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森の中の家①

 気が付けば、私はそこにいた。

 鬱蒼と茂る森の中、ぽつんと、玩具みたいに頼りない2階建てのログハウス。その二階のベッドの上で寝ていたところから、私の人生は始まったと言ってもいい。

 なにせ私にはその前の記憶がない。不思議な事に言葉は分かるし、半端ながらに知識もある。けれど記憶と呼べるものはあの瞬間から始まっていて、それ以前などまるでないかのように綺麗さっぱり忘れている。まあ、別段不便な事はない。

 ただ気になるのが、このログハウスの同居人と私との関係がこれっぽちも分からないことだ。

 同居人と言ってもそれは人ではない。狼だ、まるで人など丸呑みに出来るのではと思うほどに大きく、綺麗な毛並みをした灰色の狼だ。

 その狼は人の言葉を話しては、私の事を「赤ずきん」と呼ぶ。──冗談にしては笑えない。

 多分、私が最初に着ていた真っ赤なフード付きのマントの印象から呼んでいるんだろうけれど、赤ずきんとは、なんともまあ、奇妙な偶然もあったもの。洒落にしては笑えない。


「赤ずきんッー! もう朝だよご飯食べようよご飯ッー!!」


 小さなな子供みたいな喋り方、地響きのように唸る明るい声。

 目を覚まして1週間、いい加減慣れてきたがやはり見た目とは程遠い可愛らしい狼の声だ。

 彼はなんともグルメなので生肉を食べる事はない。薄い塩水で煮込んだ肉がお好みだ、最近ではペッパーにも味を占めている。

 食べる度にくしゃみをしているのに、それでも欲しいと尾を振る姿はなんとも子供っぽいと思わず笑ってしまうほどだ。

 そんな子供らしい子供である狼の食事の準備のためだけに、私は手に持っていた櫛を机において、すぐさま一階へと降りることにした。

 木製の階段が軋みを上げて、僅かにしなるのを感じる。だけど私の何十倍も重たい狼が歩いても壊れることはなさそうなので問題はないだろう。

 むしろ私の時のほうが音が大きい気がするのだけど、………まあ、動物と人で比べるのも馬鹿らしいか。


 階段を降りた先には一匹の狼が尾を振り回しながら待っていた。

 ヨダレを垂らすのをやめなさいと何度言ってもわかってもらえないのでソレに関しては諦めた。だってこれイヌ科だし、「待て」が出来るだけお利口ですとも。


「おはよう、ロボ」

「おはよー赤ずきん!」


 自分で付けておきながら、未だに(Lobo)とはなんとも安直だと思う。何より名前負けがひどい。

 この子はあの狼王とは違い群れを率いるどころか一匹狼で、おまけに知能も低いと来た。これでは愛しのブランカに会えるのはいつになるのやら。まあ、そのあたりは狼が頑張れば済む話だ。私にはとんと関係ない。

 私と彼はそこまで深い関係じゃない。せいぜい彼との関係は同居人が関の山、受けれる相談事なんて、──このように、トングを片手に塩ゆで肉を量産することぐらいだろう。

 ちなみに私は肉を茹でる隣でなにかの野菜を千切りにしている。キャベツやレタスではないが似たようなもので、オリーブオイルに塩コショウでもすれば美味しく食べられるのだから有難い。それに薄切りのパンと目玉焼きでも添えれば朝食としては上等だ。昨日のオニオンスープも残っているので豪華すぎるかもしれない。


「まだー? ご飯まだー?」


 朝からよく食べるのは健康の証拠なのだろう。なにしろこの狼は育ち盛り、未だに子供で更に大きくなる予定らしい。

 たんとお食べと、塩ゆでした分厚い熊肉を適当な皿に乗せて上からペッパーを振り掛けた。個人的に掛けすぎたと思うのだが、狼からするとこの真っ黒くなるくらいに掛けた胡椒が最高らしい。正直にいうと味覚と嗅覚が狼として問題なのでは、と思わなくもない。

 けれどまあ、それはあくまでも狼の問題。調理する側としては美味しく食べてくれるのならばなんでもいいし、何より食いっぷりが気持ちがいいというのはいいことだ。

 既に半分近く食べられている肉の代わりを新たに塩ゆでしながら、私も朝食をいただくことにした。

 美味いとも、不味いとも言えない。言ってしまえば普通、平凡、ありきたり。逆に言えば飽きるくらいには食べられる、そんな代わり映えのない美味しさだ。まあコンビニ弁当よりはマシと割り切るべきで、………まただ。

 ふとした拍子に私自身が知らない単語や知識がさらりと出てくるのは困ったものだ。過去の私の情報の断片だと考えるのが普通なのだろうが、それにしても意味が分からないのに平然と思考に紛れ込むのは止めてもらえるとありがたい。


「………………それとも」


 それとももう少し私自身が自分のことを真剣に考えるべきなのだろうか?

 個人的に今の生活は気に入っている。周囲の森は化物だらけ、血と脂の匂いが染み付いた衣服、所有者不明のログハウスと様々な生活用品。

 どれも不気味で不快でどこまでも最悪。けれど私は気にもしない。気にする必要がないとも言う。

 此処にいれば少なくとも平凡な日々は繰り返すことが出来るだろう。なにせ食料は常に供給されている。意味不明にも程があるが常に一定量を保つ食料があれば餓死することはない。毎日のように狩りに出かける狼に頼めば水を浴びる為に川まで乗せてもらえるし、衣服に関しては匂いこそ気になるが、別段汚れているわけでもない。何より洗濯は毎日している。

 衣食住の保証がされているのならそこはまさしく住めば都だ。──もっとも都にはいつだって犯罪や公害が桁違いだけど、此処は周囲は化物くらいしかいない。一人ぼっちでなんとも都落ち(いなか)だが、それこそ毎日の平均的な日常は保たれる。

 それはおそらく尊いはずだ。何者にも侵害されずに自己満足の日々を貪る。いっそ引きこもりよりも潔い自堕落の類かもしれないが、少なくともそれで困る者などいない。


 同時にふと思うこともある。私は誰なのだろうと。

 気がつけば私は此処にいた。名前も知らず、人生から意味を取りこぼし、惰性で日々を生きている、いや生きているフリをしているとも言えなくもない。

 それはあまりにもあやふやだ。自分の定義があやふやでは自分の生き方すら定まらない。それが悪いとは言わないし、むしろ私は気にもしない。

 けれど、あやふやになる前の私は、どのように生きていたのだろうと。そんな昔の私の事を思うと、キュッと心臓が締め付けられるような息苦しさに心が焦がれる。

 おそらく、私は過去の私に恋をしているのだ。自分が待たない全てを持つあの子に、私は恋するかのように焦がれているのだ。

 だからこそ私は毎日のようにこの自問自答を繰り返す。ふとした拍子に焦がれるあの子を思い出したいと、言葉とならない声の代わりに心が想いを吐き出したがってる。

 そんな気がするのだと、私は胸に手を添えた。僅かに痛いと思いながら。


「ごちそうさまでした!」


 2つ目の肉の塊を食べ終えた狼は一声吠えるとすぐさまにログハウスから飛び出してしまった。

 相も変わらず綺麗に食べる。床は毛だらけ、皿はべたべた、尻尾を振った勢いで花がいくつか散ってしまっている。

 この掃除をするのは私なんだぞと言ったところで糠に釘だ。暖簾を押す暇も惜しいので食べたものを形付けるついでにさっさと掃除してしまおう。


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