第29話 荒療治
砂煙が宙を舞い、乾燥した大地の一点がヒビ割れ、クレーター状に抉れている。
その中央にてうつ伏せに倒れるは、闇より少女たちをさらいし路地裏の魔女。彼女の頭は、諏方の腕に握られたまま地表に勢いよく押し潰され、顔面は地面に深くめり込んでいた。
「……っ!」
彼女の頭から手を離したところで、諏方の腕に筋肉断裂による激痛が走る。正確には、完全結界魔法を殴っていた途中からすでに腕が出血するほどの痛みが襲っていたのだが、激しい怒りで生成された脳内物質によって痛みが麻痺していたのだ。
「あちゃー……こりゃ一ヶ月は使いもんにならねえなーーっと!?」
痛みで呻くよりも、しばらく腕の自由が効かない事に悲観していると、目にも止まらぬ速さで数名の青いローブを着た魔法使いたちが諏方の目の前に出現する。その内の一人が、地面にめり込んでいたシルドヴェールの頭部を地面から引き上げた。
「……完全に気を失っています」
白目をむいたその顔からも、彼女が失神しているのは明らかだった。
「……では、被疑者シルドヴェール・ノエイルを魔法錠で拘束。彼女の身柄を、支部の治療室に移送して」
彼らの上司と思わしき水色の髪の女性が、テキパキと部下たちに指示を送る。数名の部下たちは、シルドヴェールの両腕を光の輪っかのようなもので拘束すると、彼女の身体を宙に浮かべ、いつの間にか何もない空間に開いていた『穴』へと入っていった。
今回の事件の元凶となった敵の姿が見えなくなったことで、ようやく今回の戦いに決着がついたのだと、諏方も安堵のため息をつく。
拘束したシルドヴェールが門魔法で開かれた穴に運びこまれたのを見届けたのち、水色の髪の女性が諏方の前にまで近づいて頭を下げた。
「シルドヴェール・ノエイル拘束のご協力に感謝します、黒澤諏方さん。……そして、我々魔法使いの厄介事に二度も巻き込んでしまった事を申し訳なく思います」
見知らぬ女性から感謝と謝罪を同時に述べられ、諏方も思わず戸惑ってしまう。
「あー……いえいえ、これは俺ーーじゃねえや、私が勝手にやったことだったんで、謝られるようなことじゃありません」
とっさに社会人モードになってしまう諏方に、女性ははにかんだような笑みで顔を上げる。
「無理に敬語は使わなくても大丈夫ですよ。……そういえば、自己紹介がまだでしたね。わたくしはウィンディーナ・フェルメッテ。境界警察人間界支部・副支部長を務めています」
諏方はその名に覚えがあった。
「……ああ! 確か姉貴が言ってた?」
「ええ。貴方の姉君である、黒澤椿さんにはお世話になっています」
ウィンディーナが満面の笑顔でそう言いながらも、諏方の姉は実に嫌そうな顔をして境界警察のことを説明していたのだったが、彼はあえて深く追求しないことにする。
「ーーっと、呑気に挨拶してる場合ではありませんでしたね。そちらの右腕、見せていただいてもよろしいでしょうか?」
まだ少し戸惑いつつも、彼女の要求に応じる諏方。痛みで腕を上げることができないので、右肩を彼女に寄せるような形で前に出す。
「…………」
ジッと彼の腕を見つめるウィンディーナ。その表情に、だんだんと影が差し込んでいく。
「……予想以上にダメージを負っていますね。防弾ガラスを百回以上本気で殴り続けたようなものですから、仕方もありませんが。……これはわたくしの治療魔法でも、三日は張り付かないと厳しいものですね」
せめてものお礼にと、ウィンディーナは諏方の腕を治そうと考えていたのだが、少し見ただけで治療にかなりの時間を要するのが彼女にはすぐにわかった。もちろん、時間さえあれば恩ある彼への治療に付きっきりになるのはやぶさかではないのだが、凶悪犯が捕まった直後に支部から長時間離れるのは、彼女の立場上難しいものがあった。
「あー……いや、気にしないでくれ。これぐらいは人間の医者でも十分に治せるさ」
「ですが……」
「ーー気にするなと当人が言っているのだ。ならば、余計な気遣いをする必要もあるまい」
彼のケガになんとかできないかとウィンディーナが思案していると、彼女の上司がゆっくりと二人の前に近づいてきた。イフレイルは腕を組みながら、威嚇するような鋭い目つきで諏方を見下ろす。
「イフレイル総支部長! いくらなんでも、わたくしたちの代わりに戦ってくれていた彼に対して、その物言いは失礼ですよ!」
「フン。先程彼も言ったではないか? この戦いは、自分が勝手にやったことなのだと。ならば、それに対して我々が礼を尽くす必要などないと言っているのだ」
高圧的なイフレイルの言葉に、ウィンディーナに対しては終始困り顔だった諏方の視線がキッと睨みつけるように彼を見上げる。
「……たしかに気にするなとは言ったけどよ、そうやって無遠慮に口に出されるとさすがに腹が立つな」
両者が睨み合う形になり、シルドヴェールを倒したことで解けたばかりの緊張が再び走る。二人の身長差は三〇センチ以上もあり、側から見れば説教をしている大人と反抗的な子供の図にも見えるが、近くにいれば身体が震えそうになるほどの圧力が二人から放たれていた。
「……フン、人間如きが、生意気な眼をする」
「テメェ……ホントに喧嘩売ってんのか?」
諏方が動かせる方の左拳を強く握りしめる。
イフレイルはゆっくりとした動作で、右手を諏方に向けてかざした。
「ちょっ!? イフレイル総支部長! 我々境界警察は、人間に手を出してはいけないという絶対的な規則がーー」
「ーー黙っていろ、副支部長」
イフレイルの右手が赤く光り、同時に諏方の右腕が同色に淡く光りだす。
「ーーフンッ!」
そしてイフレイルが右手を握ると、諏方の右腕に小さな爆発が起きた。
「なっ……」
目の前で起きた出来事に、ウィンディーナは絶句してしまう。いくら他者に高圧的な態度ばかりをとる上司といえど、規則には厳格であった彼が、まさか人間に攻撃をくわえるとは思ってもいなかったのだ。
だがーー、
「……っ?」
攻撃された本人はしかし、多少事態に驚きはしているものの、痛みを感じるというような表情はしていなかった。どころかーー、
「……腕が……動かせる……!」
爆破された腕に火傷の跡はなく、むしろ軽く動かせるまでになっていた。痛みも多少残ってはいたが、結界を殴りきった後よりもずっと楽にはなっている。
「……貴様の腕の内部に痛みを伴わない小規模の爆発を起こすことで、腕の細胞に刺激を与え、活性化させたのだ。貴様の治癒力次第ではあるが、安静にしていれば一、二週間程度で完治するだろう」
イフレイルは諏方に攻撃したわけではなく、彼の腕をイフレイルなりの方法で治療していたのであった。
あまりにも意外な彼の行動に諏方はもちろん、彼の部下であるウィンディーナも驚きを隠せなかった。
「……しかし、貴様なら今の爆破もよけようと思えばよけれたはず。なぜそうしなかった?」
腕を組み直しながら、ふとした疑問を諏方に投げるイフレイル。
「……テメェの態度はムカつくけど、殺気までは感じなかったからな」
「ほう……」
諏方の返答に、なかなか感情を表に出さないイフレイルが少し感心したような様子を見せる。
「テメェこそ、俺に礼を尽くす必要はないんじゃなかったのか?」
「…………」
諏方にそう問い返されたイフレイルはしばし空白を置き、フンッと小さく鼻を鳴らして彼に背を向ける。
「貴様などに礼を尽くす必要はない。ないが……人間などに貸しを作ったままでは寝覚めが悪くなるからな……たったそれだけのことだ」
それだけを言い終えると、彼は未だ開いたままのゲート魔法へと向かった。
「……ごめんなさい、諏方さん。あれでも一応、総支部長なりの優しさなんですよ……」
「……あんたも苦労してんだな」
諏方とウィンディーナは共に苦笑いを浮かべ合う。
「何をしている、ウィンディーナ副支部長? さっさと支部へと戻るぞ」
「了解しました、イフレイル総支部長!」
上司に呼ばれたウィンディーナは彼の元へと向かう前に、諏方に再び一礼する。
「改めて、今回の事態に巻き込んでしまったことを深くお詫びします。そして、シルドヴェールを捕らえてくださり、ありがとうございました。我々、境界警察は貴方がたの味方です。また魔法使いによるトラブルの際は、わたくしたちが全力でサポートさせていただきますね」
笑顔でそう伝えると、彼女は上司の背中に向かって小走りで駆けてゆく。
「ーー黒澤諏方。最後に一つ、忠告しておいてやろう」
駆けつけた部下の姿を確認し終えるとイフレイルは一度立ち止まり、振り返らぬまま背後の銀髪の不良に告げる。
「魔法使い二人を破ったとて、調子には乗らぬことだ。たしかにヴァルヴァッラもシルドヴェールも凶悪な魔法使いではあったが、彼らよりも強大な魔力を持つ魔法使いはまだまだいる。ーーせいぜい、油断して足元をすくわれないようにすることだな」
最後にそう言い残し、イフレイルはウィンディーナと共にゲート魔法を通り抜け、同時に空間に開いていた穴が閉じたのであった。
彼らの姿が見えなくなったところで、ようやく落ち着けると諏方は肩の力を抜いた。
「ーーお父さん!」
「ーースガタさん!」
諏方が境界警察とやり取りしている間をじっと黙っていた白鐘とシャルエッテの二人が、疲労で息を切らしながらも大切な家族の元へと駆け寄る。
「二人とも、無事か!?」
「はい! ウィンディーナさんに水の回復魔法をかけていただいたので、全快とまでは言えませんが、十分に動けるまでには回復しました!」
諏方は冷静に二人を交互に見やる。彼女たちの表情からは疲弊の色が強く出ていたが、廃工場から脱出させた時と比べて身体中のケガは治っていた。
二人に大事がないことを確認すると、再度諏方は安堵のため息を吐く。
「それよりも、お父さんこそ右腕は大丈夫なの!? ……さっき、あの赤髪の人がなんかしてたみたいだけど……」
「ああー、なんかよくわからん治療をされたみてえだが、おかげで軽くなら動かせるようにはなった。しばらく無茶はできねえけど、日常生活を送るうえでは問題ねえだろ」
「もう……いくらあの魔法使いを倒すためだからって、無茶しすぎだよ……」
「今回のお前たちには言われたくねえな」
「アハハ……それもそうですね」
思わず三人はクスッと笑ってしまった。
先程まで張り詰めていた空気が穏やかなものへと変わる。それはーー『路地裏の魔女』によって乱された日常がようやく戻ってきた事への証でもあった。
「うしっ。とりあえず帰るか、二人とも?」
「……うん」
「はい……!」
今はまだ多くは語らず、ひとまずはいつも通りの家路につけることへの幸せを三人は噛み締めることにしたのだった。
「ーーああ、そうそう。家に帰ったら覚悟しておけよ、二人とも」
「え?」
「ふぇ?」
ーー穏やかになったはずの空気が、再び凍りつくような悪寒を二人の少女は感じ取る。
「楽しい楽しい説教タイムが待ってるからーーな?」
そう口にする諏方の表情は満面の笑みだったが、その瞳だけは明らかに笑っていなかった。
「うっ……」
「ふえええ!?」
先程まで家に帰れると喜んでいた二人の少女は、今は帰宅への道がなるべく遠くありますようにと、心の中で祈っていたのであった。