第2話 黒澤諏方の華麗なるバイト
「いらっしゃいませ! 何名様でいらっしゃいますか?」
「お席の方にご案内いたします」
「お子様用のキッズチェアをご用意しますね」
「本日の日替わりランチは、こちらのチーズ入りハンバーグになりますね」
「歯が弱い方でしたら、こちらの豆腐ハンバーグをおススメしていますよ」
「私のおススメですか? でしたら、当店のカレーは絶品ですよ!」
「こらー、ボクー? お店の中で走ったら危ないよ?」
「はい! でしたら、こちらのセットはですね――」
お昼時のファミレスは、さながら戦場のようであった。
その戦場にて、何人かのウェイトレスが駆け回っていたが、その中に一際目立つ、銀色の長い髪をたなびかせる男がいた。
男の動きには一切の無駄がなく、なるべくお客様を待たせないようにと、来店時対応や注文受け付け、配膳やお会計に至るまで、出来る限りの最短ルートを計算しながら、汗一つかくことなく動いていた。さながら、その動きは踊り子のようだと、誰かが言った。
「はあぁ……今日も黒澤くんは素敵ね……」
「わざわざ隣町から来た甲斐があったわね……!」
「キャー! 黒澤くん、私の注文もお願いよー!」
黒澤諏方は、自宅からバイクで数十分の距離にある市内のファミレスにて、一週間ほど前からバイトを始めていた。
飲食店での接客業は初めてであったものの、長年営業職を務めていた経験もあってか、業務内容もすんなりと体に馴染んだ。人並み以上の体力も手伝い、たった一週間で大抵の先輩以上に、多くの仕事を苦もなくこなせるようになっていた。
その仕事ぶりや、銀色の長髪というワイルドな風貌ながらも、疲れを一切見せない爽やかな笑みは瞬く間に、暇を持て余した近所のおば様たちのハートを射抜いてしまっていた。
今も混雑するファミレス内は、おおよそ三十代以上の女性や子連れの母親などが、客層の大半を占めている。彼女たちが座るその席に、ウェイトレス服の諏方が注文や料理を運びにくる度に、小さな歓声が沸き上がっていた。
「んふふ……新人の彼、よくやってくれてるみたいね」
店内を忙しなく駆け回る諏方を、腕を組みながら眺める一人の男。諏方と同じウェイトレス服を着込んだその体つきは、どちらかというとプロレスラーと見まごうような筋肉質で、上方向に伸び上がった髭が特徴的な大男であった。
「心渇ききった主婦たちのハートを鷲掴みにした笑顔をたたえながら、動きに一切の無駄を見せない……ずいぶんと有望な新人ちゃんを連れてきてくれたじゃなぁい、天川ちゃん?」
「フフフー、紹介料は弾んでもらいやすよ、店長?」
店長と呼ばれた大男の後ろから、メイド服に近いデザインの女性用ウェイトレス服に身を包んだ天川進が、わるーい笑みを浮かべながらひょっこりと出てくる。とある理由で、アルバイトを探していた諏方に声をかけたのが、他でもない彼女であった。
ちょうどこの店では、朝昼勤務のアルバイトが一人やめてしまい、スタッフの補充に店長が困っていたところだった。面接もそこそこに、諏方は即日採用され、本人も戸惑い気味になりながらも、仕事内容の吸収も早く、それらを即座にこなせるようになった彼は、まさに店にとってはこれ以上ないほどの即戦力となったのだ。
そして、わずか一週間で彼は、このファミレスの名物ウェイトレスとなり、近所はもちろん、噂を聞きつけて彼を一目見ようと、隣町からわざわざ来る客がいるほどの人気ぶりだった。
「最初はガサツそうな子だと思って、あんまり期待していなかったのだけれど……なかなかどうして、良くやってくれているじゃなぁい。よくあんな子を見つけてくれたわね?」
「そりゃまあ、四郎くんには陸上部の雑務を押し付け――コホン、積極的に働いてくれているので、彼なら間違いないと思っていましたよ」
「うふふ……それにしても、あの低身長からは想像できない、ウェイトレス服の下に隠されたしなやかなで美しい筋肉……私も思わずウットリしちゃうわぁ」
オカマ口調の店長は、赤くなった頬に手を当てながら、客である奥様方と同様に、諏方の働く姿を恍惚の眼差しで見つめる。
「すいませーん、注文お願いしまーす」
もちろん、店内は主婦の方々だけでなく、普通に昼食を摂りにきた男性客たちもいた。
「あらやだ。私たちもテキパキ働くわよ、天川ちゃん?」
「了解ッス、店長!」
ピーク真っ只中のファミレスは、さらに多くのウェイトレスたちが店内を駆け回り、客たちの話し声も混ざり合って、騒々しさを増していった。
カーン――!
騒がしい店の中でも聞き取れるほどの衝撃音と、甲高い金属音が重なり、直後に店内のあらゆる音が静まっていく。
「――おい! こっち来い、そこのウェイトレス!」
静かになった店内を、今度は耳障りな怒号が響き渡った。
日差し差し込む窓際の一席に、声の主は足組みをしながら座っていた。くたびれ気味なスーツを羽織ったパーマヘアーの中年男性は、自身の苛立ちをアピールするかのように、スプーンでテーブルを何度も叩いていた。鈍い金属音としわがれた怒鳴り声も重なり、店内の客も店員も、皆が萎縮してしまっている。先程までの騒がしげながらも和やかな雰囲気は、あっという間に冷え切った空気に支配されてしまった。
「店長、あの人……」
「ええ……またあのクレームおじさんね」
中年男性は、この店の常連客の一人ではあったが、ある事ない事を喚いてはクレームと称して、店員を何度もいびりちらしている、有名なクレーマーだった。
そのやり口も汚く、些細なミスを大袈裟に語る時もあれば、やっていないミスをでっち上げてクレームをつけるという事も何度もあった。それも、反論できるほどの証拠を挙げられない内容ばかりで、店員たちは心当たりがなくとも、泣く泣く謝罪せざるを得ない事態にまで追い込まれてしまう。つい最近やめた店員も、彼の標的となって精神的に追い込まれたのが原因だった。
質が悪いことに、この男性は金銭的解決を要求した事は一度もなく、ある程度怒鳴り散らせばそれで満足するタイプである事と、クレーム内容には時折真実が混ざる事もあるため、警察の協力も借りにくく、泣き寝入りしなければならない事がほとんどであった。
「こっち来いっつってんだろ! おい、そこの銀髪のにーちゃんだよ!」
男が自ら指を差して指名したのは、ちょうど対角の席に料理を運び終わったばかりの黒澤諏方であった。
接客業での新人は大抵、こういうタイプの客の対応に慣れている者は少ないため、新人アルバイトである諏方は、まさにかっこうの標的であった。
諏方は一瞬真顔になりながらも、すぐに笑顔に戻って中年男性の方に駆け寄った。
「お客様、何か問題などがございましたでしょうか?」
努めて明るく対応する諏方に対し、男は自分の前に置かれたコーンスープの入った皿をスプーンで指す。
「にいちゃんよー、この店は、コーンスープに髪の毛でも入れるレシピでもあんのか? ああ?」
男がスープにスプーンを入れると、中から一本の髪の毛が掬い上げられた。短めの縮れ毛で、見た目は中年男性のものと同じ髪質である。
「うっわぁ、最悪……あれ、絶対あのお客さんの髪っすよ、店長。ウチのキッチン担当に、パーマの人いませんもん」
「そうねえ……。でも、あの髪の毛がお客さんのものと証明する術がない以上、私たちは平謝りに徹するしかないわね」
下手に指摘すれば、男性の態度を逆撫でしかねない。これ以上の騒ぎになるのは、店にとってもマイナスにしかならない事だ。
店長はため息を一度吐いた後、間に入って謝罪に出ようと動く。
「――大変申し訳ございませんでした!」
弛緩した空気を振るわせるほどの大声に、その場にいた全員が気圧し、店長も動きを止めた。さらには、頭を叩きつきかねないほどの勢いで、諏方は中年男性の前で土下座をしたのだ。
「……なっ」
今までのクレーム相手とはあまりにも違う対応の仕方に、クレーマーも一瞬怯んでしまった。
「そちらのスープはお取り下げし、新しいスープをお出しさせていただきます! もちろん、お代の方はけっこうです!」
土下座の態勢のまま、諏方はさらに声を張り上げる。謝罪内容そのものは真っ当であり、自然とクレーマーの追撃を躊躇わせた。
「おっ、おう、そうか……。まっ、まあ、俺ぁ優しいからよ、言うべきか悩んだんだがなぁ。他の客のためを思って、代表して口出ししてやったんだ。……反省してるならそれでいいし、金もちゃんと払――」
「いいえ! それだけではダメです!」
おもむろに立ち上がると、諏方はスプーンに乗ったままの髪の毛を取り上げた。
「あっ、ちょっ――」
「お客様に召し上がってもらうための大事な料理に、不純物を入れたままお出しするなんて、決して許されるべき事ではありません! つきましては、この私が責任を持って、この髪の毛の持ち主を探し当ててみせます!」
「…………はいぃ!?」
今度こそ、予想だにしていなかった提案を持ち出されてしまい、クレーマーはさらに頭が混乱してしまった。
「いやいやいや!? 誰もそこまでしろとは言っていない! おっ、俺は店が謝ってくれればそれで――」
「いいえ! ここで犯人を特定せねば、その者への罪は雪がれず、また同じ事を繰り返す原因にもなりかねません! …………それともお客様? もしかして、犯人に心当たりでもあるのですか?」
「ギクッ――!?」
思わずドキッとし、男は本来蔑むべき目の前のウェイトレスから目を逸らしてしまう。ジーっと彼に見つめられ、気づけば男の方が追い込まれる立場となっていた。
「……しっ、知るかそんなもん! だいたい、どうやって髪の毛の持ち主を見つけられるっつうんだ!? テメエらの厨房には、監視カメラでもあんのか?」
立場を元に戻そうと、再び語気を荒げるクレーマー。それに対し、先程まで真剣な表情を見せていた諏方が、また元の営業スマイルに戻る。
「いいえ、このお店のキッチンに監視カメラはありませんが、私の知り合いに、警察の鑑識を仕事にしている方がいます。その方に頼めば、この髪の毛のDNAを採取し、持ち主も特定できるでしょう」
自信満々にそう語る銀髪のウェイトレスの言葉に、クレーマーの中年男性は顔から血の気を引かせた。髪の毛の持ち主がわかってしまうと、それは中年男性にとって、あまりにも都合が悪い事態になってしまうのだ。
今まで彼のクレームに対し、反論しようとして下された相手は数知れない、いわば、彼はプロ級のクレーマーだった。
些細な事実を大袈裟に相手に突き付け、そうでない虚実はさも事実のように語り、相手にあるはずのない罪悪感を抱かせ、反論の余地をなくさせる。警察が動くほどの事態になりかけた時は、こちらから引く姿勢を見せる。
こうして彼は、自身が勤めている会社の激務の毎日への一時の癒しとして、あらゆる店にクレームを起こしてきた。
しかし、目の前の彼のように、真っ向から対抗するのではなく、搦め手でこちらの穴を掘り起こそうとする相手は初めてだった。
「――くそっ!」
完全に冷静さをなくしたクレーマーは、諏方を払い除け、その場から走り出してしまった。
「ええい! こんな店、二度と来るもんか!」
捨て台詞を吐き、そのまま出口の方へと向かおうとする。
「――あれなら食い逃げって事で、警察に突き出せるわね!」
店長がクレーマーを追いかける態勢に入る。
「お客様ぁあ――――!」
再び諏方が大声をあげ、クレーマーと店長、二人の足が止まってしまった。
「……財布、落としましたよ?」
「えっ? なっ――」
銀髪のウェイトレスが手で揺らしている黒皮の財布を見て、男はスーツやズボンのポケットをまさぐり、彼の持っている物が自分のものだと改めて気づくと、その場でへたり込んでしまった。
「おっ……俺のサイフをかえせぇ……」
「もちろんですとも。――ですが、その前にスープ以外のお代はお支払いしていただきますよ、お客様?」
トドメの一言を突きつけられ、クレーマー暦十数年の男は、初めて完膚なきまでの敗北を味わったのだった。




