第43話 不良の黄金期
「ところで白鐘ちゃん、君は不良にとっての黄金期って知ってるかい?」
陰鬱とした空気を変えようと、椿はいつものおちゃらけた明るめの口調に変わる。
「えっ? ……あまりよくはわからないですけど、昔は暴走族とかが多かったんでしたっけ?」
「ふむ。不良というのは、時代によって流行という形で形態を変えてきた。白鐘ちゃんの言う暴走族というのが、所謂七〇年代の『ツッパリ』と呼ばれた者たちの時代だな。ここから八〇年代の『ヤンキー』、そして九〇年代の『カラーギャング』と、様々な形で世を渡ってきた。もちろん、いずれの時代も多少の差異はあるにせよ、不良たちが市民にとって、恐怖の対象であることに変わりはなかった」
白鐘は頭の中で、漫画に出てくるような、リーゼントヘアーのステレオタイプな不良を思い浮かべる。そもそも彼女にとって、不良というのはそういう漫画やドラマから得た程度の知識しかなかった。
そういえばと、白鐘自身はあまり意識したことがなかったが、彼女の父は映画やドラマをよく観るタイプで、その中でも不良同士が戦う昔のドラマを、DVDなどでよく好んで観ていたということに、今更ながらに気づいた。
「だが――わずかに三年だけ、一部の強大な力を持った不良が他の不良たちを統制し、最も穏やかでありながら、最も社会にとって影響を持っていたという時代があった。一部の不良や、その時代を生きた者たちは、これを『不良の黄金期』と呼んでいる。そして、諏方はこの時代を生きた不良の一人だった」
椿はその頃のことを頭に思い浮かべると、途端に苦笑いを浮かべてしまう。
「今の――いや、父親としての姿しか知らない白鐘ちゃんには意外と思われるだろうけど、昔の諏方は、まあやることがいちいち派手でな……転校初日には、アイツは桑扶高校の番長を一撃で倒してしまったらしい……」
「あー……」
椿が先にも言った通り、あの頃の諏方は、叔父への憎しみや鬱憤が溜まっていたのであろう。廃倉庫での戦いぶりを見たからというのもあるが、白鐘にはその時の諏方の暴れっぷりが、容易に想像できた。
「それからの諏方は、喧嘩に明け暮れる毎日を送った。桑扶高校内ではもちろん、他校の不良や、チーマーと呼ばれる不良集団とも、何度も戦ってきた。怪我をせずに帰らない日はほとんどなかった。それでも……少しずつだったが、アイツの顔からは険しさが薄れていった。……決していい事だったとは言えないが、暴力にまみれた毎日が、当時のアイツには何より、充実した日々になっていたのだと思う」
人形のように、一方的に痛めつけられ、精神を犯される日々よりも、互いに暴力を与え、与えられる毎日の方が、当時の諏方には何よりもの幸せだったのだと、遠巻きに眺めることしかできなかった椿にはそう思えた。
「白の特攻服を身に纏い、銀色の髪をたなびかせながら戦う彼は、やがて『銀狼』と呼ばれ、恐れられるようになった。同時に、戦いを重ねていくうちに、彼の周りには仲間と呼べる者ができていた。そして、わずか半年足らずで、アイツは一つのチームを結成した。『銀狼牙』。後に、関東三大チーマーと呼ばれる、伝説の不良チームが誕生したんだ」
「……はぁ」
思っていた以上に話の規模が大きくなり、白鐘は呆然とするばかりだった。横にいたシャルエッテに至っては、話の半分も理解できず、しきりに首をかしげている。
「そして紆余曲折を経ていくうちに、諏方は『三巨頭』と呼ばれる、当時の不良界のトップに立つ者たちの地位にまで至った。――関東最大の不良チームであった『蒼青龍』リーダー、蒼龍寺葵司。レディース最強と呼ばれた『紅蠍刃』リーダー、園宮茜。いずれも、他の不良たちを圧倒するその力で不良界を動かすほどの実力者に、諏方も肩を並べることになったんだ。三巨頭は共に協定を結び、不良たちが不必要に一般人に危害を及ばぬよう、他の不良たちを律してきた。故に、三巨頭がトップに立った三年間は、不良たちが蔓延り荒れていた時代の中で、最も平和な時代と言われていたんだ――っと」
ここまで話して、対面している白鐘の瞳が懐疑的な視線になっていたのをここで気づく。
「ふむ……なるべくかいつまんで話してみたのだが、やはり難しかったかな?」
「あっ! いえ……思っていた以上に、話が壮大になってきたというか……ファンタジーは魔法とかで慣れてきたつもりでしたけど……」
「まっ、にわかには信じがたい話だよね。私ですら、あの頃の時代を生きねばよくある不良系漫画の設定かと、一笑しているところだ。特に現代っ子な白鐘ちゃんにとっては、そこらへんを歩けば不良に出会うことが日常茶飯事な時代があったことすら、想像するのも難しいだろう」
「ーーまっ、活発な地域や規模が変わったというだけの話で、根本的な部分は、今も昔も変わらないのだろうがな……」っと、小さいな声で椿は付け足す。
「……ともかく、諏方は確かに、その時代の中心に生き、戦い、やがて伝説の不良とまで呼ばれるほどに、彼の活躍は鮮烈で輝かしかった。……だが、それでもなお、諏方の心には闇が纏わり付いたままだった。仲間や喧嘩相手を得ようとも、彼の閉ざされた心を開くまでには至らなかったんだ……」
再び重い空気が、リビング内を支配する。
白鐘には、椿の語りを聞いた上での想像しかできないが、やはり父が受けた虐待というのは、あまりにも根深く、彼の肉体や精神に刻まれたものなのだろう。それは、たとえ共に戦うや仲間や、ライバルとの喧嘩では、決して癒しきれないほどの深い疵なのかもしれない。
その疵は――とうに癒されていると、果たして決め付けられる事なのだろうか?
――もし、その頃の疵が残っているのなら、そんな父に、あたしは何ができるのだろう?
――知りたいと願ったのは自分だ。だが知ったとて、自分が父にできることなど、何もありはしないのではないか?
――ああ。――なんて無力。――なんて無様さ。
「……っ」
父に何もできない歯がゆさと悔しさに、白鐘は顔を俯けてしまう。
「――だが、そんな諏方の前に……一人の女性が現れた」
「…………女性?」
白鐘が顔を上げると、彼女の叔母は、安心させるような微笑を浮かべていた。
「蒼龍寺碧――後に、君の母となった女性だ」
「……お母さん?」
思わずこぼれ出た言葉に、椿は頷く。
「……って、あれ? 蒼龍寺って、確かさっき――」
「ああ、君の母は、諏方と同じ三巨頭の一人である、蒼龍寺葵司の妹だ。とは言っても、二人の出会いそのものは偶然だったらしいのだがな」
白鐘は、テレビ横の棚の上に置かれた写真立てを見つめる。そこには、彼女が生まれた直後に亡くなったという母の、微笑んで座っている姿が写っていた。
白鐘は父から、母の話をあまり聞いたことがなかった。もちろん、幼少の頃には幾度となく、父に母について尋ねた記憶はあるのだが、諏方はあまり詳しく語りたがらず、優しくて、芯の強い女性だったということしか、頭に残っていなかった。
「――出会いは満月の日。両親の墓参りに訪れた墓所で、月明かりに照らされた青髪のその少女は、まるで暗い海から沈み落ちてきた人魚のようだった――と、諏方が私に語ったことがある。一目惚れだったそうだ」
そう語る椿の口調は、先程よりどことなく抑揚が上がっているのを、白鐘は感じ取っていた。碧について語り合う頃には、諏方と椿の仲も修復はされていたのだろう。
「病弱な子ではあったが、君のお父さんの言う通り、芯の強い女性だった。諏方が兄と同じ不良であることがわかっても、怯むことなく接したらしい。最初の頃は、諏方自身が彼女を遠ざけていたらしいが、意外にも碧ちゃんの方がグイグイと彼を引っ張っていたとのことだ。二人が恋人同士になるのに、それほど時間はかからなかった。その間も、諏方は戦いの日々を送ってはいたが、時折笑顔を見せることが、少しずつだが増えていった。周りを傷つけることしかできなかった狼の牙は、蒼龍寺碧によって、少しずつ抜け落ちていったんだ」
「……お母さんが、お父さんを変えてくれたんですね」
「そうだ。……碧ちゃんとの出会いが、黒澤諏方を狼から人に戻してくれたんだ。今でも、彼女にはどれだけ感謝しても、しきれないほどの恩をもらったと思っている。……それをもう、返すことができないのが、本当に悔やまれるけどね……」
「…………」
また、しばらくの沈黙が下りる。
白鐘は一度深呼吸をする。その次の言葉を口にするのは、少し勇気を要することであったからだ。
「……お父さんが昔、物凄く強い不良で、お母さんとの出会いでお父さんが変わることができたのはわかりました。……でも、一つだけ納得ができません。どうしてお父さんは、あたしにお母さんの事を隠してきたんですか? ……虐待の件や、お父さんが不良になったことは隠されても仕方ないと思いますが、お母さんとの出会いを、そこまで強く隠したがる理由がわかりません! ……あたしは、お父さんに何度もお母さんのことを訊いても、いつもはぐらかされてばかりでした……」
「…………」
白鐘は痛むほどに、両手を強く握り締める。
「……あたしが……あたしが生まれて……お母さんが亡くなったからですか?」
――父の口から、母の死の原因が語られたことはなかった。しかし、母の命日が自身の誕生日と一致していたのを知り、自分を生んだことで母が亡くなったとの想像はできていた――。
「…………」
椿は、その事実を敢えて否定はしなかった。
「……白鐘ちゃん、君がその事について、罪悪感を感じるのは筋違いだよ。君のお母さんは、確かに身体が弱かった。君を生んだら死んでしまうかもしれないというのも、事前に医師から教わってはいた。……それでもね、碧ちゃんは――君のお母さんは、君を生むことを選んだんだ。……君の父親ですら思い悩んだことを、彼女は決して迷わなかったんだ。だから、感謝こそすれ、自分が生まれたことに、君自身が後悔を感じてはいけないよ」
「…………はい」
言葉ではそう言っても、彼女が納得しきれた顔をしていないのを、椿も察しはできていた。
「……まあ、諏方が白鐘ちゃんに母親のことを隠していたのは、君に余計な重荷を背負わせたくないというのもあるだろう。だけどもう一つ、諏方が君に過去を語りたがらない理由がある」
「もう一つの……理由?」
椿は、話の整理を一旦つける意味合いも含めて、もう一本煙草を取り出し、火を点ける。
「……先程、『不良の黄金期』は、わずか三年だけであったと語ったよね?」
椿の声から、今までと種類の違う真剣さを感じ取り、白鐘は恐る恐る頷く。
「……不良の黄金期は、ある事件を引き金として終わりを告げたと言われている。その事件に、諏方を始めとした三巨頭、そして――碧ちゃんが巻き込まれたんだ」
「事件……?」
またも、リビング内が重苦しい空気で侵食されていく。
椿は煙草の煙を吐き出した後、諏方たちの運命を変えた大きな事件について、ゆっくりと語り始める。
「『デュアルタワービル占拠事件』。二十数年前当時、桑扶市内で起こった、日本を震撼させたと言われる大規模テロ事件だ」




