第40話 知ることへの覚悟
――椿が、この家に戻るまでに起きた出来事を語り終える頃には、灰皿に積もられた吸殻の量は、一・五倍ほどに増えていた。
「境界警察……ですか……」
緊張した様子で、シャルエッテが口を開く。
「やはり、シャルエッテちゃんは知っていたか」
「……その名の通り、魔法界における警察です。境界警察は、魔法界での犯罪を取り締まると同時に、人間界で魔法使いの存在が公にならないよう、ずっと昔から、秘密裏に管理していたと聞きます」
「そうみたいだね。実際、君に会わなければ、私も魔法使いの存在を知る機会はなかったかもしれない。その手の存在がいるかもしれないという噂なら何度も耳にしたが、それが真実であるかどうかなんて考えもしなかった。今回のような事件も、決して初めてというわけではないのだろう。私が所属する組織と繋がっていたのは、魔法使いの起こした事件を揉み消して、世間を騒がせないため――といったところか……気に食わないな」
「叔母さま……?」
明らかに苛つきを見せる叔母に、白鐘は心配げな声に、わずかに恐れが入り混じる。
「……すまない。多くの国での任務に携わって、すっかり世界を知った気でいた自分の未熟さに腹が立ってしまってね。この一本が吸い終わったら、このことは一旦捨て置く……怖がらせてごめんね、白鐘ちゃん」
「…………」
何を言うべきかわからず、白鐘は閉口する。
少しして、椿が新たに吸い終わった煙草を灰皿に捨てると、「あっ、そうそう」っと、何か思い出したように手を叩く。
「シャルエッテちゃん、あのウィンディーナと名乗った女性から、君に伝言だ」
「ふぇ!? 私に……ですか?」
それは、ウィンディーナが去り際に椿に頼んだお願いのことであり、あるメッセージをシャルエッテに伝えてほしいとのことだった。
「『シャルエッテ・ヴィラリーヌ。あなたの人間界渡航の申請は、すでにあなたのお師匠様から頂いていますが、在界許可の申請など、用意していただかなければいけない書類がまだあるので、近いうちに人間界支部に顔を出してください(ハートマーク)』だそうだ」
「はぅぅ……やっぱり、行かなきゃダメでしたかぁ……」
わかりやすく、げんなりとなるシャルエッテ。
「お会いしたことはありませんが、ウィンディーナさんはお優しい方だと聞いていますけど、人間界支部の支部長さんが、えーと……人間界で例えるなら、『オニ』のように怖いお方だという噂で、あんまり行きたくなかったんですよぉ……」
「はは、意外とそういう面倒なところは、人間と変わらずマメなもんなんだな、魔法使いも」
申し訳ないと思いながらも、ついつい笑ってしまう椿。そんな彼女を見て、同じくシャルエッテに申し訳ないと思いつつ、白鐘は安堵する。
「ふぅ……ひとまず、諏方も無事だったようだし、一件落着ということで白鐘ちゃん、お疲れのところ悪いが、お腹が空いたから何か作ってもらってもいいかい?」
「あっ、はい! もちろん……です……」
「……っ?」
白鐘は一度、キッチンの方へと向かおうとしたものの、なぜか気まずげにチラチラと、椿の方を見やる。
「あの……その……」
普段、物事はハッキリと言う印象だった姪っ子が、珍しく歯切れが悪くなっていることに、椿は首を傾げかけたが、すぐさま彼女が何を言わんとしたいかに勘付く。
「……黒澤諏方――君のお父さんについてだね?」
「…………」
白鐘はしばらくの無言の後、意を決したように小さく頷く。
「お父さんは…………黒澤諏方は、いったい何者なんですか?」
「……っ」
この疑問を投げかけられることを、椿はある程度予想はしていた。
「あたしのお父さんは……ドジだしノロマだし、いつも空気は読めないし……でも、誰よりも優しい人です」
「……今の諏方は、優しくはないのかい?」
「――っ! そういうわけじゃない! そういうわけじゃ……ないんです……」
彼女の拳が震える。この先を口にしてはいけないと思いながらも、それでは前に進めないと、強く自分に言い聞かせる。
「…………怖かったんです。あの魔法使いを倒した時の四郎が、冷たい眼で、不良の人たちを次々と倒していった、あの姿のお父さんが……あたしは怖かったんです」
黒澤諏方は、白の特攻服を身に纏い、その腕力だけで、不良たちや魔法使いを倒した。普段、自分の父親を情けないと遠慮もなく言う娘にとっては、その姿はあまりにも、彼女の父親像からかけ離れたものだったのだ。
「……あたし、知りたいんです。……お父さんが若い時、どんな人で、どんな過去を持っていたのか……」
認めたかった――あの時、自分を抱きしめてくれた温もりは、確かに父のものだったから。
だから――聞かなければいけない。それがたとえどんな過去だろうと、彼を心の底から、父親なのだと認めるために。
「ふむ……しかし、昔の話は娘に語るなと、諏方から硬く口を閉ざすように言われているからなぁ……」
腕を組み、難しげな表情で悩む椿。口に咥えた煙草の煙が、無言の空間の中でゆらゆら揺らめいている。
「……弟の――黒澤諏方の過去は、決して綺麗なものではないし、彼にとっても誇れるものばかりではない。……白鐘ちゃん、彼が娘である君に、頑なに過去を語らないのはね……君に嫌われるかもしれないという不安もあるだろうけど、何より、語るにはそれは、あまりにも血にまみれすぎていた。……今でこそ、君という子を得られ、人並みの幸せを手にはできたが……そこに至るまでに振り払ったもの、壊してきたものが、あまりにも多すぎたんだ」
「……っ」
白鐘は、あの廃倉庫での諏方の戦いを反芻する。敵に対して、躊躇なく振るわれたその拳は、完全に戦いに慣れたソレだった。白鐘にとって、父は暴力とは縁のない世界にいると思っていた。それほどに、彼女の父はあまりに穏やかで、優しすぎた。
――そんな父が、あれほどの暴力を振るえた時期があったと思うと、あまりにも怖くて、背筋が震える。
「……聞けば、もう今までのように接することはできなくなるかもしれない。――その覚悟が、君にはあるかい……白鐘ちゃん?」
「…………」
――すぐには返事できなかった。この身を優しく抱きしめてくれた父の後ろに、血に染まった道が続いているのを想像し、吐きそうなほどに、胃が締め付けられた。
それでも――、
「あたしは――」
それでもあたしは――聞かなければならない。
「――父がどんな人でも……受け止めます。受け止めてみせます」
――好奇心ではない。これは――父が閉ざしてきた過去で助けられた、あたしの責任でもあるから――。
覚悟を宿したその瞳にまっすぐに見つめられ、椿は静かに、咥えていた煙草を吸殻の山に積んだ。
「……なら私も、あとで弟にブチギレられる覚悟は持たないとなぁ」
そう笑顔で口にし、また新しい煙草に火をつけた。
「……シャルエッテちゃんはどうする?」
話す前にと、白鐘の隣にいた少女にも同席するかを問う。
シャルエッテはしばらく悩みながらも、
「……家族のことですので、私が聞いてよいものかは何も言えませんが……できれば聞きたいです。元はといえば、私がスガタさんを若返らせたことにも原因はありますし、何より――」
シャルエッテは、重い決心を胸に抱いた、隣の少女を見つめる。
「スガタさんの話を聞いて、思い悩むかもしれないシロガネさんを……ほんの少しでも、そのつらさを共有して、肩代わりしたいんです」
「シャルちゃん……」
すっかりと打ち解け、友人となった二人を見て感慨に耽りつつ、椿は一度咳払いした後、静かに、黒澤諏方の過去を語り始める――。
「そうだな……。アイツの過去を語るなら、まずは私と弟の幼少の頃から、話を始めよう」




