第33話 四天王の日常①
「……………………ふぅ」
放課後――まだ空は明るく、窓の外では部活に勤しんでいるであろう生徒たちの気合の入った甲高い声が響いていた。まだホームルームも終えたばかりで校舎中に生徒たちの姿を見てもおかしくないはずなのだが、とある一室周りの廊下だけは人の影もなく、日差しの向きも悪いのか薄暗く、どこか不気味な空気を漂わせている。
その廊下の真ん中――件の一室の前で黒澤諏方は、深く息を吐き出して身体の緊張をほぐしていた。
開かずの文芸部室――学校内での噂として語られ、存在があやふやだった桑扶高校四天王の拠点。四天王となった諏方は初めて、孫一からこの部屋に来るよう呼び出されたのだ。
「…………」
退院明け早々、二年B組の実質的リーダーとなった諏方だが、学校での過ごし方は特段一般的な生徒と変わるものではなく――もっとも、長年地下室に監禁され、転入初日も校内見学のみだった彼にとっては初めての学校での授業でもあり、とても新鮮な体験を得られた日でもあったのだが――無事平和な一日が終わろうとした放課後のホームルーム時に、携帯に登録した孫一のメールで文芸部室への呼び出しを受けたのだ。しかも誰も連れて来ず、たった一人で来いという一文付きで。
「…………ふぅ」
もう一度深呼吸。まだ他の四天王たちと仲良くなったつもりもないというのもあるが、諏方は未だに他者との接触に抵抗を感じていた。
それも仕方のない事だろう。諏方は長年暗い地下室に閉じ込められ、剛三郎を除いて他者との接触が皆無だったのだ。よりによって唯一の交流できた人物が監禁者本人であり、一方的な暴力しか受けてこなかったがために、未だ他者との交流を苦手としているのだ。
転入初日に諏方が二年B組のクラスメイトたちにケンカ腰になっていたのも彼なりに不良らしく振る舞おうとしたのもあるが、最初から他者に対して拒絶気味に突き放すことで余計な接触を避けようという、無意識の心理的自己防衛の表れでもあった。
だが気づけば、勢いそのまま巨悪を倒した事で二年B組のクラスメイトたちからは慕われるようになり、四天王というまだ謎の多いグループにも入る事になった。拒絶のために他者を突き放していたつもりが、なぜか自然と彼の周りには人が集まっていた。
それでも、諏方本人が他者とのコミュニケーションに慣れたというわけではない。それゆえに、こうして文芸部室の前で彼は何度も深呼吸し、心臓の鼓動を少しでも安定させて緊張をほぐそうとしていたのだ。
「……………………入るぞ」
コンコンとノックの音ですらどこか重厚に聞こえるなか、諏方は古めかしい木造扉のドアノブをゆっくり回し、文芸部室の戸を開いた。
「――ギャハハ! またヒロイン死んでお涙ちょうだいラストじゃん。ワンパターン展開すぎてマジウケる!」
「――たわけが、携帯小説も立派な文書本だ。小説ぐらい黙って読むこともできないのか、阿保め」
文芸部室には先客が二人――横長のソファに寝っ転がりながら、おそらくは感動ものであろう携帯小説を読んでゲラゲラ笑っている夜空明里と、イラだちを隠せないながらもパイプいすに座りながら視線を紙の本に向けてページをめくる八咫孫一の姿があった。
「っ…………」
二年B組の教室に続き、またも予想だにしなかった光景に諏方は呆然とする。オンボロでいかにも怪しげな雰囲気を漂わせた扉をくぐった先の景色とは思えないほどに、室内はキレイに整理整頓されている。
部屋の中央には長机が置かれ、その横にパイプいすが二つずつ。扉から真向かいにはふんわりそうな赤いソファ。右奥の角側には本棚が鎮座され、いかにも小難しげな文学小説から、最近流行りだしつつあるライトノベルと呼ばれる小説まで、数多の種類の本が隙間なく並べられていた。
ここは文芸部室なのだから、本が置かれている事自体は別に不思議なものでもないだろう。だが不良高校の、しかも誰も使ってないとされていた開かずの文芸部室がまさかここまで文芸部室らしい内装になっていたとは予想できず、諏方はしばし言葉を失っていたのだ。
「っ……」
彼が言葉を失っている理由はもう一つある。本棚とは反対側、部屋の左奥の角側の床に並べられているはいくつものダンベル。それぞれカラーリングが違って板張りの床をカラフルに彩り、大きさも重さもそれぞれで異なっている。
さらには室内用の小型ランニングマシンやマルチホームジムなど、読書や創作を活動にするはずの文芸部とは縁遠いはずの筋トレ用の器具が文芸部室の一部を占拠していたのだった。
かたや本棚、かたや筋トレ用器具と、あべこべな組み合わせが部屋の内装を混沌とさせ、それゆえ諏方はカオスなその光景に戸惑い、固まってしまったのであった。
「――む? ようやく来たか、黒澤諏方」
しばらく突っ立ったままでいると、孫一がようやく気配に気づいて本から顔を上げた。
「キャア⁉︎ 諏方っちが来てくれたー!」
同じく諏方の入室に気づくと、明里は携帯をソファに放り投げながら飛び上がり、そのまま彼の元へダイブして抱きついた。
「だぁー⁉︎ だから女が簡単に男に抱きついてくんじゃねえッ!!」
「にゃはー! そういうウブな反応する奴ほど、愛おしくて抱きしめたくなるやつなのさー!」
いくら諏方が振りほどこうとしても明里の見た目細身のはずの腕はあまりにも力強く、強引に引き剥がせそうにはなかった。
「夜空明里の抱きつき癖は諦めろ。俺がいくら諌めても治る気配がまったくない。あげくに晋也の頭猿にまで感染する始末だ。まあ、適当に満足したら勝手に離れるさ」
「完全に猫みてぇな扱いじゃねえか……」
「その後は好きなイスにでも座って、棚に置かれた本でも読んでるといい。ここは文芸部室だ。部活としての機能はとうに失われているが、それでもここの蔵書は多彩なジャンルを抑えている。冊数こそ劣るが、充実度でいえば図書室と比しても十分に匹敵する。本を読まぬなら携帯をいじくってても構わん。そこの女のように騒がしくしなければ、俺も口は挟まん」
そう言い終えるともう用はないと言いたげに、孫一は再び本の方へと視線を下ろした。
「……………………いやいや待て待て! 別に俺はここに読書しに来たわけじゃねえぞ⁉︎ テメーがわざわざメールで俺を呼んだからここに来たんだ。だいたい不良校の四天王が文芸部の真似事なんて意味わかんねえよ⁉︎ そこは会議したりだの、強くなるためにトレーニングしたりだのするとこじゃねーのかよ⁉︎」
だんだんと声を荒げてくる諏方に対し、しかし孫一はたいして気にすることもなく、本から視線を外さないままでいた。
「四天王の仕事は学内の問題処理だ。学校の中で大きな問題が起きなければ、こうして日がな一日のんびり過ごす事の方が大半だ。それと、今日呼び出したのは四天王に入ったばかりの貴様に拠点であるこの部屋に案内し、可能ならば四人顔合わせをしようというだけの理由だ。猿崎晋也もそろそろこちらに来る頃だが、貴様に別件があるというなら特段引き止めることもせん」
本当にそれだけの理由なのだろう、孫一は簡潔に説明したのち、また無言で読書を続ける。
「……………………ざけんな」
深く、くぐもった声――諏方は静かに、怒りに拳を震わせていた。
「――ざけんなよ、ゴラァッ! オレは強くなるために四天王に入ったんだぞ! それを読書だなんだってやってられるかよ……なんなら、今すぐあの時の決闘の続きをやるか……⁉︎」
「うにゃ⁉︎」
「ッ――!」
放たれる咆哮。我慢ならずに叫ぶ諏方に対し、孫一のメガネの奥の瞳が鋭く尖る。
――不良校とは思えないほどにゆるやかだった空気が、一気に凍える冷たさを帯びる。
一触即発――二人の少年は、静かに互いを睨み合うのであった。




