第6話 勝ち気な少女の弱点
「っ……」
「…………」
東野先生ーー蒼龍寺青葉との衝撃的な再会から一日後の昼休み。俺は白鐘とシャルエッテ、そして進ちゃんとの四人で学校の屋上にて昼食をとっていた。
シャルエッテが転入して以来、こうして四人でお昼を食べるのが習慣となっていた。進ちゃんは時折部活の用事などで同席できない事もあったが、誰が決めたわけでもなく、天気が悪い日以外は自然と屋上でお昼を食べるようになっていたのだ。
屋上は意外にもあまり人気がないのか、昼休みに俺たち以外で利用する生徒はあまりいない。今日は天気が曇りでジメジメしているのもあって、今屋上にいるのはこの四人だけだった。
俺と白鐘とシャルエッテは娘が作ってくれた弁当を、進ちゃんはコンビニで買ったサンドイッチをつまみながら、他愛もない話題で談笑するのがいつもの流れだったのだが、今日は四人して口を開かずにいる。暗い天気も相まって、この場の空気は非常に重たいものがあった。
「……ねえ、シャルエッテちゃん。もしかして二人とも、昨日からあんな感じ?」
「はいです……昨日のお夕飯も、すっごく重たい空気でした……」
小声で話すシャルエッテと進ちゃんの会話を、俺はあえて聞こえないフリをする。
空気が重たい主な原因は俺と白鐘にあった。
昨日の帰宅後、白鐘から先生の件についての説明を求められたのだが、やはり青葉本人のプライベートにも踏みこむ話題である以上、細かく事情を説明することはできなかった。
白鐘はそれに対して言葉のうえでは納得するとは言ってくれたものの、やはり心の中では完全には呑みこんでくれていないのか、ムスッとした態度を隠せずにいた。
夕食以降、娘は口を閉ざしてしまい、今に至るまで会話一つできずにいる。ただ、俺も彼女の複雑な心境はわかっているつもりなので、無理に声をかけるようなことはできなかったのだ。
「……まったく、倦怠期の夫婦喧嘩はお好きにどうぞって感じだけど、そういう空気を食事時にまで持ってこないでよねー」
「誰が夫婦じゃーー」
「ーー夫婦じゃありません」
おそらく、空気を少しでもやわらげようとしてくれた進ちゃんの茶化しにツッコミを入れようとしたものの、白鐘が冷たい声でピシャリと否定し、空気はより重たいものになってしまった。
うん。もしかしなくても、これは思っている以上にご立腹なようですね……。
「……しゃーないなぁ。何が原因で白鐘がおこモードになっているかはわからないけど、ここはこの進ちゃんが、仲直りできる魔法をかけてあげましょう」
「えっ⁉︎ ススメさん、魔法が使えたのですか⁉︎」
「うおっ⁉︎ シャルエッテちゃんてば、変なところで食いつくね? 冗談だってば、冗談」
特に何も考えずに放ったであろう魔法という単語に反応し、シャルエッテはキラキラとした瞳を進ちゃんに向けてしまっていた。
……転入したての頃よりは一般人のフリをするのに慣れてきたと思っていたが、まだまだこんな感じに危なっかしいところがある。シャルエッテにはそこんところ、あとでまた注意しなければな。
進ちゃんはシャルエッテの視線に戸惑いつつも、制服のポケットから三枚の紙切れを取り出した。
「ジャジャーン! 今度公開する映画のチケット〜!」
映画のチケットとやらを高らかにかざした後、それを俺たち三人に一枚ずつ渡していく。
「ッーーーー⁉︎」
なんの映画かとチケットの表紙を覗いて、俺は驚きでその場に倒れそうになった。
「サイエンスハザード……ゾンビ映画の父と呼ばれた監督の最新作じゃねえか!!」
そのチケットは、ゾンビ映画愛好家の中でも話題になっていた新作ゾンビ映画のチケットであった。こちらに向かってくる大量のゾンビが映ったビジュアルは、往年の古き良きゾンビ映画を彷彿とさせるものがあった。
「お、まさか四郎が一番食いつくとはね。アタシの親父の友達が映画関係者らしくてさ、その伝でチケットをもらったみたいだけど、『僕は映画観る時間がないから、進のお友達と観てきなさい』なんて手紙付きで渡されたのよ。まあ、これでも三人で観てきて仲直りしなさいな?」
渡してくれた映画のチケットに俺自身はもちろん嬉しかったのだが、冷静に考えると仲直りさせるためにゾンビ映画を観させるのはどうかと思うぞ、進ちゃん……。
「これ、『ザ・ゾンビ』って映画を作ってる人と同じなんですね? 少し前にDVDで観させてもらった時に、すごく怖かった覚えがあります……」
「そう! 元祖ゾンビ映画『ザ・ゾンビ』は、墓から死体が這い出る昔ながらのゾンビのイメージを確立させた作品で、白黒にも関わらずゾクっとするような描写を見事に描いた名作だ。その監督が最新作で、初めてのウイルス感染型のゾンビに挑戦するとの事で話題になってるんだ。俺は死者が墓から蘇るオカルト系統の方がジャンルとしては好きなんだが、あえて監督が最近の流行をどう踏襲するかは非常に興味があーー」
「ーーそのB級ホラー映画への熱意、なんだか諏方おじさんそっくりだね」
「ーーるぜ……⁉︎」
しまった……! 自分の好きなジャンルとはいえ、ついつい熱く語りすぎてしまった。
白鐘の幼なじみで、俺とも幼い頃から面識のあった進ちゃんは、俺の趣味のことももちろん把握していた。
呆れ気味に笑っているところを見る限り、まだ怪しまれてはいないみたいだが……趣味を語るのはほどほどにしておこう。
「それにしても、ススメさんの分はチケットがないのですね?」
「アタシの分は焼却処分しました」
「ふぇええ⁉︎」
珍しく目をすわらせながらボソッと告げる進ちゃんに、シャルエッテはものすごくビックリしているようだ。
「そっか。進ちゃんはたしか、ホラー系がダメなんだっけな?」
俺の何気ない言葉がしかし、途端に溶けかけた空気を再び凍りつかせた。
「いやまあ……たしかにアタシはホラーは苦手だけど……その事アタシ、四郎に話した事あったっけ?」
「あっ……」
しまったーーっと、俺は自分の失言をここで気づかされる。
たしかに、この見た目になってからも進ちゃんとは仲良くしていたが、彼女がホラーが苦手だという会話は一度もした事がなかった。それを知っているのはあくまで黒澤諏方であって、黒澤四郎はその情報を知らないはずなのだ。
「ジー…………」
進ちゃんの俺への視線が訝しげなものに変わる。なんとか、彼女に怪しまれないようにする言い訳はできないかと頭を必死にめぐらせているとーー、
「あたしが教えたのよ。一緒に家で映画観た時、かるーくね」
とっさに、白鐘が変わらないペースで弁当のおかずを口に運びながら、いつもと変わらないクールな声で俺の失言をカバーしてくれた。
「えー! なんでそんな気軽にアタシの弱点バラしちゃうのさー?」
「別にいいでしょ。それに、普段見せない弱い部分が見える女の子は可愛いものよ?」
「んぬぅー……たしかにギャップ萌えって言葉はあるけどさぁ……」
進ちゃんは不服そうでありながらも、なんとか納得はしてくれたみたいだった。
サンキュー、っと娘に目配せすると、一瞬こちらを見て『しっかりしてよね』と言わんばかりの呆れの視線を返された。
……こりゃ、シャルエッテを悪くは言えねえな……。
しかし、それで凍った空気がやわらぐわけもなく、しばらく四人して無言の時間が続いてしまう。白鐘に続き、進ちゃんまでムスッとした表情になってしまい、シャルエッテが一人状況に戸惑ってオロオロしてしまっていた。
何か空気を変えられる話題はないかと、俺は屋上周りの景色を見渡す。曇り空で決して見渡しがいいとまでは言えなかったが、少し遠めまでは十分視界に入れる事ができた。
「おっ、そうだ。シャルエッテ、あの山が見えるか?」
一番この空気から縁遠いシャルエッテに声をかけると、彼女は俺の指さした方向に目をこらした。そこには、緑におい茂った小高い山があった。
「あの山の名前は狭間山。この城山市と、隣町の桑扶市のちょうど境にそびえた山だから狭間山って呼ばれてるんだ」
狭間山は城山市と桑扶市の共通のシンボルとしても有名な山である。標高はそれほど高くはないのだが、ほとんど人の手が入らず整備された道も少ないため、山に登る人も地元民含めてあまりいない。ある種聖域のような扱いを受けている山であった。
山の名前を教えてもらったところで、シャルエッテは俺が何を言いたいのか要領を得られず、そんな彼女に俺はイジワルな笑みを向ける。
「あの山にはいくつか伝説やいわくつきの話があってな。天狗が現れたりとか神隠しにあったりだとか。最近だと、夜中に山に入ったカップルが、夜なのに日傘をさした血まみれの女性を目撃したって噂もあったりーー」
「へえ……アタシがホラー苦手なのを知ったうえで怪談話とは、いい度胸じゃない?」
すでにサンドイッチを食べ終えていた進ちゃんが拳を鳴らしながら、背中からゴゴゴと音がしそうなものすごい剣幕で俺ににじり寄ってくる。
「あっ、いや、俺は場をなごませようと……」
「うんうん、それでそれで?」
俺は涙目で白鐘にSOSの視線を送るが、『もう知らない』といった感じにプイッとそっぽを向かれてしまった。
鬼の形相で見下ろしてくる進ちゃんの怒りを鎮める方法はないかと、再び頭をめぐらせているとーー、
ーードン、ドン!!
突如として、屋上の扉を強く叩いたような音が聞こえた。
俺らは四人とも扉の方向に目を向ける。扉は開く気配がなく、少しして再びドンドンドン! っと強く叩かれた。
「あれ? 屋上の鍵って、たしか開いてるはずだよね?」
進ちゃんの言う通り、昼休み中は屋上の鍵は開けっぱなしのはずだった。もちろん俺らが屋上に出た時も、誰一人鍵を閉めるようなことはしていないはずだ。
ーードンドンドン! ーードンドンドン!
扉を叩く音は依然として、鳴りやむ気配を見せなかった。
「はぁ……誰かわかんないけど、開けてあげるわよ」
進ちゃんはイラだち気味な様子を見せながらも、立ち上がって扉の方へと近づいてゆく。
「……まったく、せめて鍵が開いてるか確認してからドア叩けばいいのになーーって、シャルエッテ?」
ふと、シャルエッテの方を見ると彼女にしては珍しく、険しい目つきで扉の方を見つめていた。
ーーそして、何かに気づいたように彼女は大声をあげる。
「ダメです! ススメさん、ドアを開けてはいけません!!」
「えっ?」
必死の声でシャルエッテが進ちゃんを止めようとするも、すでに彼女はドアノブを回した後だった。
扉が少し開いた瞬間、一本の腕が隙間から勢いよく飛び出し、ドアノブに手をかけたままの進ちゃんの腕を握りしめてきた。
「いだっーーーーキャアアアアアア!!」
進ちゃんの腕を握りしめたまま扉の向こうから現れたのは、この学校の制服を着た見知らぬ男子生徒であった。
その瞳は白目をむいており、血管が浮き出るほどに力強く進ちゃんの腕を握っている。一目でわかるほどに、男子生徒の様子は明らかに常軌を逸していた。
「ア、ア、ア、ア、アアッッッッーーーー!」
口からは低いうなり声があがり、その口が避けてしまわんばかりに大きく開き、歯をむき出しにしながら進ちゃんの首に目がけて噛みつこうとする。
「ひいっ⁉︎ 助けてーー」
その口が首に届く前に、俺は一瞬で男子生徒の脇にまで飛びこみ、彼の首の後ろに手刀を叩きこんだ。
「アッーー! ガッ……」
俺の一撃で男子生徒は気絶し、彼に掴まれていた進ちゃんの腕が解放される。
「大丈夫か、進ちゃーー」
「イヤアアアアアッッーーーー!!」
恐怖で床に尻もちをついた進ちゃんに駆け寄ろうとしたところで、扉の奥がわの光景が俺たちの眼に映ってしまった。
「なっーーなんなんだ、これは……?」
扉の奥には階段があるのだが、その階段を埋めるように制服を着た生徒たちが男女問わず、腕を伸ばしながら階段を登っていた。先ほどの男子生徒と同じく彼ら全員が白目をむき、低いうなり声をあげながら、ゆっくりとした動きで屋上に向かって来ていたのだ。
「クソッ!」
俺は彼らが屋上に出る前にすぐさま扉を蹴り閉め、鍵をかける。扉を開こうと向こうがわにいる生徒たちが一斉に扉を叩き、ドンドンドンドンーーっと、激しい音を打ち鳴らしていた。
「あ……あうう……」
あまりにショッキングな光景に進ちゃんは気を失い、床に倒れこむ寸前に彼女の身体を抱き止める。
無理もなかった。先ほどの光景は、まさにゾンビが集団で襲ってくるホラー映画のワンシーンそのものだったのだ。
「いったい……この学校で何が起きてやがるんだ……?」
俺の疑問をあざ笑うかのように、湿った風が身体にまとわりつき、じんわりとした汗が額を流れていくのであった。




