第30話 駒(人)を操る簡単な方法
「情だよ――黒澤諏方には、人質を助けに行くだけの情がある」
演説するように少し大げさげに、壊兎は指に煙の出る白い棒を握ったまま両腕を広げる。
「情……ですか?」
壊兎の意味深な言葉に、水也は訝しげな視線を向けた。
今回人質となった二人とは、黒澤諏方はまだ深い交流はない。それでも病院を抜け出して助けに行くほどなのだからなるほど、たしかに彼は情に厚い人間なのかもしれない。
だからといってそれがなぜ、諏方が壊兎に従う理由になるのかがわからない。むしろ今回の騒動の黒幕が彼だと知れれば、反逆されるキッカケにすらなりかねないようなものだが。
「情があるって事は、それは弱みにもなるって事さ。情のない人間は自分の都合だけで他人を平気で裏切れる。だからこそ情につけ込んで、オレ様の手駒になるように仕込むのさ――今のテメェのようにな?」
「ッ――⁉︎」
水也は一瞬目を見開き、しかしすぐに視線を彼から逸らしてしまう。
「妹さん、元気にしてるか? 通行中の交通事故で意識不明。他人の命なんてどうでもいいオレ様だが、大切な部下の身内ともなるとさすがに心配にはなるんだぜ?」
思いやるような言葉とは裏腹に、嬉々とした表情で部下の身内の不幸を嘆く壊兎。そんな彼に思わず水也は、怒りの形相で睨み下ろしてしまう。
「誰のせいで……妹に事故を起こしたのも、あんたの部下――」
「おいおい、言葉を慎めよ――ゴミクズふぜいが」
表情からヘラヘラとした笑みが消え、瞳を見開く壊兎。重圧のかかった視線と脅し文句は、水也の心臓を押し潰すさんとするほどのプレッシャーを彼に与えてくる。
「ダメだぜぇ……証拠もないのに勝手に決めつけるようなことを言っちゃあよぉ……。あの事故はたしかに、オレ様の部下が免許もねえのに運転をして起きちまったやつだがよぉ、その事故をオレ様が指示して起こさせた――なんて証拠は、どこにもねえだろ……?」
「っ……それは……」
「だがそれでも、オレ様の部下が起こしちまった事故ってのには変わらねえ。それにテメェの家は貧乏だからな。そんなテメェら一家に代わって、オレ様が責任を持って妹さんの莫大な治療費を払ってやってる……違うか?」
「…………」
「テメェの両親が泣きながらオレ様に感謝してよ……嗤いそうになるのをこらえ――テメェら家族の温かさに触れてこっちまでもらい泣きそうになっちまったぜ、クク……」
「っ…………」
「とはいえ、オレ様自身が起こしたわけでもねえ事故の損害賠償をオレ様が全額払ってやってるんだ。その見返りに、テメェを働かせるってのは実に道理のかなった話だとは思わねえか? ……テメェは『気』を使えねえゴミクズだがよ、情報収集と工作には長けている。それだけで、オレ様にとってテメェは使う価値のある駒だ」
「……そうやってあなたは、自分にとって都合のいい駒を増やしていってると言うのですか……⁉︎」
「そうともさ! だが駒は無感情でも、無心でもいけねえ。駒を操るのに必要なのは情だ。情のある人間は、他人のためになんだってできる。その情につけ込めば、誰だってオレ様に従わざるを得なくなる――そうは思わねえか、虎川水也?」
「くっ……!」
実際に壊兎が妹を事故に遭わせたのかはともかくとして、たとえ理不尽な命令であろうとも治療費を出してくれている彼に、水也は従わざるを得なかったのだ。
「……忠義心なんてものは、それこそ金魚のフンほどの価値もねえ。大事なのは利用するに足る優秀な性能と、オレ様を裏切れねえたしかな情だ」
「…………」
黄金猛獣の幹部的立ち位置にいる虎川水也は当然、壊兎以外の三巨頭とも面識がある。会話に至る機会は少なかれど、蒼龍寺葵司も園宮茜も共に部下を気遣い、信頼する絆の強さを十分に感じ取れた。
――だが目の前にいるこの男は、自分以外の全てを信用していない。
実力だけで言えば、たしかに彼は他の二人に匹敵する力を持っているだろう。だが人間としての人格は少なくとも二人と比べて、明らかに破綻していた――あるいは獅子瓦壊兎のような悪性こそが、不良としては正しい姿なのかもしれない。
「では追加の命令だ――黒澤諏方の過去を調べ上げろ」
「ッ――⁉︎」
この命令を出される事を水也は予測していた。だがそれでも、壊兎の残忍な笑みを目の前にして思わず身体が固まってしまう。
「……黒澤諏方に関しての情報はすでに調べており、資料として送っているはずですが……?」
「そんなありきたりな言い訳でかわそうとしてんじゃねえよ? 虎川水也、気を使えねえテメェがなぜゴールデン・ビーストの幹部の席に座れているか――それはオレ様がテメェの情報収集能力を買っているからだ」
「っ……」
壊兎の言う通り、水也は不良としては似つかわしくないハッカーとしての才に秀でている。彼のハッキング能力のおかげでこと情報戦においては、ゴールデン・ビーストは他の三大不良チームよりも一歩抜きん出ていると言えた。
「テメェの資料にもあったが、奴には桑扶高校転入以前の情報が不自然と言えるほどに見当たらねえ。一応は引きこもりだったとの事らしいが、背丈が小せえを除けば筋力と戦闘力がどう考えても鍛えられすぎている。……黒澤諏方の空白の過去には間違いなく何かがある。そしてその過去にこそ、奴をつけ入れる弱みがあるはずだ……!」
相手の弱みを握り、その者を取り巻く環境を掌握し、支配する――獅子瓦壊兎はそうして、自身の勢力を拡大させたのだ。
「……少々お時間がかかる事を留意していただけるなら」
「構わねえさ。三巨頭会議……までにとは言わねえが、例の計画には間に合わせろ」
例の計画――その言葉に、水也の目の色がまたも変わる。
「……彼も戦力に加えるという事ですか?」
「それを見極めるのはこれからさ。なんにしろ、戦力も情報も多いに越した事はねえ。なんせ相手は――」
すっかり短くなっていた白い棒をベッドのサイドテーブルに置かれた灰皿に潰し捨て、壊兎は新しく取り出した棒に火をつける。それを口にくわえてしばらく吸い込み、天井に向けて大きく煙を吐き出した――まるでこの後に待ち受けるであろう戦いの狼煙を上げるように。
「――この城山市、そのものなんだからなッ!!」
◯
「なっ――貴様、今なんて言った……?」
唖然とした表情で問いかけるは、長丁場になると踏んでベッドの横のイスに座り、本を開き始めたばかりの八咫孫一であった。
彼の目の前――白いベッドの上で病院服を着用しながらふんぞり返っている銀髪の少年は、つまらなさげな表情ながらも少し頬を赤く染めて、今しがた発した言葉を繰り返し口にする。
「だから入ってやってもいいって言ってんだよ! ……その四天王ってやつに……!」




