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あたしのパパは高校二年生  作者: 聖場陸
魔法探偵シャルエッテ編
82/322

第30話 日常の中の異存在

 ーーその日、黒澤白鐘は思い出した。


 父である黒澤諏方は、基本穏やかな人間である。どんくさくておっちょこちょいではあるが、人前では笑顔を絶やさず、誰とでも常に温厚おんこうに接する。人に強く出れない性格を情けないと思うこともあったりするが、娘はそんな穏やかで優しい父が好きだった。


 だが、家族であるからこそ、娘は普段人に見せない父の姿を知っている。


 滅多に起こりえる事ではない。ゆえに忘れていたのだ。


 ーー父が本気で怒った時の説教は、とてつもなく怖く、そして恐ろしく時間が長いということを。



「ーー聞いてるか、白鐘?」



「……はい」


「シャルエッテも、話をちゃんと話を聞いてたか?」


「……はいです」


 黒澤家リビングにて、白鐘とシャルエッテは共に床で正座をし、彼女たちの前で特攻服を着たままの黒澤諏方が仁王立ちをしながら二人を見下ろしていた。


 三人が帰宅してから約二時間、この状態がずっと続いていた。


 諏方は決して声を荒げはしなかった。ただ静かに、今回の事件での二人の過ちを時間たっぷりかけて追求し、言葉で心を責めていく。


 いっそ、大声で怒鳴り散らかせられた方が精神的にはまだ楽であっただろう。その方が、説教主に対してまだ反抗心も起きようというものだ。


 しかし、諏方はそんな反撃の隙など一切与えない。時には無言の時間を置き、少しでも言い返そうものならひと睨みして言葉を飲み込ませてしまう。


 父がこのように怒ることなど、白鐘の経験上でも滅多にあることではない。それはひとえに、彼女自身の立ち振る舞いが模範的であるためと、仕事で家を空けがちな父に代わって家事全般を取り仕切る立場上、むしろ小言を言う機会は彼女の方が多かったためである。


 だが、幼い頃は無邪気さゆえに、起こしてしまう失敗ももちろんあった。そのほとんどは優しくさとしてくれるだけで済むことも多かったが、他人に迷惑をかけた時などはこうして長時間の説教になってしまうこともあったのだ。


 白鐘が高校生になってからは、こうした長時間の説教は初めてになる。ゆえに、今回の件での父の怒りが相当なものであるのは、彼の言葉以上に娘に伝わっているのだった。


「たくっ……何度でも言うがな、俺が一番怒ってるのは、お前たちが俺になんの相談もなしに危険なところに飛び込んで、二人だけでなんとかしようとしてたからだ。……俺が助けに行かなかったら、お前ら死んじまってたかもしれねえんだぞ?」


「……で、でも、スガタさんに相談したら、絶対行かせてくれないと思ったんです……」


 珍しく、シャルエッテが諏方に言い返した。それに対しても彼は怒鳴るようなことはしなかったが、語気ごきににじむ圧は明らかに強まった。


「当たり前だろうが……! 子供が命を懸けて危険な場所に行きますって言って、喜んで見送る親がどこにいるんだよ? ……夕希ちゃんやガキどもを助けに行きたかった気持ちはわかる。でもよ……それで二人が死んじまった時の俺の気持ちは、少しでも考えられなかったのかよ……?」


 説教中であっても、その言葉の端々に悲しみが帯びているのは二人の少女にも伝わっていた。


 白鐘もシャルエッテも、子供たちを助けることばかりを考えすぎてしまい、周りが完全に見えなくなっていた。対して諏方は、そんな二人の様子に違和感を感じたからこそ、今回の事態に気づき、駆けつけることができたのだ。


 そんな父の言葉はあまりにも重く、二人の少女にのしかかっていた。


 ーー何度目かの無言の時間。時計の針の音だけが、チクチクと二人の心を突き刺していく。


「……ふう」


 諏方は一度ため息を強めに吐くと眼を細め、より真剣な眼差しで二人に問いかける。


「……前回の仮也や今回のあの女のように、危険な魔法使いと今後も接触する可能性がある以上、無茶をするななんてことは言わねえ。だけどな……今回みたいな事があった時には、まずは俺に相談をしてくれ」


 それは説教ではなく、黒澤諏方という一人の家族としての二人への懇願こんがんであった。


「……今回だって、事前に話してくれてたらお前たちを行かせはしなかったかもしれねえが、どうやって子供たちを助けるかを一緒に考えることはできた。……俺が傷ついたら悲しむって白鐘が前に言ってくれたけどよ、それは俺だって同じなんだ。誰かを助けたいって思いを俺は尊重したいが、それはあくまで自分ができる範囲までの話だ」


 さらわれた少女たちを助けたいという思いに間違いはなかっただろう。だが、そのために二人は無茶な行動にでてしまい、結果的に諏方が助けに来なければ彼女たちを含め、子供たち全員を死なせていたのかもしれないのだ。


「もし、自分ができる領域を越えそうなことをしなきゃならない時は、ちゃんと俺に相談してくれ。……いや、俺じゃなくても、姉貴や境界警察の誰かに相談したっていい。やろうとしてることが間違ってなければ、少なくとも俺や姉貴は全力でお前たちを助けるさ」


 聞くだけで心も凍りそうな諏方の冷たい声が、だんだんと諭すように柔らかくなっていく。


「もう少し、周りの大人を頼ってくれ。……約束できるか?」


「…………はい」


「…………わかりました」


 なんとか絞り出した声はあまりにもか細い。自分たちが悪いことはもちろんわかってはいるのだが、それでも長時間の説教に疲弊した精神はどうしても表に出てしまう。


「……よしっ。もう楽な姿勢になっていいぞ」


 お説教終了の合図が出され、二人は解放感とともに、正座していた脚をV字型に広げた。


「うぅ〜……脚痺れたぁ……」


「しばらく立てられないのですぅ……」


 二人ともに脚の感覚はすっかり麻痺してしまい、疲れで頭も回らなくなり始めていた。勝利の余韻などはなく、残ったのは肉体と精神の疲労のみ。


「……さて、説教タイムはこれまでにしてーー」


 突然、諏方が膝を床についてしゃがみだすと、両腕を二人の少女の肩に回して抱きしめた。


「ーーえっ?」

「ーーふえっ?」


 あまりにも突然のことであったため、二人はただこの状況に戸惑うばかりだった。


「ーーよくやった、二人とも。経緯はどうであれ、お前たちが動いてくれたから子供たちはみんな助かったんだ。シルドヴェール(あの女)がなんて言おうが、お前たちが戦ってくれたおかげで救われた命があったんだ。……そこだけは、絶対に誇っていいことなんだぜ?」


 かけられたのはねぎらいの言葉だったーー。


 たしかに、子供たちを路地裏の魔女から救い出すのは、少女たち二人だけではあまりにも無謀ではあった。諏方の助けが入らなければ、あの場にいた全員は死んでいたかもしれない。


 それでもーー子供たちを助けたいという二人の少女の思いが、数人の子供たちの命を救ったきっかけになったのは確かだった。白鐘とシャルエッテが助けに行かなければ、諏方も境界警察も動くことはなかったかもしれない。


 二人の少女の勇気ある行動が、結果的にさらわれた少女たちの命を救うことに繋がった。あの廃工場での戦いは、決して無意味な戦いではなかったのだ。


 ーー誰かに褒めてほしかったわけではない。


 それでもーー、


「うぅ……お父さん……!」


「スガタさあん……!」


 二人の少女は諏方を抱きしめ返す。


 ーーそれでも、少女たちは嬉しかった。自分たちの戦いは、決して無駄なものではなかったのだと褒めてくれたのだから。


「お父さん……すごく痛かったし、怖かったけど……あたしたち頑張ったよ……!」


「何も言わずに、二人だけで先走ってごめんなさい……! ごめんなさい……」


「うん……うん……」


 諏方は泣きじゃくる二人の頭を両手でポンポンと優しく叩いた。



 ーーどれほどの時間が経ったであろうか。



 しばらくすすり泣きの音だけが小さく響いたリビング内に、電話のベル音が甲高く割り込んだ。


「……俺が出るから、二人はしばらくソファで休んでろ」


 二人の頭からゆっくり手を離し、諏方は電話機の方へと向かった。


「「…………」」


 二人っきりになり、無言のままソファに座る白鐘とシャルエッテ。あまりにも多くの出来事で頭が働かず、口を開かぬまま、受話器を手に取って話し込む諏方をただ見つめている。


 しばらくして、電話先の人物との会話を終えた諏方が受話器を下ろすと、白鐘たちの方へと視線を向けた。


「……夕希ちゃんのお母さんからだ」


「えっ!?」


 先程までぐったりしていた白鐘が勢いよくソファから立ち上がり、諏方の元へと身を乗りだす。


「夕希ちゃんのお母さん、なんて言ってたの!?」


 緊張で心臓が押し潰されそうな気持ちになりながらも、白鐘は父の返答を待つ。


 そんな娘を安心させるように、諏方はニカッと笑顔を浮かべて、


「夕希ちゃんが病院に運び込まれて、さっき意識が戻ったそうだ。他のさらわれた女の子たちも、みんな無事だったってさ」


 父の報告を聞き、白鐘は嬉しさとともに緊張から解放され、力が抜けてその場に座り込んでしまった。


「よかった……夕希ちゃんたちが無事で、本当によかった……」


「ふふ。今度、お見舞いに行かないとな?」


 二人の父娘おやこは互いに視線を交わすと、屈託のない笑顔を向け合った。


「ふぅ……久々に説教したら腹減っちまったぜ」


「……今日はもうごはん作る気力ないから、出前でいい?」


「じゃあピザでも頼むか?」


「もうちょっとサッパリ系でお願い……」


 気づけば、二人のなんでもない日常の会話が始まっていた。それは、黒澤家の普段通りの日常が戻った何よりの証でもあった。



 ーーそんな二人をじっと見つめて、ふと、シャルエッテは考えてしまった。


 ーーもし、自分がスガタさんと出会わなければ、この二人は今でもいつも通りの日常を過ごせていたのではないかーーと。


  ○


 それから三人は、いつも通りの時間を過ごす。


 労いも込めた出前の寿司に、諏方と白鐘はともに舌鼓したづつみを打っていた。一方、シャルエッテはほとんど手を付けず、醤油の入った小皿をジッと見つめているばかりであった。


「ーーエッテーーどうした、シャルエッテ?」


「…………ふえ?」


 諏方に呼ばれ、シャルエッテはハッとしながら顔を上げた。


「食べるの大好きなお前が、珍しく箸進んでねえじゃねえか? ……寿司は口に合わなかったか?」


 諏方も白鐘も、心配げにシャルエッテの顔を覗き込んでいた。


「あっ……えっと、アハハ……多分疲れちゃって、食欲がないみたいなんです……」


 心配をかけまいと笑顔で振る舞うものの、普段の彼女の笑顔を見てきた二人には、シャルエッテの今の笑顔が明らかに無理に作ったものだとわかった。


「……シャルちゃんは、あの魔法使い相手に頑張って戦ってたものね」


「それならそろそろ休んどけ。ケガも完全に癒えてるわけじゃねえだろうし、休息も大事だろ?」


「あ……その……」


 ーーきっと、この人たちは本気で心配してくれているのだろうーー。


 それがわかっているからこそ、シャルエッテの心が締め付けられるように痛む。


「……ごめんなさい。お言葉に甘えて、今日は休ませていただきます」


 そう言うと、シャルエッテはイスからゆっくりと立ち上がり、一礼して食卓から自室へと向かおうとする。


 ーーその途中、一度だけ彼女は二人の方へと視線を戻した。


「スガタさん!」


「ん? どうした?」


 コハダを口に入れながら、彼は顔を上げてシャルエッテを見つめ返した。


「っ……」


 すぐには言葉が出てこなかった。だが意を決し、シャルエッテは銀髪の少年へと問う。


「……スガタさんは、今も元の姿に戻りたいと思っていますか?」


「ん? まあ、そりゃあ……」


 彼女の問いかけの意図が掴めず、困ったように答えを返す諏方。


 ーーその答えに満足したのか、シャルエッテの不安げな表情が穏やかなものへと変わった。


「……それなら、よかったです。……おやすみなさい」


 それだけを言い残すと、足早にシャルエッテは自室に戻っていった。



 部屋に入り、電気を点けないまま扉を背に床へと座る。動悸が激しく脈打ち、呼吸をするたびに喉が焼けるような感覚に襲われる。


 ーー目を閉じると、助け出した少女の母親との電話を経て、安堵する二人の父娘の映像が繰り返し再生されていく。


 その時、浮かんだ思考はどうしようもないぐらい、何度も彼女の頭を駆け巡っていた。



 ーーもし、自分がスガタさんと出会わなければ、この二人は今でもいつも通りの日常を過ごせていたのではないかーーと。



 口にすれば、そんなことはないと二人が言ってくれるのはわかっていた。


 それでも、考えざるをえなかった。


 ーーもし、スガタさんに出会わなければ、あの方を若返らせたりしなければ……スガタさんも、シロガネさんも、二人の周りにいる人たちも、みんな魔法使いの事件に巻き込まれずに済んだかのかもしれないと。魔法使いに襲われず、いつも通りの平凡な日々(にちじょう)を過ごしていたのかもしれないーーと。


「っ……」


 一度抱いてしまった負の思考は、簡単には拭いきれなかった。やがて思考は罪悪感へと変質し、心を痛いぐらいに締め付けていく。


 ーーこれ以上、スガタさんやシロガネさんが傷つく姿を見たくないーー。


 ならばどうするべきか。


「…………ふぅ」


 乱れる呼吸を少しずつ整えていく。


 考えるーー考えるーー、



 ーーそして、彼女は一つの結論にたどり着いた。



  ◯


 シャルエッテを見送り、寿司を平らげた後、諏方と白鐘は激闘への疲労と痛みを回復するため、早めにそれぞれの寝室へと戻った。


 境界警察の赤髪の男に治療されたとはいえ、鈍く熱い腕の痛みは未だ残留ざんりゅうしている。軽くシャワーだけを浴び、諏方は早々に寝床へとついた。


 ーーチクタク、チクタク。


 時計の針の音が静かに刻まれる暗い寝室。


 ーートントン。


 ふいに、扉が叩かれるような音が聞こえ、まどろんだ意識がわずかに覚醒していく。


 スマホを点けて時刻を確認。深夜三時。誰かが部屋を訪ねるにはあまりにも遅い時間だった。


「……スガタさん、起きていますでしょうか?」


 扉の向こうから聞こえた声は、すっかり耳なじみになっていた少女の声だった。


「……シャルエッテか? どうしたんだ、こんな時間に?」


 このような時間にシャルエッテが起きて部屋に来るのはここ一ヶ月、彼女が家に住み始めてからは初めてだった。


 ボサボサになった長髪を適当にかきながら、重たい身体を上げて扉を開く。扉の先の少女は普段着ではなく、魔法使いとしての正装である白いローブを羽織っていた。両手には彼女のケリュケイオンが握られている。


 ーーそして、彼女は満面の笑みで、興奮を抑えきれないような声で諏方に告げた。



「見つかったんです。スガタさんを元に戻す魔法を!」

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