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あたしのパパは高校二年生  作者: 聖場陸
蘇る銀狼編
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第3話 川で溺れた少女

「いたたた……さすがにこの歳になると、身体が思った以上に動かなくなってつらいなぁ……」


 自宅近くの河川敷かせんじきに着く頃には、もう空はすっかり夜の黒に染まっていた。


 ここ、城山しろやま市は都内ではあるが、都心から離れてかなり郊外の方に位置している。そのためか都会と比べてとても空気がんでおり、綺麗きれいな星々が夜空を照らしていた。周りには桜が満開に咲いており、舞い散る花吹雪がちょっとした夜桜模様を演出している。


 昼ごろには絶景の花見スポットとして賑わうこの河川敷も、夜になると街灯の少ない夜道となるので、人もほとんど見なくなる。その分、川面かわもの水の音がより雑音に邪魔されずに澄んで聞こえ、桜景色とはまた違う風情を感じさせられた。


 しかし、すでに見慣れているというのもあるが、今の重たい心境ではこの風情を味わう程の余裕はなかった。


 ボロボロになったスーツを見つめ、ため息を吐きながらそれを肩にかける。


「財布は取られなかったけど、こりゃあ新しく仕立てないとダメだよな」


 本当に今日は散々な出来事だらけだ。ここまで一日がつらいと思った日は、妻を亡くして以来かもしれない。だがそのうちいくつかは自業自得なあたり、なんとも情けないものである。


 今ごろ白鐘は自宅に帰り、夕食を作りながら僕の帰りを待ってくれているだろうか。


 よほどの事がない限り、食事は一緒に食べる――というのが、黒澤家の数少ない決まり事だ。


 娘が反抗期だった中学時代は彼女に避けられる事も多かったが、これだけはずっと守られていた。だからこそ、今日朝食を共にできなかった事は、自分にとってかなりショックな出来事だったのだ。


 ……それでも夕食だけは、変わらず娘と一緒に食べられる事を願いたい。


 その際に、今朝の事も改めて話し合おう。正直、今でもなぜ彼女が怒って先に行ってしまったのかがわからないのだが、僕が原因で気分を害させてしまったのならそれを謝ろう。そういう話し合いをする機会として、一緒にご飯を食べるというのは大事な事なのだ。



 ――いや待てよ? もし、娘がさっきの加賀宮という少年を家に連れこんでいたらどうしよう?



 あの少年を褒めるのは悔しくあるが、彼は僕から見ても美少年の部類だ。そんな彼に告白されたのだから、白鐘がそれを気分よく受け入れている可能性は十分にありえる。


 もし娘が彼を家に連れこんでいたのなら、確実にお邪魔なのは僕である。気まずいなんてレベルじゃない。


 ……さすがにそれはないか。いくらなんでも、白鐘は常識をわきまえている。そもそも娘が彼を好いていると決まったわけではない。


 ――しかし、逆に娘の方があの少年に誘われ、ホテルだとか、いかがわしい場所に連れて行かれたとしたら……。


「いやぁぁぁぁあああああ――――!」


 妄想の範疇だというのに、つい叫び声をあげてしまった。嫌な事が重なりすぎて心がすさみ始めてるからか、見たくもない映像イメージが頭の中でぐるんぐるんと回る。


 ――いや! 自分の娘を信じなくてどうする。今まで男手一つながらも、苦労して育ててきた娘じゃないか。


 ……でも、彼女も高校生。ハレンチな行為にも興味を抱くお年頃だ。もし興味本位で、まだあどけない彼女が大人の階段へと上ってしまったら――。




「いやぁぁああ――」

「――きゃぁぁぁぁあああ!」




 僕の二度目となる叫びは、別の叫び声によってかき消されてしまった。



「誰か、たすけてくださぁぁぁぁあああい!!」



 これは悲鳴だ。しかも女の子の悲鳴。


 声のした方へと走って向かうと少し先に、川で溺れている一人の少女を見つけた。


「わたし――泳げないんです――ブクブク――」


「なっ!? 今助けるから待ってろ!」


 考えるよりも先に、肩にかけていたスーツを放り投げて川に飛びこむ。川は浅瀬で流れも強いわけではないが、それでもパニック状態の少女を放っておくわけにはいかなかった。


「しっかり捕まってろ!」


 ひとまず暴れないように落ち着くまで彼女を抱きかかえる。しばらくして静かになったところで、そのまま彼女の身体を岸の方まで運んだ。


「フゥ……おい、大丈夫か?」


 少女はハァハァと呼吸を乱していたが、次第に落ち着きを見せるとゆっくりと立ち上がって、僕に向けて頭を下げる。


「助けていただいて、ありがとうございます! ……まさかこんなところに降ろされるとは思わなくて、怖くなってしまいまして……わたしカナヅチだし、遊泳魔法もまだ覚えていないので……」




 …………ん? 魔法?




 少女が何を言っているかはわからないが、まあとりあえず無事なようで一安心する。


「こんな浅瀬で溺れている子を見たのは初めてだが、それでも危険だから気をつけるんだよ? 見たところ、高校生ぐらいかな? 帰りが不安なら、おじさんでよければ送ろうか?」


「……えっと……そのぉ……」


 少女が不安そうな表情をこちらに向ける。


 そうか。考えてみれば助けてもらったとはいえ、会ったばかりの中年男性に夜道を送ってもらうなど、下心ありと警戒されても仕方ない事だ。


「ああ、いや、すまない。決して君に何かしようというわけではないのだが、おじさんに送ってもらうって言われても困るよね――」


「――あのぉ……帰る場所がないんです」


「…………はい?」


 予想外の答えに、思わず間の抜けた声で返事してしまった。


「それが恥ずかしいことに、住んでいた場所から追い出されてしまいまして……えへへ」


 少女は照れくさそうにしながら、とんでもない事を告げた。


「……親御さんに追い出されたのか?」


「あっ、いいえ……わたし、親はいないんですよ。ずっとお師匠様の元で修行していたんですが、いろいろあって追い出されてしまって……」


 どうやら複雑な家庭環境で育った子のようだった。


 明るめな茶色のセミロングに、まだ幼さが残る顔立ち、大きめな瞳が可愛げな女の子だった。


 服装はフードが付いた、袖口にピンクのラインをあしらった白いローブ。その手には茶色いハテナ型の大きな杖を持っていた。ハテナの窪みの部分には、赤い宝石のようなものがなぜか浮いている。


 その見た目はまさに、ファンタジー物の映画やアニメに出てくる魔法使いのようだった。少なくとも、普通の女の子が着るような服装ではない。これがいわゆるコスプレというやつなんだろうか?


「それより! 危ないところを助けてくださったあなた様に、ぜひともお礼がしたいです!」


 少女は濡れた身体を気にもとめず、こちらに身を乗り出す。


「いや、こっちは別にお礼をしてもらうために助けたわけじゃないし、遠慮しておくよ」


「そんなこと言わないでください! 『助けてくれた方には必ず恩を返しなさい』というのがお師匠様の教えなのです!」


 すぐそばまで身体を寄せられ、あわてて後ろに引き下がる。


「だから、僕はいいって――」


「――命の恩人になんのお礼もできないと、わたしは……わたしは……」


 まいった。これは目的を達するまで意地でも引き下がらないタイプだ。


 少し面倒くさい子を助けたと思ってしまった自分を戒めつつ、僕は彼女の要求に応えることにする。


「わかったわかった。……それで、君は僕に何をしてくれるんだい?」


 僕の言葉を待っていたかのように、少女の目がキラキラと輝きだす。






「信じにくいかもしれませんが、わたし……魔法使いなんです!」






「…………え?」


 しばしの沈黙が、空気を重く包んだ。


「むぅ、当然の反応ですよね……ここ人間界では、わたしたち魔法使いの存在は秘匿されていると、お師匠様も仰っていましたし」


 ああ……これがよく言われる電波というやつなのだろうか? 少しどころか、かなり面倒くさい子だった。


「では! わたしが魔法使いである事を信じてもらうためと、あなた様へのお礼のために、なんでも一つ願いを叶えます!」


 あー……えっと、こういう場合は、彼女を信じたふりをして、気分よくさせたところで逃げればいいのかな?


 彼女は今か今かと僕のお願いごとを待っている。そんな純粋な視線を向けられると、適当にあしらおうとするのに自分に少し罪悪感がわいてきた。


「……そのお願い事は、なんでもいいのかい?」


「あっ! えっと……叶えられる範囲でお願いします……」


 さっきなんでもって言わなかったっけ?


 それはともかく、ここはあえて叶えられない願いをお願いし、彼女が困っている隙に逃げ出そう。


 彼女から悪意は感じられないが、面倒くさい事には関わらないのが吉である。今日はただでさえ厄日なんだ。これ以上の面倒事に関われるほど、僕にはもう余裕がない。






「それじゃあ……僕ももう四十になるんだが、この歳になると身体が思うように動かなくなるのがつらくなってきてね。もしできるなら、僕を若返らせてもらえないかい?」






 僕のお願いに、彼女は難しそうな顔を見せる。


「若返りですとな……それはまた、高等な魔法を要求してきますね……」


 どうやら狙い通り、彼女にとって難しい要求だったようだ。……この子には悪いが、悩んでいる間に逃げてしまおう。


「ははは、難しいそうならまた今度でいいよ。じゃあ、僕はこれで――」


「――待ってください!」


「うおっ⁉︎」


 逃げ出そうとした僕の足を止めるため、少女は必死な表情で僕のシャツのすそを引っぱる。


「……たしかに、若返りの魔法はかなり難しく、わたしもまだ習得はしていませんが……何事にもチャレンジ精神です。ぜひ、やらせてください!」


 そうきたかぁ……。どうやら、簡単には帰してくれそうになかった。


 彼女の厚意をこれ以上無碍(むげ)にするのはさすがに悪いと思い、ここはもう少しだけ付き合ってあげる事にした。


「それでは、わたしの前に立ってください。成功するかはわかりませんが……わたし、精一杯頑張ります!」


「そのぉ……無理しなくたっていいんだよ?」




「いいんです! やらずに諦めてたら、何もできなくなりますから……!」




「…………」


 彼女の一生懸命な表情を見て、これ以上何かを言うのは無粋ぶすいだろうと、僕も黙る事にした。


 少女は僕と自身の間に、持っていた杖を立てて両手で握りしめる。


「集中……集中……」


 少女は祈るようにスッと目を閉じ、何かを小さくつぶやいている。


「――えっ!?」


 しばらくして、僕と彼女の周りを薄緑色の光の帯が包みこむ。とても暖かい光で、水に濡れた身体を温めているみたいだ。


「これはいったい……?」


「――ごめんなさい。しばらく集中したいので、少し静かにお願いします」


 少女にそう言われ、あわてて口を閉じる。


 CGか、はたまたトリックか。正体不明の光はしかしたしかに、見るだけで心地よさを感じさせる、そんな優しい光だった。


 やがて光は僕の周囲にまで収縮し、少しして僕の身体全体を包み込んだ。


「なっ――」


 瞬間、身体の中を沸騰するような熱い何かが駆け巡る。



 熱い――細胞が活性化され、身体の芯から力が巡るようだ。



 薄緑の淡い光がまばゆく変わり、まぶしさに目を開けられなくなる。


「ガァッ――」


 やがて光が衝撃とともに強く弾け、徐々に消えていく。


「っ……」


 そっと目を開けると、目の前にいた自称魔法使いの少女が、驚いたように呆然とこちらを見下ろして(・・・・・)いた。


「……やりました」


 そうつぶやいた少女の顔がパァッとまぶしく輝き、僕の身体に勢いよく抱きついてきた。


「なっ! おまっ!?」


「やりました! 命の恩人様、お師匠様、わたしやりましたよ!」


 こちらに抱きついたまま、彼女は嬉しそうに飛び跳ねる。


「だぁッ! 落ち着けって!」


 興奮ぎみの少女の身体を無理やり引きはがす。



 ――そこで俺は気づく。自分の声が高くなっている事に。頭の毛のフサフサ感に。そして……妙に身体が軽くなっている事に。


「おい……おいおいおい……まさかだよな?」


 俺はあわてて川の方まで走り、水面に自分の顔を映し出す。




 そこに映ったのは、見慣れているはずの中年男性の姿ではなく、ダボダボになったワイシャツを着た、腰にまで伸びた銀髪と切れ長の瞳の少年――まぎれもなく、若い頃の自分自身の姿であった。




「なあ……俺、何歳だ?」


「えーとですね……最盛期の年齢がいいかなぁっと思いまして、人間年齢でだいたい十七歳ぐらいに設定させていただきました。それにしても、若返るとずいぶん背が小さくなるんですね? 人間って不思議です」


「うるせえ、背の事は言うな」


 なんだよ、人間年齢って……。


 様々な疑問符が頭を駆け巡るも、それらをまとめられるほど、今は冷静になれない。


「……君が何者で、どんなトリックを使って俺をこんな姿にしたのか――いろいろきたい事は山積みなんだが……ひとまず、今ここで一言叫んでいいか?」


「ええっと……よくはわかりませんが、構わないですよ?」


 深呼吸をし、自身の手を見て――袖が垂れ下がってて見えないのだが――俺は叫ぶ。




「なんじゃこりゃあああああああああああああああああああっっっっ――――――!!」




 春の夜の河川敷で、一人の中年男性――もとい少年の叫びがこだました。


 改めて自分自身で確認する。


 どうやら僕こと黒澤諏方は、魔法によって四十歳の中年から、十七歳の少年へと若返ってしまったようだった。

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