エピローグ 桜の樹の下の約束
「いやぁ~、スガタさんとシロガネさんを見ていたら、学校というものにどうしても行きたくなってしまいましてぇ……ツバキさんにお願いしたんですよ!」
予想通り、元凶は他でもない我が姉だった。
俺と白鐘、そしてシャルエッテの三人は帰り道の、夕焼け色に染まる商店街を歩いていた。
「……それじゃあ、最近部屋でコソコソしてたのも、今日の準備のためだったの?」
呆れ気味に白鐘は、仲良くなっていたらしい少女に問う。
「……本当は、もう少し早くご報告したかったのですが、ツバキさんから、当日いきなり発表した方が面白いと言われまして……」
「姉貴ぃ……」
これは一発ぶっ叩いてやらない時が済まなくなってきたが、その対象が家にもいなくなってしまった以上、俺は行き場のない心境をため息と共に吐き出す事しかできなかった。
「それと、境界警察に許可をもらいに行ったり、人間界の学校とはどういう所なのかを、あらかじめ予習しておりました!」
爛々と輝く瞳を見せる魔法使いの少女。
「……んで? お前の本来の目的、忘れてないよな?」
その輝いていた瞳は一瞬で、暗い水底のように濁ってしまった。
「……だっ、大丈夫ですっ! 日々の研究は欠かさず頑張っているので、いつか必ず、スガタさんを元に戻せるはずですっ! …………多分」
「いや、そこは自信をもってくれよ……」
「あうぅ……そうですよね……スガタさんをこの状態にしたまま学校に行くなんて、やっぱりダメですよねぇ……」
さっきまでテンション爆上がりだった少女は、一気に意気消沈となってしまった。
「お父さん……!」
隣で歩いていた娘が、ジトーっと俺を睨みつけてくる。
「わりぃわりぃ、ちょっといじめすぎた。……シャルエッテ」
名前を呼ばれて、涙目で俺を見上げる少女。……さすがにちょっと、罪悪感を感じてしまった。
俺はコホンっと、一度咳払いした後、後ろ髪を掻きながら、
「……まあ、学校に通うことで、新しく視野も広がるだろうし……そこから俺を治すヒントも、見つかるかもしれねえな」
「スガタさん……」
「それに……何度も言うけどよ、お前には感謝もしてるんだぜ? お前が、俺をこの姿に戻してくれたおかげで、白鐘を救うことができたんだ」
「――っ! お父さん……」
再び隣の娘に目を向けると、彼女は赤くなった顔を隠すように、慌ててそっぽを向いてしまった。
白鐘は……俺にとって、何より大事な一人娘。その娘を救えたのは、もう二度と振るわないと誓ったこの力だった。……かつて、他人を傷つける事しかできなかったこの力を、今は娘を守るために、使う事ができたのだ。
白鐘を救えたのは、俺の力によるものだが、それを再び使えるようにしてくれたのは他でもない、あの時川で溺れて助けた少女の、魔法のおかげだったんだ。
「……まっ、だからよ……お前が俺を元に戻す方法が見つかるまで、俺は気長に待ってるよ。……改めてなんだが、それまではよろしく頼むぜ、シャルエッテ」
俺は立ち止まり、彼女に向けて手を差し出す。
彼女はその手を、数秒間見つめた後、涙目のままニッコリと笑って、
「はい……! こちらこそ、よろしくお願いします、スガタさん……!」
そう言って、俺の手をしっかりと握り返した。
その後、彼女は出かかっていた涙を拭い、いつもの元気いっぱいな笑顔に戻る。
「実は私、今日は二人のために、お料理をご馳走しようと思ってるんです!」
唐突な少女の提案に、俺も白鐘も戸惑ってしまう。
「私……ずっと皆様にはお世話になりっぱなしですし、ほんの少しでも、恩返しができたらなって……」
恐る恐る、こちらを窺うように見つめるシャルエッテ。
俺と白鐘は、互いにアイコンタクトで気持ちが合致してるのを確認し合った後、再び彼女の方に向き直る。
「それじゃ、今日はお言葉に甘えちゃおっかな?」
白鐘の言葉に、彼女は再び笑顔になると、小走りで突然近くの建物の影に入り、少しして杖に跨ったシャルエッテが空中へと飛び出した。
「ちょっ――!?」
シャルエッテの突発的な行動に、俺も白鐘も慌て顔で焦るも、商店街を歩く周りの人々は、浮遊した少女の存在に気づかないでいる。よく見れば、彼女の全身は半透明になっていた。先日見せたステルス魔法とやらで、俺と白鐘以外には見えないようになっているのだろう。
『それでは! 一足先に帰って準備しますね!』
そう言い残し、少女は猛スピードで、空中を飛び去ってしまった。
「……あいつに落ち着きって言葉はねえのか? まったく」
「あはは……」
少し呆れ気味ながらも、白鐘が笑顔を見せてくれた。
「っ……」
白鐘が中学に上がって反抗期を迎えてからは、ほとんど見なくなった彼女の自然体の笑顔。
――俺は、娘のこの笑顔をどこまで守りきれるだろうか……。
――娘の笑顔を、いつまで見守ることができるだろうか……。
自然と、拳を握り締めていた。
――もう俺は、大事な誰かがいなくなるのは耐えられない。
だからこそ、俺は――。
「――お父さん? 何ジロジロ見てんの?」
気づけば、娘が不思議そうな表情でこちらを見つめ返していた。
「――あっ、いや、なんでも……」
俺は思わず恥ずかしくなって、彼女から目線を逸らしてしまった。
「……あっ、もしかして、昨日お父さんの体拭いてたの、思い出してたの?」
いやらしい~って言いたげな笑顔で、俺をからかってくる。
「ちっ、ちげえよ! ……いやまあ確かに、体を拭かれてた時の感触や、気を失う前に顔に当たった感触とかは、その……気持ちよかったけどよ……」
「なっ――そこまで言えって言ってない!」
白鐘もその時を思い出してか、顔を赤らめて突っかかってきた。
「…………」「…………」
少しして、会話の内容に小っ恥ずかしくなってしまい、二人して静かになってしまう。
「……お父さん」
沈黙を破ったのは娘から。
「シャルちゃんが料理するのも時間かかるだろうし……たまには、少し遠回りして帰らない?」
「……おう」
俺たちは、未だ顔を赤らめたまま、商店街横の路地裏へと入っていった。
○
路地裏を通り抜けてからしばらくして、桜舞う河川敷へと到着するまで、俺たちは無言のまま歩いていた。
夕日はとうに落ち、夜の闇を外灯が照らし上げ、その光の中を桜の花びらが、雪のように舞い落ちている。川の方に視線を移すと、降り落ちた桜の花びらが、せせらぎの音と共に、ゆったりと川面を流れていた。
「っ……」
思い出すは数日前。この川で溺れていた魔法使いの少女を助けてから、俺の人生は激変した。
口から零した願いはきまぐれによるもの。何も本気で若返ろうだなんて、思ってたはずもなかった。
でも――もしかしたら、心のどこかでは、昔から抱いていた願望だったのかもしれない。
身体に不調を感じていたのは事実だ。四十過ぎれば、身体のあちこちが故障していてもおかしくはない。
戦える力が欲しかったのも事実だ。だが別に、当時と違って誰彼構わず喧嘩しようだなんて思っちゃあいない。ただ、どんな事があっても、娘を守ることのできる力は欲しかった。
だが何よりも――娘に近い年齢に戻ることで、俺は少しでも、娘を理解したかったのかもしれない。
年々、会話する時間が少なくなり、娘の心が離れていくのが怖かったのかもしれない。
だとしたら――シャルエッテに願った思いは、なんてエゴなんだ……。
「――ねえ、お父さん?」
ふいに、先程まで無言だった娘が話しかける。
「覚えてる? あたしが小学生の頃、髪の色で男子たちにイジメられてた時のこと」
「……ああ、まだ白鐘が小学生ぐらいだった時か?」
「うん。……その時、あたしが男子たちに石をぶつけられて、頭から血が流れちゃったんだよね。その後、いじめっ子たちが親と一緒に謝りに来た時、お父さんはその子たちを思いっきり殴り飛ばしちゃったんだよね」
「……そういや、そうだったっけか?」
「その後、今度は向こうの親が怒っちゃって、警察にも突き出されちゃって。……それでも、お父さんはこう言ってくれたよね――『俺の娘を傷つけた奴は、たとえガキだろうが大人だろうが、絶対に許さねえ!』って」
「あはは……あの後、すげー警察に怒られたっけな。……まさか、不良をやめてからも、警察の世話になるとは思ってなかったぜ」
「それでも……あたしにとってあの言葉は、本当に凄く嬉しかった。……お母さんがいなくても寂しくなかったのは、お父さんがずっと、そばにいてくれたおかげなんだよ?」
娘は桜の樹を見つめながら、どこか嬉しげにそう語る。
「あの頃から、お父さんはずっと……あたしのヒーローだったんだから」
少し小走りで、娘は俺の前へと回る。
「白鐘……?」
娘は何かを言いたげながらも、逡巡するかのような様子を見せたが、少しして、ゆっくりと問う。
「ねえ、お父さん……お父さんはこれからも……あたしを守るために戦うの……?」
「っ…………」
俺は……すぐには返事できなかった。
姉貴が城山市の魔法使いたちについては、白鐘には語っていないと聞いている。
それでも俺の雰囲気から、これからの事について、ある程度察してしまったのかもしれない。
不安そうな視線で、娘が俺を見つめ続けている。
「……あたしは嫌だよ。あたしのために、お父さんが傷つくのを見たくないよ……」
その言葉に、どれほどの勇気が込められていただろうか。少女の瞳には、今にも涙が流れそうなほどに潤んでいた。
「…………そうだな」
俺はゆっくりと、白鐘の目の前まで近づき、俺と同じ色の髪を、そっとかき上げた。
「お前に危険が及んだら、俺はこれからも迷わずに戦う。命だって懸けられる。親として、子を守るのは当然の事だが、何より……俺がそうしたいんだ」
「でも…………」
「――だけど安心しろ。俺は何があっても死なない。お前を守り続けるためにも、俺は何があったって、死ぬわけにはいかないんだ」
彼女の頭を優しく撫でる。
この前までは、俺の方が背が高かったのに、今は娘の方が高く、目線はどうしても、見上げる形となってしまう。
それでも、彼女は確かに俺の子供で、まだまだ守らなきゃいけない存在なのだと再認識する。
「だから……約束してほしい。――俺のそばを……離れないでくれ」
――両親も失った。――友も失った。――――妻も失ってしまった。
――もうこれ以上、大切な誰かを失うのはたくさんだ。
――エゴでもいい。それでも、願った力で娘を守る。
それが、若返った俺の義務であり、父親としての責務であり、何より――その全てをひっくるめて、俺の望みなのだから。
「……言ったわね?」
娘が、頭を撫でていた俺の手を握り締める。
「そこまで言ったからには、簡単には離れてやらないわよ? 大きくなっても、就職しても……あんまり想像できないけど結婚しても、意地でも離れてやらないんだから」
「結婚!? ……白鐘が……結婚…………うぅ」
「コラ! そこだけピックアップして落ち込まない! ……ともかく、お父さんがボケた時が来ても、介護は任せないさい。……そのかわり、お父さんも約束して。……お父さんも、あたしのそばから離れないって……」
握り締めていた手から、ほんの少しの震えが伝わってくる。
……ああ、そうか。
俺が娘を失うのが怖かったのと同じで、白鐘も、俺が戦うことで、目の前からいなくなってしまうのが怖いと思ってくれてたのか……。
ずっと嫌われていると思っていた。年頃の娘なのだからと、これも子供の成長なのだからと無理やり納得し、考えることを諦めていた。
――でも違った。娘も確かに、俺のことを思ってくれていたんだ。
ちくしょう。俺まで泣きそうになっちまうじゃねえか……。
なんとか涙を堪え、俺は彼女の手の震えを止めるように、力強く握り返す。
「……ああ、約束する。お前のことは、何があったって守りぬくし、絶対に、お前のそばから離れねえ……!」
風が吹く――。木々の桜が風に流され、まるで祝福するかのように、俺たちの周りへと降り注いだ。
桜の樹の下の約束――。
俺はずっと――ここでの娘との約束を忘れないだろう。
「……そろそろ帰ろっか」
「……おう」
手がそっと離れる。それでも……家へと向かって歩く俺たちの距離は、先程よりも少しだけ、近づいたような気がした。
○
「……なあ、白鐘。紫色の煙が出る料理って、何かわかるか?」
「……わかるわけないでしょ。ていうか、くっさ……」
俺たちは自宅の前に着いたものの、家の窓からはなぜか、奇妙な色の煙が漏れ出て、嗅いだ事のない異臭が漂っていた。
おそらく――というかどう考えても、シャルエッテの『料理』が原因だろう。俺たち二人は、頭を抱えてため息をつく。
もしかしたら、これが魔法界の料理というやつなのか――、
「――いやあああああ! また失敗しましたですうううううう!?」
家の中から、少女の叫び声がこだまする。
……どうやら、普通にダメだったっぽい。
「……シャルエッテのやつ、料理できたんじゃなかったのか?」
「……あたしを手伝ってくれた時は上手くやれてたんだけど、多分サポートはそつなくこなせるけど、自分でやるとダメなタイプね……」
「……俺の言いたい事、わかるよな?」
「……大丈夫。今すぐシャルちゃんを止めて、急ピッチであたしが作る」
白鐘は急いで玄関の方へと向かった。
「あっ、そうだ!」
ふと、玄関に入る直前に、娘が俺の方へと振り返った。
「そういえば、まだちゃんとした気持ちで、言えてなかったなぁって思って……」
「っ?」
未だに意図がわからず、戸惑っている俺をよそに、娘は一度コホンと咳払いすると、はにかんだ笑みを見せながら――、
「お帰りなさい――お父さん」
「っ…………」
――ここまで来るのに、あまりにも長い時間をかけた気がする。きっと、これからもつらい戦いが待っているかもしれない。
それでも――この笑顔を守るために、この日常を守るために――俺は戦い続けられる。
碧……お前の残してくれた宝物は、立派に育ってくれたよ。
娘の健気さに応えるように、俺も彼女と同じ笑顔を浮かべた。
「ただいま――白鐘」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
今回で『蘇る銀狼編』は完結となります。
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諏方と白鐘の物語はこれからもまだまだ続きます。
どうか、末永く見守っていただければ幸いです。
次回は新章『魔法探偵シャルエッテ編』をお送りします。
お楽しみに!