第33話 バトンタッチ
『大丈夫か、諏方?』
スピーカーモードにして床に置いたスマホから、椿の心配げな声が響く。
「……身体はボロボロだが、なんとか生きてはいるよ。姉貴こそ大丈夫か?」
『なに、ある程度動けるようにはなったさ。それより、そちらの状況を手短に伝えてもらえるか?』
「それはいいんだが……なんかさっきから、そこからゴゴゴって凄い音が鳴ってんだけど、どこにいんだ、姉貴?」
スマホからは椿の声の他、突風が吹き荒れるような、凄まじい風切り音が聞こえていた。
『ああ、すまんすまん。今、ヘリの中でな。多少うるさいのは勘弁してほしい』
「へっ、ヘリぃ!?」
シャルエッテを除いた全員が驚きの声をあげた。
『ああ、先程緊急でチャーターした。少数だが、軍隊所属の部下も連れている。まあ、こうして会話ができる辺り、そちらはいい方向に決着が着いたと見たいが、応援にはこのまま向かおうか?』
相変わらず姉のやることの派手さに、弟は唖然を通り越して呆れてしまいそうだった。
「決着は着いたが……芳しい状況とは言えねえな」
諏方は先程までの出来事と今の状況を、軽くまとめながら姉に話した。
『……なるほど。ならば、諏方の治療はシャルエッテちゃんに任せて、こちらはヴァルヴァッラの方を追う事にしよう。諏方、奴の行き先がどこかわかるか?』
「……わりぃ、わかるのは車に乗って逃げたって事ぐらいで、行き先までは……」
『ふむ、弱ったな……。シャルエッテちゃん、逃走した魔法使いの魔力は追えないかい?』
「……ごめんなさい。あそこまでやられても冷静だったのか、スガタさんのご自宅の時のように、魔力痕を消しながら移動してるみたいです」
『なるほど。伊達に詐欺師を自称してはいないようだな。となると……そこにいる少年、えーと……加賀宮祐一くんだったかな?』
突然、電話の先から名を呼ばれ、加賀宮の身体がビクリと震える。
『……尋ねたいことがあるだけだ。落ち着いて聞いてほしい。ヴァルヴァッラ――ああ、君の場合は、仮也という名前の方がわかりやすいか。彼が逃走に使った車両について、何かわかることはあるかな? 例えば、車のナンバーとか?』
なるべく優しめな声調の問いに、しかし少年はすぐに口を開けない。ただ、少しばかりの沈黙が流れゆく。
「……すみません。残念ながら、車のナンバーは把握していません」
『……そうか。いや、これに関しては自分を責めないでほしい。おおかた、車両を用意したのも仮也の方だろうしね。しかしそうなると、付近の車両をしらみつぶしという事になってしまうが、そうなるとどうしても時間がかかってしまう。もうすぐ夜明け前だ。あと一時間もすれば、日も昇り始めるだろう。そうなったら一般市民の活動時間に入ってしまう。走行車両が増えて余計に探すのが難しくなるし、何より一般人を巻き込むわけにはいかない。つまり……あと一時間以内に仮也を見つけ出せなければーー詰みだ』
再び、重い沈黙が降りる。
破壊された出入り口から見える空は、わずかばかりに明るくなり始めていた。
このまま何もアイデアが出なければ、まんまと敵を逃がすことになってしまうだろう。それはつまり、再度諏方や白鐘達に危険が及ぶということだ。
「……くそっ! 身体がまともに動けてればっ……!」
諏方は怒りで床を拳で叩きそうになるも、もちろん腕を動かすことも出来なかった。
全員に明確な焦りが見え始める。考えは浮かばず、ただ時間だけが虚しく過ぎようとしていく。
「…………っ! 待てよ?」
突如、何かを閃いたのか、加賀宮は自身のスマホをズボンのポケットから取り出した。
「何をしてるの、加賀宮くん?」
訝しげな瞳で、スマホをいじるクラスメートを見つめる白鐘。その痛々しげな視線に耐えながら、彼はスマホの操作を続ける。
「……これは賭けだ。確証なんてない。それでも……このまま何もせず諦めるよりは――」
彼はひたすらにスマホを操作した。彼の必死な表情に、他の者達も口を挟まず、彼を見守った。
するとしばらくして、加賀宮のスマホからピコンと通知音が鳴り出した。
「――っ! ……ビンゴだ。仮也の居場所がわかったよ」
彼の言葉に、諏方達は驚きの顔を隠せなかった。
「どういうことだ、加賀宮?」
「……不良達を雇う際、金を払っているとはいえ、普段が粗暴な連中だ。どんな反抗的な動きを見せるか、わかったものじゃない……だから、彼らのスマホに、とあるアプリを入れておいたんだ」
加賀宮はスマホの画面を三人に見せる。画面には地図が映されており、その一部が赤い小さな光で点滅していた。
「GPSか……!」
「そうだ。……これで金をもらったまま逃げ出しても、追いかけられるようにしておいたんだ。……分の悪い賭けだと思っていたが、運よく仮也の乗った車に、スマホを置き忘れたバカがいたみたいだ」
赤い光は少しずつ、地図を北へと移動していた。
『よしっ! 加賀宮祐一、そのスマホのGPS通信を、こちらと同期させる。私の言う通りにスマホを操作してもらえるかい?』
「……わかった」
椿の指示を受けながらスマホを動かす加賀宮は、わずかにだが、顔をほころばせていた。
利用され、裏切られたかつての従者に対し、ほんの些細なことかもしれないが、加賀宮は一矢報いる事ができたのだ。
『よし。これでヴァルヴァッラを追跡することができる。――加賀宮祐一』
「あっ、はい!?」
『GPS機能はこちら単独でも使えるようにはなったが、念の為、スマホの電源はそのままに。それと――今回の蛮行について、君を許すことはできないが……この件に関してはよくやってくれた。礼を言う』
「っ……いえ、これで仮也が捕まえられるなら……僕はそれでいいんです」
そう口にする加賀宮の表情は、罪悪感と恐怖に怯えたものが、少しばかり吹っ切れたものになっていた。
『君についての処遇は、そこに残った者達に任せよう……白鐘ちゃん』
「っ――!? ……はい」
『怖い思いをさせてしまったな……力及ばず、すまなかった』
「……いえ、叔母さまが守ってくれたおかげで、あまりケガをせずに済みましたから」
『ふふっ、そう言ってくれると嬉しいよ……シャルエッテちゃん、弟のことは頼んだよ』
「はいっ! 任せてください!」
『うん、いい返事だ。それと……諏方』
「ああ、ああ、俺にまで気ぃかけてくれなくていいって――」
『――よく頑張ったな』
たった一言――たった一言だが、その労いの言葉に諏方はようやく、自分の戦いが終わったのだと、そう感じられた気がした。
「……娘のためだ。これぐらいはわけねえさ。……それより、あの魔法使いの野郎のこと、頼んだぞ」
少し照れ気味な、はにかんだ笑顔を見せた。
その笑顔を電話越しに見ることはできなかったが、彼の声から、弟がどんな表情をしているか、姉はなんとなく読み取ることができた。
『……ああ、弟が頑張ってくれたんだ。今度は姉の私が、できることをやらねばな。そちらには別に、救援部隊を送っておいた。それまでは、大人しくシャルエッテちゃんの治療を受けているんだぞ?』
「……わーってるよ。そんなしつこく言わなくてもいいじゃねえか?」
『当たり前だろ? 私は、お前の姉なんだから』
椿との通話がそこで切れる。
緊張が解かれたのか、それをキッカケとして、目を閉じた諏方の口から静かな寝息がゆっくりと吐かれた。
「……ようやく、身体が休眠状態になってくれたみたいです。あとは、このまま治癒魔法をかけ続ければ、痛みも多少引いて、火傷の痕も消えるはずです」
「そっか……よかった」
父親が眠りについたことで、娘の白鐘もようやく安堵する。
静かに眠る諏方の顔に、白鐘は父親の面影を見たような気がした。
複雑な感情渦巻く心根を、深呼吸で一旦落ち着かせる。
父に関しては、彼が起きた後に改めて整理するとして――白鐘には、もう一つ整理しなければいけないことがあった。
「……シャルエッテさん、しばらく、お父さんのことは頼んだね」
突然立ち上がり、出入り口へと歩き始めた白鐘に、シャルエッテは戸惑いの表情を浮かべた。
「あっ、はい! もちろん大丈夫ですけど……どちらへ行かれるんです?」
「うん……こういう話は、さすがに二人っきりの方がいいと思ったからね……そうでしょ、加賀宮くん?」
名を呼ばれ、胃を締め付けられた感覚に陥る加賀宮。彼へと振り返った少女の表情は、先程まで恐ろしい目に遭っていたとは思えないほどに、強く、凛々しきものになっていた。
「……彼女の前じゃ話しにくいでしょ? 外で続きを聞かせて。なぜ加賀宮くんが、今日の日へと至ったのか、その理由を――」
○
「ふぅ……」
電話を切り、弟と姪の無事を確認できたことで、椿はわずかにだが、胸を撫で下ろすことができた。
「弟さん、ご無事なようで何よりです」
轟音鳴らすヘリコプターを操縦している、引き締まった身体を軍服で覆った壮年の男性が、背後で通話していた椿へと声をかけた。
「まあ、引くほどタフな男とわかっていたからな、それほど心配はしていなかったさ……それより、すまなかったな。こちらの事情で、君達を動かすことになってしまった」
「いえいえ。憧れの政府特務機関所属の七次少佐相当官と仕事ができるなんて、むしろ名誉なことであります!」
ヘリの中には椿と操縦者の他に、数人の軍服を着込んだ屈強な兵士達が待機していた。彼らはリーダー格である操縦者の言葉に、同意するように全員が頷いた。
彼らはいずれも、椿の所属する組織に同じく配属されている特殊部隊であった。
彼らは椿の指示の元、即座に部隊を編成、ヘリコプターの使用許可もすぐに獲得し、動けるほどの精鋭だった。
「ははっ、そう言ってくれると嬉しいよ――さて、GPSの通信データはそちらのモニターにも映し出されてるな?」
「はい! 現在、ターゲットは城山市内の高速道路を走行中であります!」
操縦桿の横のモニターには、先程加賀宮が諏方達に見せたスマホの画面そのままに、地図と点滅する赤い光を映し出していた。
「よしっ! それでは、これよりターゲットの捕獲任務を開始する。相手は魔法使いを名乗り、不可思議な力を操る危険人物だ。彼は私の身内に手を出し、あまつさえ一般市民に紛れ、逃走を図っている。放っておけば、市民にも危険が及ぶ可能性がある。それだけは、何としても避けねばならない。各員! 相応の覚悟を持って任務に当たるように!」
「了解――!」
兵士達の雄叫びと共に、人々が未だ眠る夜明け前の上空を、一機のヘリが空を斬り裂くように駆け抜けた。




