第1話 魔法探偵リリカル・ドイル
凄惨な殺人事件が起きた洋館の一室。中央には死体。そのそばには黒タイツに身を包んだ謎の人物。その周りを警察が取り囲むも、彼らは皆苦虫を噛んだような表情で、黒タイツを睨むばかりで、その場からは動けなかった。
『ガハハ! どうやら、ワタシの仕掛けた密室トリックが解けないようだな?』
『くそっ! このままでは……事件は迷宮入りしてしまう……』
『フハハ! 諦めろ、人間ども! このワタシが三日三晩考え抜いた最高のトリックだ! この謎を解ける者など、誰もいやしないのだア!』
『そこまでよ! 怪人黒タイツ!』
『こっ、この声は!?』
突如、シリアスな現場にはあまりにも似つかわしくないポップなBGMと共に、警察の波を掻き分けるように、一人の白いセーラー服姿の少女が現れた。
『きっ、君は!?』
そばに立っていた若い警官に、少女は目配せをした後、どこから取り出したのか、キラキラしたダイヤの付いたステッキを振りかざす。
『ディテクティブ・メイクアップ!』
掛け声を上げた後、背景が突然カラフルになり、少女の体を光が包み込む。そして光が弾けると、少女の服装がセーラー服から、ピンク色の探偵服へとチェンジした。
『魔法探偵リリカル・ドイル! 名探偵だったおばあちゃんの名にかけてー、犯人をお仕置きだよ!』
○
「――お仕置きですぅ!」
画面内の主人公と動きをシンクロさせながら、シャルエッテはソファを挟んだ先の食卓に座る俺に向けて、魔法のステッキ代わりにケリュケイオンとやらの杖を振り回し、アニメ内の少女と同じ決めポーズを華麗に披露してくださった。
「どうです、どうです!? カッコよかったですか、スガタさん!?」
「あー……うん。カッコイイカッコイイ」
「反応が薄いですぅ!」
俺の返答に不満げなシャルエッテは、ブーブー唸りながらソファに突っ伏す。
「しょうがねえだろ? 毎回毎回同じようなポーズを見せられたら、いい加減こっちも飽きるってもんだぜ」
呆れ気味にそう零しながら、俺は朝食のトーストを一齧りする。
――川で溺れていた少女を助けて、彼女の魔法によって若返ってから一ヶ月。最初こそ、いろいろとドタバタしていたものの、普通の人間の人生としてはありえないような日常にも、すっかりと慣れ始めてきていた。我ながら、自身の適応能力の高さを褒めたくなってくる。
俺の姿を元に戻す方法を探すために、我が家で同居する事になったシャルエッテは、娘が幼少の頃にハマっていた子供向けアニメ『魔法探偵リリカル・ドイル』のDVDを観てから、すっかりのめり込んでしまい、毎日学校前に一話ずつ流すのが、朝の定例行事となってしまっていた。
このルーティンは、土曜で学校が休みの本日でも、とくに変わりはしなかった。
しかしこのアニメ、子供向けと謳うわりに、殺人事件の現場やら死体やらが妙にリアリティ高かったりと、放送終了から数年経った今観ても、ツッコミどころがありすぎる……。当時のPTAからの批判も多かったからか、一年放送予定が半年で打ち切られたという噂があるのは、ちょっとした余談だ。
「むぅ……スガタさんは、いまいちノリが悪いですぅ」
「まあ、俺はアニメとかあんまり観ねえからなぁ。……ていうか、俺を元に戻す方法に関しては、なんか進展とかねえのか?」
「はっ! ……はうぅ……」
お怒りプンプンだった彼女の表情が、一気に暗くなってしまう。
この通り、俺を元の中年男性に戻す方法は未だわからずじまい。一応は熱心に研究はしているみたいだが、彼女に貸した部屋は毎日のように爆発しては、魔法で修復される日々が続いていた。
「うぅ……お家に住まわせていただき、学校に通わせていただき、シロガネさんの美味しいご飯も食べさせていただいているのに……一ヶ月経ってなお、未だお力になれず、本当にごめんなさい……」
かるーく言ったつもりだったのだが、彼女には思っていた以上のダメージだったようだ。
「すまんすまん、今のはほんの冗だ――」
「――かくなるうえは……このシャルエッテ! 不肖ながら、切腹でお詫びするしか――」
なぜか渋めな泣き顔で、彼女は杖をお腹に当て始める。
「待て待て! お前はどっからその知識学んだんだ――」
「――お父さんが、シャルちゃんに任侠映画とか観せるからでしょ?」
コテン――っと、丸めた新聞で俺の頭を軽く叩きながら、薄手の白のブラウスの上にピンク色のエプロンを付けた愛娘が、呆れ顔でダイニングに入る。もう片方の手には皿が乗っていて、レタスを添えられたハムエッグがプルンプルンと揺れていた。
「しゃーねーじゃん。シャルエッテがホラー映画苦手っつうんだからよー、あとは俺の手持ちだと、任侠物しか見せるのねーんだもん」
俺は文句を垂れつつ、食卓に置かれたハムエッグを口に運ぶ。
「お父さんが持ってるDVDは、いちいちマニアックすぎるのよ。ホラー映画だって、知名度の高いメジャーなやつじゃなくて、B級って紹介されてるもんばっかだし」
白鐘がゲーム好きであるように、俺にも映画鑑賞という立派な趣味がある。といっても、映画館で連日満員御礼の超大作のような大衆向け映画ではなく、場末の小さな映画館で上映されているような、低予算ガッチガチなB級ホラー映画、もしくは恫喝罵倒飛び交うヤクザの抗争を描いた任侠映画が、俺の好みであったりする。
「バッカ、予算ばっかりかけて無駄に綺麗な映像に仕立て上げたホラー映画なんかよりも、演出やチープな映像表現で怖がらせにくるB級ホラーの方が、よっぽどリアルな怖さを感じられるぜ。ストーリーはメチャクチャなのに惹きつけられるあの面白さをわかんねーなんて、人生損ってもんだぜ?」
「熱く語ってるところ悪いけど、シャルちゃんのトラウマ、再発してるよ?」
「えへへ……ドロタリアン……ドロドロゾンビぃ……あうぅ……」
「あー……すまん」
シャルエッテは体を震わし、小声で呟きながら、濁った瞳であさっての方向を見つめていた。
映像作品に興味を持ち始めたシャルエッテに、B級ホラー映画の中でも、比較的初心者にも見やすいゾンビ映画の名作『ドロタリアン』を観せたところ、終始リビング内を絶叫が飛び交っていたのも記憶に新しい。
ちなみに、白鐘はホラーに耐性自体はあるが、好みじゃないを理由に、なかなか映画鑑賞には付き合ってくれない。シャルエッテにドロタリアンを観せた時には珍しく同席してくれたが、シャルエッテの叫びようを見て「ですよねー」っと呆れ気味だった。
仁侠映画に関しては思ったより好意的なのか、こちらにはシャルエッテはよく付き合ってくれている。まあそのせいで、彼女がハマっているアニメと同じように、作中のシーンをよく真似したがるのも、少し困りものなのだが……。
「ああ、そういや、今日は進ちゃんも入れて、三人で出かけるんだっけ?」
俺はハムエッグの黄身の部分を潰して、そこに醤油を垂らしながら、今日の娘達の予定を確認する。
「うん。お昼過ぎに原宿の予定。シャルちゃんのお洋服を買ってあげないとね」
確かにシャルエッテの服装は、学校の制服以外は、以前姉貴に何着か買ってもらってはいたが、それでも家の中ではローブである事が多い。
「このローブは、魔法使いの正装のようなものなので、無理に服を買い足さなくてもいいとは思うのですが……」
「だーめ。シャルちゃんも女の子なんだから、ちゃんとオシャレしないとね?」
実に女子高生らしい、外出目的であった。
「まっ、姉貴の買ってくれた服もそんな多くねえしな。サイズ的に、白鐘のお下がりは着れねえだろうし……」
特に、お胸の部分が――、
「どこ見ながら言ってるのかしら、おとーさん?」
「あっ、いや、なんでもないです」
慌てて目線を逸らす。娘の満面の笑み、ちょーこえー……。
「それよりお父さん、そろそろ時間やばいんじゃない?」
「おっと、確かに」
壁にかけられた時計の針を見て、俺は残った朝食を一気に平らげる。
「ごちそうさま」
「お粗末さまです。お皿は置いたままでいいから」
「助かる」
俺はソファの背にかけていたジーンズジャケットを羽織り、カバンの紐を肩にかけて、急いで玄関へと向かう。
「あっ、お父さん、今日は途中まで進ちゃんと一緒でしょ? 大丈夫だとは思うけど、一応原宿に行く件、よろしく言っといてね?」
「おう、わかった。シャルエッテも、白鐘と進ちゃん達からはぐれて迷子になるなよ?」
「了解です! いってらっしゃいです、スガタさん!」
「いってらっしゃい、お父さん。無理しないで気をつけてねー」
「おう! 行ってくるぜ」
そう言い残し、俺は玄関を開けて外に出る。
桜はすでに散り、少し強めの風と暖かな日差しが、もうすぐ季節が変わろうとしているのを、肌に告げてくれていた。
○
「ところでシロガネさん」
「ん?」
「スガタさん、最近お出かけする事が多いですけど、どこに行ってらっしゃるのですか?」
「ああ、聞いてなかったっけ? お父さん最近――――お仕事始めたのよ」