第9話 ゾンビの治し方
「んっ……っ…………」
気を失ってしまった進ちゃんを屋上のフェンスを背にして座らせた後、彼女はしばらく悪夢を見ているのか、額に汗を浮かべながら苦しげに声をうならせていた。
「進、大丈夫なのかしら……?」
そんな彼女を、親友である白鐘が心配げに覗きこむ。
「……さっきの男子に掴まれた腕が少しアザになってやがるが、それ以外のケガはなさそうだ。……とはいえ、このまま放っておくわけにもいかねえし、せめて保健室に連れてってやりてえところなんだが……」
俺は屋上の出入り口の扉へと振り返る。向こう側には相変わらず多くのゾンビみたいになっちまった生徒たちが大勢押しよせているのか、扉が何度もバンバンと叩かれていた。
「……あの状態じゃあ、進ちゃんを外に連れ出すのは逆に危険だな」
俺はどうしたものかと頭をかかえていると、
「んん……親父……」
ふいに、眠っているはずの進ちゃんから言葉が発せられた。
「おい! 進ちゃん、大丈夫かーー」
「ーー今日は久々に帰ってこれたんだ。好物の豚の生姜焼き、たくさん食べてくれよな。えへへ……」
「…………」
「…………」
「大丈夫そうね……」
「だな……」
先ほどまでの苦しげな表情とは一転、実に幸せそうな顔になった進ちゃんを見て、俺も白鐘もホッと安堵の息を吐いた。
ひとまずは安静にしていれば大丈夫だろうが、それでも腕をケガしている事には変わりない。一刻も早く、安全に彼女を屋上から連れ出さなければいけないのだ。
「……シャルエッテ、そっちの方は何かわかったか?」
俺は横で、先ほど進ちゃんを襲った男子生徒を調べているシャルエッテの方へと声をかける。
男子生徒は未だ気を失っているが、彼が起きても襲われないように、弁当を包む大きめのハンカチで彼の両腕をフェンスにきつく縛っておいた。そんな彼の身体に、魔法使いモードである白いローブをまとったシャルエッテは光を発する手のひらを向けて、彼に何があったのかを魔力を通じて調べているとのことだった。
俺に声をかけられたと同時に調べを終えたのか、彼女は腕をおろして難しげな顔を俺に向ける。
「……やはり、この方が持つ人間の小さな魔力とは別に、明らかに魔法使いのものと思われる別の誰かの魔力が脳内を漂っていました。おそらくですが……この魔力そのものに魔法がかかっており、この方も、そして扉の向こう側にいる方たちも同じ魔法の影響で、皆がゾンビのような動きをしているのだと思われます」
正直、彼女の話の半分もあまり理解はできていなかったのだが、とにかくそこで気を失っている男子生徒と、扉の向こう側の生徒たちは全員同じ魔法にかかっているのだという事だけはわかった。
「つーことは、また魔法使いの仕業ってことか……いったい、こいつらはなんの魔法をかけられたんだ? ゾンビ化魔法とかでもあんのか?」
「いいえ、そのようなピンポイントな魔法はございません。第一、彼らはまだ生きています」
彼らが生きているーーというのは、俺もなんとなくわかってはいた。
彼らを生ける屍と呼ぶには、あまりにも血色が良すぎたのだ。
先ほどの男子生徒の表情や行動は奇怪ではあったが、耳をすませば聞こえる鼓動や手刀で触れた際の温かみは、血の通った人間である何よりの証だった。
「それじゃあ……なんでこいつらはゾンビみたいな行動をしているんだ?」
俺の疑問に、シャルエッテはしばらく考えこむ様子を見せたが、未だ難しげな表情ながらも結論を導き出せたのか、深呼吸一つしてから俺の目をまっすぐに見つめる。
「おそらくですが……彼らにかかっているのは『暗示魔法』と呼ばれる魔法だと思われます」
「暗示魔法……? 暗示って、相手に思いこみをさせたりとかする、催眠術みたいなやつか?」
「そうです。暗示魔法は、相手の脳になんらかの事象、常識、情報を植えつけ、思いこませ、書き換えることができる魔法です。この魔法にかかると、相手は植えつけられた情報に脳を支配され、場合によっては洗脳に近い状態になってしまいます」
シャルエッテは倒れている男子生徒に近づくと、彼に向けて再び手をかざす。
「多分ですが……彼らは『自分がゾンビである』と、強く思いこませられている可能性が高いです。しかもこの魔力、か細いですが、外の生徒の皆さまと糸のようにつながっております。つまり、彼らは一斉に同じ魔法にかけられたというよりも、なんらかの方法で魔力の糸をつなげられたのかもしれません」
俺は少し驚いた。申し訳ないとは思いつつ、シャルエッテはもう少しどんくさいイメージがあったのだが、わずかな情報で現状をこれほどまでに分析できていた事に素直に感心していたのだ。
思えば、加賀宮に白鐘がさらわれた時も、シャルエッテの冷静な分析のおかげで捕まっていた場所にたどり着けたのだ。ここぞという時に落ち着いて状況把握ができるのは、シャルエッテの大きな強みなのかもしれない。
「……っ⁉︎ ここを見てください、スガタさん。この方の首筋に、噛まれたような跡があります……!」
シャルエッテが男子生徒の制服のえりをめくると、たしかに首筋を噛まれたような形跡が見られた。
「……先ほど、ススメさんがこの方に腕を掴まれましたが、ススメさんには彼らのような魔力が脳内には見られません。この噛み跡から察するに、暗示魔法のかけられた魔力は噛まれるという行為を条件に、他の方たちに魔力が伝染しているのかもしれません」
「……てことは、ゾンビに噛まれるとそいつもゾンビになるってわけか。……ますます、ウイルス感染もののゾンビ映画じみたことになってきたな」
だが映画のゾンビとは違って、彼らは自分たちがゾンビだと思いこんでいるだけの生きた人間だ。実際のゾンビならすでに手遅れではあっただろうが、生きた人間であるなら助かる可能性もあるかもしれない。
「……シャルエッテ、こいつらを元に戻す方法はないのか?」
彼らを治せる方法はないかと問うと、シャルエッテは再度難しげな表情を浮かべた。
「……通常であれば、一度かかった魔法は簡単には解除できないのですが、暗示魔法自体は彼らの脳内に宿った魔力にかけられたもの。つまり、寄生された魔力自体を消滅させれば、皆さまのゾンビ状態も元に戻るはずです」
「……っ⁉︎ じゃあーー」
「ーーですが、一人の脳内にあるわずかな魔力量でも、打ち消すにはかなりの時間を要します。……さらに、先ほどこの学校全体に流れる魔力を調べたところ、ほとんどの生徒や教師の方々がすでに暗示魔法にかかっていると思われます。彼ら全員を治すには、途方もない時間が必要になってしまいます……」
「……境界警察とかに手伝ってもらうのは?」
「……不甲斐ない話ですが、この学校の魔力を探知した際に、学校の周りに薄くはありますが、結界がはられている事に気づきました」
俺はポケットからスマホを取り出すが、画面には圏外の文字が表示されていた。スマホの電波はもちろんだが、シャルエッテの魔力を飛ばして他の魔法使いに連絡するのも難しいのだろう。
「この結界を突破はーーって、できるならとっくにやってるよな……」
「……魔力探知をしなければ気づけないほどに薄い結界ではありますが、相手は暗示一つで人ひとりの思考を塗り潰すほどに魔力コントロールに長けています。おそらくは、バルバニラさんやジングルベールさん以上の実力を持つ魔法使いである可能性が高いです。……そんな方が、簡単に破れそうな結界に何も仕掛けていないとは思えません」
結界がどれほどの強度なのかは俺にはわからないが、シャルエッテの言葉からして破ること自体は容易なのだろう。だが彼女の言う通り、結界そのものに罠が仕掛けられているかもしれない以上、うかつに手を出すのはむしろ状況をより悪化させてしまう恐れがある。
「……しかし、彼らを手っ取り早く治せる方法がないわけではありません」
そう言ってシャルエッテは、ピースサインのように左手の指を二本立てる。
「方法は二つ。一つは、この魔法をかけた魔法使いそのものを倒すこと。そして、もう一つに関しては確証があるわけではありませんが……魔法を使用した何者かを倒すことです」
彼女の示した二つの方法に関して、俺は要領をえられずに首をかしげる。
「どういうことだ? 魔法をかけたのも使ったのも、同じ人物じゃないのか?」
「……これはあくまで仮定ですが、『魔力そのものに魔法をかけた者』と『その魔力を生徒たちに使用した者』は別にいると思うのです。魔力の一部を切り離し、それに魔法をかけるという行為は、精密な魔力コントロールが必要な高等技術。それほど魔力コントロールに長けた魔法使いならば、学校という領域内に暗示魔法そのものを展開するのも容易でしょうし、その方が手っ取り早いはずなんです」
要は、この学校の人間をゾンビ化させるのにもっと簡単な方法があるのに、敵はわざわざまわりくどい方法を使っているということなのか。
「魔力コントロールには長けていても、魔法を広範囲に展開するのは苦手ーーという線もないわけではありませんが……一番考えられるのは、魔力を結晶などの物理的な物に変化させ、それを他者に譲渡することで、本来は魔法を使えない方でも魔法を使用させることができるようになるのです」
本来は魔法を使えない……つまりはーー、
「……人間でも、その暗示魔法とやらが使えるようになるってことなんだな?」
たどり着いた結論を肯定するかのように、彼女は真剣な表情のままうなずいた。
「つーことは、魔法使いと人間が手を組んでいるかもしれないってことか。……仮也に利用されてた加賀宮と同じように都合よく利用されているだけの可能性もあるが、こんな事態を引き起こした奴が少なくともまともな思考なわけねえよな……」
魔法使いにしろ、人間にしろ、何を目的としてゾンビもどきを作ったのかはわからねえが、なんの罪もない人間を巻きこんでる時点で、少なくとも悪意を持って行動しているのはたしかだろう。
静かに湧き上がる怒りで、俺は両拳を強く握りしめる。
「……まあ、解決方法自体はシンプルだな。要は、この事態を引き起こした元凶をブッ飛ばせばいいんだろ?」
先ほどシャルエッテが言ったように、この事態の原因である二人のうちどちらかを倒せば、彼らのゾンビ化も解除されるというのなら話は早いーーはずなのだが、なぜかシャルエッテは自信なさげに顔をうつむけていた。
「……たしかに、わたしの仮定が正しければそれで解決する可能性はありますが、あくまで可能性だけです……。倒しても百パーセント戻れる保証はありませんし、そもそも仮定が間違っていたら、すでに取り返しのつかない事態になっている恐れも……」
……なるほど。解決方法自体は単純明快であったのに、いまいちシャルエッテが自信なさげだった理由が、自分の導き出した仮定自体に自信を持てなかったからだったのか。
ーーかつて、仮也がシャルエッテを落ちこぼれと蔑んでいたのを思い出す。俺からすれば、魔法なんてファンタジーな力を使える時点で彼女も十分すごく見えるんだが、おそらく今まで同じような事を言われ続けて、どんどん自信をなくしていったんだろう。
ーーだから、俺は彼女に少しでも自信を持ってもらうために、
「……少なくとも、今この場で魔法の知識に一番強いのはシャルエッテなんだ。そんなお前が導き出した結論なら、俺はそれを信じる。お前が自分自身を信じられなくても、俺は魔法使いであるシャルエッテ・ヴィラリーヌを信じるぞ」
「ーーっ! スガタさん……」
俺の励ましの言葉に、沈み気味だったシャルエッテの表情にようやく光が差した。
俺の言葉は本心だ。実際、彼女の知識がなければこの惨状の打開策など検討もつかなかっただろう。
シャルエッテが導き出した答えならば、俺は迷わずその答えに向けて突き進むことにしたのだ。
「シャルエッテ、この事態の原因となった奴の居場所はわかるか?」
シャルエッテはうなずき、杖を両手で握りしめて瞳を閉じると、しばらく無言で何かに集中し始めた。
「……もう一度魔力探知をしているのですが、先ほども言ったように、魔力は彼らを結びつけるように一本の糸のような形でつながっています。この魔力の糸をたどれば……おそらくは、元凶となった人物にたどり着くかもしれません」
「そうか。なら善は急げ、今からそいつらを殴り飛ばしに行くぜ……! 道案内頼めるか、シャルエッテ?」
頼りにされた事が嬉しかったのか、彼女は満面の笑みで力強く「はい!」と返事してくれた。
「ーーお父さん!」
俺たちが話し合っていた横でずっと黙っていた白鐘が、声を大きくして俺を呼びかけた。
「あの……その……」
だが、その後は何を言えばいいかわからず、言葉がしどろもどろになってしまっている。
ーー本当は、俺たちと一緒に行きたいと言いたいのだろう。
だが、俺の娘も利口な子だ。自分が一緒について行けば、確実に足手まといになることも自覚していて、言葉につまっているといったところだろうか。
「……っ! ……お父さん?」
俺は自分よりも背の高くなった娘を見上げながら、彼女の頭をそっと優しくなでる。
「……気を失った進ちゃんをここに一人で置いてくわけにはいかねえ。だから、お前が進ちゃんを守ってやってほしい……できるか?」
黙ったまま置いていくよりは、何か目的があった方がいいだろうと、俺は進ちゃんを娘に任せることにした。
白鐘は少し安心したように笑顔を見せると、
「わかった……。お父さんたちが無事にみんなを元に戻せるように、信じて待ってる」
そう言って、頭をなでていた俺の手を強く握り返してくれた。
「シャルちゃんも……お父さんを頼んだよ」
「……はい! 任せてください……!」
それぞれの役割を確認しあい、改めて視線を扉の方へと向ける。扉は相変わらず向こう側にいるゾンビ化した生徒たちに叩かれて、バンバンと騒がしい音を鳴らしていた。
「いつもの特攻服がないから、いまいち気が乗らないところはあるが……そうも言ってられねえよな」
口調はなるべく明るめに努めたが、心の中ではこの惨状の元凶に対する怒りが再び湧き上がっていた。
ーー相手の目的はわからないが、わざわざ俺が通っているこの学校で、魔法使いの手でこんな惨事が偶然起きたというのは少し考えづらい。
もし……俺を追いつめるためにこの事態を引き起こしたのだとしたら、関係のない人間まで巻きこんだ相手を許すわけにはいかねえっ……!
「……俺が合図を出したら、扉を蹴飛ばして向こうにいるゾンビたちをまとめて吹っ飛ばす。そうしたら、白鐘はすぐに扉を閉じて鍵をかけてくれ」
「わかった……必ず帰ってきてね、二人とも」
俺もシャルエッテも、白鐘を安心させるように力強い笑みを見せた後、扉の方へと意識を集中させる。
「ーーいくぞ、シャルエッテ!!」
「はいです!!」
俺は扉を力強く蹴り飛ばし、扉にのしかかっていたゾンビたちが一斉に吹っ飛ばされ、階段の方へとなだれていく。
俺とシャルエッテはそのまま勢いよく屋上を飛び出し、ゾンビあふれる戦場の中へと突入していったのだった。