とある伯爵令嬢が嫁にいけなくなった理由
王領地のそばにある伯爵家、ピエネル伯爵家当主は、急な王の呼び出しにより、王宮に参内した。
伯爵は、侍従により王の私室に招き入れられた。
王から私的な話を承る栄誉なのか叱責を受ける恐怖なのか、不安がない混ぜになって、ちょっとばかり伯爵は混乱していた。
侍従はそんな舞い上がった伯爵を見て、心落ち着けてもらえるように席を勧め、王が来るまでの間、お茶を供し、己が主が戻ってくるのを一緒に待った。
「伯爵様、陛下がおなりでございます」
そっと伯爵に耳打ちし、起立を促す侍従。伯爵は飛び上がって、威儀を正し、王が入ってくる扉に向けて頭を下げた。
王の私室の扉が開けられ、王が自室に戻ってきた。王はさっさと椅子に座り、侍従に茶を淹れさせる。
「ピエネル伯、大儀である。楽にするがよい」
「は、陛下に於かれましてはご機嫌麗しく……」
「挨拶は良い。はよう座れ」
「はっ」
王の機嫌から、すわっこれは叱責かと青ざめる伯爵に、王はゆっくり茶のおかわりを楽しみながら話を切り出した。
「のう、伯」
「はっ、陛下」
「そなたの娘の婚約が決まりそうらしいな」
「え、あ、本決まりではございませんが、決まり次第陛下のご許可をいただく所存にございます」
この時代、貴族の結婚に際しては国王の裁可が必要となるのである。
「ふむ。そのことだがな」
「?」
「そなたの領地の民より、我が領地に訴えがあった」
「へ?」
「なんでも、そなたの娘は民に愛されておるらしいの?自分達領民に良くしてくれるお嬢様をひどい男のところに嫁にやらないでくださいと訴えが来ておるぞ」
王の言葉にもはや茫然自失するしかないピエネル伯爵。
「あ、あの、一体、何が何やら」
「そなた、嫁ぎ先をオウレル伯の長男オウレル子爵に選んだようだな?」
「は、はい」
「民は、愛人を囲って、まともに領地運営もしないような男にうちのお嬢様をやるのは許せないと、そう申したてておる。ま、実際、子爵は伯爵から認められてない恋人がいるし、領地経営も任されてはおらぬから民の情報網も侮れんの」
ピエネル伯領民は、領外からやってくる行商人や領外に嫁いだ家族親族からもたらされる情報をまとめ、どうも自分たちの愛するお嬢様が、碌でもない男に嫁がされるようだという考えに至ったようである。
「う、え、は」
浜に打ち上げられた、魚のようにあえぐピエネル伯。
「夫に愛される、幸せな奥方になって欲しいそうだ。自分たちの幸せのために頑張ってくださるお嬢様に当然のことだと。そなたに直訴して通るかどうかわからない。なら隣の王様に直接諌めてもらったらどうかと、民なりに考えて動いたそうだ、うん。王朝始まって以来の珍事であるかな」
人事不省に陥りたい伯爵であった。そういうわけにもいかず、脂汗をかきながら王の次の言葉を待つ伯爵。
「そんなわけで、わしも婚約を許可するわけにいかんのだ。王があてにならぬなど民に思われてはならんのでな。ということで、伯爵、民が納得する夫を選ぶように」
「無茶です!陛下!探しに探してマシなの選んでオウレル子爵だったんですから!」
ぶちゃけた伯爵であった。王もさもありなんと伯爵の訴えに静かに頷いた。
王とて、世継ぎを残すため側室二人を入れている。王妃と側室二人の仲が珍しく良いため(王自身も女三人が争わぬよう気を使いまくっている)騒動になっていないが、先々代のときには血みどろの争いが後宮で起こっていたのだ。
先代である王の父は、それに嫌気が差して王妃一人を貫き、王と王弟の二人の子を心血注いで無事成人させたのだ。子供ながらに祖父の女達の闘いとは恐ろしいものだと思った王であったので、自分も父と同じように王妃一人にし、争いのない王室を目指そうとしたが、継嗣がなかなか生まれず、結局、側室二人を娶ることになったのだ。
「ま、なんだ。娘に自力で婿を勝ち取るよう、発破をかけてみてはどうか?娘が選んだのなら領民も納得するのではないか?」
「……いえ、娘が変なの選んだら、全力で阻止してきそうに思います。命がけで」
娘が領民を大事にしているように、領民が娘を大事にしているのは伯爵もよくよくわかっているのだ。今までを思い返してみても、最高の男を夫に選ばねば、領民が本気の命がけで止めに入ってきそうだった。自分がバカな父親をするまでもなく。
「……なんとま、本当に民に愛されておるのだな」
「このままでは、娘の幸せが遠のきます!陛下お知恵を!」
「いや、そうは言われてもだな」
「マシな、マシなのは居りませぬか?もう身分はどうでもいいです!」
「ぬぅ、ちょっと待て、これ、宰相を呼んできてくれぬか」
三人寄れば文殊の知恵とばかりに、王は王国の知である宰相を呼んでくるよう侍従に命じる。侍従はすぐさま宰相を呼びに行く。
「「ううーん」」
それぞれ心当たりの独身男の顔を思い浮かべていくも、領民を納得させられる自信がかけらもない二人であった。
そりゃそうである。どちらも魑魅魍魎が跋扈する宮廷で生き抜いてきた強者なのだから、領民が思うような誠実かつ平和ボケしてそうな男など心あたりがあるわけないし、そんな危なっかしい男に自分の娘を任せたいなどかけらも思いもしない。大概の貴族の男というものは、血や育ちもあって一癖も二癖もあるのが普通なのだ。
呼ばれた宰相も、話を聞いて唖然呆然である。そもそも領民からそこまで慕われる領主の娘などはじめてであったのだから。
そんなわけで、ピエネル伯爵家のご令嬢は民思いという、自身の撒いた種で嫁に行く機会を失いそうになっているのであった。
「そんなわけで、そなた、結婚は諦めろ。領内で暮らすか修道院に入ってもいいぞ。陛下も王宮で働かないかと言ってくださっておる」
「え、婚約のお話じゃなかったんですか?そんなわけってどんなわけです?」
父親から仔細を聞いた、結婚願望が捨てられなかった伯爵令嬢、心配する民に最高の旦那見つけてくるからと約束し旅に出ることと相成った。
結局、伯爵令嬢、王国の外交官として才能を花開かせ、各国の男性を帰国のたびに領地に連れて帰ったが、民からのダメ出しにおののいた男性達は国に帰ってしまう。
「私だって結婚したいんだー!」
悲痛な叫びが伯爵家の屋敷に響いたそうである。