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あたしのパパは高校二年生  作者: 聖場陸
蘇る銀狼編
33/322

第32話 十七年前の約束

『オギャー! オギャー!』


 十七年前――ひとつの新しい小さな命が産声をあげた。


『よかった……ありがとう、白鐘ちゃん。生まれてきてくれて……本当にありがとう』


 出産直後の母親は衰弱しきった表情で、生まれたばかりの娘と、それを抱きしめる夫を愛おしそうに見つめた。


『……すげえ軽い。でも……すげえ重いよ……』


 父となった青年は、抱きしめた娘の泣き顔に、ただただ戸惑っていた。


『綺麗な銀色の髪……お父さんと一緒だね…………ゴホッ!」


 直後――母体の容態が急変する。だが――これは、あらかじめわかっていたことだった。


 母――黒澤碧は体が弱く、子供を産めば死んでしまうと医師に診断されていた。


 それでも――彼女は子供を生む決意をした。


 最初の頃は、夫である黒澤諏方とも何度も揉めた。だが、彼女は自身の決断を変えることはなかった。諏方も彼女の覚悟を感じ取り、共に決心したはずだった。だが――、


『碧……やっぱり死なないでくれよぉ……俺は、お前がいないとダメなんだよ』


『ハァ……ハァ……そんなこと言わないでよ、諏方くん……覚悟したって、言ってくれたじゃない?』


『それでも……お前には死んでほしくないんだよ! お前を最後まで守り抜くって、俺はお前に誓ったのに……』


『それなら……大丈夫よ。あなたは……この日まで……あたしをちゃんと守ってくれた……そばにいてくれた……それだけで充分、あたしは幸せだったよ……』


『でも……でもっ……』


『それに……あなたには……新しく守らなきゃいけない……小さな……小さな命が生まれてきてくれたでしょ?』


 先程まで元気よく泣いていた赤ん坊は、いつのまにか小さな寝息をたてて眠っていた。


『約束して……諏方くん……たとえどんなことがあっても……あなたが白鐘を守ってあげて……あたしの分まで……彼女のそばにいてあげて』


『碧……』


『あたし……すっごく幸せだったよ。短かったけど……あなたのそばにいられて……本当に幸せだった。だから……今度は……白鐘を幸せにしてあげて……』


『っ…………』


『お願いだから……約束して……諏方くん……そうすればあたし……安心してあなたと……お別れできるから……』


 諏方は、胸の中で眠る幼い命の小さな鼓動を感じながら、涙の流れる笑顔で彼女に答える。


『約束するよ……どんなことがあっても、俺が白鐘を守り抜く……世界で一番、幸せにしてみせる!』


 夫の答えに、碧は安堵の笑みを浮かべ、最後に瞳を自身の娘へと向けた。


『ごめんね……白鐘……あなたを抱きしめたかった……そばにいてあげたかった……あなたが大きくなるのを近くで見てあげたかった…………でも、安心して……あなたのお父さんは……誰よりも強くて――――誰よりもカッコいいんだから』


   ○


 天井に開いたわずかな穴から漏れ出る月明かりと、優しくて温かい緑色の光に包まれながら、銀髪の少年はゆっくりとその目を開ける。


「――っ! お父さん!」


 耳に届く第一声は、とても聞き慣れた娘によるもの。目に映るは彼の最愛の妻ではなく、大粒の涙を流した娘の顔だった。火傷を負っていた彼女の喉元は綺麗になっており、その声も諏方の耳に綺麗クリアに聞こえていた。


「よかった……意識が戻ったんですね?」


 その隣にはシャルエッテが、同じく目に涙を浮かべながら、ケリュケイオンを諏方にかざしていた。


「――っ――くっ……」


 壁に背中を預けていた諏方は、なんとか立ち上がろうと身体を動かそうとするも、両手足共にまったく微動だにしなかった。


「……スガタさんの身体は、全身の火傷で動かなくなっています。正直、息があるだけでも奇跡的です。今、治癒魔法をかけているので、もう少し我慢してください」


 身体の周りを覆う緑の光はゆっくりとだが、諏方の全身の火傷を回復していた。


「……また世話かけちまったな、シャルエッテ」


「――っ、そんなこと……私がもっと魔法の訓練をちゃんとやっていれば、戦闘面でもスガタさんをサポートできたのに……」


「……たくっ、まーたお前はそうやって勝手に落ち込む。腕が動かせたら小突いてやるところだぞ? いいか? 人ってのはな、それぞれできる事とできない事がある」


 諏方は娘の方へと視線を向ける。普段は目を合わせようとしてもすぐに逸らされていたので、こうして涙ながらも見つめ返してくれるのが嬉しかった。


「俺は自分の腕っ節で白鐘を救えた。でも、俺の力じゃ、白鐘や俺自身をこの場で治療する事なんてできやしない。こうして、白鐘が俺を心配そうに見てくれてるのも、俺がこうやって喋れてるのも、お前の治癒魔法のおかげだ。今は、それだけで十分じゃねえか?」


 精一杯ながらもニカッと笑う諏方を見て、シャルエッテもまた、涙を拭いながら満面の笑みを返した。


「……白鐘、ケガの方は大丈夫か?」


 問われた少女は少し恥ずかしげに、腕で顔を隠すように涙を拭う。


「……シャルエッテさんのおかげで、こうやって普通に喋れるぐらいには回復したよ。まだちょっと、喉元が熱いし、痛いけど…………」


「……白鐘?」


 涙を拭っていた腕が口元へと移動し、その上から、ほんのわずかに瞳を覗かせた。


「…………お父さんが助けてくれたから……その…………そこまで大したことないよ……」


 目はいつも通りに逸らされてしまったが、わずかに見える頬はほんのり赤めいていた。


「……よかった……本当にお前が無事でよかったよ……白鐘」


「……もう、私のことになるといっつも大げさになるところは、若くなってもやっぱり一緒なんだから……」


 ボソッと呟くような声の白鐘。


「――ん? 何か言ったか? もしかして、やっぱり声出しづらいのか?」


「――ちっ、違う! ……いやまあ、違わないんだけど……そのぉ……………………がと」


「……白鐘?」


 怪訝な瞳を向ける父に、ついまた声を荒げそうになってしまうも、それを抑え、一度深呼吸をしてから、


「…………ありがとう……助けてくれて……」


 やはり目は逸らしたままだったが、腕をどかして、真っ赤になった顔を隠すのはやめた。


 そんな恥ずかしそうにしている娘を見て、助けられて良かったと、心の中で深く安堵した。


「……当たり前だろ? 俺は、お前のお父さんなんだから」


「…………バカ」


 先程までの緊迫から一転、三人の微笑ましいやり取りに、場の空気がわずかに緩和されていった。


 ――その三人のいる壁際の横の柱に、加賀宮は身を隠すように、一人離れて立っていた。


 この場から逃げ出す素振りは見せないが、かといって、あの空気の中で近づくのも躊躇われた。


 ――しかし、


「――出て来い、加賀宮」


 ヤクザの如く、地の底から響くかのようなドスの利いた声に、呼ばれた主の身体に緊張が走る。


 唾をゴクリと飲み込み、恐る恐る柱から身を出す。


 白鐘からは怒りの、シャルエッテからは困惑の瞳を、それぞれ向けられていた。そして、呼び出した本人である黒澤四郎の視線は、怒りの感情すら感じ取れぬほどに真剣なものだった。


 予想外だった四郎の視線に、加賀宮は思わず、戸惑いで呆然としてしまう。


「黒澤四郎……正直、君が何者なのか、未だに僕の中でハッキリと結論付けられない。いや、ギリギリ察しはしているけれど、納得まではしていないってところか。――それでも、君が僕より遥かに大人の人間であることぐらいは理解しているつもりだ。それで? これから僕に説教でもかますつもりかい?」


「なっ――」


 信じられないといった表情で、今回の事件の元凶を見つめる白鐘。


「……もちろん、今回の事は悪いとは思ってるさ。白鐘さんには、お詫びしてもしきれない事をしてしまった。……だけど、こんな所で君の――いや、あなたの説教を聞くぐらいなら、大人しく警察にでも自首するさ」


 なぜ今更になって、こうして彼に虚勢を張っているのか、加賀宮自身わかってはいなかった。


 ただ、今回彼が起こした事件を、黒澤四郎一人が解決したのを認めたくなくて、彼に仮也の凶行から救われたのだと認めたくなくて――。


 何も考えずに、口から出る言葉は拒絶だけ。


 ――ああ、なんて僕はこれほどに愚かな人間なのだろうか――。


 心の内では自己を戒めても、その言葉を口にする事ができなかった。


「――加賀宮くん! 助けてもらっておいて、それ以上言うなら――」


「――いいんだ、白鐘」


 その二人を制止したのは、他でもない黒澤四郎(すがた)本人だった。


「お父さん……」


「っ……」


 気まずげに目を逸らす加賀宮に、諏方は変わらず、真剣な眼差しでまっすぐに見つめた。


「……てめえには言いたいことが山ほどある。説教なんて生ぬるいもんじゃねえ。てめえを今すぐこの場でブチ殺したいほど、俺はてめえを憎んでる」


「……そうだろうねえ」


「――だけどよ……それとは別に、てめえには礼を言わなきゃならねえ」


「…………はっ?」


 彼の言葉に、加賀宮は困惑の表情を浮かべる。


「……あの場で俺は、あの魔法使い相手に隙を見せるわけにはいかなかった。……俺としては苦渋の決断だったが、お前に白鐘を任せざるを得なかった」


「っ…………」


「てめえのおかげで、白鐘は助かったんだ。……てめえのことはどれほど憎くても、この事に関してだけは礼を言うのが筋ってもんだ」


 諏方は一拍だけ置き、そして口にする。


「…………ありがとう、白鐘を助けてくれて」


 殺したいほど憎い――その言葉は本物なのだろう。そんな感情を抱きつつも、四郎は加賀宮に礼を述べたのだ。


 ――自然と、加賀宮の頬を涙が伝った。


 彼が白鐘を救おうとしたのは、決して罪滅ぼしのためではない。ただ彼は、黒澤白鐘を助けたいという思いのみで動いたのだ。


 たとえ彼女への思いが、他者から見れば邪悪なものであろうと、それは紛れもなく加賀宮の白鐘に対する愛だった。


 そしてその思いによる行動を、自身を殺したいほどに憎んでいるはずの男から感謝されたのだ。


 彼自身認めたくはなかったが、この感謝の言葉に、彼は確かに嬉しくて泣いてしまったのだ。


 彼の涙を見て白鐘も、この場では彼を責める事を控えた。


「……僕は、あなたに礼を言われる資格など――」


「――資格はあるんだよ。もちろん、それでてめえを許すかってのは別だがな。いいか? 身体が動けるようになったらとりあえず、てめえに言わなきゃならねえことを、てめえ自身が嫌になるほどたっぷり――」


 ガタッ――。


 突如、岩が落ちるような音が鳴る。


 四人が音の先に顔を向けると、先程まで瓦礫の海に倒れていたヴァルヴァッラ(まほうつかい)が、ゆっくりとだが立ち上がっていた。


「――テメエ、まだ動け――ぐっ!」


 諏方は思わず起き上がろうとするも、やはり身体はピクリとも動かない。


「……ははっ、どうやら私よりも重傷らしいですね。……しかし、憎々しいことに、今の貴方を焼き殺せるほどの魔力は残っていません……ひとまず、ここは痛み分けということにしましょうか」


「――ッ! フザけんなぁ! 逃げるつもりか!?」


「当たり前でしょう? 詐欺師は逃げるのが本分なのですよ? 勝ち目のない戦いとわかれば、逃げるのが最善の策なのです。……今回、失ったものとこの傷は、人間を侮った事による戒めと覚えておきましょう」


 彼は弱々しげながらも、傷だらけの身体を引きずって、出口へと向かおうとする。


「シャルエッテ! アイツを止めろ!」


「――で、ですが……」


 シャルエッテは杖を握り締めるも、前には出れなかった。


「……賢明ですね。確かに、今の私ならば、君程度の魔法使いでも捕らえられることは容易でしょう。しかし、彼に治癒魔法をかけつつ私に攻撃できるほど、君は器用であるはずがありません」


「――ッ! おい、シャルエッテ! 俺には構わず、アイツを――」


「……できませんっ! 少しでも治癒魔法を解除すれば、中和しているスガタさんの火傷の痛みが一気に全身に走ります……そうなったら、今度こそスガタさんが死んじゃうかもしれません……」


「――ぐっ、でも……」


「ああ、言うまでもありませんでしょうが、そこの非力なお二方程度なら、追い払えるだけの余力はまだ残っています。決して、私を止めようなどという愚かしい行為には走りませぬことを願いたいですね」


 白鐘も加賀宮も、彼を止める事ができないのはわかっていた。ただ悔しさに、拳を握り締める事しかできなかった。


「……仮也」


 未だ偽名で呼ぶ、かつての主を感慨なく一瞥して、仮也ヴァルヴァッラは再び廃倉庫の出口を目指す。


「――黒澤、スガタさんでしたっけ? ……貴方の名は覚えておきましょう。詐欺師として、一度関わった相手と二度関わらないのが定石なのですが……ここまで私を追い込んだ人間は貴方が初めてです」


 もう一度だけ、彼は自身を追いつめた男へと振り返る。


「――いずれ必ず、貴方を焼き殺しに戻る事を約束しましょう……黒澤スガタさんっ」


 口調は丁寧ながらも、その瞳は怨嗟に染まっていた。


 ヴァルヴァッラは廃倉庫の出口横に停めてあった、複数のバン車の内の一台に乗り、アクセルを踏み込んだ。


 エンジン音はやがて遠ざかり、倉庫内に響く音は、シャルエッテの治癒魔法の静かな音のみ。


「……ちくしょう! アイツを放ったらかしたら、俺だけならともかく、また白鐘も危険な目に遭いかねないっ……!」


「……ダメだよ、お父さん。あたし達だけじゃ、どうしようも――」


 重くのしかかる空気の中、ポップな音楽が突如として流れ始めた。同時に、諏方の腰ら辺がわずかに振動していた。


「……俺のスマホか? わりぃ、白鐘、ポケットから取ってもらえるか?」


「えっ? でも……」


「あっ、緑色の光は特に気にせず、触れても大丈夫ですよ」


 白鐘は少し躊躇いつつ、父の白い長ズボンのポケットからスマホを取り出した。


「――っ! 叔母さまからだ!」


 小さな液晶の画面に映った名は、諏方の姉である七次椿のものだった。

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