第14話 不良VSマッドサイエンティスト
「――――気合いッ!!」
馬金の問いに対する俺のまさに『気合い』の入った解答に、白衣の男は身体をワナワナと震わせていた。
「気合い……だと……? ……そんな少年漫画の根性論じみた非科学的な理論で、自分の最高傑作であるUGウイルスを克服されてたまるかっ⁉︎」
「は、魔法な力に頼っておいて、今さら非科学的とか抜かしてんじゃねえよ? あー、でもそうだなぁ……もう一つ、理由を付け足すとするなら……」
俺はしばらく考えこんだ後、ピンと閃いたように人差し指を立てる。
「俺はゾンビ物は、ウイルスパニック系の科学ホラーより、呪術とかで死者を蘇らせる昔ながらの非科学ホラー派なんだ」
「…………いや知らないよそんなの⁉︎」
模範的なツッコミが返ってきた。コイツ、意外にもツッコミの才能はあるんじゃないだろうか?
とはいえ正直な話、俺自身何でゾンビ化せずに済んだのかはわかっていなかった。
「気合い……というのは、あながち間違いではないかもしれません」
俺と馬金のやりとりに、この場で最も魔法にくわしいシャルエッテが口を挟む。
「魔力というのは、精神と密接な繋がりがあります。馬金先生が使ったウイルスは、人体にはおそらく影響がまったくと言っていいほどないのですが、内包した何者かの魔力によって精神や脳を汚染するというもの。その精神汚染を、スガタさんの強靭な精神力で跳ね返したというのは、理論的には十分にありえますね」
解説の中でさらっと馬金に対してものすごいひどい事を言ったような気がしなくもないが、それはともかくとして、俺はゾンビたちに噛みつかれていた間何を考えていたのか記憶を探ってみる。
といっても、精神汚染とやらはちゃんと効いていたみたいで、噛みつかれていた間の事は正直よく覚えていない。ただ、無意識下に俺が考えたことがあるとするならば――、
「……たしかに、ゾンビにされたらテメェに操られたかもしれねえと思うと、無性にムカっ腹が立ったのだけはなんとなく覚えてらぁ」
その怒りが実際に馬金の精神汚染を跳ね除けた要因になったかのはわからねえが、ともかく俺は、馬金の作ったウイルスを克服できたようだ。
理屈はわからずとも、自信作であるウイルスが効かなかった男が目の前に立っている事実がプライドを傷つけたんだろう、馬金は今にも発狂しそうなほどにメガネの奥の顔を歪ませていた。
「ありえん……ありえんありえんありえんありえんありえん、ありええええんんんんんッッ⁉︎ UGウイルスは、我が生涯をかけて作り出した最高傑作……! 細菌化学の到達点であり、この世界そのものを作り変える事ができる兵器なのだ……! それを……それを克服できる人間なんているはずがない……いや、存在してはならないんだっ!!」
馬金が最高傑作だと豪語するUGウイルスと思わしきピンク色の液体が入った注射器を、彼は再び白衣のポケットから取り出した。
「テメェ……何を……?」
「ククク……UGウイルスは何もゾンビを作り出す事しかできないわけではない。……このさらに強化されたUGウイルス改は、あくまで最終手段として取っておいたのだが……仕方あるまい」
そう言うと彼は、白衣の袖をまくって自らの腕に注射器の針を刺したのだった。
「なっ⁉︎ テメェ自身にウイルスを……?」
「ククク……後悔するがいい、野蛮な不良よ……」
中の液体を全て腕に注入すると両腕をだらりとおろし、その際に手から注射器が落ちて床で割れ散ってしまう。
――彼の身体に変化があらわれたのは、注射をしてすぐだった。
彼の全身がゆっくりと膨れ上がり、身体の筋肉が誇大化していったのだ。膨張する身体はやがて白衣を突き破り、顔のサイズも大きくなってメガネも床へと割れ落ち、ガラス片が割れた注射器と混ざる。
そして、細身であった彼の肉体は、ズボン一丁の全身筋肉質な巨漢へと変化してしまったのだった。
「ハァ……ハァ……フフフ……見たまえ、素晴らしい肉体だろう? UGウイルス改は、肉体そのものを急激に強化する事ができるのだっ! もはや、どれほどに強い人間であろうと、この力の前では全てが雑魚に等しい!!」
まるでゴリラのように腕をブンブン振り回しながら、声もゴツくなった馬金はゲラゲラと高笑いする。
「恐ろしいか、不良? これが、貴様らのような脳みその小さいゴミ虫では一生たどり着けない化学の極地だ。震え上がるがいい。これが……自分の怒りを買った貴様の過ち。せいぜい、後悔して死ぬがいい――って、なんだその顔は⁉︎」
鏡を見なくてもわかる。今俺は、ものすごく呆れた顔になっているんだろう。俺は大きめのため息を吐きながら、面倒くさげに頭の後ろをぽりぽりとかく。
「あー、いやー、なんつーか……追いつめられると怪物化する悪の化学者ってのもワンパターンだなぁって……」
「なっ……」
俺の呆れ気味な態度と言葉に、マッチョ化した馬金は唖然としていた。
「もう少し驚けよ、不良⁉︎ 普通、ここまで急激に肉体が変化するような薬があるわけないだろ⁉︎」
「そもそも、その肉体強化もウイルスじゃなくて魔法によるものだろうよ。そうだろ、シャルエッテ?」
事態についてけなくてキョトンとしていたシャルエッテが、俺に呼ばれてあわてながらも解説する。
「……あっ、はい! アレもおそらく、ウイルス自体には特に何も効果はないと思いますが、ウイルス内の魔力による暗示魔法で怪物のようになると自身を思いこませて、脳の働きが魔力を伴って肉体に直接変化を与えているのだと思われます」
「やっぱりな。それにしても……暗示って要はプラシーボ効果みたいなもんなんだが、それも魔法となるとスケールがデカくなるもんだな……」
馬金の作ったウイルスはともかくとして、思いこみだけで人をゾンビやマッチョな怪物にする事ができるんだから、暗示魔法というのは実に厄介な魔法だな。
……彼に協力した魔法使いは未だに姿を現さないが、とりあえずは、目の前の大男をどうにかするのが先か。
「ぐっ……クソ、また非科学的な言葉を使いやがって……もういい! ここにいる全員、自分の手でブチ殺してやるッ!!」
おおよそ化学者とは思えないような乱暴な言葉を発し、筋肉で図太くなった腕を振り上げながら、馬金はその巨体で俺に向かって突進してくる。
「……ま、一つだけテメェには感謝しといてやるよ」
俺は一瞬で、彼の巨体の懐へと距離をつめる。ちょうど、俺の小さな身長だと彼の腹筋部分が目の前にある形となった。
「なっ⁉︎ はやっ――」
「――的がデカいおかげで、拳が当てやすからぁ」
そして、引き締めた拳を馬金の腹へと目がけて撃ちこんだ。
「があっ――⁉︎」
拳はメリメリと音を立てて、馬金の硬い腹筋をめりこませていく。
しばらく彼の口から嗚咽が漏れ出た後、巨体はあっさりと床に倒れてしまった。彼が生み出したゾンビのように白目をむき、巨大となった身体が徐々に風船のようにしぼんでいく。
「……よかったじゃねえか。結局、一発で済んじまったんだからよ」
正直、俺の二倍以上もあった巨体がたった一撃で沈むとは思わず、少々呆気にとられてしまっていた。魔法による思いこみでいくら肉体が変化しようと、元の耐久力までは変えられなかった、といったところだろうか……?
「っ――! シャルエッテ! ゾンビたちは元に戻ったのか⁉︎」
シャルエッテの方に声をかけると、彼女はすぐさま扉を開けて廊下の様子をうかがった。
「っ……! やりました、スガタさん! 馬金先生と繋がっていた魔力が切れて、今は全員眠っていますが、ゾンビさん状態から元に戻っています!」
こちらからは廊下の様子は確認できなかったが、先ほどまで響いていたうなり声はすっかり静まり返っていた。
周囲を見回すと、俺の振り上げた拳で気を失った生徒たちも目は覚まさなかったものの、苦悶を帯びた表情が穏やかなものに変わっていった。
どうやらシャルエッテの推測通り、馬金を倒した事で無事にゾンビ化が解けたようで、それを確認できて俺はホッと息を吐き出した。
ひとまず、一件落着といったところだろうか……。
「スガタさん! スガタさん! スガタさんのおかげで、危機的状況だった生徒や教師の皆さまが救われました! やっぱり、スガタさんはすごいお方です!!」
無事事態が解決した事でテンションの高まったシャルエッテが、俺の目の前にまで駆け寄って両手を握りしめながら全力で喜びを見せる。
「……本当にすごかったわ、諏方お兄ちゃん」
「あはは、それほどでもねえよ――って、あっ……」
馬金を倒して事態は全て解決した――なんて楽観するにはまだ早かった。
シャルエッテの背中越しにこちらへとゆっくり近づいてくる青葉は、疑念の視線を俺たち二人へと向けていた。
「……やっぱり、あなたは四郎くんじゃなくて、諏方お兄ちゃんなのね?」
「……っ」
答えられなかった。そう簡単に「はい」と言えるわけもなく、かといって目の前でさんざん不可思議な現象を見せられた後じゃあ、無理に否定するのも不自然にしかならないだろう。
「ス、スガタさんなわけないじゃないですか⁉︎ ここにいるのは、クロサワシロウさんですよ⁉︎」
シャルエッテがあわててごまかそうとするも――、
「でもシャルエッテさん、あなた、さっきから彼のことを『スガタさん』って呼んでるじゃない?」
「はう⁉︎」
――っと、図星を突かれてしまうだけだった。
シャルエッテは自分のしてしまったミスでアワアワと困った様子を見せるが、先ほどまでの緊迫とした状況の中、「シロウさん」呼びを忘れるのも無理はないだろう。
「……昔と変わらない見た目の諏方お兄ちゃんに、ゾンビ騒ぎや怪物みたいに変身した馬金先生……それに、さっきから連呼されてた魔法って言葉……くわしく説明してもらえるかしら……?」
完全に疑いの眼差しを向けてくる青葉。……これ以上はごまかしようもないだろうが、なんて説明をするべきだろうか……?
「東野先生……これにはいろいろとわけが――」
「――――少ししか手をくわえなかったとはいえ、魔法によるこの騒動をあっさりと解決するなんて……改めて感心したわ、黒澤諏方」
――突如聞こえたその声は、透き通るように綺麗でいて、しかし聴くだけで本能的に身体全体が震え上がるような冷たさを帯びていた。
「――っ⁉︎」
あわてて声のした方向へと視線を向ける。
気づかぬうちにかなり時間が経っていたのか、空を覆っていた雲は払われ、夕日がわずかに顔を覗かせていた。その赤く照らされた夕暮れを背に、いつの間にか開いていた窓に腰をかけて、部屋の中なのに黒い日傘をさした紫髪の黒衣の女性が、不気味な笑みを浮かべてこちらを見つめていたのであった。




