第23話 怒れるヒーロー
――黒澤諏方が廃工場に到着する数十分前。
バイト先のファミレスの休憩室にて、諏方は自身のスマホをジーっと注視していた。その表情からは焦りのようなものが見え、訝しげに眉をよせている。
「……何で、あいつこんな所にいるんだ……?」
誰もいない空間内にて一人問いかけるも、答える者はなし。だが、考えれば考えるほど、背筋を通る異様な寒気はさらに増す。
――嫌な予感はしていた。
娘である白鐘と、同居人となった魔法使いシャルエッテ。二日前、二人の細かい挙動に不自然さを感じてから、彼の背中には常にピリピリとした緊張感のようなものが走っていた。二人の前ではなるべく自然体でいられたものの、目の前のスマホの画面に映し出されたモノを見て、緊張は悪寒へと変わり、彼の額に嫌な汗を流させる。
――杞憂なら構わない。だがもし、シャルエッテ、ないしに白鐘がなにか事件に巻き込まれていたとしたら――。
「――黒澤ちゃあん! そろそろ、お昼の時間帯に入っちゃうから、ホールの方に戻ってきてねぇん?」
休憩室のドアを勢いよく開け、オカマ口調のマッチョな店長が、諏方を呼びかける。
「……あら? どうしたのかしら、黒澤ちゃん? ずいぶんと浮かない顔をしてるわねぇ?」
いつもなら、指示されるとテキパキと動くはずの新人アルバイトの心ここにあらずといった様子に、店長は思わず困惑してしまう。
「店長……」
諏方は店長の姿を確認し、この後どうするべきかを逡巡する。だが、どちらの選択を選ぶにしろ、考える時間はない。
「……しょうがねえよな」
諏方は一度ため息をついた後、その場で頭を床にぶつけかねないほどの勢いで、店長に向けて土下座する。
「すみません、店長! 無茶を承知ですが、今日はここで早退させてくださいっ!」
「――っ!?」
突然の新人の行動と申し出に、店長は思わず目を丸くしてしまう。
それも当たり前であろう。このファミレスでは、昼は一番客が込み合う時間帯。それも、諏方目当ての主婦が最も来客する大事な時間なのだ。そこで諏方が抜けるという事は、店や他の従業員に大打撃を与える事態になりかねない。
「黒澤ちゃん……わかってるのよね? 自分の言っている事が、お店にどれだけ迷惑をかける事なのか?」
当然、店側としては、余程の事情がない限りは許せる事ではないはずだ。
「……わかってはいます。でも……」
諏方自身、店長や他の従業員に迷惑をかけてまで、シャルエッテの元に向かうべきかどうかは迷いはした。それでも――きっとここで決意しなければ、後悔をしてしまうかもしれない――その思いが、彼の身体をただ強く、地に伏せさせていたのだ。
「ふぅ…………あなたにとって、行かなければならない場所があるというのね?」
「――はいっ」
顔だけを上げ、答える。その瞳には罪悪感こそあれ――迷いはなくなっていた。
「…………」
しばし、真剣な表情で見つめ合う二人。
そうとは知らず、同じホールスタッフの天川進がドアを開けて、休憩室へと飛び込んできた。
「てんちょー! 四郎! お客さん混んできたから、早くホールに戻って―ー」
「――行きなさい」
ただ一言、店長は諏方にそう告げた。もちろん、その言葉の意味合いが仕事に行け――ということではないのは、彼にも伝わっていた。
「……いいんですか、店長?」
その問いに、店長は難しげな表情をしながらも、
「もちろん、お店としては許可はしたくないのだけど……それでも、行かなきゃいけないのでしょ?」
「っ……はいっ……!」
そう答え、諏方はすぐさま制服を脱ぎ出してワイシャツ一枚の姿になり、制服をロッカーに素早くしまっていく。
「え? え? えっ? どういうこと?」
「わりぃ、進ちゃん。あとは頼むぜ! 店長、この恩は必ず返します!」
事態を飲み込めていない進を横目に、諏方は従業員専用の出入り口へと駆け出していった。
「えっ!? なんで今帰んの!? 店長!?」
戸惑う進に振り向き、店長は悟ったような微笑を浮かべながら、
「男にはね……何かを投げうってでも、走らなければならない時があるのよ……」
「……は?」
「さあ、天川ちゃん、私たちも戦場へと向かうわよ」
上方向へと伸びる髭を整え、颯爽と制服を翻しながら、店長はすまし顔でホールへと向かうのであった。
「…………店長、今日の時給、四郎の分もアタシに上乗せしてくださいね……」
○
――そんなやり取りを経て、諏方は通勤に使うバイクを飛ばしながら、白鐘とシャルエッテのいる廃工場へと数十分でたどり着いた。
白鐘、シャルエッテ、さらわれた少女たち、そしてシルドヴェール――全てが予想外の人物の乱入に唖然とするなか、諏方は静かに周りを見回しながら、カバンにしまっていた白の特攻服をワイシャツの上へと羽織ってゆく。
「……ボロボロになった白鐘とシャルエッテ、それにガキ数人と、うさんくせえ女が一人……大方、そこの女は魔法使いで、さらわれでもしたガキどもを助けに、ここで戦っていた――そんな感じか?」
至極冷静に、拳と首をボキボキと鳴らしながら、諏方は状況を分析する。
「……あら? 説明の必要がなくなって、とても助かるわ。でも……初対面の女性に、うさんくせえ女というのは失礼じゃないかしら――黒澤諏方?」
「……城山市の女児連続失踪事件はニュースにもなってるからな。加えて、ここにいる全員がボロボロになってる状態じゃあ、何があったかもだいたいわかるさ。……それにしても、姉貴の言った通り、どうやら魔法使いたちの間じゃあ、たしかに俺は有名人らしいな?」
「もちろんよ。たかが人間に、実力のある魔法使いが敗れたのだもの。……大半の魔法使いは、あなたの活躍を聞いて魔法界に帰ってしまったわ。まあ、おかげでライバルも減って、ワタクシとしてはむしろ感謝したいぐらいなのだけどね」
「そうか……まあ、そんなことはどうでもいいんだけどよお……」
着替えを終えた諏方は一度、背後に倒れていた二人の少女――白鐘とシャルエッテの様子をうかがう。二人は傷ついた状態ながらも、ゆっくりとではあったが、なんとか立ち上がれはした。
「……テメエ――」
そんな二人の弱った様子を視界に映して、諏方は目の前の女性へと再び振り向き、鋭い視線で睨み上げる。
「――よくも……俺の家族に手を出しやがったなっ……!」
静かに――だがその声には、計り知れないほどの怒りがこもっていた。その怒りは、直接向けられていないはずの白鐘やシャルエッテ、そしてさらわれた少女たちですら、怯え、震え上がらせるほどの迫力だった。
「……スガタさん、どうしてこの場所が?」
そんな中、恐る恐るシャルエッテは、今も頭を抱えさせる疑問を彼に問う。
諏方は視線を目の前の敵に向けたまま、ポケットから自身のスマホを取り出した。
「……わりぃとは思ってたんだがよ、昨日お前のスマホの設定をいじってた時に、こっそり追跡アプリを入れておいたんだ」
そこでシャルエッテは、ローブのポケットに、昨日諏方からプレゼントされたスマホが入っていたのを思い出す。
「俺のスマホと連携させて、お前の居場所がわかるようにしてあったんだ。……一昨日から、お前たちの様子がどうしても気になっちまってな……俺の思い過ごしだったらそれでよかったんだが、こんな辺鄙な場所でしばらく止まってるのを見ちまったら、いても立ってもいられなくてよ……まあ、どうやら駆けつけて正解だったみたいだがな」
「……ごめんなさい。私が、勝手に子供たちを助けに行こうとして……でも、私では力が及ばず……」
「……あたしもごめん、お父さん。でも、悪いのはあたしなの! ……お父さんに内緒にしようって言ったのもあたしで――」
「――そういうのはあとででいい。それより二人とも、動けるか?」
「え? えっと……はい、なんとか」
「あたしも……とりあえずは動けるよ」
「よしっ。なら、今すぐガキどもを連れてここから逃げろ」
突然告げられたその言葉に、シャルエッテは戸惑いを隠せないでいた。
「だっ、ダメです、スガタさん! 相手はバルバニラさんと同じぐらい、危険な魔法使いなのです! ……せめて、私だけでも一緒に戦って――」
「――シャルエッテ!!」
ここにきて一番の怒号が、工場内の大気を振るわせた。
「……今、俺はすげえイライラしてんだ。……これ以上、俺を怒らせないでくれ」
その言葉に、シャルエッテは心底恐怖する。――だが冷静に考えれば、今にも気を失ってしまいそうなほどのダメージを負っている自身が一緒に戦ったとて、かえって彼の足を引っ張ってしまうであろう――。ここに至って、彼女は自身が足手まといにしかならない事実を、同時に痛感してしまう。
「……行こう、シャルちゃん。お父さんの言う通り、今は子供たちを避難させる方が先だよ」
「あっ……」
シャルエッテは失念していた。彼女たちの目的は元々、敵を倒す事ではなく、さらわれた子供たちを助ける事なのだ。ここにきて冷静さを失わないでいる白鐘に、彼女は感謝する。
「……はっ!」
念の為、シャルエッテは出入り口にまだ結界が張られていないか、魔力を探知する。
「……出入り口に、他に結界は張られていないようです。今なら脱出できます。急ぎましょう! ――スガタさん!」
――足手まといになるのはわかっている。それでも、何か役に立てることはないかと、彼女は銀髪の少年の、『喧嘩上等』と書かれた背中に声をかけ、
「その方は結界魔法のスペシャリストと呼ばれ、あらゆる結界魔法を使いこなせます! こと防御においては、バルバニラさん以上の実力者です!」
精一杯、敵に関する情報を諏方に伝えた。
「おう、わかった!」
「お父さん! お願いだから、絶対に帰ってきてよ!」
「当たり前だ!」
それぞれの声援を背に、諏方は改めて、目の前に立つ敵の姿を鋭く捉える。
そんな彼に睨まれながらも、敵は臆すことなく、
「まったく……どいつもこいつも、皆ワタクシを舐めすぎではないのかしら?」
ため息を吐きながら、諏方の後ろで逃げ出そうとする少女たちに軽く指を向け――、
「――誰が、ここから逃げ出すことを許可したのかしら!?」
――指の先端から、魔力砲を放とうとした。
ダッ――、
――その直前、距離を置いて立っていたはずの銀髪の少年が、一瞬でシルドヴェールの目の前にまで飛び掛った。
「テメエの喧嘩相手は俺だろうが……! 余所見してんじゃねえぞ、糞女ァッ!!」
間髪いれずに放たれる諏方の飛び膝蹴りを咄嗟に、魔力砲を撃つ直前の手で結界魔法を作り、ガードする。
「ぐっ――!」
結界魔法のおかげで直接的なダメージは防げたものの、その衝撃でシルドヴェールの身体が大きく後退した。
気づけば、銀髪の少年の背後にいた少女たちの姿は消えていた。このわずかな攻防の間に、白鐘たちは無事に逃げ切れたのだ。
「……バイクによる衝突でワタクシの結界魔法を破った事といい、一瞬でワタクシの懐に飛び込んだ事といい、噂以上に出鱈目な男ね、黒澤諏方……」
「…………」
諏方はただ無言のまま、静かに拳を構える。
廃工場に残ったのは二人の男女のみ。二人は互いに睨み合ったまま、全神経を相手を倒すことにのみ尖らせ、呼吸を整える。
「……あの子たちを逃がしたのは、仔猫ちゃんたち相手に油断し、必要以上に時間をかけたワタクシの失態。でも……ヴァルヴァッラを倒したアナタ相手には油断してあげない。……境界警察到着までもう時間はないだろうし、全力で手早く殺してあげるわ」
「上等だ。来いよ、糞女。わりぃけど、俺は喧嘩相手なら、女だろうが容赦はしねえぞっ……!」
ジリジリと張り詰めた空気の中、銀髪の元不良の少年と、金髪の魔法使い、二人の喧嘩は、静かに幕を開けようとしていた。