第25話 到着
「ハァ……ハァ……」
廃工場から外を出た後も、白鐘とシャルエッテ、そして夕紀ちゃん含めたさらわれた少女たち数名は、息たえだえに走り続けた。脚はとうに限界を迎えてはいたが、それでも建物から少しでも離れようと、一心不乱に走り続ける。
だが、出口から数十メートル離れたところで、背後にあった廃工場から爆発音が鳴り、白鐘は思わず立ち止まって振り返ってしまう。
「お父さん……」
あとは任せたものの、父の安否がどうしても気になってしまった彼女は、その場から動けずにいた。
白鐘としてはなるべく、今回の件に関しては父親を巻き込みたくはなかった。もちろんそれは、父親に危ない目に遭ってほしくないという願いも篭っている。だが何よりも――彼女は父がまるで別人のように戦う姿を見たくなかったのだ。
父の過去を知り、彼がなぜあれほどまでの力を持っているのかも理解はしていた。それでも、普段はおっちょこちょいで情けなくても、優しい姿しか見てこなかった娘にとっては、特攻服を羽織る彼はやはり別人なのだ。
「っ……」
理性では、彼が父親なのは納得している。それでも――路地裏の魔女を前にした父の怒りに満ちた表情に、白鐘は敵以上に恐ろしいと感じてしまったのだ。
――もう、そんな表情をする父の顔を見たくなかったのに――。
「しろがね……おねえちゃん……」
ふいにバタッと音がして、白鐘たちの目の前で幼い少女が一人倒れてしまう。
「夕紀ちゃんっ!?」
慌てて夕紀ちゃんに駆けつけ、彼女を抱き上げる。ゼェゼェっと息を吐き出す少女の額は、捕らわれていた時ほどではないが青白くなっており、汗を大量に吹き出していた。
そんな夕紀ちゃんに続くように、他のさらわれていた少女たちも次々と倒れてしまう。
「そんな……みんな回復したはずじゃあ……」
「……魔力回復薬は、あくまで魔力を回復するためだけの薬。数日間、動いていなかった身体を突然激しく動かしたので、筋肉が驚いてしまったのだと思います……」
そう説明するシャルエッテもまた激しくボロボロな姿になっており、ユラユラとふらつくその身体は今にも倒れそうだった。
「……大丈夫です、シロガネさん……私がなんとか、浮遊魔法で子供たちを病院にまで連れて行っ――」
「シャルちゃんっ!」
倒れそうになった身体をシャルエッテはなんとか杖で支えるも、誰よりも大きく息が上がっている彼女はこれ以上動けずにいた。
そもそも、バースト魔法を放った時点で彼女の魔力は尽きかけていたのだ。それでもなお、彼女はシルドヴェールの動きを止めるために、魔力砲を撃ち続けた。もうすでに、彼女が魔法を使うほどの余力が残っていないのは、魔法使いでもない白鐘ですら気づいてしまう。
「ごめんなさい……ここまできて私、何もできない役立たずで……」
「そんなことない! シャルちゃんが頑張ってくれたおかげで、みんな助かったんだもの。……とにかく、シャルちゃんは休んでて。その間に、救急車を呼んで――」
『――その必要はない』
突然、何もないはずの空間から聞き覚えのない、しかし威圧感を感じさせる男性の声が響き渡る。
「……誰?」
いきなり響いた正体不明の声に戸惑い、スマホを取り出していた白鐘の手が止まってしまう。
少しして、彼女たちから少し離れた空間が突如として裂け、穴のように開いた。
やがて、大きく広がった穴から、青いローブに身を包んだ集団が現れる。集団は皆、フードを深くかぶってその表情は見えなかったが、先頭に立つ一際背の高い男性だけはフードを降ろしており、長く刺々しい赤い髪を揺らしながら、見下すような冷たい瞳で白鐘を見つめていた。
「その手に握る機械を下ろせ、小娘。余計な人間をここに呼び込んでくれるなよ。魔法の秘匿は我々の最優先。従わねば、機械ごと貴様の手を灰にしなければならなくなる」
その声は先ほど鳴り響いた男性のもの。そして、彼が言葉にしたのは明らかな脅迫だった。
「なっ……早く病院に連れて行かないと、この子たちが危なくなるのよ! だいたい、あなたたちは誰なの!?」
「かっ……彼らが……境界警察の方々です……」
か細い声で答えたのは赤髪の男性ではなく、隣に立つシャルエッテだった。
「境界警察……この人たちが、叔母さまの言っていた……」
彼らの存在については、白鐘の叔母である七次椿から話は聞いていた。だが、椿の語り口の中ではもう少し温和なイメージがあったのだが、目の前にいる男性はそれとは程遠い、明らかに友好的な感情が一切見られない冷血さを感じさせた。
「……無様だな、シャルエッテ・ヴィラリーヌ。ない力を振り絞って人間を助けようなどと、ヒーローの真似事のつもりか? 貴様の師匠の口添えがあったからこそ、人間界での滞在を許可してやったというのに……余計な面倒を増やすなというものだ、まったく」
「すっ……すみません……」
注意というにはあまりにも過ぎた罵倒を受けながらも、シャルエッテはただ頭を下げることしかできなかった。
「い……いくらなんで言い過ぎじゃないですか!?」
当然、親友が浴びせられた罵声に我慢できず、白鐘は真っ向から赤髪の男性を睨みつける。
「――ダメじゃないですか、総支部長! いつもそういう態度ばかりとってるから、初対面の人にもすぐ嫌われるんですよ」
空間の穴から最後に現れた人物は、同じく青いローブを羽織りながらもフードはかぶっていない。透き通った水色のくせっ毛が特徴的な女性は先頭に立つ男性を叱りつけながら、ゆっくりと白鐘たちの方に歩み寄っていく。
「ごめんね? うちの上司が失礼なこと言っちゃって。あの人、誰に対してもああだから、あんまり気にしないでいいからね?」
先ほどまでの男性と違って、女性の方はフレンドリーに白鐘たちに接触してきた。
「えーと……あなたは……?」
「あっ、自己紹介がまだだったわね。わたくしは境界警察・人間界支部、副支部長のウィンディーナ・フェルメッテ。で、あそこの赤髪のえらそうな人が、イフレイル・レッドヴェラン総支部長。……偉そうにしてるけど、ああ見えてただの人見知りで、恥ずかしいからああいう態度とってるのよ」
「小声で言っても聞こえているぞ、ウィンディーナ」
バツが悪そうにそう言いながらも、イフレイルは特に反論しなかった。
「……ウィンディーナさんってたしか……叔母さまが言ってた……」
「ええ。貴女の叔母である椿さんとは、仲良くさせていただいているわ」
ウィンディーナが満面の笑顔でそうは言いながらも、とうの椿は実に嫌そうな顔をして境界警察のことを説明していたのだが、白鐘はあえて深く追求しないことにする。
「……っと、今は歓談してる場合ではなかったわね。……それ」
ウィンディーナが手を上空にかざすと、手の平から透明な液体が球体状で発生し、それが弾けると液体は水しぶきとなって、白鐘やシャルエッテ、そして倒れた子供たちへと降り注いだ。
「……あれ? 痛いのが……治っていく……?」
突然水しぶきをかけられて驚く白鐘だったが、彼女の右腕の傷や身体中の痛みが徐々に引いていったのだ。
「水を使った回復魔法です。即効性はないけど、応急措置としては十分なはずよ?」
水を浴びた子供たちの青白かった顔に徐々に生気が戻っていき、安らかな表情へと変わっていく。
「ん……しろがね……おねえちゃん」
先ほどまで苦しそうにしていた夕紀ちゃんが、弱々しげながらも目をゆっくりと開いた。
「夕紀ちゃん! ……大丈夫?」
「……うん……ありがとう……しろがねおねえちゃん……」
「っ――! よかった……夕紀ちゃんたちが無事で、本当によかった……」
思わず、夕紀ちゃんの体を抱きしめてしまう。
本当はシルドヴェールを前にして、白鐘の心には常に不安がまとわりついていた。路地裏の魔女を出し抜けることができるのか――自分とシャルエッテの二人で、少女たちを助けることができるのか――っと。
それゆえに、今こうして少女たちが無事で、何より夕紀ちゃんから感謝の言葉をもらえたことで、ようやく自分たちの戦いが報われたのだと、心からホッとすることができたのだ。
「白鐘ちゃん、まだ安心するのは禁物よ。さっきも言ったように、今回のはあくまで応急措置。人間、特に幼い子供には回復とはいえ、過度に魔法をかけるのは体への負担となって逆効果になってしまうの。だからあとは、人間の病院で治療してあげないとね。……その前に」
ふいに、ウィンディーナが人差し指を上げて手を前に出す。
「子供たちのみんな! 今から素敵な魔法を見せてあげるから、この指をジーっと見てね?」
倒れていた子供たちは皆起き上がり、言う通りに彼女の人差し指を見つめる。
「それじゃあいくよ? ワン、ツー、スリー!」
数字を数えた後に指をパチンと鳴らすと、子供たちは一斉にその場で眠るように再び倒れた。
「なっ――何をしたんですか!?」
突然の事に戸惑う白鐘に、ウィンディーナは優しく諭すように説明する。
「ごめんね、驚かせちゃって? 子供たちには記憶消去の魔法をかけさせてもらったわ。子供たちが、シルドヴェール――いえ、路地裏の魔女にさらわれてからこの時までの記憶を消したの。……総支部長の言うように、わたくしたち魔法使いとって、魔法の秘匿は何よりも重要なことなの――というのはもちろんあるけど……今回みたいな事件をずっと記憶しているより、忘れた方が彼女たちの将来のためだと思うわ……」
「っ……」
たしかに、今回は少女たちにとって、トラウマになりかねないほどに恐怖した事件となったであろう。トラウマとして心に深い傷を残すぐらいならば、いっそ忘れてしまった方が彼女たちのためならばと、白鐘も納得することにした。
――ただせめて、夕紀ちゃんが他の子供たちの勇気を奮わせたことを、自分だけは忘れないようにしようと、彼女は心に誓ったのだった――。
「それじゃあ何人か、子供たちを病院に運んでもらえる?」
ウィンディーナは後ろで控える境界警察のメンバーを数名呼び出すと、彼らは素早く少女たちの体を抱え、無言であっという間にこの場所から飛び去ってしまった。
「彼らはステルス魔法で姿を消して、子供たちを病院まで運んでくれるわ。子供たちの命は、わたくしが保証します」
やわらかく、だが力強いウィンディーナの説得に、白鐘も「よろしくお願いします」っと頷いた。
「シャルエッテちゃんも、そろそろ回復できたかしら?」
ウィンディーナによる水の回復魔法は、シャルエッテにもかかっていた。彼女は支えとなっていた杖を握り、大きく息を吐いて背筋を伸ばした。
「……なんとか、ある程度動けるまでには回復できました。ありがとうございます、ウィンディーナさん……!」
すっかりボロボロになりながらも、いつもの朗らかな笑みを見せるシャルエッテに、白鐘は思わず感極まって、彼女に抱きついてしまう。
「シ、シロガネさん……!?」
「よかった……! ごめんね、シャルちゃん……こんなボロボロになるまで、無茶させちゃって……」
「シロガネさん……私こそ、シロガネさんに危ない役割を任せて……本当にごめんなさい……!」
二人の少女は、互いを強く抱きしめあって健闘を称えあう。諏方や境界警察の助けがあったからこそではあるが、彼女たちの頑張りは、たしかにさらわれた少女たちを救うことができたのだ。
「ふふふ……人間と魔法使い、異なる種族同士ではあっても、友情で結ばれるというのはとてもいいですね」
「――茶番は済ませたか?」
和やかになった空気を打ち壊すような一言を添えて、イフレイル総支部長は三人の横を通り過ぎる。
「もう……少しは空気を読んでくださいよ、総支部長」
「知らん。……それよりも、中で戦闘しているのはシルドヴェール・ノエイルと……黒澤諏方か?」
イフレイルは睨むように、前方に聳える廃工場を見つめる。彼は建物内で激しく激突する人間と魔法使いの魔力を両方捉え、その動きを観察していた。
「……そうですけど」
彼に対して、完全に悪印象を持った視線を送りながらも、白鐘は素直に答える。
「やはりか……まったく、彼がいなければ、もう少し面倒な事にならずに済んだのだがな」
そう言って、イフレイルは左手で右腕を掴み、右腕をまっすぐに伸ばして手の平を廃工場へと向けた。
――その瞬間、白鐘の背中に悪寒が走る。
「なっ……何をするつも――」
「喋るな、小娘。気が散る」
イフレイルが目をつぶり、少しして彼の周りを赤いオーラのようなものが包み込んだ。さらに、大地が地鳴りのように揺れだし、廃工場全体が赤く光りだした。
そして――、
「――――爆炎、魔法……!!」
かざした手の平を握り締めたと同時に、轟音を響かせて廃工場が爆発した。
「…………えっ?」
眼前に広がる光景に、白鐘はただ唖然とした。
「うそでしょ……お父さん…………」
父親が未だいるはずの廃工場は赤く燃え上がり、煙が上空へと舞い上がっていく。
「パパ…………パパァッ――――!!」
膝から崩れ落ち、叫ぶ白鐘の声はしかし、赤々と照らされる空に、虚しく響き渡るだけだった。




