第34話 四天王の日常②
互いに睨み合う二人の少年――穏やかであったはずの文芸部室の空気は、冷たく張りつめたものになる。
「ハァ……ハァ……」
銀色の髪の少年は咆哮をあげ、直後に思わず感情的に言葉を吐き出した事に若干の後悔と疲れでわずかに息が乱れる。
「うぉぉ……耳キンキンするぅ……」
諏方に抱きつき、間近で咆哮を耳に受けた明里は鼓膜の痛みと三半規管の乱れで目を回していた。
「……さっさと離れないからだ、たわけ」
呆れるようにため息を吐きつつ、孫一は鋭く尖らせた瞳を閉じて、バタンと読みかけていた本も閉じる。
「焦るな、黒澤諏方。急いては事を仕損じるとも言う。いいか? 何も闇雲にトレーニングを積んで人は強くなれるわけじゃない。何も考えずに力を付けるだけでは、いずれどこかで限界がくる。慎重に、計画的に、的確な力の付け方を焦らず学べばいい」
「焦らずっつってもよぉ……」
「それに、貴様はもう少し感情の抑え方を学んだ方がいいだろう。拳のみで不良が力を付ける時代はとうに終えている。大事なのは『気』を使いこなすこと。気のコントロールには何よりも感情を落ち着けるする事が大事だ。まずは息を落ち着け、怒りを鎮めておけ」
「…………」
冷静に説得されてもどこか煮え切らないでいる新入りの姿を見て、再度小さくため息を吐き出すメガネの少年。
「……俺は貴様の潜在力を買っている。正しく己を鍛えればそう遠からず、貴様が俺たちに並び立つ事も夢ではなかろう」
「っ……」
辛辣な中に肯定の言葉も混ざり、ようやく諏方の怒りも落ち着く。まるで幼子のような感情の上下。ある程度成熟した高校生にしてはどこか幼さすぎるように孫一は感じるも、その疑問は一旦隅に置いてさらに言葉を続ける。
「だが、貴様のトレーニングを積みたいという思いも一理はある。特に気を操るにおいて精神の安定化はもちろん、基礎体力を身につける事も重要であろう。そこの筋トレ用器具は好きに使え。一応は猿崎晋也の私物だが、貴様が使ううえで文句は言いまいよ」
「……つか、その猿崎晋也はどこにいんだよ? そろそろ来る頃つっても、全然来やしねえじゃねえか――」
「猿崎晋也――無事文芸部室到着ッスゥゥゥウ!!」
突如諏方の両肩に手を添え、彼の頭上を一人の大男が跳び箱のように飛び越えた。そのまま空中を何度か回転しながら滑空し、自身の筋トレ用器具の前へと両手上げの姿勢で着地する。
「百て――」
「一点。それと体操競技は十点満点だ、たわけ」
いつも通りの光景なのだろう、孫一は顔色一つ変えず晋也のボケをさばき切った。
「桑扶高校外周マラソン百周チャレンジ、ついに一時間切ったッスよー!」
「ひゃっ、百周を一時間……⁉︎」
桑扶高校は他の高校と比べてもそれほど校舎周りが広いわけではないが、少なくとも一キロ以上の距離はあるはずだ。それを百周ともなると、どう考えても普通の人間が一時間以内で走り切るのは不可能だ。しかも一時間近く走ったにも関わらず、汗はかいているものの息はそれほどあがってる様子は見えない。
「ほう、またスピードを上げたな、晋也。瞬発力はともかく、スピードを維持できる体力はさすがに貴様を超えれそうにはないな」
「っ…………」
化け物じみたマラソンを終えた晋也に、特に驚く様子も見せない孫一。
諏方は改めて、この場にいる四天王たちが自身の想定する以上の化け物ぶりに唖然とせざるを得なかった。
「お! 諏方センパイじゃないッスか! ついに文芸部室に来てくれたんッスね! 大歓迎するッスよ!!」
一番この部屋に合わなさそうな外見の少年が、一番に諏方の来訪を喜んでいる。
「晋也、黒澤諏方がトレーニングを所望している。気のコントロールを安定化させるために、まずは基礎体力を付けてやれ」
「合点承知ッス! ここにある器具は自由に使ってるオッケーッスけど、まずは準備運動がてら、簡単な筋トレから始めたてみましょうか! まずは――」
晋也はさっそく学ランを脱いでソファに放り投げると、片腕を床につけて自身の身体を逆さに反転し、腕一本で身体を支える体勢になる。
「――片手腕立て伏せ! それぞれ百回ずつ、まずは三セットから始めてみましょう!」
あまりにな無茶難題を簡単に言いのける晋也。それを呆然と諏方は見つめ――、
「中国雑技団……?」
「この場合、猿まわしの方が例えとしては正しいだろう」
「言いたい放題ッスね、二人とも⁉︎」
逆さ状態のままツッこむ晋也。諏方は困惑したままに、助け舟を求めるように孫一の方へと視線を向ける。
「本気でアレをやれって事でいいのか……?」
「まあ、三セットは少し過剰だが、せめて一セットぐらいはやってのけてみせろ。……よもや、今さらできないなどと弱音は吐きまい?」
挑発とも取れる言葉と流し目の笑みに、諏方はまたもカチンと怒りがわく。
「上等だ……三セットと言わず百セットぐらいやってやらぁ……!」
銀髪の新人四天王は意地っぱりになって抱きついたままの明里を振りほどき、晋也の隣にまで進んで同じように片腕一本で逆上がりする。
「ぐっ…………重…………」
諏方は背丈も相まってそれほど体重がないながらも、それでも腕一本で支えるには人間の身体はさすがに重すぎる。それでも諏方はなんとか倒れないように、片腕に全神経を集中させた。
「お、気合い十分ッスね! んじゃオイラに合わせて、イッチ、ニ、サン、シ」
「イチ……ニ……サン……シ……」
ワンテンポ遅れながらも、諏方はなんとか倒れず腕一本で逆立った身体を上下させる。
「あの筋肉バカに合わせて、いきなり片手腕立て伏せとかやるじゃん。さすが、ウチを見い出したまごいっちの審美眼。将来有望な卵を見つけたもんだね」
「誰が手持ちぶさたになったからといって、俺に抱きつく事を許可した、たわけ」
孫一の背中に回って彼の肩に抱きつく明里。だが言葉では拒絶しながらも、彼も無理に振りほどこうとはしなかった。
「――んで、なんか気がかりな事でもあんの?」
「…………」
能天気なフリをしてその実、孫一や諏方の様子を明里はしっかり見ており、疑問を投げかけた。
孫一はしばらく無言でいたが、やがてまた小さくため息をつきながらも彼女の疑問に答える。
「黒澤諏方――あの男、高校生にしては少しばかり精神が幼すぎるように感じる」
癇癪持ちとまでは言えないながらも、すぐに怒りだしたり意地を張り出したり、そしてちょっとした言葉ですぐに怒りを鎮めたりなど、まるでわがまま盛りの子供のように孫一の眼には諏方がそう映っていたのだ。
「無邪気な小学生、精神が不安定な思春期の中学生を経て、高校生ともなればある程度精神が成熟に形成されるはずなのだが……まるで、彼は小中を飛ばして未熟なまま高校生になったように俺には見える」
「んー……ウチらが言うのもなんだけど、結局ウチらってなんだかんだ子供なんだからそんなもんじゃないの? それにあの子背が小っちゃいから、余計に子供っぽく見えるとか?」
「度が過ぎるという話だ。それに背丈にも言及するならば、あの筋肉の付き方にしてはあまりにも小さすぎる。そういう体型であるというだけの可能性もあるが、栄養の付け方が破綻してるようにも取れる。さらには彼の過去に関しても帰国子女やら引きこもりやら、なぜか情報が錯綜している。まるで、本来の彼の過去を隠そうとしているようにな……」
「っ……」
「過去に関しては詮索するつもりはなかったのだが……場合によってはあの男の精神を安定化させるために、ある程度調べておく必要もあるかもしれんな……」
「まるでカウンセラーだねぇ……そういうとこウチは好きだよ、まごいっち」
「……貴様に好かれて嬉しいものか、たわけが」
人差し指でメガネの中央を直した孫一の瞳は、苦悶に耐えながら片腕で身体を上下させる銀髪の少年を静かに捉えていた。




