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あたしのパパは高校二年生  作者: 聖場陸
学園感染編
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第4話 諏方と青葉

「本当は生徒は特別な場合を除いてこの部屋には入っちゃいけないんだけど、今日はその特別よ?」


 言葉だけならムフフなシチュエーションにもとられかねないのだが、さっきまでセクハラまがいの事をされてた女性にそんな期待を寄せるほど、俺も外道ではない。


 青葉に資料室と書かれた部屋に案内された俺は部屋をざっと見回す。その名の通り、部屋の中は授業や教師の事務作業などで使うようなファイルがスチール製の棚に所狭しと並べられており、それ以外は特に何も置かれてはいなかった。彼女の言葉通りなら生徒はもちろん、教師もあまりに入る事のない部屋なのか、複数ある棚はどれもホコリが被っていた。


「……それで、黒澤くんは何を教えてほしかったのかな?」


「ん? ああ、そうすっねぇ……娘ーーいや、今どきの若い女の子の喜ばせ方とか?」


「んもぅ……英語と関係ないじゃない? それに、今どきの若い子じゃなくなった先生にくなら、同居してる女の子二人に訊いた方が早いんじゃないかな?」


「いえいえ、先生の見た目なら十分若い子で通じますよ。この学校の制服着ても違和感ないんじゃないっすか?」


「ふふ、ありがとう。お世辞でも嬉しいわ」


 彼女は本当に嬉しそうに、はにかんだ笑顔を見せる。先ほどまで憂鬱げだった状態から幾分か回復してくれたようで、俺はホッと息をついた。


 とはいえ、あながちお世辞というわけでもない。たしかに見た目は大人の女性ではあったが、彼女の笑顔はどこか子供っぽさのある可愛さがあり、制服を着れば学生としても十分通じそうだ。


「ーーっと、もうお昼休みの終わりまであんまり時間ないし、私は頼まれた資料を探さなきゃいけないから、何もない部屋だけどゆっくりしていってね」


 彼女は腕時計で時間を確認した後、ポケットから一枚の紙を取り出すと、それを眺めながら必要な資料とやらを探し始める。


 しかし、ゆっくりしていいと言われても本当に資料以外何もない部屋ではあるし、手持ち無沙汰ぶさたになるのも困りものだった。


「……よかったら手伝わせてくださいよ。二人でやった方が、時間も短く済むんじゃないっすか?」


 紙をチラッと見ただけでも、必要な資料とやらはかなりの数があった。昼休みの残り少ない時間で一人で探すのはけっこうキツいものがあるだろう。


 青葉は少し悩むような様子を見せるも、再び時間を確認すると、申し訳なさげな表情をこちらに向ける。


「本当は生徒にやらせるような事じゃないんだけど……お願いしてもいいかな?」


「もちろんっすよ」


「それじゃあ、右の方の棚を見てもらってもいいかな? 私はこっちの左の方の棚を見るね」


 先生に資料の名前が載った紙を見せてもらいながら、左右に分かれた棚のうち、頼まれた通りに右側の棚を探し始める。


「…………」

「…………」


 しばらく無言の時間が続いた。少しだけ気まずげな沈黙の中、先に口を開いたのは先生からだった。


「……ありがとうね、黒澤くん。……本当は、私を助けようとしてくれたんでしょ?」


 背中に投げられる感謝の言葉。


「っ……」


 ーーあの場面に通りがかったのはたまたまだった。


 昼休みが終わるまでクラスには戻らず、適当にぶらぶらするつもりでいたのだが、この学校に来てからまだ一ヶ月。学校全体の構図を把握して歩き回るには、まだ少し自信はなかった。


 そこでなんとはなしに、先生の様子を確認しに職員室付近に戻ってきたら、彼女が馬金という化学担当の先生オッサンに迫られている場面に出くわしたのだ。


 ……これは生来せいらいの勘ではあるのだが、あの男には出会った当初からどこか危うい臭いを感じていた。


 授業の教え方も満足なものとはいえず、彼は常に見下すような視線を俺たち(生徒)に向けていたのだ。


 それでも先ほどの場面に出くわすまでは、何か嫌な感じがするオッサン程度にしか思っていなかったのだが……東野先生ーー青葉の手を握りしめていた時のあの男の目には、鬼気迫る何かを感じさせた。


 ーーあの男に青葉を近づけさせるのは危険だ。


 しかし、二人が同じ教師であるのに対し、今の俺はいち高校生にすぎない。できることの範囲は限られてしまう。


「ーーわくん」


 なんとか、二人をなるべく近づけさせない方法はないのだろうか……。


「ーーさわくん……黒澤くん!」


「あ、はい⁉︎」


 急に呼ばれて後ろを振り返ると、青葉が心配げな表情をこちらに向けていた。


「ごめん……やっぱり資料探しは難しかったかな?」


 どうやら、彼女は俺が資料探しに苦戦しているのだと勘違いしていたみたいだ。


「あはは……ちょっとばっかし集中しすぎましたね。でも、あとちょっとで資料も揃いますよ」


「そうだったの……ごめんね、無理そうだったら途中で切り上げても大丈夫だからね?」


 短いやり取りの後、俺たちは互いに作業に戻る。


「っ……」

「っ……」


 またしばらく、無言の時間が続いていった。資料を棚から取り出す時のファイルが擦れる音だけが、部屋の中を無機質に流れていく。


「……少しだけ、昔話をしてもいいかな?」


 ふいに、青葉の方からぽろっと言葉がこぼれた。


「…………」


 俺は答えない。彼女がこれから何を話そうとしているのか、なんとなくわかっていた。昔話それを彼女の口から語るかどうかは、彼女自身の判断に任せたかったのだ。


「…………あれは、私がまだ小学生のころの事だったんだけどね」


 青葉は逡巡しゅんじゅんしていたのか、少しばかり無言の間を置いたが、ほどなくしてゆっくりと昔話を話し始めた。


「私の家は少し特殊な家柄で、怖い人たちに狙われる事が多かったの。ある日、まだ子供だった私は、その怖い人たちにさらわれた事があったの。お昼なのに、とてもとても暗いお部屋に閉じこめられたの」


 ……やはり、青葉が語ったのは彼女が幼いころに誘拐された時の話だった。もし、青葉が俺のことを鮮烈に記憶したタイミングがあるとするならば、そこしか考えられなかったのだ。


「でも、私はあまり怖くはなかったの。……そのころの私にはお兄ちゃんがいてね。世界で一番強いんだって自慢できるお兄ちゃんだった……。お兄ちゃんなら、きっと私のことを助けに来てくれるって、そう信じられたから怖くはなかったの。……でもね、その時助けに来てくれたのは、初めて見る男の人だった」


「…………」


 チラッと後ろを振り返ると、青葉は資料探しで手を動かしながらも、昔を懐かしむような表情を浮かべていた。


「その人は童話に出てくる王子様のように、怖い人たちをあっという間に全員倒しちゃったの。すごくカッコよかった……お兄ちゃん以外にも、こんなに強い人がいるんだって本当に驚いたの。……それがあなたのおじ様、黒澤諏方さんだったのよ」


 ええ、知ってますとも。当事者ですから。


「あなたのように綺麗な銀色の長い髪が印象的な人でね……幼かった私にとって、あなたのおじ様はまさにヒーローだったのよ……なんて、急にこんなお話されても困るよねーーって、どうしたの?」


「……なんでもないっす」


 俺は青葉に顔を見られないよう、全速力で棚中の資料を漁っていた。


 いやいや、他人から見た自分の過去を目の前で聞かされたら、そりゃあメチャクチャ恥ずかしいだろ⁉︎ いま家で一人でいたら、羞恥心しゅうちしんで顔を覆いながら床中を転がっていたところだ。


「先生! これでこっちの棚は全部だと思いますけど、確認お願いしてもいいですか⁉︎」


 恥ずかしさで身悶みもだえそうになりながらも、俺はちゃんと手は動かしていた。……この見た目になっても、サラリーマン根性というものは身体に染みっついたままで、なんとも悲しくなってくるものだ。


「……うん、たしかに確認しました。私の分もちょうど揃ったし、これで資料探しも終わり! ……本当に助かったわ。ありがとう、黒澤くん」


 これ以上ないくらい満面の笑みで、彼女は感謝の言葉を口にした。


「っ……」


 ーーあの時も、本当は怖かっただろうに、それでも彼女は満面の笑顔で俺にお礼を言ってくれた。


 ……正直な話、俺は彼女に礼を言われるような事はしたと思っていない。


 幼い青葉が誘拐された情報は、たまたま俺が彼女の兄である葵司に会いに、蒼龍寺家に来ていた時だった。運の悪いことに葵司は別件で家を留守にしていて、彼女の親父は妙に落ち着いてた事にイラついた俺は、あと先考えずに渦中かちゅうに飛びこんでしまったのだ。


 今思えば、下手に動けば青葉の命が危なかったかもしれないのに、若かったとはいえあまりにも軽率すぎた。焦らなくても、彼女の兄や親父さんなら十分に助けられたはずなんだ。


 俺が彼女を助けられたのはあくまで結果論だ。下手すれば、俺の余計な行動のせいで彼女は命を落としていたかもしれない。


 そんな俺が……彼女に感謝される筋合いなんてあるはずもなかった。


 それでもーー、


「……もうお昼休みの終わりまでほとんどないわね。ごめんなさいね、黒澤くん。こんな時間まで付き合ってもらっちゃって……黒澤くん?」


 キョトンとした顔を傾ける青葉。そんな彼女を、俺はまっすぐに見つめながらーー、


「諏方おじさんが帰ってきたら、いの一番に先生に会わせますんで」


 今でこそ若返ってはいるものの、本来の俺はどこにでもいるような普通のサラリーマンにすぎない。


 だからーー元に戻ったら彼女に会いに行こう。もう、蒼龍寺青葉にとってのヒーローはこの世にはいないのだとわかってもらうために。


 それが、彼女にいらぬ虚像あこがれを抱かせてしまった俺の、せめてものつぐないなのだから……。


 俺の言葉を聞いて、彼女はいつものやわらかい笑顔を見せて、


「ありがとう……黒澤くんは優しいのね」


 そう口にしたところで、ちょうど昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。


「それじゃあ行こうか、黒澤くん。……あっ、ここでお話した事は内緒だからね?」


 人差し指を唇に当てながらウィンクする先生。幼いころはおとなしい子供のイメージだった彼女が、明るい大人に成長してくれたのはちょっぴり嬉しかったりする。


「……了解しましたよ、東野先生」


 こうして、二人だけのちょっとした秘密の時間を少しだけ惜しみつつ、舞い飛ぶホコリがカーテン越しの日の光に照らされてキラキラと輝く資料室を俺たちはあとにした。

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