第12話 待ち構える男
俺とシャルエッテ、そして東野先生ーー青葉の三人で女子トイレから飛び出すとシャルエッテを先頭に、彼女の指し示す方向へとまっすぐに進んでいく。
周囲には数は減ったものの、まだ数十名のゾンビ化した生徒や教師たちがさまよい続けていた。その内何人かが、こちらへと頭を向ける。
「っ……!」
変わらず心苦しくはあったが、彼らを気絶させるために俺は腕を構えるーーがっ、
「……ん?」
ゾンビたちの視線は俺たちを追ってはいるもののーー白目をむいているので正確にはわからないのだがーーなぜか彼らは俺たちを一向に襲ってこなかった。ただフラフラと立ちつくし、こちらを見つめてるばかりでいる。
「なぜでしょう……先ほどまでゾンビさんたちはわたしたちに襲いかかってきたのに、今は何もしてきませんね?」
シャルエッテもゾンビの意外な挙動に戸惑いを見せていたが、俺はこの状況で自分の中にあったとある疑惑が確信へと近づいていた。
ゾンビたちは女子トイレを避けていたのではないーー女子トイレに隠れていた東野青葉を避けていたのだ。
ゾンビたちが急に襲わなくなったのも、俺たちと青葉が同行しているからだろう。彼女が一人ゾンビから逃げられたのも偶然ではなく、彼女にだけゾンビが攻撃しないように命令されているからではないだろうか?
ではなぜ、青葉だけがゾンビたちから襲われないのか。そして、誰がゾンビたちに命令をしているのか。
仮説として、俺の中で一人の人物が浮かび上がる。そしてーーそれはシャルエッテがとある教室の前に立ち止まったことで、より確実なものへと変わっていった。
「ここは……」
「化学実験室……だな」
目の前にあるのは古びた白い引き戸と、その上に小さく書かれた『化学実験室』の札。
「……魔力の糸の大元はこの中に続いてる、って事でいいのか?」
「はい……ゾンビさんたちを結んでいる魔力の糸は、間違いなくここに繋がっています」
つまりは、この先に今回のゾンビ騒動を起こした黒幕がいるという事になる。ここに来るまでに時間にして約三十分ほどか。距離はそれほどでもないのに、たどり着くまでにずいぶんと時間をかけてしまった。
だが……ここにいる誰かを倒せば、この騒動も収まるはずだ……。
「ねぇ……もしかして、あなたたちが言ってたこの騒動を起こした人って、ここにいるの……?」
不安げな表情で問う青葉。彼女もこの先にいるのが誰なのかを察してしまったのだろう。
「……まだ誰の仕業かってのは正確にはわからないですが、ここにいるのは間違いなさそうです」
言葉をにごしつつ、俺は深呼吸を一つして扉をまっすぐに見つめる。
「それじゃあ……行くぜ」
二人が横でうなずいたのを確認すると、俺は引き戸の取っ手に手をかける。扉には鍵がかけておらず、ガラガラという音を鳴らしながらゆっくりと開いていく。
化学実験室の中は明かりが点いておらず、カーテンの先の曇り空が余計に部屋をどんよりと暗くしていた。すぐ近くに明かりのスイッチがなかったため、俺たちは薄暗い部屋の中を慎重に進んでいく。
部屋の中にはゾンビらしき人影は見当たらない。黒幕と呼べる人物はいないかと辺りを見渡しているとーー、
「ほう……ここまでたどり着ける奴がいるとは、本当に驚いたよ」
「っーー!?」
声がしたのは教室の奥側にある教壇。そこには、薄暗闇の中で不気味に笑う白衣の男がイスに座っていた。
「馬金……やっぱりテメェが黒幕だったか……!」
彼を視界にとらえた瞬間、拳を握りしめる。だが、俺たちを前にして余裕を見せている彼を警戒し、一旦は飛びかかる衝動を抑えておく。
「『先生』を付けたまえ。まったく……これだから礼儀知らずな不良という生き物は嫌いなんだ。君は転入以来、他の教師には優等生ぶりを見せていたみたいだが、やはりその見た目通りに本性は野蛮な男のようだな?」
「安い挑発だな……シャルエッテ、アイツが黒幕で間違いないな?」
「はい……先生自身の魔力は他の人間と大差はありませんが、それとは別に、ゾンビさんたちを束ねていた魔力が先生の身体に集約しています……!」
それならあとは、馬金をブッ飛ばせば全てが終わるーーと言いたいところだが、何か罠を仕掛けている可能性がある以上、何も考えずに殴りかかるわけにもいかない。
「馬金先生……これはいったいどういうことですか⁉︎ なぜ、生徒や他の教師たちにこんなことを……?」
おそらく、自分と同じ教師であった馬金が今回の騒動を引き起こした張本人であったのがショックなのだろう、しばらく呆然としていた青葉が悲しげな眼差しで彼にそう問うた。
「おお……! これはこれは、あとでお迎えにあがるつもりでしたが、東野先生自らここまで来てくださったとは、光栄です……!」
「っ……」
……どうやら、青葉の悲痛な声は彼には届かないようだ。
「……馬金、テメェの目的はなんだ?」
答えられなかった彼女の問いを、かわりに俺が引き継ぐ。馬金は青葉への語りを中断させられて、不機嫌な表情を一瞬見せた。
「……なぁに、簡単な話さ。天才化学者である自分を世間に認めさせて、このUGウイルスで大量生産したゾンビたちを従え、やがて国を、いや、世界を自分のものにするのだ!」
そう言いながら、馬金は白衣のポケットからピンク色の液体が入った注射器を取り出した。おそらく、あの液体に暗示魔法とやらがかけられていて、それを注射された人間がゾンビになるーーといった感じだろうか。
……それにしても、清々しいぐらいに小物くさい目的だったな。今日日、B級映画の悪役でももうちょっとマシな計画を考えるぞ? まあ、こういう単純な奴こそ魔法使いにとっては利用しやすいんだろうな……。
「そして、この世界が我が物となったあかつきには、自分がこの世界の王となり、東野先生が女王となるのです……!」
「ひっ⁉︎」
「素晴らしいとは思いませんか? 奴隷と化したゾンビたちを我々が意のままに操り、この世界を望むがままに作り変える事ができるのです! 我々二人だけの楽園を作れるのですよ!」
先ほどまでは本当に悲しんでいたんだろう青葉が、明らかにドン引いた様子を見せている。
まあ……つまりゾンビたちが青葉を襲わなかったのは、あくまで人間として彼女を自分の元に迎え入れたかったということなのだろう。
予想していた通りではあったが、やはりゾンビたちは彼の思い通りにコントロールできるみたいだ。となると、今もこの教室の中でどこかにゾンビが潜んでいるのかもしれない。……いつ襲われてもいいように、常に周りを警戒しなければ。
「……いいえ、そのなんとかウイルスという液体そのものに、人をゾンビ化させる効果はありません! その液体に混ざった魔力で、みんながゾンビさんだと思いこんでるだけなのです! ウマガネ先生、アナタに協力した魔法使いがいるはずです。いったい、誰がその液体に魔法をかけたのですか⁉︎」
今度はシャルエッテが大声で馬金を問いただす。ハッキリとした声で『魔法使い』という言葉を連呼したため、青葉も困惑の表情を浮かべてしまう。
「魔法使い? なんのことを言っているのかさっぱりだね。自分は化学者だよ? そんな非科学的な言葉は聞くだけでも頭が痛くなるね」
「っ……」
馬金の解答は予想できていたのか、シャルエッテはただ諦めのため息を吐き出した。
シャルエッテがゾンビたちと繋がっていた魔力を追ってここにたどり着いた時点で、馬金が魔法に頼ったのは明らかだ。アイツが意図的に協力者の存在を隠しているのか、あるいはただ単に非科学的な力に頼った自分を認めたくなくて、気づいていないフリをしているのか……。
どちらにしろ、馬金を倒してゾンビたちが元に戻るなら、彼に協力した魔法使いについては一旦置いといてもいいだろう。
「……無駄だとは思うが、一応交渉はしてやるよ。今すぐ学校にいるゾンビたちを元に戻せ。そうしたら、一発殴るだけで済ましてやる」
馬金のした事を許せるわけではないが、こうも利用されやすそうな小物っぷりを見させられると、わずかだが同情もできなくはなかった。青葉の前だということもあるが、言う通りにしてくれるならその程度で済ましてやろうとも考えた。
がっーー、
「済ましてやるーーだ? 君は不良という、この世の底辺に位置するゴミ虫のような存在だというのに、何を上から目線で交渉するというのだね?」
案の定、馬金は俺の提案には乗らなかった。あまりにも予想通りすぎて、俺も思わずため息が出てしまいそうだ。
「……いつだってそうだ。我々化学者が天才的頭脳を持って世の中を発展させても、喝采を受けるのは地位や力を持つ者だけ。自分よりも頭が悪いくせに、暴力に強いやつばかりが女にモテまくる。どれだけ成績が良くても、顔が悪ければやれ『陰険』だの『キモい』だのと指差しあざ笑う。そして都合が悪くなれば、容赦なく我々は切り捨てられる……」
うわぁ……今度は自分語りし始めたぞコイツ。彼の過去に何があったかは知らねえが、そうなったのはおもに本人の性格の悪さが原因なんじゃないだろうか?
「……この世はあまりにも理不尽に満ちている。だから、自分こそがこの世界を変えるのだ……! 自分のような天才だけが、凡庸でありながら一人前のように振る舞うゴミ虫どもをゾンビに変えて支配する。そんな理想的な世界に、自分が作り変えるのだっ!!」
「…………言いたいことはそれだけか?」
頭だけはいいバカの妄言にそろそろ付き合いきれなくなった俺は、拳を鳴らしながら彼に一歩近づく。もちろん、ゾンビたちに襲われても迎撃できるよう、周囲への警戒は緩めない。
「……まったく、やはり君もそこらへんの不良と変わらない、頭の悪い野蛮人のようだね? 自分が何も用意せずに、君たちをこの教室に迎え入れたと思っているのかい?」
「罠を仕掛けてるのなんて百も承知だ。どこにゾンビが隠れてようが、必ず突破してお前をーー」
「ーーーーいや、すでに君は罠にかかっているのだよ」
ーー瞬間、何もなかったはずの背後が、複数の気配に覆われた。
「「「アアアアアッッッッーーーー!!」」」
「なっーー⁉︎」
いつの間にか、先ほどまで微塵も気配を感じさせなかった大量のゾンビ化した生徒たちが、俺の背後を襲う。
「ぐっーー!!」
よけるにはあまりにも距離が近すぎた。俺はゾンビたちの手に身体を絡まれ、そのまま床に押し倒されてしまう。
「スガタさん⁉︎」
「黒澤くん⁉︎」
両端にいたシャルエッテと青葉はゾンビたちに襲われはしなかったようだが、それに安堵する間もなくゾンビたちが倒れた俺の身体中に噛みついてくる。
『噛みたいーー噛みつきたいーー食べたいーー仲間増やしたいーー食べたいーー食べたい食べたい食べたい食べたいーーーー』
「っーー⁉︎」
一瞬の激痛が身体を奔った後、頭の中を埋めつくすように俺とは違う何かの思考が流れてくる。
「あっーー!! ぐっ……くっ…………」
やがて視界は闇に覆われ、次第に意識がゆっくりと塗りつぶされていっーー。




