第5話 真夜中の来訪者
「――それで、帰り道に自称魔法使いを名乗る女の子を助けたら、お礼に若返ることができました――そう言いたいのね?」
白鐘が淹れてくれたお茶を家のダイニングですすりながら、彼女の確認の言葉に俺はうなずく。
隣ではよほどお腹を空かせていたのか、シャルエッテがむしゃぶりつくようにご飯をかっ込んでいた。箸は使えないとの事なので茶碗にスプーンという、なんともシュールな絵面になっている。
白鐘はただ「ハァー」っと気怠げにため息をついて、俺と食事中の魔法使いの少女を交互に見やる。
「…………それ、食べ終わったら帰ってください」
「ですよねー」
娘なら、たとえ若返ってもすぐに俺を父親だと気づいてくれると淡い期待は少なからずあったのだが、彼女の反応はやはり予想通りのものだった。
「……やっぱり、俺が父親だって信じてはくれないのか?」
「そんなファンタジー小説みたいな話を聞かされて、本当に信じると思いましたか? ……あなたがなんであたしたち親子の名前を知っているのかは、今ここで本物のお父さんに問いただしておきます」
そう言って、ポケットから取り出したスマホで白鐘は電話をかける。その数秒後、俺のポケットからスマホが鳴り出し、取り出して娘の前に差し出す。着信欄には当然、娘の名前が載っていた。
「……これで信じてもらえねえか?」
「なんであなたがお父さんのスマホを持ってるんですか? ……やっぱり警察に連絡してもいいですか?」
「勘弁してください」
家には入れてくれはしたものの、やはりこれまでの経緯を話しただけでは、俺を父親だとは信用してくれないらしい。まあ俺も、白鐘と同じ立場だったら魔法なんて信じる事はできなかっただろうが……。
「ど、どうしましょう……スガタさん?」
「ほっぺに米付いてんぞ」
焦り顔で米粒をつまみながらも、茶碗は手放さないシャルエッテ。彼女は案外大物になれる子なのかもしれない。
「……まあ一応、こんな時のために助っ人を呼んではいるんだが――」
俺がそうつぶやくと同時に、家の呼び鈴が甲高く鳴り出した。
「……またお客さん?」
俺と白鐘はいつも鍵を使って家に入るので、呼び鈴が鳴るという事はつまり来客がある事を意味している。
父親を名乗る胡散臭い少年と自称魔法使いの少女が家に来た事で、すでにうんざり気味そうな白鐘。こちらをしばらく睨んだのち、玄関へと向かっていった。
「はーい……どちら様ですか?」
一応失礼のないように表情から不満の色を消し、チェーンをかけて扉を少し開く。
「やー、久しぶり、白鐘ちゃん」
扉の先には長身の女性がにこやかな笑みで一人立っていた。
「えっと、えーと……あっ、もしかして叔母さま!?」
娘は俺の時と違い、警戒心なくあわてて扉を開いた。
白鐘に叔母さまと呼ばれた扉の先の女性はレザージャケットを羽織り、ポニーテールの髪型と褐色の肌、そして外人のような整った顔立ちがどこか異邦人めいた印象を与える。
女性は改めて白鐘の姿を確認すると、満面の笑みで彼女を抱きしめた。
「いやー、ずいぶん大きくなったじゃないか? 前に会った時はまだ小学生の頃だったから当たり前か。このキレイな銀髪は父親譲りだなぁ」
「ちょっ、落ち着いてください、叔母さま!」
興奮気味に抱きしめてくる女性を白鐘はなんとか強引に引きはがす。
「ハハ、すまない。久しぶりの可愛い姪っ子の姿に、つい興奮してしまってな」
「もう……叔母さまは変わらないですね」
可愛いと言われて悪い気はしなかったのか、白鐘は少し困ったような笑みを浮かべる。
「――たくっ、姉貴の可愛いものに抱きつく癖は本当に治らないな」
娘の背後から俺は呆れ顔で前に出て、懐かしい姉の姿を確認する。
「この方が、先ほどおっしゃっていた助っ人さんですか?」
そっと窺うように尋ねるシャルエッテ。その手にはまだ茶碗を持っていた。
「そういうこと。こんな姿でわりぃけど、久しぶりだな、姉貴?」
姉貴は呆然とした表情でしばらく俺を見つめる。
「本当に……諏方なのか?」
「……まあ、にわかには信じられねえだろうけど、さっき電話で言ったように、この通り若返っちまっ――」
「キャアアアッ! 若い頃の弟そのまんまだ! チョー可愛いじゃないか⁉︎」
姉貴がさっき白鐘にしたのと同じように、俺にも強く抱きついてきた。
「姉貴……苦じぃ……」
「――おっと、こんな状況だというのに、私としたことが」
そう言って拘束を解き、その手でポンポンと俺の頭を軽く叩く。
「事情は先ほどの電話でだいたい飲みこめている。……それで、あの子が――」
今度は俺の背後で茶碗を握り締めながら、緊張の面持ちを見せるシャルエッテに姉貴が視線を移した。
「ああ、彼女がその時に話した、魔法使いのシャルエッテだ」
「君がそうか……私は七次椿。諏方の姉で、今は一児の母でもあ――」
途中で言葉を止め、姉貴はするどい瞳でシャルエッテを見つめる。
「っ……!」
能天気そうなシャルエッテではあったが、さすがに姉貴の眼光で見つめられて警戒はしたのだが――、
「わきわき」
「姉貴、そろそろ自重しろ……」
手をわきわき握って今にも飛び掛らんとする姉貴のジャケットを、俺は呆れながら掴んでおく。
――そんな俺たちのやり取りを不安げに見つめていた娘に気づくも、俺は彼女に何も声をかける事ができなかった。
○
四人で食卓に座り、俺は先ほどの出来事を細かく姉貴に説明した。姪っ子の出したお茶を味わいながら、姉貴は疑った様子も見せずに話を黙って聞いてくれている。
俺があらかた説明をし終える頃に湯呑みのお茶を飲み干し、ようやく姉貴が口を開く。
「なるほど……悪意あってその結果に至ったのなら、事は楽に運べたのだろうが……人助けのお礼としての純粋な好意では、シャルエッテちゃんの全てを責めるのは難しいな。今回の件に関しては、お前にも否があるのは承知しているだろ、諏方?」
さっきまでのデレデレとした雰囲気から一転、真剣な表情で姉貴は俺にそう問うた。
「まあそりゃあ……いくら魔法を信じてなかったからって、ふざけた願いを言った事に関しては反省してるよ」
「そんな事ないですよ、スガタさん! 悪いのは……悪いのは全部わたしなんです……!」
俺をかばうように、シャルエッテは必死な表情でそう訴えてくれた。
「もちろん、君の行為を擁護するつもりはないよ、シャルエッテちゃん。お礼をすると言うのならできるかわからない事をやるのではなく、できる範囲での事をやるべきだったんだ。いくらお礼とはいえ、人間の肉体は軽々しく変えるものではないんだよ?」
「はっ⁉︎ はい……ごめんなさい……」
「……どうやら、反省はしているみたいだね。なあ諏方、提案なんだが、彼女をこの家で居候させるというのはどうだろうか?」
思いもしなかった事を提案されたからか、シャルエッテは戸惑いの表情を浮かべた。
「たしか彼女は、この世界で頼れる人物がいないのだろ? なら、彼女にはこの家にに住んでもらって、ここで諏方を元に戻す方法を探してもらう――互いに利のある提案だと思うが?」
「それは俺も最初から考えてたよ。いくら魔法使いだからって、帰る場所のない女の子を放っておくわけにはいかないだろ?」
姉貴の提案は実際に最初から考えていた事だった。
俺を治してもらうまでは彼女を監視下に置きたいというお堅い理由はもちろんあるのだが、それ以上にまだ年若い少女を露頭に迷わせるのはさすがに気分が悪くなるものだ。
「そんな……わたし、スガタさんに迷惑をかけたのに……」
「それとこれとは話が別だ。それに、勘違いするなって言ったろ? 俺を元に戻せるのは結局お前だけなんだから……に、逃げ出さないように、見張りしやすくするためだけなんだからな……?」
「いえ……それでも! すっごく嬉しいです!」
そう言って、シャルエッテは笑顔で俺に飛びついた。
「だぁ!? てめえまで、俺に抱きつくな――」
「――ちょっと待ってください!」
突如、先ほどから一言も発さなかった白鐘が、堰を切ったように声をあげる。
「なんで魔法があること前提に話が進んでいるんですか!? 叔母さまも叔母さまです! あんな怪しい二人組の話を真に受けるんですか?」
白鐘は俺とシャルエッテの二人を睨むように見回す。仕方のない事とはいえ、未だ娘が父親のことを信じてくれないのは少しばかり堪える。
「まあ、私の『仕事』の都合上、似たような奴と会う事もなくはないからな。諏方、お前やっぱり、自分の若い頃の写真を娘に見せていないだろ?」
姉貴のその問いに、俺は気まずげに頭をかく。
「いや……見せる機会がなかったというか、なんというか……」
「……そんな事だろうとは思ったよ。じゃなきゃ、白鐘ちゃんもお前のことをここまで疑わないだろうしね」
そう言って姉貴は、持参していたキャリーバッグから黒い手帳のようなものを取り出し、そこから一枚の写真を「ほれ」っと白鐘に渡す。
「ちょっ!? なんの写真だ、ソレ!?」
「お前が高校時代に私と海に行った時の写真だ。なんだ、恥ずかしいのか?」
ニヤニヤとからかうような視線から目をそらす。
白鐘が手にした写真を覗くと、たしかに俺と姉貴が一度だけ海水浴に行った時の写真だった。黒いビキニを着て笑顔でピースしてる姉貴の横で、不機嫌そうな俺の顔がそっぽを向いていた。
白鐘は写真と俺を交互に見比べている。
「……たしかに、写真に映っているのは目の前の人と同じ姿ですけど……写真の男の人が、お父さんになるとは思えません。お父さんなんて、ただの髪の薄いオッサンだし……ていうか、若いお父さん背小っちゃ」
「おい待て、なんかさりげなく罵倒されてねえか? あと背の事は言うなちくしょう」
「たしかに。いくら可愛い弟とはいえ、見た目がオッサンだと抱きつくにも抵抗がある」
「抱きつく気はあったのかよ」
「わたしも! ツバキさんがお姉さんだと聞いてビックリしました! だってツバキさん、スガタさんよりもすっごく若く見えるんですもん」
「フフ、お世辞でも嬉しいよ、シャルエッテちゃん」
「もう勘弁してください……」
女性陣の容赦のない言葉に、心が斬り裂かれてしまいそうです。
――ちなみにシャルエッテの言う通り、姉貴は俺よりも年上とは思えないほど若く見える。シワのない顔といい、つるんとした肌つやといい、どう見たって二十代前半である。俺からしたら姉貴も立派な魔法使いだ。
「……とにかく、これだけじゃとても目の前にいる男の人がお父さんだとは思えません」
白鐘は写真を姉貴に返し、なおも意見を変えないでいた。
「まあ、一般人の反応としては正解だね」
どうしたものかと、姉貴はしばらく思案し始める。
「……ねえ、シャルエッテちゃん。もしよければだけど、何か簡単な魔法を披露してもらえないかな?」
「えっ、魔法をですか?」
突然姉貴から提案を振られ、シャルエッテは戸惑いの表情を見せる。
「白鐘ちゃんの意見の根本として、まず魔法の存在の否定から入っている。それなら君が魔法を見せてあげれば、彼女もきっと納得してくれるかもしれないよ?」
姉貴に笑顔で視線を向けられて、白鐘は気まずげに目を伏せた。
「でもわたし、魔法使いとしては落ちこぼれで……何を披露すればいいのか」
シャルエッテは自信なさげに声を細める。
「――やらずに諦めてたら、何もできなくなる」
「……えっ?」
「河川敷でお前が言った言葉だろ。もう忘れたのか?」
シャルエッテはその時の自分の言葉を思い出してくれたように、表情に自信が宿り、力強くうなずく。
「そうですよね……! わたしも魔法使いの端くれ……魅せられるような魔法は少ないですが、シャルエッテ・ヴィラリーヌ、恩人であるスガタさんのために精一杯頑張ります!」
勢いよくイスから立ち上がり、決意を固めるように、彼女は杖を強く握り締めたのだった。