第8話 条件
「さてと……わりぃけど、今から俺は姉貴と込み入った話をしなきゃなんねえ。シャルエッテの使う部屋はあとで案内してやるからさ、そうだなぁ……とりあえず、テレビでも観ててくれるか?」
「テレビ――!?」
俺が指差したリビングに置かれた42インチのテレビを、少女はキラキラとした目で見つめた。
「あれが電波――魔力とは違うエネルギーによって映像を映し出すという、あの噂のテレビ!?」
「あれ? お前さっきビデオがどうのこうの言ってたのに、テレビはないのか?」
「あ、はい。お師匠様が持ってくるビデオは、お師匠様の魔力を通した映像再生魔法で観れたので」
こう聞くと本当に何でもありだな、魔法ってやつは……。
「でもあのぅ……本当にお世話になってもよろしいのでしょうか? わたし、スガタさんたちにご迷惑しかかけていないのに……」
まだどこか負い目を感じているのか、目を伏せる彼女に向かって背の低くなった俺は爪先立ちで、額に軽くデコピンをする。
「いたっ!」
「なーに遠慮してやがるんだよ? お前にいなくなられたら、誰が俺を元に戻すんだ?」
少し意地悪に言ったつもりだったが、彼女は俺の言葉に逆に安堵したようだった。
「……そうですね、ありがとうございます」
「っ……」
彼女の見せる笑顔に、俺は少し照れくさくなって頭をかく。
シャルエッテをリビングに連れて行き、テレビのリモコンの操作を簡単に教えてソファに座らす。彼女の言う通り初めての体験であろう、液晶画面に映る映像を輝かしい瞳で見る少女は、どこにでもいる普通の女の子のようだった。
そんな彼女を一旦リビングに残し、俺は再び姉貴の方へと歩み寄る。
「ふふ、それにしても若返った途端、口調も昔のものに戻るんだな?」
「……意識してるつもりはねえんだけどな」
わかってはいるのだが、すっかり若い頃の生意気な喋り方が自然と口に出てしまっている。
「気にするな。その方がお前らしくて私は好きだ」
「……うっせ」
クスクスと笑う姉に、俺は拗ねて顔を逸らす。
とはいえ、白鐘が生まれてからは姉貴と接する機会も減っていたので、このやり取りもなんだか懐かしく感じられた。
「そういや、そっちの家族は元気にしてるのか?」
「ああ。最近は電話でしか話していないが、夫も娘も元気そうだったよ」
姉貴は既婚者であり、過激な性格の姉貴とは真反対の穏やかそうな夫と、まだ小さい一人娘がいる。仕事柄仕方がないとはいえ、姉貴が家にいる事はあまり多くないようだ。
「そっか……そのうち、そっちの家にも顔を出してやれよ?」
「そうだな……慣れたつもりではいたが、やはり家族と会えないというのはなかなかに寂しいものだ」
「っ……」
今日の娘の様子を見てしまうと、姉貴の悲観を他人事には出来なかった。
「さて……すまないが、一服させてもらうよ」
口元が寂しくなったのか、姉貴はジャケットの胸ポケットからタバコを取り出し、火をつける。
「うっ……」
姉貴がタバコを吸う姿を、俺は無意識に恨めしく見つめちまっていた。
「おっと、未成年はタバコを吸っちゃダメだぞ?」
「……わかってるよ、ちくしょう」
俺は量こそそれほどではないにしろ、タバコも酒も嗜む。身体が未成年時代に戻ったという事は、当然その両方を諦めざるをえないのだ。
「それで――二人っきりになったからには、それなりの話があるんだろ?」
「うん、まあな……」
ようやく本題へと入るが、その話題を話すには少しためらいを感じ、少し間を空けてから俺は続きを口にする。
「単刀直入に言うと……金を貸してほしい」
「……ふむ」
俺はその場で頭を下げ、懇願する。
「この姿になっちまった以上、会社に行くわけにはいかなくなった。かといって、白鐘を養う金は必要だ。貯金はいくらかあるが、それもいつまでもつかわからねえ……いくら弟の頼みだからって、無茶を言っているのはわかってるけど――」
「――私は構わんぞ」
「――頼む……って、え?」
あっさりと承諾され、俺は思わず拍子抜けになっちまった。
「こちらは仕事の内容が内容だからな。家庭持ちとはいえ、貯金に関してはかなり有り余っているよ。ついでに、お前が元の姿に戻った時の職場復帰のために、会社の方には私が手を回していつでも戻れるように手配しよう」
「……マジかよ?」
「ああ、大マジだとも」
こちらから提案しておいてなんだが、満面の笑みでとんでもない事を言う姉に俺はちょっとだけ恐怖を感じる。工作員こえー……。
「でも俺、一応係長なんだが……」
「なーに、このご時勢、就職難とは言われているが、日本にもいろいろと代わりになれる人材というのはあるもんでな――」
「――それ以上聞くのはやめとく……」
闇が深そうな話にはフタをするに限る。どうあれ、会社に関しては姉貴に一任しても大丈夫そうだった。
「それで……お前はこれからどうするんだ?」
「…………」
シャルエッテの言葉からして、一日二日で元に戻れるわけでもないのだろう。この姿で会社にも行けない以上、今のところやるべき事も見つからない。
「まあ幸い、高校生ぐらいの年齢にまで若返ったみたいだし、これなら力仕事ぐらいはできるはずだ。それで少しでも、自分で稼げるようにするよ」
姉貴だけに家計の全部を負わせるわけにはいかない。可能な限りは、自分の稼いだ金を生活費にあてるべきだと俺は考えている。それしか、今の俺に出来ることが思いつかなかったのだ。
「……なるほど、無難な考えだな。とはいえ、別段お前たちを養う分を差し引いても、金に困るわけでもないのだから、そんなに急ぐ必要はないんだが」
「そういうわけにもいかねえよ。いくら姉貴とはいえ、世話になりっぱなしで甘えてばかりなわけにもいかねえ。これは、俺の最低限のけじめなんだ」
譲る気はない――っと、俺はまっすぐに姉を見つめる。
「ふむ……」
姉貴は顎に手を当てて、何かを考え込んでいた。
「そうだな……なら、お前に金を貸すかわりに、一つ条件を出す。その条件を呑んでくれれば、お前たちの当分の生活費は全額私が面倒を見よう。それでも構わないかな?」
「ッ――⁉︎」
――瞬間、戦慄する。
姉貴は不気味な笑みを顔に浮かべ、明らかにロクでもない要求を考えているのを本能で察知してしまった。
「なあに、安心しろ……私もそう無茶な事は言わないさ。ただ……あとで撤回を申し入れても、受け付ける気はないがな……!」
――俺は後に、姉貴に考えさせる間を与えてしまった事を激しく後悔する事となった。
◯
――朝の学校の教室。
予鈴が鳴り、クラス内は生徒たちの談笑で騒がしくなり始めていた。
「おっはよう! 白鐘」
「うん……おはよう」
天川進は陸上部の朝練を終えて、一番の親友に声をかける。だが席に座っていた彼女は重そうに頭を抱えていて、返事も弱々しくあった。
「なんだよ、元気ないじゃん? ……また加賀宮くん関連?」
「う~ん……それだけならまだいいんだけど、ちょっと家でいろいろありすぎてね……」
いかにも憂鬱といった表情で、白鐘は自身の机の上に突っ伏する。
「家で? おじさんと何かあったの?」
「……まあいろいろと。口で説明する努力を投げ捨てたくなるような感じのをね……」
白鐘の遠回しな言葉に進は要領が得られず、ただ首を傾げる事しかできなかった。
とはいえ、仮に昨日の状況を説明できたとしても、それを信じろというのは普通の人間ならば難しい話であろう。白鐘本人ですら、まだ完全に昨日の出来事を受け入れているわけではないのだ。
朝起きて、いつも通りに朝食とお弁当を作って、父親のうっとおしくなるような朝の挨拶に軽く返事をして、ただの夢オチかと半ば呆れながらも安堵する――そんな期待は、起きてすぐに崩れ去ったのだが……。
家には映画に出てきそうな魔法使いのコスプレをした謎の女の子と、なにやら騒いでいる自称父の少年、それを軽くあしらう叔母という、本来ならば見る事のない光景が目の前に繰り広げられた事で、彼女は認めたくない現実を突きつけられた。
おかげで朝から頭が重く、加賀宮を避けるという理由も含めて、彼女いつもより早めに学校に来ていたのだ。
進が心配げな様子で白鐘を見つめるも、ホームルームのチャイムが鳴り、「またあとで」とだけ告げて彼女は席に戻っていった。
白鐘はため息をついて気だるげな表情のまま、ゆっくりと顔を上げる。
――現実逃避をするわけではないが、今は学校。いつまでもうじうじ悩まず、今は勉強に集中しよう――。
これで成績まで下がってしまえば、気持ちも余計重たくなってしまうと、白鐘は頭の中を一旦リセットした。
ガラガラと教室の引き戸が開かれ、ジャージを着ているいかにも熱血といった様相の担任教師が教室へと入る。
「お前ら、席に着け! 今日は転校生を紹介するぞー」
ざわざわと教室中がどよめく。新年度が始まってからまだ少ししか経っていないこの時期に転校生とは珍しく、各々がまだ見ぬその姿を想像しながら騒ぎ始める。
「あー、言っとくが、転校生は男だからな。男子は期待しても無駄だぞ?」
担任の茶化しめいた言葉に、しかし男子たちの表情が一気に暗く落ち込んだ。
一方の女子は、期待でキャーキャー騒ぐ者、どうせたいしたのは来ないと興味なさげな者とで半々に分かれていた。
「っ……」
そんな中、白鐘は嫌な予感が頭に過ぎり、顔が青ざめていた。
このタイミングで男子の転校生と言われたら――今彼女の頭の中で、一人の少年が浮かび上がってしまったのだ。
――そして、その嫌な予感は見事に的中する事となる。
「よし。転校生、入っていいぞ?」
担任が廊下に向かって呼びかけると、またガラガラとした音を鳴らして引き戸が再び開かれる。緊張しているのか、ぎこちない動きで件の転校生が教室へと入る。
――その時、クラスの女子だけでなく男子たちまでもが、教室に入ってきた転校生の腰にまで届くしなやかで長い銀髪に目を奪われていた。
「それじゃあ、自己紹介頼むぜ」
チョークを手渡され、少年は自分の『名前』を黒板に書き、クラス全員に向き直った。
「黒澤四郎といいます。そのぉ……よろしくお願いします」
黒澤四郎は、今できうる精一杯の引きつった笑みを浮かべた。
黒澤椿に提示された条件――それは、娘の白鐘と同じ学校に通うというものだったのだ。
「うっ……」
クラスの生徒たちの好奇の視線を浴びつつ、その中でも一際強い娘からの今にも射殺しかねないほどの怒りに満ちた視線を向けられて、諏方は心の中で少しだけ姉を恨んだのだった。