第1話 予期せぬ再会
「ぐでー、体が溶けりゅう……」
騒がしい声が飛び交う教室内にて、俺は机に突っ伏しながらボーと窓の外を眺めていた。腕も顔も机に溶けて一つとなったかのように動けず、全身を包むけだるさは起き上がるという思考を放棄させるほどに身体を重くさせていた。
「朝からオッサンみたいにだらけてて、だらしないわよ、四郎?」
俺の後ろの座席から呆れぎみな言葉を投げるのは、我が愛娘こと黒澤白鐘。
「体が溶ける……液状化魔法のようなものでしょうか、スガタさーーじゃなかった、シロウさん⁉︎」
隣の座席で意味不明な言葉で一人盛り上がってるのは、ウチに住み始めてから一ヶ月が経った新しい家族兼魔法使いの少女、シャルエッテ・ヴィラリーヌ。
本日はゴールデンウィーク明けの初登校日。俺は起床と同時に今と同じ全身のだるさに襲われ、娘からの応援で背中を押されながら学校までは来れたものの、席についた瞬間から今のように机と一体化していたのだった。
なんとなく原因はわかっている。いわゆる五月病というやつだろう。
ゴールデンウィーク明けというのもあるが、会社員から高校生というすさまじい環境の変化やら、短期間で魔法使いと二度も戦っていたやらで、たまったストレスや疲労がこうして極度のだるさに繋がってしまったんだろうーーっと、自己分析できる程度にはまだ脳みそに多少余裕はあるのかもしれない。
一方、白鐘やシャルエッテには一切そういう素振りが見えなかったのは素直に感心できた。二人にも俺と同じぐらいには環境の変化があっただろうし、つい数日前には子供たちを助けるためにたった二人で凶悪な魔法使いに挑んだのだ。その精神的ストレスは計りようもなかったが、こうしていつも通りな様子を見せる二人には感心すら覚える。
ある意味、若々しいとうらやましく感じると同時に、肉体は若返っても精神的には若返れないのだなぁっと悲しくもなってきた。
「おうおう、未来ある若人が、朝から情けない姿を見せるじゃないか?」
机と一体となった俺に話しかけてきたのは、お隣に住む白鐘の幼なじみである天川進ちゃんだった。陸上部の朝練終わりであろう彼女は、首にタオルをかけてスポーツドリンク片手にこちらを見下ろしていた。
「しゃーねーだろ? こちとら五月病でなんにもやる気起きねえんだよ」
「かー! それがバイトでクレーム客をあざやかに撃破したヒーロー店員のセリフかね、情けない。なんだったら、久しぶりに陸上部のお手伝いでもするかい?」
「うーん……手伝ってやりたいのはやまやまだが、マジで今はなんもやる気が起きねえんだ……」
「うわぁ……こりゃ重症だね」
常にやる気に満ち溢れている進ちゃんに諦められたら本当に末期だなぁっと思いつつ、それでも俺は一ミリたりとて上半身を上げられないでいた。
「あっ! そういえばススメさん、先日いただいたプレゼント、本当にありがとうございました!」
「あー、DX・ディテクティブ変身ステッキのことね? たまたまオークションサイトで安く落とせたやつだけど、気に入ってくれたならなによりさ」
わりとあっさり話題の対象から外れてしまったが、正直今は放置してくれた方が気が楽だった。
目を閉じて、教室内の喧騒に耳をかたむける。聞こえてくる会話はどれもとりとめのない話題ではあったが、それがいつも通りの日常に戻ってきたのだと安心感を与えてくれる。
まだこの姿になってから一ヵ月ではあったが、この学校で過ごす日々がもうすでに日常のものであると実感するとともに、自分の順応性の高さに少し驚いてはいた。
この教室での日常は、かつての俺の高校時代とはあまりにもかけ離れたものではあったが、それでも、毎日が楽しいと思えるぐらいにここは平和な場所だった。
ーーどうか、この平和がこれからも続けばいいのにーー。
眠気も襲う頭の中で、俺はそんなことをひっそりと願ーー、
「号外! ごうがあああいいい!!」
教室の扉を勢いよく開き、噂好きの男子生徒がクラス内の喧騒を割り開くかのように、号外の言葉を高らかに教室中に響き渡らせた。
俺はだるいながらも、首だけを声のした方向に向ける。他のクラスメートたちも皆会話を止めて、彼に視線を集中させていた。
注目を浴びた事に満足げな彼は一度コホンと咳払いをしてから、号外の内容を告げる。
「なんと! 四月の初めから休暇中だった副担任の東野先生が、今日から復帰するらしいぜー!」
直後ーー男子生徒たちの雄叫びのような喜びの声が教室内をゆらした。端々で女子の「男子たちきもーい」の声も入りまじっていたが、それ以外の女子たちにも喜びの表情が浮かんでいた。
「東野先生?」
祝福の声をあげるクラスメートたちの中、俺一人だけが内容を把握できず、突っ伏した体勢のまま首をかしげる。
「そういえば、四郎はまだ会った事なかったわね。東野青葉先生。担当は英語で、このクラスの副担任よ」
後ろの席から白鐘がわかりやすく解説してくれた。ーー余談だが、娘はすっかり学校での『四郎』呼びに慣れてくれていたみたいだ。……シャルエッテの方はまだ不安が残るがーー。
「これがまた美人さんでさぁ。青くて長い髪に、温和で癒される笑顔が特徴的な、現代に残る大和撫子とは東野先生のことでっせ、旦那」
逆に進ちゃんの説明はわかりづらかったが、ともかく相当な美人さんであるのだけは理解した。
「青葉……青髪…………」
なんとなくではあったが、俺はその名に引っかかりを覚えていた。っといっても、その引っかかりがなんなのかを思い出そうとする頭はとうに回らなくなっている。
「……寝るか」
一時間目の教師には申し訳ないが、注意されるまで少しばかり寝かしてもらーー、
「よーし! お前ら、席につけー!」
朝のホームルームを告げるチャイムの音とともに、担任である熱血ジャージ教師が教室に入ってきた。それを確認すると同時に、散らばっていた生徒たちが一斉に自分たちの席へと戻っていく。
ジャージ教師の圧のきいた声は耳にキンキンと響き、俺の睡魔は付かず離れずといった立ち位置にとどまってしまった。
「この騒がしさからして、お前らの耳にはとっくに届いてるみたいだな? 一ヵ月の休み程度で改まる必要もないとは思うが、このクラスには転校生が二人もいるからな。復帰の挨拶も兼ねて、軽く自己紹介をしてもらおう。てなわけで入ってくれ、東野先生」
ジャージ教師が廊下の方に呼びかけるとともに、件の副担任が少し困ったような笑顔で教室に入ってきた。
「もう先生、そんな前置きがなくても、ちゃんと挨拶できますよぉ」
彼女の入室とともに、一時的に静かになっていた男子たちが一斉に興奮の声をあげていた。
「…………」
少しだけ顔を上げて、東野先生と呼ばれた女性をしばらく眺める。瞳が細長く、目元だけを見ればクールな印象を受けるが、笑顔はやわらかめで、長い青髪を後ろに赤色のリボンでまとめており、薄いピンク色のカーディガンが彼女の温和な雰囲気を全体にまとわせていた。まさに癒し系美人といった感じで、男子たちが興奮する気持ちもよくわかる。
「……やっぱり気のせいだったか?」
髪色はどことなく亡き妻を思い出させるものがあったが、顔の印象はずいぶんと違う。記憶を掘り起こしても、似たような人物に会った覚えはなかった。
「それじゃあ先生の言った通り、軽く自己紹介するわね。東野青葉、担当は英語。副担任だから、英語の授業以外は時々クラスに顔を見せる程度だけど、これからもよろしくね。えーと……転校してきたのが、海外留学生のシャルエッテ・ヴィラリーヌさんと、黒澤白鐘さんのいとこの黒澤しーーーー諏方お兄ちゃん……?」
「っーー⁉︎」
予想だにしえなかった名前で呼ばれ、思わず突っ伏していた上半身を起き上がらせてしまった。
俺と、俺の本当の名を呼んだ女性教師の目が合う。騒がしかった男子たちも無言となり、教室内を凍ったような冷たい空気が流れていく。
ーーそしてようやく、彼女が何者であったかを俺は思い出した。
「はーい! かいがいりゅうがくせいのシャルエッテ・ヴィラリーヌでーす!」
俺と同じ転校生であるシャルエッテが元気よく挙手しながら立ち上がり、自己アピールをする。彼女の空気の読めなささが逆に、凍りついた場の空気を溶かしていった。
「……あっ、うん、あなたがシャルエッテさんね。それと……黒澤四郎くん……だよね? ごめんなさい、昔会った事のある知人と似てて、つい……」
「あー……いや、そういう事もありますよね、はは……」
「コホン……そういうわけで二人とも、今年一年間よろしくね?」
何事もなかったようにホームルームを進行していく東野先生に、他の生徒たちも怪訝ながらも追求することなく話を聞いていた。
「っ…………」
あまりの衝撃に、先ほどまでのけだるさもすっかりどこかへと吹っ飛んでいってしまった。それはいいのだが……。
「じー……」
今は背中を思いっきり睨んでいるであろう我が娘に、どう説明したものかと頭を悩ませるのであった。
◯
「ーーで? どういうことか説明してもらえる、お父さん?」
朝のホームルームを終え、俺は白鐘にすぐに教室の外へ連れ出されてしまった。人目の少ない階段の踊り場にまで引っぱられると、そのまま俺の身体を壁に押しつけて、逃がさないようにと壁に足を突き出して退路を阻んだ。
「お、落ち着いてください、シロガネさーー」
「クラスの副担任にいきなり、若返った偽名のお父さんが本名をお兄ちゃん付きで呼ばれて落ち着けるわけないじゃない、シャルちゃん……!」
心配で白鐘の腕をおさえていたシャルエッテを振りほどき、娘は戸惑いまじりな咆哮をあげているーーっていっても、他人に聞こえないように声はちゃんとおさえてるあたり、見た目よりは冷静でいてくれているみたいだ。
「説明してくれって言われても、俺も突然の事でなにがなんだか……」
なんとなく彼女が何者で、なぜ俺の本名を知っていたのかは察しがついていたが、それを娘に話すのは少しばかりはばかられてしまう。
チラッと娘の顔を覗くと、彼女は戸惑いと怒り、そしてなぜか目尻に涙をためていた。
「……お父さんの過去や、お母さんのこともずっと隠してきて、また隠し事するの? なんでもかんでも隠し事ばかり……そんなに、あたしには何も知っていてほしくないの……?」
「っ……」
こう言われてしまうと、娘にずっと過去のことを隠してきた手前、黙ったままでいる事に罪悪感が出てしまう。
「……わかったわかった。全部話すと長くなるから、多少かいつまんでもいいなら説明する」
俺が白旗を上げると、白鐘は安心したように突き出した足を下げて、ホッと息を吐いた。
「……ただし、これはあの先生のプライバシーにも踏みこむ話だ。本人にはもちろん、絶対に他言無用だぞ?」
二人の少女は無言でうなずく。
「その前に、先に一つだけ確認したい事があるんだが……東野先生は結婚してるか?」
急な俺の質問に白鐘は要領がえられず、首をかしげてしまう。
「うーん……言ってないだけで実際は結婚してるかもしれないけど、指輪も付けてないし……少なくとも、そういう話をした事はないわね」
俺は娘の答えを聞くと、一度大きく息を吐き出す。
「じゃあ多分だがーー東野青葉は偽名だ」
俺の言葉が予想外だったのか、白鐘もシャルエッテも目を見開いて固まってしまった。
この後の白鐘がどうなるかを想像するのが怖くなりつつも、俺はゆっくりと続きを口にする。
「本名は蒼龍寺青葉。俺の亡き妻、つまりは白鐘の母親である碧の妹で、白鐘にとっては母方の叔母にあたる人だ」




