第22話 震える恐怖、奮わす勇気
「夕紀ちゃんっ!」
魔力砲を放ち続けるシャルエッテと、それらを結界で防ぐも、そのせいで身動きが取れずにいるシルドヴェール。二人の攻防を横目に二階へと到着した白鐘は、ポケットからあらかじめシャルエッテに渡されていた試験管を取り出し、鉄床に横たわる少女たちへと駆け寄って行く。
「遅くなってごめんね、夕紀ちゃん! これを飲めば、きっと回復できるから……」
白鐘は試験管のふたを開け、虚ろな瞳を虚空へと向けていた夕紀ちゃんの顎を広げて、中の液体を一滴分、彼女の口に含ませる。
「…………お願い……元気になって……!」
切なる願いを込めて、顔色が変わらないかと少女の顔をじっと見つめる白鐘。
――少しして、青白かった少女の顔にゆっくりとだが、生気が戻ってゆくのが傍目からもわかるほどに色づいた。虚ろな瞳に光が宿り、少女は起き上がると戸惑い気味に左右に首を振る。そして、心配げな瞳で見つめる、よく見知った近所のお姉さんの姿を確認すると、その眼に涙を溢れさした。
「しろがね……おねえちゃん……!」
不安と安心感がないまぜとなり、戸惑いながらも夕紀ちゃんは涙を流しながら、白鐘に勢いよく抱きついた。
「おねえちゃんっ!! 怖かったよ……おねえちゃあん……!」
「よしよし、怖かったね……でも、もう大丈夫だからね」
まだ幼い少女の肩を抱きとめ、白鐘は彼女を安心させるように、その背中をポンポンと優しく叩いた。
「……あれは魔力回復薬……!? 色合い的に効能は薄そうだけど、人間の子供には十分か……! アナタたち、そんなものまで用意していたの!?」
「徹夜にはなりましたが、一晩で完成させました……!」
「なっ――!? 凄腕の魔法薬剤師でも、生成に三日はかかる代物よ!?」
「……私と同じ、お師匠様のお弟子の一人に、すごい回復魔法使いがいるのです。その人なら、もっと早く作れちゃいますよ……!」
「ぐっ……ガキどもめがっ……!」
悪態をつくも、今のシルドヴェールにはシャルエッテの攻撃を防ぐだけで手一杯だった。
白鐘は、未だ泣きじゃくる夕紀ちゃんの頭を優しく撫でながら、彼女の背中をそっと離した。そこで夕紀ちゃんはようやく、抱きしめてくれたおねえちゃんの肩に、一直線に奔った傷から血が流れているのに気づいた。
「おねえちゃん!? いっぱい血が流れてる……」
そこで白鐘も肩をケガしていたのを思い出し、痛みに一瞬うめきそうになりながらも、それを悟られぬように少女に笑顔を向ける。
「あはは、大したことないよ……ほんとはもっと抱きしめてあげたかったけど、今は他の子たちも助けなきゃね」
子供の目線からも、彼女がやせ我慢しているのに気づけはしたが、同時に周りに同じように子供たちが倒れているのを確認し、心配の言葉を喉の奥に飲み込んだ。
「……うん。……ありがとう、しろがねおねえちゃん」
これ以上は泣くまいと、幼いながらも気丈さを見せる夕紀ちゃん。そんな彼女を見て少し安堵しつつ、白鐘は他の子供たちにも同じように薬を飲ませていく。
香苗ちゃんをはじめ、さらわれた少女たちが次々と生気を取り戻していく。彼女たちは最初戸惑い、そして夕紀ちゃんと同じように恐怖と安心感が同時に心に押し寄せ、一斉に涙を流した。
「みんな、聞いて!!」
白鐘も、本当は子供たちの心を落ち着かせるためにも泣かせ続けてあげたかったが、状況的にそれが許されないのもわかっている。彼女の張り上げた大声に子供たちは驚き、なんとか涙声を無理やり抑え込んだ。
「みんなをさらった『路地裏の魔女』は、いま下にいる魔法使いのお姉さんが頑張って止めてくれてるの。だから今のうちに、ここからみんなで逃げるのよ!」
子供たちはそこでようやく、自分たちをさらった路地裏の魔女の存在に気づく。彼女は下からの攻撃を防ぎながらも、
「……ワタクシの大事な栄養分……簡単に逃がすものかっ……!」
まさに、おとぎ話に出てくる魔女のような形相に、子供たちは恐怖で震え、身体が固まってしまった。
「っ――!? 見ちゃダメ! 早くここから逃げないと!」
しかし、その場で立ち上がろうとする子供たちはいなかった。
ここにきて、子供たちが恐怖で動けなくなってしまうのは、白鐘にとってさすがに計算外だった。だが急がなければ、魔力砲を撃ち続けているシャルエッテの魔力もいずれ尽きてしまう。そうなれば、白鐘たちはもちろん、子供たちまで路地裏の魔女に殺されてしまう。
「……お願い、みんな! 怖いのはわかるけど、このままじゃ――」
「――みんな、おねえちゃんの言うとおり、早くここからにげよう!」
恐怖で震え上がる子供たちの中から一人の少女が、拳を握り締めて立ち上がった。
「夕紀ちゃん……」
他の子供たちと同じように、恐怖で震えていてもおかしくなかったであろう夕紀ちゃんはしかし、恐怖を飲み込み、勇気を振り絞って声を上げる。
「みんな、怖いかもしれないけど……せっかくおねえちゃんたちが助けに来てくれたのに、このままじゃ魔女さんに食べられちゃうよ! そしたら……パパとママに会えなくなっちゃうんだよ!?」
パパとママ――その言葉を聞いてようやく、他の子供たちにも夕紀ちゃんの勇気が伝播する。
「……そうだよ。このままじゃ、パパとママが心配しちゃう……!」
「わたしも……! パパとママに会いたい!!」
大好きな家族の存在が、子供たちの勇気を震わし、次々とその小さい体を立ち上がらせたのだ。
その光景を確認し、夕紀ちゃんは一度白鐘に振り返ってニカッと大きく笑うと、近くで未だ震えたままの親友である香苗ちゃんの手を取った。
「だいじょうぶ、かなえちゃん? メガネないから、ユキの手につかまってて……!」
「っ……! ありがとう、ユキちゃん……!」
涙を流し、さらにメガネを失って視界がぼやけていた香苗ちゃんは、それでも手の平に伝わる熱と親友の少女の声に、たしかな心強さを感じた。
「……ありがとう、夕紀ちゃん。……よしっ!」
感極まりそうになるも、白鐘はすぐさまほっぺを叩いて心を切り替え、再度子供たちに声をかける。
「みんな! ここの梯子から順番に降りて、出口に向かうよ!」
先導と、万が一子供が足を踏み外しても下から受け止められるようにと、白鐘から先に梯子を降り始める。その後ゆっくりではあったが、子供たちも順番に梯子を降りていく。
「……シロガネさん! そろそろ、境界警察が魔力を感知して、ここに駆けつけてくれるはずです! その人たちに事情を話せば子供たちを保護してもらえるはずなので、みんな梯子を降りたら出口まで走ってください!」
限界目前にて、さらなる激痛が身体中を走る中、シャルエッテも子供たちを逃がすために声を張り上げた。
「わかった! もう少しだけ堪えてて、シャルちゃん! ――みんな! あたしたちは後から行くから、降りた子たちは先に外へ逃げて!」
梯子を降りた後、見るからに今にも倒れそうな友人を心配しながらも、白鐘は出口の方向へと指差し、子供たちを逃がそうとする。
――そして、最後の子供が梯子を降りたのを見届けた後、出口の方へ再び視線を向けると、なぜか子供たちは一人も外に出ておらず、シャッターが壊れて開放されているはずの出口の前で立ち往生していた。
「みんな……なんで外に出てないの?」
出口前で立ちすくむ少女たちは、青冷めた表情で白鐘の方へと振り向く。
「…………出られないの、しろがねおねえちゃん……」
夕紀ちゃんのその一言に、白鐘もシャルエッテも、心臓が冷たくひりつく感覚が襲った。
「…………まさか……結界……?」
ポツリと、シャルエッテは言葉を漏らしてしまう。
――なぜ、見落としたのだろう。相手が何者かわかっているのなら、このような事態に阻まれるのも、予測しえた事であったろうに――。
「……だめだよ……あと少しで……みんな助けられるのに……!!」
白鐘はその場から足を強く踏み込み、何も阻むもののないはずの出口へと向かって、傷がない方の左肩を突き出して突進した。
「キャッ――!?」
「シロガネさん――!?」
見えない何かに弾き飛ばされ、白鐘の身体が鉄の床に転がり倒れてしまう。
「おねえちゃん!?」
夕紀ちゃんが慌てて駆け寄る。白鐘はまだ意識があったが、その表情には絶望の色が浮かんでいた。
「そんな…………昨日は何事もなく工場から出られましたのに……さっきも、何事もなく入れましたのに……ガッ――!」
放心し、手を止めてしまった隙を逃さず、シルドヴェールの魔力砲がシャルエッテを直撃する。彼女の身体が弾き飛ばされ、白鐘と同じように転がり倒れてしまう。
「まったく……本当に愚かで可哀想な仔猫ちゃんたち。結界魔法のスペシャリストであるワタクシが、認識遮断とは別に、出入りを塞ぐ結界を張らないはずがないじゃない?」
梯子を使わず、シルドヴェールは階上からふわりと浮かぶように、一階へとゆっくり着地する。
「それじゃあ……さっきまで私たちが出入りできたのは……?」
「単純にスイッチを切り替えただけよ? 普段は魔力を抑えるために結界を極力OFFにはしているけど、ONにすれば入る者を拒み、出る者を閉じ込める檻と化す。……ワタクシを相手に、こうなる事態を予測していなかったなんて……詰めが甘い女はモテないわよ?」
先程までの魔女の形相は消えうせ、口調は冗談めかしつつ、呆れの表情に冷たい視線を少女たちに向ける。
「……とはいえ驚いたわ、シャルエッテちゃん。バースト魔法を撃った後に、まだあれだけの魔力砲を放てる潜在魔力が眠っていたなんて……他者嫌いであったはずの魔女、エヴェリア・ヴィラリーヌがアナタを拾ったのも、少しは納得できたわ」
そう言いながらも、黒い羽根のローブに纏わりついた煤を軽く払い除けるその様子から、彼女がたいしてダメージを負っていないのが見て取れる。あれだけ乱発したシャルエッテの魔力砲のほとんどを、彼女は結界魔法で防ぎきったのだ。
「……人間の娘と手を組み、ここまでワタクシを追い詰めたのは褒めてあげる。アナタたちに対する過小評価による油断の結果とも言えるけれど、おかげでワタクシとしても、いい反省点になったわ――さて」
床に倒れた白鐘とシャルエッテ、そして怯える少女たちに向けて、シルドヴェールは手の平をかざす。
「……本当はゆっくり嬲り殺しにしてあげたいところだけれど、境界警察の到着までそれほど時間はないでしょう。アナタたちの頑張りは報われる事なく、最後は呆気なく、一瞬で死なせてあげる」
少女たちに向けられた手の平から、大きな光弾が発生する。そのまま放たれれば、目の前の少女たちを全員消し飛ばせるほどの威力の魔力砲であった。
「……ごめん、夕紀ちゃん……みんな……あとちょっとで……みんな助けられたのにっ……!」
「……ごめんなさい……私がもっと強ければ……みんなを助けられたのに……」
白鐘とシャルエッテの悔しさと無念の言葉はしかし、光弾の音にかき消されるだけに終わってしまった。
「さようなら、魔女の弟子、人間の娘……そして、ワタクシの可愛いかわいい魔力たち」
光弾はさらに大きくなり、少女たちへと撃ち放たれようとして――、
――――ガシャンッ!
――ガラスが割れるような音とともに、一台のバイクが、閉め切られていたはずの結界を蹴破って、スライドブレーキをしながら工場の真ん中にまで走り滑った。
あまりに突然の事に、その場にいた誰もが呆気の表情で固まってしまう。シルドヴェールの光弾も、驚きのあまりに霧散してしまった。
「――たくっ……何があったかはまだわかんねえが、少なくても穏やかな状況ってわけではなさそうだな」
そう口にしながら、バイクに乗った人物はフルフェイスヘルメットを外し、さらさらの長い銀色の髪を垂れ下ろした。
「っ――!? パパ……!?」
「スガタさん……!?」
二人の少女の驚きの視線を背に、黒澤諏方はキッとした瞳で、目の前の敵であろう人物を鋭く睨みつけた。
「助けに来たぞ――白鐘! シャルエッテ!」




