第48話 城山に集う者たち
「まことに申し訳ございませんでした」
リビングにて、ソファでふんぞり返る俺の足元で、姉貴が綺麗なフォームで土下座をしていた――いや、正確にはさせている、だな。
「……たくっ、なんで喋るなって言った事を、よりによって一番話してほしくなかった娘に喋っちまうのかなぁ?」
「いやぁ……私も雰囲気に呑まれてしまって、もう喋っちゃってもいいんじゃないかなあ~……なんて?」
「言い訳無用」
「はい……」
大人の女性が、高校生男子の前で土下座。傍から見れば、なんともシュールな光景である。自分がさせているとはいえ、こうも姉の情けない姿を見ていると、悲しさで泣きたくなってしまう思いだ。
「……まあ、姉貴が喋ってくれたおかげで、娘ともそれなりに打ち解けそうにはなってきたけどよぉ……」
「じゃあ、許してもらえ――」
「――結果論だけどな?」
「はい、すみませんでした」
「……はぁ。まっ、今回は姉貴の親切心って事で受け止めておくけどよ……次にあいつらに大事な話をする時は、せめて事前に相談してくれよな?」
「確かに……いくら可愛い姪っ子の頼みだったとはいえ、事前にお前から許可は取るべきだったな。私らしくもない、急いた判断だった。改めて謝罪しよう」
「……オッケー。そろそろ顔を上げてくれ」
「ふぅ……」っと、姉貴は緊張を息と共に吐き出した。
「いやはや、まさか私の人生で、土下座をする日が来る事になるとはな。しかも、実の弟相手に」
「……俺も、実の姉を土下座させる日が来ようだなんて、夢にも思わなかったぜ」
俺は娘に身体を拭かれていた途中で再び眠ってしまい、数時間後に目を覚ました時には、娘はすでに登校済み。彼女が着直してくれたであろうパジャマ姿のまま、腹が減って階下を降りると、姉貴がスーツケースに荷物を入れていたところに鉢合わせし、今に至る。
「……んで、その荷物を見るに、そろそろここを出るってところか?」
「うむ。……本当はもう少し、のんびりするつもりだったのだがな。諸事情で、組織内での部署が変わることになってね。引継ぎやらなんやらで、思った以上に早く戻らなければならない事になってしまったんだ」
「……それって姉貴が言ってた、境界警察ってやつが関わってるのか?」
「……まあ、そんなところだな」
姉貴が白鐘たちに、俺の過去を語った件を問い質す前に、加賀宮や仮也がどうなったかの話を聞かされた。当然、境界警察とか名乗る連中が、姉貴の所属している組織と関わっていた事も、知る事になった。
正直、俺は姉貴が所属している組織の事をよくわかってはいない。政府直属であり、表立ってはいけない裏の仕事を任されている諜報機関であるとは聞いているが、当然それ以上の事は姉貴の軽い口でも語られた事はない。
「っ……」
姉貴は、何故か俺の方をジーと見つめてくる。
「……はぁ。本当はこれ以上、お前に巻き込まれてほしくはなかったのだがな……。とはいえ、状況的にそうならないわけにもいかないか……」
「ん? 何の話だ、姉貴?」
姉貴の諦観した様子に、俺は要領を得られないでいた。そうこうしつつ、姉貴はジャケットの胸ポケットから、いつもの煙草を取り出して火をつける。
「……これから話す内容は、本来なら機密事項に触れるものなんだが……先のことを考えれば、お前には知ってもらっておいてた方がいいだろう」
少し迷いを含めつつも、その表情は真剣なものだった。
「あー……あえて聞かないという選択肢は?」
「……すまないが、白鐘ちゃんの身の周りの危険に繋がる話にもなる」
「……なら、聞かなきゃだな」
明らかに面倒な事になりそうだとわかりつつ、娘の名前を出された以上、聞かないわけにはいかなかった。
そもそも俺たち姉弟は、白鐘が生まれてからは、彼女が小学生の頃に数度会った程度で、ここ最近はほとんど顔を合わせていなかった。それは姉貴の仕事上、俺たち家族を巻き込まないようにとの配慮ゆえだ。そんな姉貴が渋々とはいえ、自身の仕事にも関わる話をするという事は、よっぽどの事情があってのことなのだろう。
「……まずは確認だが、私の所属する組織は、境界警察と協力関係にあるのは、先程話した通りだ。そしてつい先日、我が組織は境界警察との関係を強めるため、共同で魔法使い絡みの事件を捜査するチームを立ち上げた。……そのリーダーに、私が選ばれたのだ」
ため息が、煙草の煙を伴って吐き出される。
「境界警察曰く、ここ最近、人間界に来た魔法使いによる犯罪がかなり増えているらしい。そこで、今回のヴァルヴァッラ――仮也による、加賀宮家乗っ取り未遂事件を機に、人間側の情報操作能力などの助力を得た上で、魔法使い関連事件の捜査を行っていくとのことだ。……前々から計画はあったらしいが、どうやら今回の事件に絡んだ事で、数少ない魔法使いの存在を知る者として、私に白羽の矢が立ったと――そんなところだ。……まったく、面倒な事この上ない」
明らかに、イラつきの態度を隠せないでいる。普段、何事にも余裕を崩さない姉貴なのだが、今回の件については相当ご立腹らしい。
「……なんかすまねえな。元々は、シャルエッテに無茶言った俺が悪いだろうに、結果的に姉貴を巻き込んだ形になっちまって……」
「……お前が負い目を感じる必要はない。むしろ先程も言ったが、私の方がお前たちを巻き込む形になってしまって、それこそ申し訳ないと思っている」
「……それで、結局俺や白鐘にも関わる事ってのはなんなんだ?」
姉貴は煙を吐いて一拍置いてから、続きを話し始める。
「うむ。ここからが本題になるのだが、お前が眠ってる間に、チームのリーダーを任される事になった私は、境界警察のメンバーと会って、魔法使いに関しての情報をいくつか提供してもらった。……たくっ、ウィンディーナとかいう魔法使い『ほら、わたしの言った通り、一緒に行動する時が来ましたね?』なんて、嫌みったらしいことを、邪気のなさそうな満面の笑みで言いやがって……」
「姉貴ぃ……」
「おっと、つい愚痴っぽくなってしまった、すまない。――さて、先程は魔法使いの存在を知る数少ない存在として、私が共同捜査チームのリーダーに選ばれたと言ったが、理由はもう一つある。どうやら、人間界に来ている魔法使いの多くは――この城山市を潜伏場所としているらしい」
「はっ?」
さすがの俺も、思わず眉をひそめてしまう。
「おいおい……よりによって、何でこんな町に魔法使いが?」
「考えられる理由は二つ」
そう言って、姉貴は指を二本立てる。
「一つは、この町が元工業地帯だったということ。元々、工業で盛んだった城山市は、バブルが弾けたと同時に、多くの工場などの施設が打ち捨てられ、それらは廃墟となって、今も残っている。お前が仮也と対峙した廃倉庫も、その一つだな。……最も、あれは一応まだ加賀宮家が所有していたものだから、少し事情は違うが」
「……要は、魔法使いにとっちゃあ、この町は隠れる場所に事欠かないってわけか?」
「そういうことだ。仮也のように、人間の家に入り込んで悪事を働くタイプは特殊で、多くは廃工場などを拠点として、単独で活動しているようだ」
「……でもよ、確かに隠れる場所だけなら、この町にはいっぱいあるかもだけどよ、廃工場やらなんやらなら、他の町にだってもっとあるだろ? それこそ、地方のド田舎の方が、まだ隠れられる場所に困らなさそうなもんだが?」
「ごもっともだ。だが、魔法使いたちがこの町に集まる理由はもう一つある」
そして指を一本折り、人差し指を口元に当てる。
「……諏方、私たちが住む人間界と、魔法使いたちが住む魔法界。その最大の違いは、なんだと思う?」
急な質問を振られ、俺は首を傾げる。
「……知らねえよ? 行った事もねえんだから」
「まあ、私も行った事があるわけでもないので、あくまで境界警察から聞いただけの話になるが――答えは空気だ」
「空気?」
「どうやら人間界と魔法界では、空気の性質が大幅に違うらしい。まっ、酸素などの、呼吸に必要なものはほとんど同じとのことだが、最大の違いは、彼らが自然魔力と呼ぶ、空気中に含まれる魔力の濃度が違うようだ」
姉貴は煙草を持った手を揺らすと、空気中の煙も、ゆらゆらと揺らめきながら昇る。
「魔法使いは、自らの体内に蓄積している魔力とは別に、空気中に含まれるマナを利用して、魔法を行使するそうだ。そのマナが、人間界ではほとんど流れていないようで、魔法使いが人間界に来ること自体が、どうやら非効率的らしい。マナの少ない土地では、魔法の質が一気に劣化してしまうためだ。……だが、人間界も場所によっては、このマナが多く流れている土地もあるとのことだ」
「それが……この城山市なのか?」
姉貴は、煙草を口にくわえたまま頷く。
「本来、人間界でマナが多く含まれる土地というのは、人間の立ち入りが少ない、自然に恵まれた場所に多いらしいのだが……この城山市は、特別自然に恵まれているわけでもないのに、何故か大気が魔法界のものと酷似しているそうだ」
俺はため息をつきながら、痛む頭を抱える。
「……偶然にしちゃあ、ひでえ話だ」
「それがどうやら……偶然ではないかもしれないらしい」
頭を抱えたまま、視線を姉貴に向け直す。
「……どういうことだ?」
「……お前は仮也との戦いの際、彼が何を目的に、加賀宮家を乗っ取ろうとしていたか聞いたか?」
そう問われ、正直思い出したくもない仮也との戦いの記憶を探る。
「確か……魔女の宝玉とかいうのを探すために、人員と金が欲しかったとかなんとか――」
そこまで口にし、俺は何故この町の空気が、魔法界と似ているのかの理由に思い当たる。
「姉貴……まさか――?」
俺の表情を見て、何を言いたいのかを察して、姉貴も頷く。
「そう――まだ確定事項ではないようだが、おそらく、レーヴァテインはこの町のどこかにある可能性が高い」




