第5話 怒れる男
「おらあ! テメェなんざが、東野先生みたいな高嶺の花と付き合えるとか思ってんじゃねえぞ⁉︎」
「いてぇか? おら、もっとピーピー泣きわめけや!」
「そもそも存在がきもいんだよ。さっさと死んでよ〜うまがねっち〜?」
馬金が東野先生に迫っていたところを撮影した不良五人組は、彼を化学の授業に使う化学実験室に連行していた。化学実験室は他の教室よりも特殊な内装で、生徒が使う机は横長に伸びたのが複数置かれ、一つの机に生徒が数人座れるようになっている。それらの手前側に教壇、授業での実験などに使う器具や水道が両端に置かれているという構造になっていた。
明かりも点けずに分厚いカーテンで閉めきられた薄暗い部屋の中で、不良五人のうち三人が教壇側の床にうずくまる馬金を蹴り上げたり踏みしめたりを繰り返していた。
「うぐっ! くっ……うっ……!」
馬金は所々でうめき声はあげるも、彼の細腕では反撃しようとも無駄にしかならないのはわかりきっている。むしろ、反抗的な動きをすれば彼らはイラつき、振るう暴力はより過激なものになるだろう。
不良五人組のうちもう二人ーーリーダー格の男とその彼女であるギャルは生徒側のイスに座り、踏みつけられる馬金の様子をスマホで撮影しながら楽しげに眺めていた。
「ボコボコに殴られてるうまがねっち、きゃっわぴ〜! ねえねえ、アンタの待ち受けにしてもいいんじゃない?」
「よしてくれよ。こんな薄汚えオッサン待ち受けにした日にゃ、スマホ本体が腐っちまうぜ」
不良カップル二人が仲睦まじげに会話する横で、馬金への暴力は容赦なく続いていく。
「おいおい、あんまり派手にやりすぎるなよ? 言い訳きかなくなるレベルまでやっちまったら、停学処分もありえるからな。嫌だろ? こんな男のせいで高校生活棒に振るのわ」
リーダー格の男にそう言われたことで、馬金を蹴り上げていた不良三人は一斉に脚を止めた。そのうちの一人が、不満げな表情をリーダー格の男に向ける。
「わかってっけどよぉ……こんなんじゃストレス解消にもなりゃしねえよ」
他の二人も同じ思いなのか、つまらなさげな顔を見せていた。
「まあまあ、爽快感のかわりに、もっと気持ちよくなれるものを手に入れさせてやるよ。てなわけで……うまがねっち、ここからはビジネスの話をしようや?」
リーダー格の男はイスから立ち上がると、未だ痛みでうずくまる馬金の前にまで近づき、かがんだ姿勢で彼を見下ろした。
「ビジネスだ……?」
頭に脳みそも詰まってなさそうなガキの口から出た言葉だとは思えんーーと口汚く罵ってしまいそうな衝動を馬金はなんとか抑えこむ。
「そう、ビジネスさ。このスマホの映像、教育委員会だっけか? そういうところに流されたら、アンタはクビどころじゃ済まないよな?」
彼のスマホには、先ほど馬金が東野先生に執拗に迫る場面が無駄に高画質で映されていた。
たしかに、これが教育委員会などに出回れば、馬金はこの学校を解雇されるだけじゃ済まされない。最悪、セクハラで捕まる事もありえるだろう。
「アンタがいくら気持ちのわりぃオッサンでも、さすがにクビにまでされるのは忍びねえとも思うわけよ? そこでだ、とりあえずオレたちに十万ずつ払え」
「…………は?」
馬金は普段から彼らの言葉など理解しようとも思っていなかったが、今度ばかりは本気で彼が何を言おうとしているのかが理解できなかった。
「は? じゃねえよ。簡単な話だろ? この映像をよそに流さないかわりに、オレらに一人ずつ十万、計五十万払えって言ってんのよ。……あっ、計算メンドイから百万、一人二十万ずつにするか」
「えー! 二十万もらえるとか最高ジャン! あたピー、新しいコスメ買いたかったから、ちょうどお小遣い欲しかったんよね〜」
勝手に盛り上がり始める不良五人を見て、馬金は知らない異国の住人にわけのわからない言語を目の前で喋られているような、そんな薄ら寒さすら感じていた。
「なっ、何を言っているんだ……? そ、そんな大金、払えるわけないだろ?」
「……あ?」
先ほどまで比較的穏やかだったリーダー格の男の表情が豹変し、馬金の顔面を勢いよく蹴り飛ばした。
「馬金! テメェ……自分の立場わかって言ってんのか、ゴラ⁉︎ 払えねえじゃねえんだよ、払わなきゃいけねえんだよ!」
顔面を蹴られて顔を押さえる馬金の目の前で再び同じ姿勢でかがむリーダー格の男。その視線は、完全に相手を脅すための力強いものとなっていた。
「教師やめさせられたら、百万どころじゃ済まなくなるだろ? それはあまりにかわいそうだから、オレが善意で百万程度で済ませてやろうって言ってんのに、払えねえわけねえよなぁ、ああ?」
彼らの言う通り教職を失うのはもちろんだが、下手に逆らえば、さらなる暴力に襲われるだろうという恐怖に彼は屈してしまう。
「……わ、わかった……ひ、百万……は、払うよ」
「払う『よ』、だ?」
「払います! 払わせてくださいっ……!」
馬金は視線を床に固定したまま、悔しさと恐怖で身体を震わせる。その様子に、不良五人は下卑た笑い声で彼を嘲った。
しばらくの間、化学実験室中が下品な笑い声に満ちてゆくが、それに割りこむかのように昼休み終了のチャイムが響き渡る。
「チッ……まあいい、ここまでだ。行くぞお前ら」
リーダー格の男の合図で、壊れたおもちゃを放置するがごとく彼らは馬金に目も向けず、化学実験室から引き上げようとする。
「……ひゃっ、百万を払えば! ……ど、動画は消してもらえるのか?」
「あ?」
「っ……消して……もらえますか?」
馬金は恐怖で彼らを直視することができず、床を見つめたままリーダー格の男に問う。
「……まあ、考えるぐらいはしてやるよ。あっ、それと、そのケガは階段で派手に転んだって事にしろよ? もしオレらがやったってバレたらもっと痛い目に遭わせちゃうし、動画もネットに拡散するからな?」
最後にもうひと脅しをかけてから、彼らは化学実験室を去っていった。
「はふぅ……はふぅ……」
身体中の痛みと怒りで、馬金の呼吸が荒くなる。幸い、次の時間はどのクラスにも化学の授業がないため、この惨状を他の生徒に見られずには済んだのだが、顔はアザだらけで鼻や口からは血が滴り落ちていた。おそらく、身体中にもいくつかアザができているだろう。
教室向かいにある水道で顔を洗い流すも、アザの部分にヒリヒリとした痛みが続く。痛みが強まるたびに、彼らへの怒りもより強まったものになっていく。
「チクショウが!! なぜ……なぜ自分が不良生徒なんぞにこんな目に遭わせられなければいけないんだ⁉︎」
生徒が使うイスを勢いよく蹴り飛ばすも、それで怒りが一ミリも薄まる事はなかった。
「……思えば小学生のころから、ああいう腕っぷしだけの頭の悪いガキには散々な目に遭わされた。いくら自分が頭よくても、もてはやされるのは腕の強い悪ガキどもばかり……中学も高校も、教室を支配していたのはいつもああいう連中だ」
嫌な記憶を思い出すたびに、彼は怒りにまかせてイスを次々と蹴り倒していく。
「……頭のいい大学に入れば少しはマシになると思っていたのに、頭のよさよりノリのいい男にばかり女は群がった。……必死こいて教授職を得ても、ちょっと大学の金をくすねたのがバレただけですぐ学会追放だ。自分の研究が進めば世の薬学をひっくり返せるかもしれないのに、奴らはやれ金だモラルだなんてケチつけて薬学界の進歩を遅らせやがった」
言っていることそのものはかなり身勝手な内容ではあったのだが、傲慢な彼の性格ではそれに気づけるわけもなかった。
「……結局、どれだけ頭がよくても、容姿やコミュケーション能力がなければまともに評価もされない。……なんて、理不尽でつまらない世の中なんだ」
彼は少しばかり心を落ち着かせると、生徒たちが座る席の後ろ側を進み、その先にポツンと一つある扉を開いた。
扉の先のせまっ苦しい部屋の中には窓一つなく、化学実験室よりもさらに薄暗い。いくつもある戸棚には、色とりどりの薬品や不気味な中身のホルマリンなどが置かれていた。
ここは化学実験準備室。部屋の扉は廊下側に一つと、直接化学実験室に繋がる扉の二つがある。授業に使う薬品のほか、馬金の趣味で集めた化学材料などがここに大量に置かれているのだ。
そのうちの一つ、試験管に入った淡いピンク色に輝く薬品を棚から取り出し、恍惚とした視線で彼はその液体を見つめた。
「美しい……このUGウイルスさえ完成すれば、あんなガキどもなど意のままに操れるというのに……」
「ーーフフ、ずいぶんと面白そうなものを作っているのですね」
「ーーっ⁉︎」
ふいに、化学実験室の方から聞き慣れぬ女性の声が聞こえた。
馬金は急いで化学実験室に戻ると、窓ぎわに一人の女性が立っているのを見つける。
「きっ……貴様! ど……どこから入ってきた⁉︎」
扉が開くような音は聞こえなかった。窓から入るにしてもここは三階。とてもじゃないが、女性が身一つで登れるような高さではなかった。
「フフ、お困りの様子でいらしたので。よければ、貴方の研究をお手伝いさせていただけませんでしょうか?」
女性は馬金の問いには答えず、彼に突然の提案を持ちかけた。
その声は透き通っているようで、どこか心にひりつくよつな艶かしさをともない、聴くだけで心臓がゾワっとしてしまいそうなほどに艶美な声であった。顔はあるもので覆われて見えなかったが、わずかに覗く妖しい笑みをたたえた口元は、それだけでこの女性が美人である事を確信づけられるほどに艶やかであった。
目の前にいるだけで圧倒されそうな存在感を放ちながら、どこか優雅さすら感じさせるその立ち姿は、まるで別世界の住人であるかのような、人間から逸脱した美しさがそこにあった。
「なっ……何者なんだ……お前は……?」
その存在感に飲みこまれてしまいそうになるのをこらえつつ、馬金は彼女の名を問いただす。
女性はクスクスと妖しく笑いながら、彼女の顔を覆うあるものをゆっくりと頭上にあげる。
「貴方様に名乗れるほどの名はございませんが、そうですね……」
予想通りーーいや、予想以上に女性の容姿は妖しい美しさをたたえていた。紫色の短めの髪は窓からの風にさらさらと揺られ、赤い瞳は見るだけで吸いこまれそうになると錯覚してしまうほどに惹きこまれる魅力があった。
だが、それ以上に際立ったのは彼女の出で立ちにあった。
網目状の装飾が入ったゴシック調のローブと薄手の手袋は、まるで誰かの葬式に参列するかのように深い黒色に染まっており、何より奇妙だったのはーー、
「ーー日傘の魔女。そう呼んでいただければけっこうかと」
ーー彼女は部屋の中にいながら、黒色の日傘をさしていたのだった。




