうだ。
そいつは帝国兵を蹂躙し、嬲り、そして喰った。まるで人間が魚をとって食うような気軽さで。
話に戻ろう。父さんからその話を始めて聞いたときは唖然とした。この国にもそんな輝かしい過去があったのかと。
同時に恨みもした。その栄光を、非人道的なやり口で奪い去っていった共和国の連中を。
しばらく彼らへの憎しみの炎は消えなかった。いつかはこの手で、先の大戦で受けた屈辱を倍にして返してやろうと決意した。
でも、しばらくして気づいたんだ。
というか、思い知らされた。
結局僕が何を思おうと、世界は変わらないということを。
そもそも僕にはそれが出来るほどの力も知恵もないじゃないか。
そう考えると、きっぱりと諦めることが出来た。
僕に出来ること。それは、こうやって盗んで、その日の生活を成り立たせることだけだ。
場合によっては、男だが、身を売って金を稼ぐこともある。
父さんはもう死んだ。ギャングに襲われて。両手両足や首に杭を打たれて地面に磔にされてた。
見つけたときには野犬が食い荒らしてて、しかも長い間放置されてて肉が腐ってた。発見しても誰も埋葬しようと思わなかったんだろう。まあ、この国では普通だけど。蠅がたかり、蛆がわいていた。
母は僕が生まれてすぐに死んだ。当時は、感染病が流行っていたらしい。
妹はある日唐突に姿を消した。遺体は見つかっていないが、おそらく死んだ。この国での失踪は死を意味する。
そう。僕らは奪われる側の人間。
命も何もかも僕らのものじゃない。奪う側のもの。
「おい待て!ガキが!!」
後ろから怒鳴り声が聞こえてきた。
もっと早く走らないと追いつかれる。
崩れた塀を越え、屋根代わりの錆びた金属板の上を通り、抜け穴を通って自分の家(屋根もなければ、壁もないが)に戻ってくる。安堵のため息をついた。
……………………………こんな生活をいつまで続ければいいのだろうか。
いつか、こんな惨めな生活から抜け出すことが出来るのだろうか。
奪う側の人間に怯え、盗み、逃げる。そういう生活。
この世界から。
この生活から。
抜け出したい。
でも、力が足りない。
欲しい。圧倒的な力が。
ふと気づくと頬に熱い液体が伝っていた。
もう嫌だ。
報われない生活が。この地獄が。奪われる恐怖が。武器が。帝国が。野犬が。
無力で惨めな自分が。
力が抜け、ひざがガクッと曲がり、床にへたり込んだ。
盗んだ固いパンは食べる気にならなかった。
何度も空嘔を繰り返し、必死に声を抑えて泣いた。
力が。
ただ純粋な力が。
世界最強の力が。
この生活を抜け出せる力が。
欲しい。
欲しい。
欲しい……………………………………………………。
泣きつかれた僕は眠った。
綺麗な満月が出ていた。満開の星空。
御伽噺の中にいるかのようだった。
あの日のことを僕は鮮明に覚えている。
あの日。
顔をぐしゃぐしゃに濡らしたまま眠った僕は。
この凄惨な世界をひどく嫌った僕は
運命というヤツと対面した。




