第16話 残酷な選択
「『五人の魔女』――我々魔法使いの始祖である『原初の魔女』の名が示す通り、魔女という呼び名は魔法使いにとって特別な意味合いを持つ。その名が呼ばれる事を許された魔法使いは現代においてたったの五人。それぞれが独自の魔法理論を築き、それを可能にする圧倒的な魔力を持つ五人の魔女たち。魔女というのはね、いわば我々にとっての到達点の一つなのよ。――そして、その中でも最も強大な魔力を持つと言われているのが、そこのお嬢ちゃんの師匠であり、原初の魔女の血を引く唯一の娘にして、『現存せし最古の魔女』エヴェリア・ヴィラリーヌよ」
「……シャルちゃんが……魔女の弟子?」
あまりにも多くの情報が入りすぎてまとめきれず、白鐘はただ呆然とシャルエッテを見つめることしかできなかった。
「エヴェリア・ヴィラリーヌの弟子は三人いると言われていて、他の二人はいずれも優秀な魔法使いだと聞くのだけれど、そこのお嬢ちゃんは魔力も魔法技術も平均以下の落ちこぼれで有名なのよ? 大の他者嫌いとも言われている現存せし最古の魔女の数少ない弟子の一人が、よりにもよって才能のない凡百以下の魔法使いだなんて、魔法界最大の謎の一つともされてるぐらい不思議な事なのよねぇ」
侮蔑入り混じる散々な説明をされようとも、シャルエッテはそれを否定することができず、ただ俯くことしかできなかった。
「……ねえ、あの女の人が言ってることは本当なの?」
「っ…………」
友人と呼んでくれた少女の問いかけに、シャルエッテはすぐに答えることができなかった。それでも、震える手で杖を握り締め、なんとか言葉を振り絞ろうとする。
「…………特別、秘密にするような事ではなかったとは思っています。お師匠様が誰かと問われれば、包み隠さずにお話するつもりではいました。ただ……怖かったのです。お師匠様がどれほど偉大な方かと知ってしまえば、スガタさんをろくに治す方法も見つからない落ちこぼれの私に、哀れみの眼差しを向けるのではないかと……」
「――っ!? そんなこと――」
「みんなそうなんです。『魔女の弟子の一人なのに』『他の二人はとても優秀な弟子なのに』――ずっとそういう風に言われてきて、ずっと……哀れむような視線で、他の魔法使いたちに見られてきていたのです……」
「…………」
――いつも天真爛漫な笑顔を見せる彼女は、特になんの悩みもないのだろうな――というのが、白鐘のシャルエッテに対する最初の印象ではあった――少し考えれば、そんなお気楽な者など、そうはいないとわかっているはずなのに。
そんな彼女が、自身が想像しえないつらさを背負っていたのだと思うと、白鐘は彼女に対してかけるべき言葉が見つからなかった。
「……ただ、これだけは信じてください。お師匠様は魔女と呼ばれてはいますが、決して悪いお方ではありません。……身寄りのなかった私を拾ってくださり、私に才能がないとわかっていても、とても厳しいですが、熱心に魔法を教えてくださいました。……私がシロガネさんたちにお師匠様のことを伝えていなかったのは、ただ単に自分に自信がなかったからだけなのです……」
そこでようやく、シャルエッテは俯けていた顔を上げた。その表情は、友人に隠し事をしていた罪悪感からくる、申し訳なさげな寂しい笑みだった。
「…………はあぁぁぁぁ……バッッカじゃないの?」
「――ふえ!?」
シャルエッテに向けられた白鐘の瞳は、彼女の想像していた哀れみのようなものではなく、怒りによる鋭い視線だった。
「シャルちゃんは一ヶ月も一緒に暮らしてて、あたしとお父さんが、そんな他のどうでもいい魔法使いたちと一緒だと思ってたわけ!?」
「え……えええ!? なんで私、怒られてるんですか!?」
「あったりまえでしょ! それってつまり、あたしたちを信用してくれていなかったってことじゃない!?」
「そっ、それは……」
シャルエッテは白鐘の言葉に反論できず、ただケリュケイオンを両手で握り締めて縮こまってしまう。
「……あたしはね、あんた以外の魔法使いがどれだけすごいのかもよくわからないし、あんたと同じお弟子さんが、あんたよりどれだけ優秀なのかもわからない――まあ、あんたのお師匠さんがすごいのだけはなんとなくわかったけど……でも、あたしから見たらね、シャルちゃんだってすごい魔法使いだって思ってるんだよ?」
「……えっ?」
シャルエッテは最初、何を言われたのかわからず、困惑で目を見開いていた。
「……で、でも、私はずっとスガタさんを治せずにいるし、使える魔法なんて基本的なものしかできませんし……」
「でも、不可抗力だったとはいえ、お父さんを若返らせたのはすごい魔法なんじゃないの? それに、シャルちゃんがいなかったら、あたしたちはここまでたどり着けてなかったでしょ?」
「……っ!」
「……そういえば、この場所までの魔力痕は可能な限り薄めていたつもりでいたのだけれど、薄まった魔力痕を感知してここまで来れたのは意外ね。ちょっとは見直してあげるわ、シャルエッテちゃん」
上からニヤニヤとした笑みで話に割り込む魔法使いを無視しつつ、白鐘は言葉を続ける。
「シャルちゃんがどれほど落ちこぼれかなんて、人間のあたしにはわからない。でも……少なくてもシャルちゃんには、あたしにもお父さんにもできないことができる。だから――あたしもお父さんも、シャルちゃんを哀れむようなことなんて絶対にないよ」
「……シロガネさん」
自信に満ちた友人の力強い言葉に、シャルエッテは思わず涙ぐみそうになった。
――そんな雰囲気をぶち壊すかのように、渇いた拍手の音が工場内に鳴り響く。
「フフフ……とてもとても素敵なミニドラマをありがとう。見た目は同じでも、根本的には異種族である人間と魔法使いの友情が見られるだなんて、お姉さん感動しちゃったわ」
言っている事とは裏腹に、嘲るように笑うシルドヴェールを、白鐘はキッとした瞳で睨みつけた。
「……ほんと、いい瞳をしてるわね。つくづく成長れすぎているのが惜しく感じるわ。――でも、ちょっと生意気ね。その心、少しばかりへし折ってあげようかしら」
そう言うと、シルドヴェールは一度手の平を大きく叩いて、感情入り乱れていた工場内の空気を一旦静まらせる。空間内は静謐へと戻り、その中を子供たちのうめき声が小さく流れていく。
「……さて、本来ならば、こういう現場を目撃した人間は殺さなきゃいけないのがセオリーなのだろうけど、ワタクシはこう見えても平和主義者なのよ。だから――一度だけはあなたたちを見逃してあげてもいいわ」
「なっ――」
彼女の口から語られた意外な提案に、二人の少女は驚きを隠せないでいた。
「……あたしたちを逃がして、あなたに何のメリットがあるというの?」
白鐘の疑念も当然であろう。潜伏先である場所が知られ、なおかつさらわれた子供たちがこの場所に捕らえられている事実と、目的まで知られた相手を見逃す理由など、彼女にはないはずだ。まして、シャルエッテの先程の怯えようからして、シルドヴェールが二人を殺すのもそれほど難しくはないはず。
それでも、この場を見逃そうとするシルドヴェールの真意を、白鐘は測りかねていた。
「メリットはあるわよ? そこの魔法使いがどれほど落ちこぼれであろうと、殺すなら多少でも魔力を使わざるをえない。……自分で非効率的な魔力の集め方をしておいてなんだけど、だからこそ、ほんの少しでも貴重な魔力を使うのはもったいないのよ。それに、下手に魔力を行使すれば、境界警察の魔力感知に引っ掛かる可能性もあるのよね。ワタクシとしては、それは一番に避けたい事態。――アナタたちは命を失わずに済み、ワタクシも平穏無事に魔力採取を続けられる。どう? 互いにとって、とても平和的な案だと思うのだけれど、いかがかしら?」
白鐘もシャルエッテも、彼女の問いに返答ができずにいた。彼女たちも、何も死にたいわけではない。ここから無事に逃げ延びられるのなら、これ以上に魅力的な選択肢もないはずだった。
――だが、ここから逃げ出すということは――、
「――ああ、でも、もちろん条件は付けさせてもらうわ。まず一つ、境界警察を含め、ここで見聞きしたものを決して外で口に出さないこと。そしてもう一つ――子供たちの命は諦めなさい」
「――――ッ!」
――そう。ここから逃げ出すということは、夕紀ちゃんたちを含めた子供たちを見捨てるということなのだ。
「……もう尽きかけてるとはいえ、この子たちはまだ生きている。でもここで、アナタたちを殺すために魔力を使って境界警察にでも嗅ぎつけられたら、アタクシは逃亡のためにこの子たちを泣く泣く切り捨てなければならなくなる。だから……アナタたちがおとなしく帰り、何事もなかったかのように日常に戻れば、この子たちも残り少ないわずかな時間を生き永らえることができるのよ。ほら? アナタたちが取るべき選択肢なんて、最初から一つしかないと思わない?」
シルドヴェールの口調は軽く、口元も笑ってはいたが――その瞳は有無を言わせぬ圧力を二人に感じさせた。――取るべき選択肢など一つしかない。拒めば、ここにいる全てを皆殺しにすると――。
それでも――白鐘はその提案に、首を縦に振ることはできなかった。
「ふざけないで! 誰がそんな提案――」
「――ダメです、シロガネさん!」
拒絶の声を上げようとした白鐘を、シャルエッテは普段出さないような強めの大声で制止させる。
「……ごめんなさい、シロガネさん。先程言っていただいた言葉はとても嬉しかったですが、私ではどう足掻いても、あの方には勝てません……」
「――ッ! でも! 子供たちを目の前にして見捨てるだなんて――」
「私だって、子供たちを見捨てたくなんてありません!! ……でも、シロガネさんが死んでしまったら、今度はスガタさんが悲しんでしまいます……」
「……っ!」
父の名を出されては、これ以上何も言うことができなくなってしまい、白鐘は敵に対する反抗心を抑え込まざるをえなくなった。
「……友達のために子供たちを見捨てるという判断。残酷なようだけれど、とても冷静な判断よ。――今日だけで、アナタへの評価が一気に上がったわ、シャルエッテちゃん。賢く生きれる女はモテるわよ?」
シャルエッテも一度だけシルドヴェールを睨み上げたが、それ以上何もできないこともわかっていた彼女は、無言で踵を返した。
「……行きましょう、シロガネさん。これ以上、ここにいても意味はありません……」
「…………」
白鐘は一度だけ、衰弱した少女たちを見上げる。見知った少女がすぐ近くにいるというのに、子供たちに手を差し伸べることも許されない。
――なんて、無力。
悔しさで拳を振るわせるも、白鐘は少女たちに背を向けたのだった。
「それじゃあさようなら、仔猫ちゃんたち。――どうか、二度とその顔をワタクシに見せない事を祈っているわ」
最後まで見下すような笑みをたたえた路地裏の魔女に振り返ることなく、二人は子供たちが囚われたままの廃工場をあとにした。
○
「…………」「…………」
廃工場を出てしばらく、二人は無言のまま歩いていた。
――振り向きはしなかった。一度でも振り向けば、その足で子供たちを助けようと踏み出してしまうかもしれないから――。
路地裏へと再び入る。心なしか、日は落ちかけているはずなのに、あれほど暗かった路がかろうじて把握できるぐらいには明るく見えた。――それでも、二人の少女たちの心には、先程よりも暗い影が差し込んでいたのだった。
「……本当にごめんなさい、シロガネさん」
「……ううん、あたしこそごめん。シャルちゃんより何もできないくせにあたし、シャルちゃんを戦わせようとした。……最低だよね」
「そんなことはありません! ……シロガネさんは立派でした。危険な相手を前にしても、シロガネさんは果敢に立ち向かおうとしてました。それに対して、私は……」
突然、シャルエッテが白鐘の身体に抱きついてきた。
「シャ、シャルちゃん!?」
突然の事で動揺するも、すぐにシャルエッテの身体が、未だ震えていたのが直に伝わってしまった。
「私……すっごく怖かったんです……あの人の魔力、バルバニラさんの時と同じくらい、悪意に満ち溢れていました……。ごめんなさい……ごめんなさい……! 私にもっと魔力があれば……私がもっと強ければ、あの子たちを助けられたかもしれないのに……ごめんなさい……ごめんなさいッ…………」
――それは白鐘への、そして子供たちへの贖罪だった。
「シャルちゃん……」
肩越しで顔は見えなかったが、背中に落ちる雫の感触で、彼女が泣いていたのはわかってしまった。
――気づけば、白鐘もまた、その瞳に涙を浮かべていた。
「……あたしこそ、何もできなくてごめんね……。夕紀ちゃん……みんな……助けられなくて……ごめんなさい…………」
シャルエッテの身体を強く抱きしめ返す。
二人の少女は涙を流しながら、互いの無力さを痛感する。
見捨てることしかできなかった子供たちに謝罪することしか、今の二人にできることはなかったのだった。