第32話 たとえあの時と同じ景色でも
「「「退院アンド四天王就任おめでとう、黒澤くん!!」」」
「……………………は?」
豚山猪流の起こした屋上での人質騒動から一週間――黒澤諏方は無事退院し、久方ぶりに二年B組の戸を開いた先の光景に、彼は目を丸くする。
落書きまみれの教室の壁にはカラフルなポンポンなどの飾りつけに彩られ、まるで誰かの誕生日パーティーのような様相を呈している。諏方が教室に入ったのは転入初日以来二度目になるのだが、どこか別の場所に迷い込んでしまったのではと錯覚するほどに、かつての荒れ果てた二年B組とはあまりにも雰囲気が変わってしまっていたのだ。
「おかえりなさい、アニキ!」
「おかえりなさいっす、兄貴!」
入った場所が間違いではないと諭すように、諏方にとってもすっかり見慣れた顔である自称舎弟の鷹走武尊と茶髪リーゼントの二人が、嬉しげに彼の元へと駆け寄る。
「テメーら……オレより一日前に退院したってのは聞いてたけど、もうそんな動いていいのか?」
「なんかあのお医者さん、メチャクチャ凄腕みたいで本当なら全治一ヶ月のケガを、一週間で治してくれたんです!」
「あのヒゲメガネのオッサン、そんなすげー医者だったのかよ……」
ふと真顔でピースしてる光景が頭の中で浮かびそうな、見た目はいかにもうさんくさげだった老人だったが、諏方自身も早期で完治する程度に腕は確かな医者なのは間違いないようだ。
「……んで、この状況はいったいなんだってんだ?」
「なにって、兄貴の退院と桑扶高校四天王に入った事へのお祝いっすよ。豚山さんのかわりに四天王になったって事は、俺たち含めて全学年のB組のリーダーになったも同然! さすがにケーキとかは用意できなかったっすけど、せめて雰囲気だけでもって事で、今日の早朝からみんなで準備したっす!」
「テメーら……」
予想だにしなかった出来事に、銀髪の転校生はしばしクラスメイトたちの楽しげな笑顔を呆然と見つめている。かつて転入初日の時は――諏方自身の明らかケンカを売るような発言が起因だったが――敵意が込められた彼らの眼差しは、今は歓迎と尊敬の色に変わっていた。
――しかし、諏方は目の前の光景を素直には喜べなかった――。
――かつて幼い自分を引き取った男も、同じように部屋を飾りつけて、同じような笑顔で歓迎してくれたからだ――。
だからきっと――――また裏切られる。
「よし――テメェら、打ち合わせ通りにやるぞ!」
茶髪リーゼントは後ろにいるクラスメイトたち全員を見渡した後、彼らとうなずき合う。そして隣に立つ武尊と目を合わせ、彼ともうなずき合うと互いに改めて諏方こ正面に背筋を伸ばして姿勢よく立つ。
「諏方のアニキ! 改めて、ボクたち二年B組はアニキの舎弟としてこの身、この命を捧げ、アニキとともに戦うことを誓いますッ!」
「ッ――⁉︎」
未だ驚きが消えてないでいる諏方に向けて、さらに畳みかけるように武尊は張り上げた声で宣誓する。
「これは兄貴が四天王になったからじゃねえ……四天王に管理された全学年のB組としてじゃなく、二年B組としてクラス全員が、兄貴の舎弟になりてぇってことっすッ!」
茶髪リーゼントの言葉を肯定するように、クラスメイトたちはうんうんとうなずいている。
「どうして……どうしてオレなんかに……」
諏方はやはりまだ彼らを信用できず、そんな自分への怒りに拳を震わせている。
「……アニキは豚山さんに捕らわれたボクと茶髪くんを救ってくれた。まだ出会って間もないボクたちのことを……!」
「俺たち二人はもちろん、兄貴の活躍っぷりはネットニュースにも載っているし、俺たちも熱心にコイツらに伝えたっす。そしたらすっかりクラス全員が、兄貴の舎弟になったんすよ……!」
クラスの誰一人として、二人の言葉を否定する者はいない。どうやら彼らが諏方の舎弟になりたいという意志は本物のようだった。
「……テメーらが思ってるほど、オレは強くねえぞ……? 他の四天王たちと比べりゃあ、オレはまだまだ弱え……」
吐露される弱音。今の自分に舎弟となって慕うほどの力などないと、諏方は依然彼らから距離を取ろうとするような言葉を並べる。
だが――クラスメイトたちの意志はそんな弱音で揺れるほど、軽い思いではなかった。
「……アニキが強いから舎弟になりたいんじゃないんです。アニキがカッコいいから、みんな舎弟になりたいんですよ」
「それに、たしかに俺たちは豚山さんの下でやりたい放題してたっすけど、それでもあの豚の奴隷になって管理されていたのは窮屈だったっす……だから、あいつから解放してくれたって意味でも兄貴は俺たちの救世主なんすよ」
「っ……」
――褒められたいから戦ったんじゃない。
――感謝されたいから助けたわけじゃない。
ただ――何もしないでいると胸が苦しかったから、自然と足が踏み出したんだ。
――それだけの理由なのに、クラスのみんなはそれをカッコいいと言ってくれた――。
しばらく無言でいる諏方に少し戸惑いながらも、武尊と茶髪リーゼントはまた互いに目配せをして、突然彼を前にして片膝と拳を床につけて、頭を垂れてひざまづいた。
「改めて言葉にさせてください、アニキ!」
「俺たち二年B組は兄貴の舎弟となり、アニキの背中を守り、兄貴とともに戦う事を誓います……!」
「「「お願いしやすッッッッ――――!!!」」」
教室が揺れんばかりに響き渡る二年B組の誓いの言葉とともに、二人に続くように他のクラスメイトたちも一斉に諏方に向けてひざまづく。
「っ…………」
諏方はすぐには言葉を返せない。考え、考え――今自分が出すべき答えを頭の中で考えつくす。
やがて諏方は腕を組んで彼らからそっぽを向き、少しそっけなさげな声で――、
「――知るかよ…………テメーらの好きにしやがれ、バーカ」
ぶっきらぼうに返事する彼の頬は、恥ずかしさで薄く赤らいでいた。
「アニキ…………これからもついていきます、諏方のアニキッ!!」
「だー! この学校、抱きつき魔多すぎねえか⁉︎ チクショウ!」
認められた嬉しさで、思わず諏方に抱きつく武尊。他のB組の生徒たちも彼の舎弟になれて歓喜の声を上げ、まるでお祭りのように教室内で踊り騒いだ。
「……………………」
――ずっと地下室に囚われていた銀色の髪の少年――。
たしかにカゴからは解放されたが、それでも彼の心は未だあの世界に囚われたままだった。
警察の手で引っ張られながら地下室を出たおりに、かつてはあの男が歓迎のために飾りつけ、数年経って殺風景になったダイニングを目にした時、地下室でもほとんど吐く事のなかった諏方は思わずその場で嘔吐してしまった。
今でもあの男の自身を迎え入れた笑顔を忘れはしない。にこやかで、しかしいびつに歪んだ偽りの笑顔――。
二年B組の教室はあの時のダイニングと似たような景色のはずなのに――今は楽しげに騒ぐクラスメイトとともに、目の前の光景に銀色の髪の少年は心を温かくしていた。
せめて、今目の前に見える景色が偽りじゃないように――自然と、諏方は心の中でそう祈っていたのであった――。
「――――テメェらッ! なに教室で騒いどんじゃボケェッ!!」
突如として教室内に、竹刀を持った乱入者が現れる。
「やべ! もう先生来やがった⁉︎」
お祭り騒ぎはさらにあわただしく、クラスメイトたちは時すでに遅しながらも教室内の飾りをあわてて片づけ始めた。
「なにしてやがったか知らねえけどよ、今日の授業までに抜き打ちでテスト作ってやるから覚悟しやがれ、不良どもッ!」
「「「それだけは勘弁してくださーい!!」」」
「…………いや先生の許可取らずにやってたのかよ、これ……」
なかば呆れてため息を吐き出しながらも、諏方もクラスメイトたちと一緒に教室の飾りつけを片づけることにしたのであった。




