第46話 朝の挨拶
「…………んっ」
目を開くと、風の吹きすさぶ荒野から、見慣れた暗がりの天井へと景色が変わった。
頭が痛い――。鈍い痛みが脳内をグルグルと駆け回り、思考が定まらない。
ひとまずわかるのは、俺が自室のベッドで横になっている状態だということ。カーテンは閉じられているが、隙間から漏れ出ている光で、今が朝か昼のどちらかであるのはわかった。それ以上の情報を得るには、頭の痛みに慣れるのを待つしかない。必然、俺は起床時の体勢のまま、呆然と天井を見つめ続けた。
「…………また、葵司の夢を見たのか」
思い出されるは、先程まで見ていた夢の内容。
今になって、あの男の夢を見てしまった事実で気恥ずかしくなってしまう。それでも、どこか自分の中で燻っていたモヤモヤが晴れたような、そんな気がした。
「いつつ……」
思考が少しまとまったところで、まだ眠気でまどろむ頭を覚ませるために、とりあえず上半身を起こすも、響くような痛みが全身へと走る。
この部屋に至るまでの曖昧な記憶をなんとか呼び起こすために、まずは深呼吸を一つ。
覚醒し始めた頭で、脳に覚えてる限りの記憶の映像を再生。そうして、娘を助けるために魔法使いと戦った後、加賀宮をぶん殴ったところまではなんとか思い出せた。
着ていたパジャマの襟を引っ張り、自分の身体全体が包帯で巻かれているのを確認。
俺がこうして、自分の部屋で寝ていたところを見ると、騒動はひとまず落ち着いたと思っていいのだろうか?
「すぴー……すぴー……」
――ふと、ベッドの横で、自分以外の誰かの寝息と共に、ブランケットが上下している事に気づいた。
「……誰かが、俺のベッドで寝ている? ……はっ! まさか……白鐘が添い寝してくれてるのか……?」
……いやいや。口にはしたものの、あの娘が俺相手に添い寝なんてしてくれるわけがない。
そりゃあ、小さい頃は同じ部屋で一緒に寝てたし、小学生に上がっても時々、寂しそうに俺の部屋に来ては、一緒に寝てあげることも多かったけど……中学生になってからはそんな事、一度もなくなってしまったし……でもでも! もしかしたら俺を看病するために、体温調節とかなんとかで、一緒に寝てくれている可能性も……。
「…………ゴクリ」
俺は恐る恐る、隣で寝ている誰かを覆い隠しているブランケットを、起こさないようにそっと引き剥がした。
そこには――なぜか天川進ちゃんが、心地良さそうに眠っていた。
「…………はい?」
置かれている状況に理解が追いつかない。なんで俺の部屋で、隣に住んでいるはずの進ちゃんが寝ているんだ?
「むにゃむにゃ……うーん?」
疑問は溢れども、誰も答えてくれないこの状況に呆然としていると、進ちゃんが目を覚ましたのか、ゆっくりと瞳を開いてこっちを見てくる。
「むにゃ……あー……おはよう、四郎くん」
まるでいつもそうしているように、眠たげな目を擦って、彼女は俺に朝の挨拶をする。
「あー……うん、おはよう。朝の挨拶は大事だな……でっ、今どういう状況なのか、説明してもらえるか?」
なんとか状況を整理しようと、彼女にそう問い質すと、なぜか進ちゃんは目を潤ませて、両手で顔を覆った。
「そんな! 昨日の夜は……あれだけ激しくしてくれたのに……」
…………はい?
「はああああああ!? いやいやいやいや、何言ってくれてんの君ィ!?」
目の前の少女の爆弾発言に、思わず大声を出してしまった。
「そうやって、一度満足したら女の子を捨てるなんて……やっぱり、四郎くんも男の子なんだね……」
「いやいや! マジでそんな記憶ねえからな!?」
俺が慌てふためいていると、突然進ちゃんが大声で笑い出した。
「アハハハハ! ごめんごめん、冗談だよ、ジョーダン」
あまりにも可笑しかったのか、ベッドを叩きながら彼女は笑い続けている。
「……勘弁してくれよぉ。言っていい冗談と悪い冗談があるだろ?」
「アハハ、ゴメンってば。熱出して寝込んでたっていうから、心配でお見舞いにきたら、ベッドがすごーく居心地良さそうだったんで……つい?」
「『つい?』じゃねえよ! 居心地良さそうだったからって、男が寝てるベッドで無警戒に入るか、普通?」
「うーん、それはごもっともなんだけど……四郎くんからはなーんか、諏方おじさんと同じ匂いがするから、ついつい安心しちゃうんだよねぇ」
「ギクッ……」
「ん? どしたん?」
「あっ……いや、なんでも……」
やっぱり、この子はどこか鋭いところがある。今のところはバレてないみたいだけど、彼女に対しては、もう少し用心せねば……。
「それより~……もっかい一緒に寝ちゃう?」
「……なっ!?」
またも意味深な彼女の発言に、思わず仰け反ってしまった。
「いやだな~。アタシは寝よ? って言っただけなんだけど……健全な男子の四郎くんは、な~にを想像したのかなぁ?」
ニシシと笑いながら、彼女は四つんばいのポーズで、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「冗談でもやめろっつってんだろ!? それにこんなところ、白鐘に見られでもしたら――」
「――誰に見られでもしたら困るって?」
――――ドアの方で、とてもよ〜く聞き慣れた声がした。
恐る恐る、いつの間にか開け放たれていたドアの方に顔を向けると、ニッコリ顔の白鐘が、何かを両手で持ちながら仁王立ちしていた。逆光のせいで、彼女の笑顔に陰りが出ていて、物凄く怖い。
「おと――四郎の様子を見に行こうと思ったら、大声がしたから慌てて来てみれば……ずいぶん楽しそうなこと、してるのね?」
口調はいつも通りだけど、明らかに声に怒気が篭っております!?
「ちっ、違うんだ、白鐘! これは、その、なんていうか……」
「そっ、そうだよ、白鐘! 四郎くんをちょっとからかってただけで、特にやましいことなんかしてないよ!」
さすがにマズイと思ったのか、進ちゃんも慌てて誤解を解こうとしている。
「…………ふぅ。ねえ進。今日は確か、陸上部の朝練があったよね?」
「えっ? 今日の朝練は休み――」
「――あっ・た・よ・ね?」
「はい、ありました。すぐに行ってきます!」
そう言うと同時に、進ちゃんはすぐさま俺のベッドから飛び上がり、華麗なスピードでカバンを手に取って、ダッシュで俺の部屋から脱出ようとする。
「あっ! そうそう」
部屋を出る直前にて、彼女は満面の笑みで、こちらに振り返った。
「四郎くん、もう三日も学校来てないんだから、体調よくなったらちゃんと戻ってきなよ? ……加賀宮くんも転校しちゃったし、あんたまでいなくなっちゃったら、ウチのクラスのイケメン枠が絶滅しちゃうからね?」
そう言い残して、彼女は猛ダッシュで俺の部屋をあとにした。
「……なんだったんだ、あいつ?」
まるで台風が過ぎ去った後のような気分だ。
「……ああ見えて、けっこうお父さんのこと、心配してくれてたんだよ? ……いいですねえ、お父様は。可愛い女の子にお見舞いに来てもらっちゃって、おモテになりますこと」
心底、こちらを軽蔑しているような冷たい目線で、俺のベッドのそばにまで娘が近づく。……待て待て、俺何か悪いことしたか?
気まずい空気の中、俺と娘は、しばらく互いを見つめ合う形となった。変な緊張で、身体中をダラダラと冷や汗が流れ出る。
その様子を見て、娘はため息をついた後、しょうがないなぁっといった感じの笑みを浮かべた。
「冗談ですよ、ジョーダン。……進ばかりがお父さんをからかうのも、ちょっと面白くなかったからね……」
「うおー……お前冗談とか言うタイプじゃないだろう? 心臓に悪いから勘弁してくれぇ……」
先程とは別の理由で、痛む頭を抱えて嘆息する。
「ごめんってば。あんまりにも女の子相手に情けないお父さんを見てたら、あたしもつい、ね?」
うー……今時の女子高生の悪戯心は、起床したてのオッサンには身が持たないぜぇ……。
「……とりあえずはおはよう、お父さん。朝の挨拶は大事、でしょ?」
「……そうだな。おはよ、白鐘」
いつもより少し優しめの声音で、朝の挨拶をする娘の微笑みに、俺は今更ながらに、彼女の無事を実感し、心が安堵で満たされた。
「――じゃ、とりあえず脱いで、お父さん」
「…………ホワッツ?」
――拝啓、天国の碧さん。どうやら俺は、娘の育て方を間違えたみたいです。