第6話 魔法のお披露目
ダイニングにて、食卓に座る俺含めた三人が見守るなか、正面に立つシャルエッテは緊張の面持ちで杖を握りしめている。
意を決し、ゴクリと息を呑んで彼女は高らかに宣言する。
「では、シャルエッテ・ヴィラリーヌ――マジックやります!」
三人して思わず座ったままズッコケてしまった。
「おい待て! なんでノリが忘年会で宴会芸を披露する、去年よりちょっと自信のついた入社二年目のサラリーマンみたいな感じなんだよ⁉︎」
「その例えはリアルすぎるぞ、諏方?」
ツッコんではくれるものの、姉貴も困惑気味の表情を隠せないでいる。
だが、シャルエッテの表情からしてどうやら彼女は本気みたいだ。瞳を閉じ、深呼吸をして杖をより強く握り締める。
「――っ!」
シャルエッテが目を開くと同時に、ダイニングの空気が変わる。静謐なる空間は、唾を飲みこむ音すらハッキリと聞こえるほどに澄んでいて、その場にいた俺たち全員に一気に緊張が走る。
「ハァアアアアアッッッ――!」
――少女のかけ声と共に小さな爆発音が鳴り、彼女の手元から突然煙が吹き出した。
「え⁉︎ 何? 火事⁉︎」
「安心してください、危険な魔法じゃありません!」
不安げな表情で身を乗り出そうとした白鐘を声で制す魔法使い。
彼女の手から煙が徐々に消えていくと同時に、その手元からはなんと――白とピンクのしま模様のハンカチが出てきたのだ。
「ではまず、このしま模様のハンカチを……横しまから縦しまに変えます!」
先ほどまで澄んでいた空気が、彼女の一言で一気に凍りついた。
「おいコラ、そろそろツッコみきれんぞ」
一昔前に流行った大道芸人のようなことを言い出すシャルエッテに、俺は面倒になって食卓に頬杖をついてため息を吐く。
「大丈夫です! お師匠様がよく人間界のビデオという物を持って帰って見せてくれたので、予習はバッチリです!」
「お前のお師匠様はいったい何者なんだよ……?」
もうヤダ。ツッコむの疲れた。
にしてもビデオ……もはやこの単語を聞く事すら懐かしさを感じる。見た目こそ若返っちまってるが、歳は取りたくねえもんだぜ。
どうやら、まだ本気モードでいるシャルエッテは再び瞳を閉じ、強く息を吐き出すと同時に、握っていたハンカチが光りだした。
「ッ――⁉︎」
あまりにもまばゆい光に、俺たちはとっさに腕で目を覆う。少しして光がゆっくりと消えてから、恐るおそる目を開いていく。
ハンカチはなんと――彼女の宣言通り、横しまから縦しまに模様が変わっていた。
「どうですか……⁉︎」
シャルエッテ、満面のドヤ顔。
「不合格」
それを一言で切り捨てる我が娘、容赦ない。
「ふぇぇえ!? むむむ……では、これならどうでしょう⁉︎」
彼女が目を閉じるとまたもや手元が光りだし、今度は黒いシルクハットが出てきた。
「…………」
魔法をかけられたはずの俺でさえも、そろそろ本当にシャルエッテが魔法使いだったのか疑い始めてきた。
「えーと、たしか……コホン。このシルクハットには、種も仕掛けもございません!」
シルクハットの内側をこちらに向け、そこに何も入っていないのを確認させる。
「それでは、何も入っていないこのシルクハットから……トランプをいっぱい出します!」
そう言って彼女はまた目を閉じる。しばらくして、シルクハットの内側がピカーンと輝きだした。
そして――光り輝くシルクハットの内側から彼女の宣言通り、トランプのカードが次々と飛び出してきたのだ。
「や……やりました! 大成功です!」
歓喜の表情でシルクハットを握ったままぴょんぴょんと飛び跳ねるシャルエッテ。――がっ、俺たちはそれを変わらず冷めた目で見ていた。
「あっ、あれ? ……ダメでした?」
「……いや、それもテレビでよく見るやつというか……」
「平たく言えば茶番よね」
再びバッサリと切り捨てる白鐘の言葉が予想以上にショックだったのか、口で「ヨヨヨ」とつぶやきながら、魂が抜け出しそうな勢いでシャルエッテの膝が折れてしまった。
「やっぱり……わたしは落ちこぼれでダメダメなんですぅ……!」
「いやぁ、落ちこぼれとかそういう問題じゃあ……」
「いいんです。慰めないでください、スガタさん……。わたしがダメダメなのは、わたし自身が一番知って――」
悲しげに自虐の言葉を吐き出すシャルエッテであったが、未だトランプが飛び出し続けるシルクハットを見つめ、みるみるうちに彼女の顔が青ざめていく。
「どうしたん……だ?」
問いながらも、あふれ続けるトランプを見つめて俺も背筋が凍った。
「えっと……これ、止める方法がわかりません……」
「…………はあッ!?」
俺は立ち上がり、あわててシャルエッテの手からシルクハットを引っつかんで内側を手で抑えるが、トランプは絶えずあふれ続けている。飛び出した無数のトランプは床中に散らばって、一分経たずして足元が覆われるほどにトランプに埋め尽くされていく。
「ちょっと待て! このままじゃ、家がトランプだらけになっちまうじゃねえか⁉︎ 早く止めやがれ!」
シャルエッテはオロオロとうろたえていたが、俺の大声でハッとなり、意を決して俺の手に抑えられたままのシルクハットに杖をかざした。
すると、シルクハットがさらにまばゆく光りだした――がっ、依然変化は起こらず。
「えい! えーいッ!」
ヤケクソ気味に杖を何度も振りかざす。それでも、一向に飛び出すトランプは勢いを止めなかった。
「こんんんのぉ……こんちくしょぉぉぉぉぉぉお!」
一際でかい雄叫びとともに再度杖をかざすと、目が痛くなるほどより強い光がシルクハットを覆った。
「うわッ――!?」
あまりのまぶしさに目を開けていられなくなり、俺はとっさにシルクハットから手を離してしまう。
床に落ちたシルクハットはだんだんと光が薄くなっていき、やがてあふれ続けていたトランプがようやく止まった。
「「「「…………」」」」
四人して呆然と、シルクハットをしばらく見つめる。
「……止まりました……止まりましたよ! スガタさ――」
歓喜でシャルエッテが俺に抱きつこうとした瞬間、シルクハットから今度は大量の水が噴き出し始めた。
「あわわ――!?」
「なんでそうなるんだよおおおッッッッ――――⁉︎」
◯
ピチャ、ピチャと、雫が垂れ落ちる音が鳴る。
床に落ちたシルクハットは水でビシャビシャになり、しわくちゃな姿で横たわっている。どうやら、今度は自動で止まるタイプの魔法だったみたいだ。
「こりゃあ、後片付けがしんどくなりそうだな……」
パニックは収まったものの、ダイニングはすっかり水浸しになり、床は濡れた大量のトランプで敷き詰められてしまっている。こっから神経衰弱や七並べしろと言われたら、一生かかってしまいそうな量だった。
「ふぇぇぇぇ……やっぱり、わたしは落ちこぼれなんでしゅうぅぅぅぅ」
シャルエッテはさっきよりも酷く落ちこみ、床に座りこんで泣きだしてしまった。
「……ふふふ、あはははは!」
俺と白鐘はこの惨状にもはや言葉も出なかったが、姉貴はなぜか突然笑い出して、床から大惨事を起こしたシルクハットを拾い上げる。
「いやー、マジックと見せかけて水芸とは恐れ入ったよ」
「いや、水芸とかそういうレベルじゃねえだろ……」
「ははは、冗談だよ」
笑いながら姉貴はシルクハットの内側を覗いたり、クルクルと手で回しながら外側を観察する。
「なるほど。シルクハットを見た限り、たしかに種も仕掛けもなさそうだ。質量保存の法則も平気でブチ破れるんだから、世の科学者たちが頭を抱えそうな帽子だな。……白鐘ちゃん、これならば、彼女の魔法を認めてやってもいいんじゃないかい?」
姉貴は姪っ子の方へと振り向き、彼女の同意を求める。
「…………」
だが、白鐘はまだシャルエッテの見せた魔法に理解が追いついていないのか、呆然となってうなずきも否定もできていなかった。
たしかにここまで奇想天外なものを見せられたら、いっそ認めちまった方が楽かもしれねえが、まだどこか目の前の現象を否定しなければいけない常識が残っているんだろう。
姉貴は再び、シャルエッテの方に向き直る。
「シャルエッテちゃん、マジックで定番の白いハトは、このシルクハットから生み出す事はできないかい?」
突拍子もない質問だったが、そう問う姉貴の表情からはなぜか笑みが消えていた。
それに対しシャルエッテもまた、憂鬱げだった表情が真剣なものに変わる。
「……ごめんなさい、それはできません。別の場所にいるハトを召喚という形でならシルクハットから呼び出す事もできますが……たとえ魔法がどれほど万能であっても、一個体の生命を生み出す事は禁忌とされています。……過去に生命製造の魔法を研究していた魔法使いが何人もいましたが、いずれも成功したという話は聞いた事がありません」
喜怒哀楽の激しい彼女にしては静かに、だがはっきりとした声でそう語った。
シャルエッテの返答に満足したのか、姉貴は一人納得したようにうなずく。
「いや、それを聞いて安心した。私の仕事は命を取り扱うものでね、人一倍命というものに敏感なんだ。もし、君の言う魔法とやらが命を簡単に生み出せるようなものなら、私は白鐘ちゃんとは別の意味で君を否定しなければならなかった。命を簡単に生み出せるという事は、命をぞんざいに扱えるという事だからね。そんな危険な存在を、身内の家に置くわけにはいかないだろ?」
あの簡単な質問にそれだけの意味が込められてるとは思わず――正直そこは俺も予想外だった――シャルエッテは感心を通り越して興奮しているのか、なぜか鼻息が荒くなる。
「命を取り扱う……もしかして、ツバキさんはお医者様なのですか⁉︎」
シャルエッテの問いた内容が意外だったのか、姉貴が突然腹を抱えながら笑い出した。
「アハハ! なるほど、たしかに今の言葉だけでは、普通はその解釈に至ってしまうな」
手にしたシルクハットを目深く被り、ニヤリとした笑顔を見せる姉貴。
「私は、この国の特務機関に所属する特殊工作員――いわゆるスパイというやつだ」
「…………うええええッッッッ⁉︎」
お手本のような驚きのリアクション。今日びここまで派手でわざとらしくないリアクションができる芸人もそうはいまい。魔法使いだけど。
「待って、それあたしも初耳なんだけど……」
「おや? 諏方、私のことを白鐘ちゃんに話した事はなかったのか?」
「姉貴が国家組織の工作員でーすって言って信じてもらえるかよ、普通」
「それもそうだな」と、姉貴はまた一人で納得してうなずく。
しかしまあ……姉貴もよく軽い口調で国の組織に所属しているだなんて言えたものだと呆れる。
シャルエッテはしばらく驚いたまま立ちすくんだ後、キラキラとした瞳で姉貴を見上げた。
「スパイって、敵の組織に潜入したりとかして、ドバーって派手なアクションをする人たちなんですよね!? わたし、お師匠様が持ってきたビデオで何回か見たことがあります!」
お前のお師匠様、本当に魔法使いなのか……?
「フフ、まあたまにだが、そういう映画のような派手なアクションをしたりする事もあるぞ?」
自慢げに姉貴が語っているが、今どき映画のような派手なアクションをするスパイなんて本当に実在するのか? そもそも、敵にバレないように動くのが仕事のスパイが派手なアクションをするのは、現実的に考えてどうなんだろうか……?
それとは関係なく、俺はふと姉貴に気になってた事をたずねてみる。
「そういや、今日は珍しく休暇だったんだな? おかげで、早めにここに来てくれて助かったけどよ」
俺の疑問に、姉貴はキョトンとした表情を返す。
「いや、任務中だったよ? 某国で多少苦戦していた任務だったんだがな。お前からの連絡が来て、即行で決着をつけてきたんだ」
「はあっ!? つーことは、さっきまで外国にいたって事かよ⁉︎ よくたった数時間でここまで来れたな!?」
「当たり前だろ? 愛しい弟が久しぶりに私を頼ってきたんだ。地平の果てからだって、私はすぐに飛んでくるさ」
自分で呼んでおいてなんだが、姉貴の破天荒ぶりには呆れるばかりだ。
「……ちなみに、どんな任務だったんだ?」
「ん? 聞きたいか? 国家機密に触れてしまうが」
「……いや、やめとく」
聞いたら多分、いろんな意味で引き返せなくなりそうだ……。