第44話 失ったものの先に
「デュアルタワービル占拠事件……?」
「……ああ。聞いたことぐらいはあるよね? 二十数年前当時、経済的に急成長を遂げていた桑扶市が、その繁栄を象徴するかのように建てられた双子高層ビル。このビルを、傭兵部隊によって構成されたテロ組織に占拠され、多くの被害を出した、大規模テロ事件だ」
不良同士の抗争の流れからは、あまりにもかけ離れた単語が飛び出し、白鐘は頭の中の状況整理に四苦八苦してしまう。
「……確かに、名前は聞いたことがありますが……なんでそんなテロ事件に、お父さんやお母さんが巻き込まれたんですか?」
椿は、続きを話すのに少しためらっているのか、煙草の煙を吐き出して間を空ける。
「ふむ……。この事件については当時、今の組織に所属したばかりの私も関わっていてね。機密事項が多くて、あまり詳細には語れないのだが……君の母親は、とある地主のお嬢様ってやつでね、その地主が関わる重大な会議中に、地主と対立していたグループに雇われたテロ組織に狙われてしまったのだ。碧ちゃんは、敵に捕らわれて人質となり、ビルはテロリストたちによって占拠されてしまった」
「お母さんが……人質に……!」
あまりにも非現実的な話。しかし、椿の語りは真剣なもので、それが現実に起こりえたことなのだと、いやでも納得をしてしまう。
「ビルが占拠されてから間もなく、私の所属する機関にも連絡が入り、すぐさま私を含めた殲滅部隊を編成。デュアルタワービル内にて、戦闘が開始された。デュアルタワービルは、私たち殲滅部隊と、テロリストたちによる銃撃戦によって、弾丸飛び交う戦地となった。……その頃の私は、まだ戦場での戦闘を経験はしていなかったが……あれは紛れもなく戦争だったよ」
戦争という単語は、椿という語り手から口にされれば、その意味合いも重さも変わってくる。デュアルタワービルでの戦いは、本当に激しいものだったのだろう。
「……ビル内部にいた一般人は、避難誘導によって、最低限の被害に抑えられたのは不幸中の幸いだった。――そんな激しい戦場の中を、銃器も持たずに踏み込んだ馬鹿者たちがいた。それが、三巨頭の三人だった」
「……お父さんたちが、お母さんを助けに行ったんですね?」
「そうだ。碧ちゃんが人質になったと聞きつけた諏方たちは、たった三人で、武装したテロリストたちと戦ったんだ。……本来ならば、あまりにも無謀な戦いとなるはずだったが、類稀なる喧嘩センスと、多くの修羅場を潜り抜けてきた彼らには、テロリストすら相手にならなかった。……その頃の不良同士の抗争は、数は少なかれど、暴走族時代すら超えるほどの激しいものだったと耳にはしていたが、さすがの私でも唖然としてしまったよ。だが同時に、彼らならばこの事態をなんとかできるのではないかと、希望を抱いてしまったんだ」
トクン――。
一音――白鐘の胸が高鳴った。
思い起こすは廃倉庫内にて、魔法使い相手に躊躇なく立ち向かった父の背中。
母を助けに行った父も、同じようにテロリスト相手に立ち向かったのだろうと想像すると、自然と彼女の心がときめいてしまったのだ。
「その後、諏方たちはテロリストたちを退けながら、ビルの中心部へと辿り着き、無事に碧ちゃんを助けることができた」
「……よかった」
冷静に考えれば、自身がこうして生まれている時点で、父と母は助かることを白鐘もわかってはいたが、それでも、話を聞いている間はどうしても緊張してしまっていた。
「そのままビルを無事に脱出して、ハッピーエンド――っと、いきたかったんだが……」
「えっ……?」
椿の声のトーンがまた一段と落ちたことに、白鐘は再度、不安が過ぎってしまう。
「……ビルには爆弾が仕掛けられていた。数箇所に設置された爆弾は、ビルを倒壊するのに十分な威力だった。さらに最悪なことに、脱出の最中、蒼龍寺葵司と園宮茜の二人は、共に敵の銃弾を受け、負傷してしまった」
「……じゃあ……二人は……?」
「……ビルの出口を目前にしたところで、四人はテロリストの残党たちに追いつかれてしまった。……そして、負傷のために全員では逃げられないと悟った蒼龍寺葵司と園宮茜の二人は……諏方と碧ちゃんを逃がすため、二人の盾になったんだ。そして……」
煙草の灰が落ちる。灰の山に埋もれた灰皿の上がさらに積もられ、ジュッ――っと火が燻る音が、嫌に耳に響いてしまう。
「……諏方たちの脱出直後、桑扶市の象徴だったデュアルタワービルは、蒼龍寺葵司たちや、残されたテロリストたちを飲み込み、崩壊した。……諏方は両親に続いて、今度は喧嘩相手を失うことになってしまったんだ……」
「そんな…………」
白鐘には、椿の語りだけでは、父と他の三巨頭たちがどれほどに関係が深かったかはわからない。それでも、大切な人を助けるために、共に死地へと踏み出した三人の絆は、決して浅いものではなかったはずだ。
――気づけば、自然と白鐘の瞳から、涙が溢れていた。
「……ひどいっ……いくらなんでも、あんまりじゃないですか……。お父さんの……親やお友達まで……なんでこんなに……お父さんの周りでいろんな人が死ななきゃいけないんですかっ!? ……なんでお父さんが……こんなつらい目に遭わなきゃいけないんですか……」
「シロガネさん……」
今まで黙って話を聞いていたシャルエッテは、悲痛に叫ぶ友人の手を握り締めることしかできなかった。
「……確かに、諏方の人生の大半は、失うものの連続だった。アイツの通り過ぎた道には、多くの死が積まれていった。……でもね、白鐘ちゃん」
椿は静かに、懐から携帯灰皿を取り出し、とっくに火の消えた煙草を仕舞いこむように放る。
「……失ってきたものは多かったけど、その先にはね……諏方はちゃんと、多くのものを得ることができたんだよ」
「…………」
椿が優しく諭しても、白鐘は悲しみで顔を上げることができなかった。
「……デュアルタワービルでの事件後、時間はかかってしまったが、二人は悲しみを乗り越えて、恋人同士として結ばれた。不良の黄金期も、二人もの強大な力を持ったトップを失い、終焉を迎えた。銀月牙は解散し、諏方は碧ちゃんと同じ大学に行くために、勉学へと励むようになった。元々、アイツは頭がよかったからか、少ない勉強期間でなんとか同じ大学に無事進学し、そして大学卒業後に二人は結婚した。残念ながら、彼女の親が二人の結婚に猛反対したため、私たちの両親と同じ、駆け落ちという形での結婚となってしまったが……二人は確かに、幸せそうであったと思うよ」
「でもっ! ……でも……お母さんも――」
「……そうだね。君のお母さんも、結婚して約一年で亡くなってしまった。ただ、さっきも言ったけど、君がそのことに責任を感じてはいけないし、後悔するのは筋違いだよ」
「……わかってます……でも……それでも……」
「…………」
白鐘の手が震えていた。
確かに椿の言う通り、白鐘を生んだのは彼女の母と父の決意であり、そこに彼女が負い目を感じるのは間違っていると、白鐘自身、頭では理解しているつもりだ。――しかし、それでも形としてみれば、諏方にとっては、子が母の命を奪ったようなものだ。
諏方が一切、娘に対してそのような憎しみなどを抱いていないのは、白鐘ももちろんわかっている。それでも――罪悪感は理不尽に、重石のように彼女の背にのしかかる。
「……お父さんの両親も、お友達も……お母さんまで失って……じゃあお父さんには、何が残ったって言うんですか……」
吐露される白鐘の思い。それを聞き、椿はなぜか微笑ましげな顔を見せる。
「……本当に、お父さんのことが大好きなんだね、白鐘ちゃんは」
予想外の椿の言葉に、白鐘は一瞬思考が止まってしまった。
「――なっ!? 今はそんなの関係な――」
「――諏方に限らず、人というのはね、誰しも得ることと失うことを繰り返す人生なんだ。親、友人、恋人――死ぬまで残り続けるものもあれば、長く生きれば生きるほど、失うものも多くなってゆく。――でもね、たとえそれらが失うことはあっても、残り続けるものはあるんだよ」
「それは…………何ですか?」
「思い出だよ――。諏方は確かに、両親や友、愛する者を失いはした。それでも、その者たちと共に過ごしてきた時間、経験、思い出は、アイツの中で今も生き続けている。思い出だけは、アイツの中で絶対に失われることはないんだ」
「思い出……」
「それにね、さっきも言ったけど、アイツは多くのものを失いはしたけど、その先にちゃんと、獲られるものはあったんだよ」
「……それは?」
白鐘の問いに、椿は穏やかな笑みを浮かべた。
「君だよ――白鐘ちゃん。諏方が多くのものを失ったその先に、君が生まれてくれたんだ」
「……っ!」
「……私は、君が生まれたその時に立ち会うことはできなかったが、その数日後、初めて君とお父さんの様子を見に行った時にね、眠っている君を胸に抱きしめながら、諏方は優しく笑っていたんだ。……その時に、私もようやく気づけた。――ああ、コイツの人生は、後悔だらけのものだったかもしれないけど、決して間違ったものではなかったんだって」
「……っ」
トクン――っと、再度胸が高鳴った。先程まで、彼女の背にかかっていた罪悪感が、ゆっくりと取り払われていくようだった。
「……でも、あたしはお父さんに何も……」
「そんなことはないさ。君が生まれてきたことが――君がお父さんのそばにいることが、アイツにとっての何よりもの支えなんだ。……アイツも素直じゃないところがあるし、この言葉を言うのもそうとう後になるかもしれないから、先に私から言わせてほしい――生まれてきてくれてありがとう、白鐘ちゃん」
「はうーー!?」
急に恥ずかしいことを面と向かって言われ、白鐘はつい顔を赤くしてしまう。
「そしてどうか――これからもアイツを支えてやってほしい。アイツはもう、君なしでは何もできなくなってしまうほど、君を愛しているからね」
――だからこそ、黒澤諏方はこの先、娘に何か危機があれば、命を懸けて彼女を守り抜くだろう。
――私も、少しでもこの二人を支えねばな――っと、椿は密かに心の中で、決意を固めたのだった。
「――さて、以上が黒澤諏方の人生譚になるわけだが、ある程度綺麗には語ったが、それでもやはり、アイツの身体には目には見えなくとも、残り続けている疵があり、その疵を誤魔化すために振るった拳は、血に染まってしまっている。……弟が君に決して過去を語らなかった理由を、どうか理解してあげてほしい。――その上で、改めて問うよ? 白鐘ちゃん、君は今も……お父さんのことが怖いかい?」
「…………」
銀髪の少女は、一度大きく息を吐いてから、真剣に見つめる叔母の瞳をまっすぐに見返す。
「……正直、まだ何ともは言えないです。もしかしたら、お父さんがまたあの特攻服を着て戦った時、やっぱり怖いと思うかもしれません。それがたとえ、あたしのためだったとしても……」
「……っ」
「……でも――」
椿が諏方の過去を語り始めてからようやく、戸惑ったり暗くなったりした白鐘の顔に、初めて笑顔が浮かんだ。
「――でも、たとえ怖いと思うことがあっても、これから先、あたしはお父さんのそばから離れないようにすると思います」
「白鐘ちゃん……」
「シロガネさん……」
瞳を光らせる二人に照れくさくなりつつも、白鐘は言葉を続ける。
「叔母さまの言う通り、お父さん、あたしがいなきゃ何にもできないんです。隙あらばすぐグータラしようとするし、あたしがちょっと料理遅れるとすーぐカップメンに手を出すし。知ってますか、叔母さま? 若返ってもこういうところ、あんまり変わってくれてないんですよ? この前の休みなんて、あたしが声かけるまでずっとソファでテレビ観てて、気づいたらそのまま寝ちゃってたし」
「……あはは、白鐘ちゃんも苦労してるね……」
「でも……途中から気づいちゃったんです。ううん、もしかしたらとっくに気づいてたかもしれません。お父さんは――若返ったって結局お父さんなんだなぁ、って」
「白鐘ちゃん、それじゃあ……」
少女は未だ照れくさそうに、赤くなった頬を指でこする。
「……これからも、四郎をお父さんと一致させるのに、苦労することもあるかもしれません。それでも――四郎も諏方も、あたしがいなきゃすぐダメになっちゃうから、だから――黒澤諏方の娘として、ダメダメなお父さんを……これからも支えていこうと思います」
「…………そうか。うん――いい解答だ」
姪っ子の力強い言葉が聞けて、いろいろと迷いつつも、弟の過去を彼女に語れたことに、椿はようやく安堵することができた。
「――さて! お腹空いてたんですよね、叔母さま? とびっきり美味しいご飯を作るので、少し待っててください。シャルちゃんも、手伝ってもらってもいい?」
「あっ……はい! 私に手伝えることであれば!」
陰りの消えた、白鐘の心の底からの笑顔を見て、シャルエッテも力強く返事する。
「……でも私、料理は得意ではないですよ?」
「大丈夫。簡単なお手伝いでいいから」
キッチンへと遠ざかる二人の少女を眺めながら、椿は胸ポケットに仕舞っていた煙草を取り出す。
「……諏方、お前の人生は、決して幸せに満ち足りたものだったなんて、お前に手を差し伸べることができなかった私には言えない。それでも――」
笑顔でエプロンを身に付ける白鐘から、天井の先の二階で眠っている諏方の方へと視線を移し、
「――今のお前は、間違いなく幸せ者だ」
そう呟いて、椿は最後に残った一本に火をつけ、ゆっくりと煙を吐き出したのだった。