第4話 黒澤家突入作戦
「――ていうわけなんだ、信じられないだろうけど……うん……わかった。仕事忙しいだろうにわりぃな。ひとまず、家に帰って待ってるよ。それじゃ」
電話先の人物との話を切り上げ、スマホを切る。
自分の口調がすっかり若い時代の頃に自然と戻っているという事実に、俺は本日何度目かのため息を吐き出す。
スマホの画面に映し出された時刻は、すでに夜の九時を回っていた。
河川敷で魔法使いを名乗る少女を助けてから、すでに二時間以上が経っている。自分が本当に若返ってしまったという事実に脳が理解に追いつけず、現実を受け止めるのに時間がかかってしまったのだ。
黒澤家の夕食の時間は通常八時。すでに一時間もオーバーしてしまっている。
いつもなら仕事などで遅れる場合、スマホのメッセージアプリで俺から娘に連絡をしていたのだが、いろんな事が起きて頭がこんがらがっていたために、メッセージを送れたのもついさっきようやくであった。ちなみに既読は付けど返事はなし。これはかなりカンカンだ。鬼の形相で待っているであろう娘を思うと、すでに心が折れそうになる。
「ほえー、それがケイタイデンワというやつですか。話には聞いていましたが、実物を見るのは初めてです!」
隣りで俺が電話しているのをじっと待っていた白いローブの少女が、興味津々な様子でこちらの手元を見ていた。
「なんだ、スマホとか知らないのか?」
「わたしたち魔法使いは、通信魔法で連絡が取り合えるので、そもそもデンワというキカイを必要としないのですよ。お師匠様からお話だけは聞いていたので、どんな物かは興味がありましたが」
テレパシーは魔法ではなく超能力では? というツッコミは野暮だろうか?
「ところで、どなたとお話されていたのですか?」
「う~ん……まあ、こういう時頼れる万能助っ人――ってところかな?」
彼女の持つ杖と同じはてなマークを頭の上に浮かべながら、少女は首をかしげる。そこで互いの目線が合うと、少女は気まずそうに目を伏せた。
「……ごめんなさい。冗談とも知らずに、余計な事をしてしまいましたよね?」
本当に申し訳なさそうな声で少女が謝罪する。
「だから気にするなよ? 魔法のことを本気にしてなかったとはいえ、質の悪い冗談を言った俺にも責任はあるんだからよ」
あまり彼女が自分を追いこまないように、俺はなんとか宥める。
「それよりさっきも訊いたけど、本当に俺を元に戻す方法はないのか?」
「ない――というよりは、わからないと言った方が正しいですね……。そもそもわたしは、魔法使いの中では落ちこぼれの部類でして……若返りのような高等魔法を成功したのも初めてで、解除する方法もまったくわからないのです……」
先ほども何度か俺を元に戻す魔法を試してはみたのだが、残念ながら何の異変も起きなかった。
「じゃあ他の魔法使いに頼んで、俺を戻す事はできないのか? お前以外にも魔法使いってのはいるんだろ?」
「難しいと思います……この世界にわたしの知り合いはいませんし、そもそも一度発動した魔法を別の誰かの魔力によって干渉するのはほぼ不可能に近いのです……」
どうやら他の魔法使いに頼むのも無理らしい。本人は元に戻す方法がわからず、他の魔法使いでも無理だというのなら、俺はこの姿のまま元には戻る事はできないのだろうか……?
「うぅ……やっぱりわたしはダメダメの落ちこぼれで、こんなんだからお師匠様にも見捨てられるのですぅ……」
さっきまでの彼女のテンションの高さが嘘のようなへこみっぷりであった。いやまあ、この状況で目の前で落ちこまれても困るんだが……。
「……まあ、過ぎた事は仕方ないし、とりあえず俺ん家来るか?」
「……ふぇ?」
彼女はキョトンとした顔でこちらを見つめる。
「さっきお前、帰る家がないとか言ってただろ? これからどうするかを話すのもここじゃなんだし――」
グゥー……。
言い終わる前に、少女のお腹から空腹のサイレンが鳴りだし、恥ずかしそうに彼女はお腹を手で押さえる。
「……ま、メシぐらいは食ってけよ?」
なぜだか俺も恥ずかしくなって、照れ隠しに頭をかく。サラサラとした髪触りが手に伝わり、改めて自分が若返ったのだと再認識する。
「あ、あ、ありがとうございます! ありがとうございますっ!!」
涙を浮かべながら、頭を何度も縦に振って大声でお礼する魔法使いの少女。得体の知れなさは拭いきれないが、少なくともその純粋さは人間の少女と変わらないようだ。
「か、勘違いするなよ? この姿のまま、お前にいなくなられても困るから……な」
少しだけ意地悪く言ったつもりだったが、少女は気づかず笑顔でうなずいていた。そんな彼女を見ていると、これ以上責めるのも馬鹿らしくなってきた。
「――そういや、まだ名前訊いてなかったな?」
「あっ! そうでしたね。うっかりしてました、てへへ」
少女は一度深呼吸し、杖を両手に握り締めてこちらに会釈する。
「わたしはシャルエッテ・ヴィラリーヌ。気軽にシャルエッテと呼んでください!」
○
「――というわけで、わたしたち魔法使いは魔法界と呼ばれる、この人間界とは違う世界に住んでいるのです。わたしたちは門魔法と呼ばれる特殊な魔法を使って、この人間界に来る事ができます。といっても、ゲート魔法を使える魔法使いはかなり希少で、人間界にいる魔法使いも実数は少ないのですけどね。わたし自身も、お師匠様のゲート魔法でこちらに送られたのです」
俺はシャルエッテと名乗った少女と共に自宅へ向かっていた。家までは河川敷からまだ若干距離があるので、彼女や魔法使いの事について、いろいろと聞き出していたのだ。
「そのお師匠様って奴に、なんでこんな所に送られたんだ?」
「まあ、そのぉ……先ほども言ったのですが、わたしって落ちこぼれで……お師匠様から知らない世界でいろいろなものを見て経験してこいと追い出されてしまったのです……」
「んで、そのゲートなんたらっていう魔法で、出てきた先がさっきの川だったと?」
「よくわかりましたね! スガタさんは博識なのですね?」
正直、話の半分も理解していないのだが。
ちなみにシャルエッテが俺の名を知っているのは、先ほど彼女が名乗った際に俺も名乗り返したからだ。なんかイントネーションがおかしい気がしなくもないが。
この歳になると――外見から説得力は失われているが――下の名前で呼ばれる事も少なくなるので、ちょっぴりこそばゆかった。
「ところで、魔法使いってのはホウキにまたがって空を飛ぶイメージがあるんだが、その杖を使って同じように飛べないのか?」
「う~ん……わざわざまたがる必要はないといいますか、魔法使いにとって飛行魔法は初歩中の初歩なので、杖を使わずとも飛ぶ事はできますよ? ケリュケイオンは術者の魔力増幅や、複雑な魔法の媒介として使いますが、中にはケリュケイオンを必要としない魔法使いも多いので、これ自体はそれほど重要なアイテムではないのですよ」
「ふ~ん……じゃあさあ、さっき川に落ちた時も魔法使って飛べばよかったんじゃねえの?」
「…………あっ」
しばらくの沈黙。
「それは盲点でした! もしかしてスガタさんは天才なのですか!?」
うん、わかった。この子バカの子だ。
とまあ、そうこう言っているうちに、やっと自宅の前にまでたどり着いた。家のそばに立つ大きな木が、桜を散らしながら俺たちを出迎えてくれている。
……思えば、今日はいろんな事が起きすぎて、ここに来るまでに寿命を半分縮めた気分だ――いや、正確には伸びたのか?
「ほえ~、人間界の家はけっこう大きいのですね?」
「まあ一軒家だからな。二人で住むには少し広い気もするが……。さて、ここからがある意味最初にして最大の難関だ」
自宅前に到着したはいいが、俺はまだ中に入る素振りを見せない。シャルエッテは隣でオロオロと戸惑いながらも、しばらく無言の時間が流れていく。
そして――、
「……よしっ!」
少し逡巡した後、自分に気合いを入れるために声をはり、家の呼び鈴を鳴らす。しばらくすると、チェーンを繋ぐ音が聞こえて玄関がわずかばかりに開いた。
「……はい、どちら様ですか?」
「っ……」
もはや懐かしさすら感じさせる愛娘の顔が玄関の隙間からちょこっと見えて、荒みきった心が安堵感に満たされる。
「えっと……信じられないかもしれねえけど――」
俺は胸に手を当てて深呼吸し、満面の笑みを娘に向ける。
「パパだよ」
ガチャ――っと即行で玄関が閉められる。ご丁寧に鍵とチェーンをかける音まで聞こえた。
「すみません、勧誘ならお断りしていますので」
「……ですよねー」
そう。とある事情で俺の若い頃の姿を知らない娘には、この姿で帰ってきたところで不審者扱いされしまうのだった。
「ふぇ!? 締め出されてしまいましたよ?」
「……いや、むしろこの姿の俺にパパって言われて、普通に家に入れたらそれこそ問題だけどな? パパは娘の防犯意識の高さに心底安心しましたよ」
とはいえ、いつまでも玄関前にいたらそれこそ本当に不審者だ。どうすれば家に入れたものか……。
「あのぉ……鍵を使うのはダメなんですか?」
「鍵はあるんだが、この姿で鍵開けて入ったら本気で警察沙汰になりかねん。チェーンもかけられちまったしな」
いろいろと考えてはみたが、やはり説得以外に方法はなさそうだ。
「お~い、しろがね~。信じられないかもしれないが、俺は黒澤諏方。正真正銘、お前のお父さんなんだよ~」
少し大きい声で呼びかけると、娘はまだ玄関前にいたのか、すぐに返事がきた。
「いい加減にしてください! 警察呼びますよ⁉︎ ていうか、なんであたしとお父さんの名前を知ってるんですか!?」
しまった――っと頭を抱える。たしかに見知らぬ少年が父親の名前を知っていて、しかも自分をパパだと自称するなど、娘にとっては恐怖以外のなにものでもない。これでは彼女の疑念が膨らむだけだった。
どうしたものかと再び考え、そしておれは最終手段に出るべきだと判断した。本当は使いたくない……ひとたび使えば、神の怒りを招く事態になるかもしれない、まさに最終手段。
……それでも今は、この手以外に自宅に入る方法が思いつかなかった。このまま本当に警察を呼ばれるよりかは幾分かマシだろう。
「……シャルエッテ、俺は魔法使いじゃねえけど、この扉を開ける魔法の呪文を知っている」
「ほぇ?」
「だがこの呪文は……唱えるのに命を懸ける必要があるんだ」
「命!? そんな危ない事はしちゃダメですよ!」
「止めるな、シャルエッテ! 男にはな……命を懸けてでもやらなきゃいけない時があるんだ! だから万が一の時は……屍は拾ってくれよ?」
「そんな!? やめてください、スガタさん!」
俺は彼女の制止を振りほどき、再度胸に手を当てて深呼吸。そして、先ほどよりももっと大きい声で――、
「黒澤白鐘は! 中学の時に一度だけ! 大好きな桃水の飲みすぎで! おねしょをした事がありまああああすッッッッ!!」
近所にも聞こえかねないほどの大きな声で詠唱した呪文。唱え終えると同時に玄関が思いっきり開かれ、娘が中からやっと出てきてくれた。
「おお! やっと開けてくれたブベ――」
白鐘は勢いよく俺に飛び掛り、きれいな跳躍から繰り出されたドロップキックを俺の顔面にお見舞いしてくれた。
「そぉれぇわぁ……誰にも言わないって約束じゃろがぁぁぁあああッッッッ!!」
俺の身体は勢いよく吹っ飛ばされて、背後にあった壁へと激突してしまう。
「きゃあ!? スガタさん!」
あわててシャルエッテが涙を浮かべながら、こちらに駆け寄ってきてくれた。
「――って、あれ? なんであなたがそんな事知ってるのよ? ……あなたいったい何者?」
娘は正気に戻ってくれたようだが、俺は痛みで意識が吹っ飛びかけていたのだった。痛い。