第24話 特攻服の覚悟
――無音が、朽ち果てた工場内を支配する。
それそのものは、廃墟ならば日常的な事だ。人が訪れねば、自然の中に捨て置かれた建造物に流れるのは静寂。時折吹かれる風に揺り動かされるガラクタの金属音だけが、この工場内にて許された音のはずだった。
路地裏の魔女と呼ばれた魔法使いがこの工場を拠点としてからは、工場内には常に少女たちの助けを求めるうめき声が流れ続けていた。たった一人の魔法使いの存在によって、工場内はまさに、地獄のごとき異界と化したのだ。
――そして今、工場内に残った人物はたった二人。元の無音の世界へと戻ったこの廃墟内にて、二人の人物が無言で互いを睨み合っていた。
すでに双方、戦闘態勢には入っていたが、それから数秒ほど互いに微動だしない。どちらかが少しでも動きを見せればその瞬間、廃工場は戦場と化す。
一秒、一秒、時が経つのがあまりにも長く感じる空間の中で――――先に動いたのはシルドヴェールからだった。
彼女が諏方に右手の人差し指を向けると、そこから魔力砲が放たれる。
「――ッ!」
諏方はその光景に動揺する事なく、自身へと向けられた魔力砲をさらりとかわした。
「――ふん!」
だが、かわされる事そのものは予測ずみであったか、シルドヴェールは間髪いれずに二、三発目の魔力砲を次々と放つ。
諏方も、自身に向かう光の砲撃の軌道を一発一発瞬時に見定め、最低限の身体の動きで全てをかわしていく。もちろん、ただかわすのだけではなく、彼女が放つ魔力砲の一発と一発の隙を彼は観察していた。
その隙を突いて、攻撃ができる間合いとタイミングを慎重に計り、そして――、
「――ラアッ!」
――床を勢いよく蹴り上げ、諏方の身体がシルドヴェールの目の前へと瞬時に飛び上がった。
「オッラァアアアッッ――!」
その勢いのまま、諏方は左脚でシルドヴェールの横顔に蹴りを叩き込もうとし――、
「甘いわよっ――!」
――しかし、その蹴りはシルドヴェールがかざした左手から発生した結界魔法によって防がれ、そのまま諏方の身体を弾き飛ばしてしまう。
「ッ――!」
弾かれた脚に痛みが走るも、諏方は冷静に身体を空中で一回転させ、受け身を取って床に倒れずに着地する。
――わずか一分程度の攻防。だが、お互いに一筋縄ではいかない相手であると理解し合えるには十分な一手であった。
「……身体能力がずば抜けているのはある程度予想できていたけど、ワタクシの魔力砲を全部かわしたうえに、わずかな隙を突いて攻撃を仕掛けてくるなんて……どんな動体視力と反射神経してるのよ、アナタ……」
「……テメエも、結界魔法が得意だってから攻撃が防がれるとは思ってたけどよ、それ以上に、攻撃と防御を切り替える判断能力に優れてやがる。……思ってた以上に、戦闘に慣れてるみてえだな?」
一方の攻撃は当たらず、もう一方は攻撃を結界で常に防がれてしまう。そうなれば自然と、この戦いは先にどちらが攻撃を相手に当てられるかの持久戦となってしまう。
だがそうなれば、明らかに不利になるのはシルドヴェールの方だった。彼女は先のシャルエッテとの戦いでも魔力を消耗し、疲労も蓄積している。このまま諏方との攻防が続けば、いずれ彼女の魔力が尽き、彼の攻撃が先に彼女の身体に届いてしまうであろう。
「このままでは埒が明かないわね……さっきも言ったけど、アナタとの戦闘は手早く済まさなければならないの。アナタの体力か、ワタクシの魔力か、どちらかが尽きるまでなんて、そんな泥臭い戦いに付き合う気は毛頭ないわ」
そう言いながら、シルドヴェールは右手を自身の前にかざす。先ほどまでの、相手に指を向ける魔力砲の構えではなかった。
「……何を仕掛けるつもりだ?」
諏方は瞳を鋭く、相手が何を仕掛けても対応できるように神経を研ぎ澄ませる。
「教えてあげるわ。結界魔法は――決して、防御するだけの魔法ではないということをね……!」
シルドヴェールがそう宣言した瞬間、諏方の視界から、彼女の姿が消えた。
いや、正確には――、
「っ……? なんで俺……ここに一人でいるんだ……?」
――正確には、シルドヴェールという存在そのものの認識が消えたのだった。
彼女は、この建物に張ってあったのと同じ認識遮断の結界を、自身の周りを囲むように展開したのだ。これにより、諏方の視界からはもちろん、先ほどまで戦った敵である彼女の存在、記憶が綺麗さっぱりに、彼の脳内から消えてしまったのだった。
諏方は今、なぜ自身がこの場所にいるのかわからず、戦闘面で冷静な彼には珍しく、戸惑いを表に出してしまっていた。
――その様子にほくそ笑みながら、結界を纏ったシルドヴェールはゆっくりと、諏方の横を通り過ぎて行く。
「恐ろしいでしょう、黒澤諏方? 今のアナタの頭には、先ほどまで誰とここにいたかという記憶が、ワタクシという存在の認識を遮断された事によって綺麗さっぱりに消失している。今のアナタの認識では、この場にいるのがアナタ一人なのだから、動揺も隠せずにいて、とても滑稽で可愛らしいわ。可愛い男はモテるわよ?」
あざ笑うかのようなシルドヴェールの挑発も、結界内で発せられた声では彼の耳にも届かない。
ルンルンと楽しげな足取りで彼女は諏方との距離を取りつつ、彼の背後へと回る。喧嘩上等と大きく書かれた特攻服が風に揺らめくのを眺めながら、彼女は右手の人差し指をその背中へと向ける。
「……本当はこのまま逃げ出すのも手ではあるのだけど、アナタの存在は必ず、将来のワタクシへの禍根になる。このチャンスをみすみす逃す手はないわ」
向けられた指先から光の玉が発生する。先ほどまでの魔力砲よりも強力な魔力を圧縮し、殺傷力を高めたもの。シルドヴェールは目を細め、確実に己が敵の心臓を貫くため、狙いを定める。
「それじゃあさようなら、黒澤諏方。……短い戦いだったけれども、それなりには楽しめたわよ」
――放たれる。銀髪の不良を射殺す弾丸が放たれる。
着弾までは数瞬。まばたき程度のわずかな時間で、ソレは黒澤諏方の心臓を貫く――――はずだった。
「――――はっ?」
着弾する寸前――諏方はひらりと身を翻し、自身の心臓へと向けられた魔力砲をかわしたのだった。
「なっ……どうし――」
「――そこかぁっ!!」
シルドヴェールが唖然としている間にも、彼女を認識できていないはずの黒澤諏方が、まるで見えているように彼女に向かって一直線に飛び込んだ。
数十メートルの距離を一度の跳躍で詰め、その勢いのままに彼の拳が、シルドヴェールに向けて突き出される。
「くっ――!」
間一髪――諏方の拳がシルドヴェールの顔面に届く寸前で、防御用の結界魔法でなんとか彼の拳を防いだ。
だが、慌てて結界魔法を展開したがために集中が乱れ、彼女を纏っていた認識遮断の結界は解除され、諏方の視界に倒すべき敵の姿が映し出された。
「やっぱりいやがったか、糞女ァ……!」
魔法使いの姿を再び認識するも、結界魔法によって再び弾かれ、彼女との距離をまたも離されてしまう。だが敵の息は上がっており、彼女から先ほどまで見えていた余裕がなくなってきているのが確認できる。
「ハァハァ……どうして……」
シルドヴェールが息を上げているのは、もちろん疲労や魔力消費によるものが大きいが、何より――、
「どうして!? どうして認識外からのワタクシの魔力砲をよけることができたの!? どうして認識から外されて姿が見えないはずのワタクシに、攻撃を仕掛けることができたというの!?」
――何よりも、彼の行動に対する不審に、彼女の頭は完全に混乱し、取り乱していたのだった。
「……簡単な話さ。俺の背中を狙ったのなら、特攻服に刻まれた『喧嘩上等』の文字は見えてただろう?」
「……は?」
目の前で対峙する男の真意が掴めず、彼女の頭はより混乱するばかりだった。
「俺は誰かと喧嘩をする時だけ、喧嘩上等を掲げたこの特攻服を着る事にしているんだ。『喧嘩上等』は、喧嘩に勝つための覚悟の証。テメエがどうやって俺の記憶から消えていたかはわかんねえけどよ……少なくともこの特攻服を羽織っていた以上、俺は間違いなく誰かと喧嘩している最中なのは確信できていたんだ」
「なっ……なによ、その無茶苦茶な理論は……?」
諏方の説明を聞いても、シルドヴェールは理解が追いつかなかった。
「そこまで確信して次に考えたのは、相手がなぜ俺の記憶から消えてしまったかだ。思いついた答えは二つ。俺から逃げるためか、もしくは――俺に奇襲をかけるためか。……後者だと考えた俺は、いつ攻撃を仕掛けられてもいいように、身体中の神経を全て大気の揺れを読み取るために張り巡らした。そして、背後の空気が揺らめいたのを感じ取った俺は、テメエのビームをかわしたと同時に、テメエの姿は見えずとも、おおよその発射地点にテメエがいるのを確信して攻撃したんだ」
放たれた魔力砲までは、認識遮断の結界で覆うことはできない。たしかに彼の言う通り、結界の外に出た魔力砲の気配なら、感じ取ることもできるであろう。
「……だとしても、結界の外に出てから着弾するまで、ワタクシの魔力砲は秒とかからない弾速のはずよ。……そんな出鱈目な感覚と発想で、ワタクシの認識遮断の結界が破られるなんて……!」
言葉以上に、彼女は諏方に対して腸が煮えくり返っていた。
理論を構築することに執念をかけてきた魔法使いにとって、理路整然からは程遠い感覚だけで自身の理論が打ち壊されるなど、彼女のプライドを穢す、最もあってはならない事だった。
だが――、
「…………ふぅ」
彼女は深呼吸し、荒れた心を静めさせる。怒りで取り乱したところで、状況が好転するわけでもない。
こういう場面で冷静沈着に立ち回れるのが、シルドヴェールの強みでもあった。実際、怒りに任せて攻撃を仕掛けても、単調となった動きは彼にやすやすと読み取られていたであろう。
「まったく……手早く済ませてあげるって言ったのに、女の攻撃を素直に受け止められない男はモテないわよ?」
シルドヴェールは再び構える。たとえ時間がないとわかっていても、もはや彼には回りくどい奇策が通じないとわかった以上、正面から立ち会う他ない。
「モテなくてけっこう。娘や家族に愛されりゃあ、父親として幸せこの上ねえ、ってな!」
彼女に応えるように諏方もまた、静かに拳を構えた。
再び、朽ち果てた工場内の空気が張り詰める。間もなく、攻撃とスピードに長けた不良と、防御に長けた魔法使いの、一歩も引かぬ攻防が再開されようとしている。
――しかし、タイムリミットはゆっくりと、諏方たちのすぐ近くにまで迫ろうとしていた。




