第31話 一ヵ月目の家族
「今……お前なんて言ったんだ?」
眠気で脳がフワッとしていたのもあったが、白いローブの魔法使いの言葉をすぐには呑み込めず、諏方は再度彼女に聞き返した。
「だ・か・ら、見つかったんですよ! スガタさんを元に戻す魔法が!」
時間ゆえか、多少抑えぎみながらも満面の笑みで小さく飛び跳ねる彼女は、諏方のよく知るいつも通りの天真爛漫な少女であった。
「……マジなのか?」
寝起きの頭に入る情報としてはあまりにも衝撃的で、こぼす言葉も唖然ぎみなものになってしまう。
「……喜んでくれないのですか?」
笑顔がわずかに曇り、不安げに尋ねるシャルエッテ。
「あー、いや……あまりにも突然だったからさすがにビックリしてよ。……でも」
時間が時間とはいえ、せっかく朗報を持ってきてくれた彼女を困らせまいと、諏方はニカッと笑顔を彼女に向けて、
「メッチャ嬉しい……ありがとよ、シャルエッテ」
彼の感謝の言葉に、シャルエッテの表情にも笑顔が戻った。
「それじゃあさっそく、魔法をかけちゃいましょう! お部屋に入っても大丈夫でしょうか?」
勢いそのままに諏方の部屋に入ろうとするシャルエッテを、しかし彼は手でそれを制す。
「待て待て。なにも、こんな夜中に急いで元に戻る必要もねえだろ?」
ここで止められるとは思っていなかったのだろう。シャルエッテは途端に焦ったような様子を見せる。
「でっ、ですが、スガタさんも早く元に戻りたいんじゃないですか?」
「まあ、そりゃあ早く戻れるに越した事はねえけどよ? せめて、白鐘にも元に戻れるってのを伝えねえと、明日いきなり元のオッサンの姿になってたらビックリさせるじゃねえか?」
ある日突然若返った姿を娘に見せたことで、彼女がパニックになった事に罪悪感のあった諏方は、せめて元に戻る時は娘の前でと考えていたのだ。
だが、諏方のその返答にはよほど都合が悪かったのか、シャルエッテの焦りはさらに表情に色濃く表れた。
「……今じゃないと、どうしてもダメなのか?」
「え!? えーと、それはですねぇ……あっ、月! そうです。月が半月の時でないと、この魔法は上手く発動ができないのです!」
前のめりになるほど必死になる魔法使いの少女に、元不良の少年も少し気圧されてしまう。カーテンの隙間からわずかに見えた月の形状は、たしかに満ち欠けが半分ほどの見事な半月であった。
「うーん……まあ、せっかくお前も頑張ってくれたみたいだし、白鐘には明日二人で説明すれば大丈夫か」
「シロガネさんに……」
一瞬、またしてもシャルエッテの表情に陰りが見えたが、すぐにいつもの笑みに戻って、
「……そうですね。明日、シロガネさんにもちゃんと説明しましょう」
彼女のテンションの上下に諏方はわずかに違和感を抱いたものの、寝起きで上手く回らない頭では何もできず、ひとまず深く考えることはやめにした。
「それでは改めて、部屋の外で魔法をかけてシロガネさんを起こすのも悪いので、お部屋の中に入ってもよろしいでしょうか?」
彼女の提案を了承した諏方は、シャルエッテを部屋の中へと促した。扉を閉め、明かりを点けると彼女は物珍しげに周囲を見回した。
「そういえば、スガタさんのお部屋に入るのは初めてですね」
「そうだな。まあ、シングルファーザーで娘を育てるのに必死で、趣味らしい趣味を楽しむ余裕もあまりなかったから、ちょっと殺風景かもしれねえけどな」
諏方の部屋には置物はほとんどなく、わずかな冊数の本と、壁には時計にホラー映画のポスター。そして、パパと大きく書かれた文字の横にクレヨンで塗られた似顔絵が飾られていた。
「それは白鐘が小学生の時に描いてくれたやつだな。ビックリするほど似てねえだろ?」
幼い頃の白鐘が描いた似顔絵を、シャルエッテは少し憂いげな視線で見つめていた。
「いえ……とても暖かみを感じる絵だと思います。…………やはり、これ以上私がここにいるべきではないですね」
「なんか言ったか、シャルエッテ?」
最後の部分がよく聞き取れず、諏方はシャルエッテに尋ねるも、彼女は首をブンブンと横に振るだけだった。
「……いえ、なんでも。……さぁっ! そろそろ始めちゃいましょう!」
「……そうだな」
やはり、シャルエッテの明るさにどこか無理やりさを感じながらも、諏方は彼女の指示通りに動いた。といっても、やることはベッドの上に座るだけ。その真向かいにシャルエッテも座り、二人ベッドの上で向かい合う形となる。
「……では、これからスガタさんを元の姿に戻す魔法をかけます。スガタさんはじっと座っていればそれで大丈夫なので」
「……オッケー、よろしく頼むぜ」
シャルエッテは瞳を閉じ、聞き取れないほど小さな声量で何かをつぶやいた。
「ーーっ!?」
ーー瞬間、大気が全身を震わせるような錯覚に襲われた。
諏方たちを囲むようにベッドの中央で魔法陣が展開され、そこから発せられた青色の光が二人を包み込んだ。肉体にまだ変化は見られないが、光からは身体全体を焼き焦がすかのような熱を感じられ、その熱さは気を抜けば意識を持ってかれてしまいそうなほどであった。
黒澤諏方は人間であり、もちろん魔法には精通していない。しかし、かつてシャルエッテにかけられた若返りの魔法よりもはるかに強いエネルギーのようなものを、彼は青色の光から感じ取っていた。
「ッ……!」
それでも、諏方は魔法による激しい熱に歯噛みして耐える。元に戻りたいという願いはもちろんであったが、何よりシャルエッテが自身のために尽くした努力を無下にしたくなかったのだ。
「…………私、本当は怖かったんです」
ぽつりと、口からこぼれ出るようにシャルエッテは小さくつぶやく。
「お師匠様に突然人間界で修行をしろと追い出され、不安で心細いまま人間界に来て、すぐに川で溺れてしまって……あの時、私は知っている人が誰もいないこの場所で、誰にも気づかれないまま死んじゃうんだなぁって思ってたんです。でもーーそんな私をスガタさんは助けてくれた」
急な少女の独白に、諏方は訝しみながらも黙して聞いていた。
「それからは楽しい日々が続きました。スガタさんにプレゼントをもらえたり、シロガネさんとお友達になれたり、学校に通わせてもらえたり……本当に……本当に幸せな毎日でした」
「シャルエッテ……?」
「お二人にはどれだけ感謝しても足りません。あの時、スガタさんが助けてくれなかったら、この時までの幸せを得ることはできませんでした。……本当に、ありがとうございました」
自然と、彼女はゆっくり顔を上げた。そして、曇り一つない笑みを浮かべながらーー、
「ーーーーさようなら、スガタさーーいたッ!?」
ーー何かに締められたような痛みが、突然少女の左手首に走った。少女は呻くような声とともに握っていた杖を落としてしまい、ベッドの上で展開されていた魔法陣も青色の光も消失した。
「痛い……痛いです、スガタさん……」
少女の手首を掴んでいたのは、目の前にいた銀髪の少年だった。彼は明らかに怒りがこもった視線を彼女に向けながら、
「シャルエッテ、てめぇ……今なにをしようとした?」
数時間前の説教の時よりも強い怒気のはらんだ彼の声は、少女の全身を恐怖で震わせた。握られた手首を振りほどこうとするも、彼の腕の力はあまりにも強く、微動だにしなかった。
「なっ……何を言ってるんですか、スガタさん? ……もしかして、私のことを疑ってるんですか?」
痛みに耐えながらも、彼女は普段口にしない強気の語句を用いて諏方に問い返す。
「……じゃあ、なんでーー」
諏方はまっすぐに、彼女の瞳を見つめながらーー、
「ーーなんで、てめぇは泣いているんだ?」
「…………えっ?」
言われて初めて、シャルエッテは自身の頬に雫がこぼれていた事に気づいた。
「あれ……? なんで私、泣いてーー」
気づいてしまったが最後、彼女は瞳からあふれる涙を堪えられなくなってしまった。
「どうして……!? 決めたのに……スガタさんの前で絶対に泣かないって決めたのに……!」
一度あふれ出した涙は止まらなくなってしまう。
諏方が手を離すと彼女は両手で顔を覆い、それでも手のひらからこぼれ出る涙はベッドの布を濡らしていく。
「…………」
諏方はあえて、シャルエッテに気遣いの言葉をかけなかった。ただ静かに、彼女が落ち着くのを黙って待つ。
それから数分後、嗚咽は止まらぬものの、シャルエッテは両手を静かにおろした。泣き腫らしたその瞳は赤くなっており、涙で濡らしたベッドの染みを虚げに見つめていた。
「……話してくれるか? お前はさっき、何をしようとしたんだ?」
諏方は真剣な眼差しで少女を見つめ、先ほどとは違って落ち着きのある声で同じ質問をした。シャルエッテは手で涙を拭い、嗚咽が収まってから小声でゆっくり答える。
「終極魔法……使用者の魔力を全て消費し、その魔力の範囲内であらゆる願いを叶えることができるーー魔法使いなら、私のような未熟者でも使える唯一の究極魔法です……」
「あらゆる願いを叶える……?」
シャルエッテが実行しようとしていた魔法は、諏方が想定していた以上にスケールの大きいものだった。
「……叶えられる願いは、使用者の魔力に依存するのでそれほど万能とは言えませんが、スガタさんを元に戻す願いなら私の魔力量でも十分なはずです」
魔法使いではない諏方には、シャルエッテの魔力量がどれほどのものかはわからなかったが、彼女がその魔法を使えば彼の姿が元に戻るのは確かなのだろう。
ーーしかし、諏方はある一点に引っかかり、それを彼女に問いただす。
「……魔力を全て消費したら、その魔法使いはどうなる?」
ーーその問いに、少女は寂しげな笑みを浮かべて、
「死にます。魔力は生命力と精神力に直結しているので、魔力を全て失えば、その魔法使いは死んでしまうのです」
あまりにもあっけらかんと答えたシャルエッテに、諏方も思わず唖然としてしまった。
「……じゃあなんだ? てめぇは自分の命を使って、俺を元に戻そうとしていたのか……?」
「っ……」
その問いには、少女は答えるのに少し間を置いた。
「……私、思ったんです。もし、スガタさんが私と出会っていなければ、スガタさんもシロガネさんも不幸な目に遭う事はなかったんじゃないかって。魔法使いという存在を知る事なく、お二人は平凡な毎日を今も送っていたのではないかと思ったんです」
「…………」
「……だから、エンテレケイアを使うことを思いついたのです。ほら、スガタさんは元のお姿に戻り、私もいなくなって一石二鳥じゃないですか? スガタさんが元に戻れば、スガタさんを危険視する魔法使いに襲撃される事もなくなるかもしれませんし、そうなればお二人ともに、今後危険な目に遭う事もなくなってーーいだっ!?」
まだ話途中だったシャルエッテの頭に、諏方のチョップがクリーンヒットする。突然の激痛に、彼女は思わず両手で頭を抑え込んだ。
「なっ、何をするんでーーっていだいッ!?」
有無を言わさず、二発目のチョップが少女の頭に叩き込まれる。垂れ下がった銀髪で諏方の目元が見えなくなっているが、今まで以上に彼が怒っているのは明白だった。
「ひどいです……私、お二人のことを思って……」
「それ以上戯言を吐くなら、次はグーでいくぞ?」
小さく、しかしドスの効いた彼の声にシャルエッテは背筋を震わせ、言葉を喉の奥に飲み込んだ。
彼女が静かになるのを待ってから、諏方はゆっくりと口を開く。
「……てめぇが自分の命を使って俺を元に戻せたとして、それで俺や白鐘が喜ぶと本気で思ってたのか? 俺と白鐘が不幸な目に遭うから云々言ってたが、てめぇはただ単に、自分がきっかけで傷つく俺たちから目を背けて逃げ出したかっただけじゃねえのかよ?」
その言葉が図星だったか、シャルエッテは無意識に彼から目を逸らしてしまった。
「……たしかに、お前と出会わなかったら俺たちは魔法使いとのトラブルに巻き込まれる事はなかったかもしれねえ。だがよ、俺も娘も、シャルエッテと出会って不幸になったと思った事なんて一度もねえ。むしろ、お前と出会ってから毎日が新しい発見ばかりで、そんな日常が今、俺はメッチャ楽しいんだ」
楽しいーーそれは、黒澤諏方のまぎれもない本心からの言葉であった。
「……前にも言ったけどよ、俺にとってはお前はもう家族も同然なんだ。だから、お前が間違った道に進みそうになった時は全力で怒る」
まだ出会ってからたった一ヵ月。だが、それをたった一ヵ月と切り捨てるにはあまりにも多くの出来事がありすぎた。
ーー短くも濃厚だった一ヵ月。それは、諏方がシャルエッテと家族としての絆を結ぶには十分な時間であった。
だからこそ、彼女が間違った道に進もうとした事が、家族として何よりも許せなかったのだ。
「……さっき、お前は言ったよな? 俺たちと出会ってから、お前は幸せな日々を過ごせていたって。なら、俺たちの出会いは決して間違ったものじゃねえ」
「っ……!」
ずっと逸らしたままだった視線が彼の瞳へと向けられる。いつの間にか諏方もまっすぐに彼女を見つめていて、二人の視線が交わり合った。
「お前と出会ったことで俺たちが不幸になっただ? 舐めるなよ。どんな敵が来ても、俺たち家族はそれを乗り越えてきたじゃねえか? これからも多くの敵に狙われるかもしれねえが、俺たち家族ならどんな敵が相手だろうと必ず乗り越えられる。お前はもちろん、誰が相手だろうと俺たちの出会いが間違ってただなんて言わせねえ」
ーー気づけば、シャルエッテの瞳からまた涙があふれていた。
ずっと心に抱えていた二人への罪悪感。彼と出会わなければという後悔。ーーその出会いを、彼は間違いではないと言ってくれたのだ。
ーーその言葉は、少女の心に積もった雪を溶かしてくれたような、そんな温かみのある言葉だった。
「……うわぁぁぁぁんっ!」
声を出して泣いていた。
ーー心のどこかで、二人と出会って幸せだと思う自分に否定的だった。その幸せを、彼は肯定してくれたのだ。
泣きじゃくる彼女の頭に何かが触れる。諏方が慰めるように、彼女の頭をそっと優しく撫でてくれていた。
「お前の気持ちはありがたいよ。でも、俺を元に戻すのはゆっくりでいい。焦らなくていい。ーーもし、お前がエンテレなんとかって魔法を使いそうになったら、その時はまた全力で止める。……これ以上、俺や白鐘を悲しませるようなことはしないでくれ」
「はい……はい…………!」
抱きしめられ、彼の胸の中で少女は泣き続ける。そんな彼女の頭を諏方は撫で続ける。
やがてーー、
「すぅー……すぅー……」
溜まった疲労と緊張から解放されたためであろう。少女の泣き声は眠りの吐息へと変わっていた。
「おいおい……この体勢で寝られたら、俺が動けなくなるじゃねえか」
口は尖らせつつも、眠った少女を抱きしめる彼の顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。
「……ま、今日一日頑張ったご褒美だ。おやすみ、シャルエッテ」
ーーこうして、少女にとってあまりにも波乱に満ちた一日は、深夜の静けさとともに終わりを告げるのであった。




