第23話 屋上での決闘
「アニキの第一舎弟を名乗ったのなら、アニキの恥になるような生き方はしたくないッ……!」
手足をフェンスに縛り付けられ、自分よりもはるかに大柄な男を目の前にしてなお、イジメられっ子だった少年はその瞳に炎を燃やした。
「……言うようになったじゃねえか、たかパシリ……いや、『鷹走』……!」
腕っぷしも頭も悪く、不良が多数を占めるこの学校においてわかりやすくイジメの対象となった小柄な少年。だが今この場においては、一番強く存在感を示しているのは間違いなく彼である。
黒澤諏方という支柱に支えられた鷹走武尊の精神性は、今この場にいる誰よりも間違いなく最強であったのだ。
「だからなんだよ、クソチビが」
武尊の頭に豚山の木刀が容赦なく振り下ろされる。負け惜しみなどではない。もはやどんな言葉も彼の耳には届かないほどに、彼の脳みそは怒りという感情に占められていた。
さらに二度、三度、ためらいもなく叩き降ろされる木刀。武尊の顔のほとんどは、頭から吹き出る血によって赤く染まり上がってしまう。
「お、おい! やめろ豚山! それ以上やったら、鷹走が死んじまうだろうがッ!!」
「そ、そうっすよ……! さすがにガチの人殺しはマズいっす……!」
茶髪リーゼントが怒鳴り、豚山の子分も必死な声で彼を止めようとする。
「うるせえッ! 人質なんざ一人いりゃ十分だ! このチビはよりにもよって、この豚山様にツバを吐いてコケにしやがった……ゼッテーに許してたまるかよッ!!」
木刀に殺意を乗せ、勢いよく振り上げる豚山。武尊はまだ意識が残っているものの、血が滴った瞳で見る景色は真っ赤に濡れていた。
「やめろッ! 豚山ァッ――!!」
曇り空の下で響く茶髪リーゼントの叫び。だがそれで豚山が止まるわけもなく、彼は容赦なく木刀を振り下ろ――、
――鼓膜を痛いくらいに鳴らしたのは、鉄が叩かれたような音。
音がしたのは屋上の出入り口から。木刀を握る豚山の手が止まり、彼を含む屋上にいる全員が音のした方へと視線を向ける。
出入り口の鉄扉が開放されていた。先ほどの鉄を叩いたような音は、出入り口の鉄扉を勢いよく開け放ったことによる音であった。
「…………本当に来たか……黒澤諏方ッ!!」
扉を開けた先に腕を組んで仁王立ちしていたのは、豚山の本命である銀色の髪の少年であった。
身に纏うは学ランではなく薄い青の病院服。なんとか病室から抜け出して、そのままここに来てくれたのだろう。
「兄貴ッ! 来てくれたんすねぇ……兄貴……!」
来ない可能性もよぎった諏方が来てくれた事実に、茶髪リーゼントは歓喜の涙を流す。
だが一方、もう一人の人質である武尊は意識が薄らいでいるのも合わせてか、困惑気味の表情を浮かべていた。
「どうして……どうして来てくれたんですか……アニキ……?」
「お、おい鷹走、お前何言って――」
「――アニキは意識が回復したばかりで、まだ本調子じゃないはずです……! それなのに、こんな危険な場所に一人で……アニキにとってたった一日しか会話してないボクたちなんかに、助ける義理なんてないはずなのに……!」
本音を言うなら、武尊もまた諏方がここに来てくれた事を嬉しく思っている。しかし、自分のせいで彼が傷つくのを恐れていたのもまた本心であった。
ゆえに助けに来ないのならそれでもいいと思っていた。なのになぜ、彼はここに来てくれたのか――。
「どうして……どうしてボクたちを助けに――」
「――――知るか」
なんとはなしに放った少年の言葉はしかし、不思議と耳通りよくスッキリと心根に浸透する。
「……正直、オレだってなんでここに来たのかわかってねえ。だけど――」
組んだ両手をそのままに、少年はまっすぐに前へと進む。
「――ここに来なきゃ、きっと後悔する。そう思ったから来た」
確信を持って来たわけではない。だが少年の声には迷いを感じられないほどに、清廉で澄んでいたのであった。
「アニキ……ありがとうございます……!」
武尊が諏方に抱く感情はもはや憧れだけではない。
彼の歩む道を見たい、共に歩きたい、彼の力になりたい――そんな感情が、武尊の中に芽生えるのであった。
「よぉ〜、待ってたぜぇ〜、黒澤諏方ちゃんよぉ〜」
先ほどまでの怒気に満ちた表情が不気味な笑顔へと変わった豚山が、木刀で肩をトントンと叩きながら諏方の元へとゆっくり近づいてくる。
「なんだよ? もうすっかり元気になったかと思ってたけどよ、包帯ぐるぐる巻きじゃねえか。焼豚のつもりか? 豚野郎」
「下手な挑発はやめておけよ、黒澤諏方。テメーには人質がいる事を忘れるな?」
挑発をされても豚山の余裕の態度は崩れない。
「っ……」
豚山の後方の向こう側にあるフェンス。そこに磔にされている二人の人質の姿を、諏方は改めて確認する。二人とも上半身を裸にされて身体中はアザだらけにされており、特に武尊は頭から血を流してポタポタと雫が床にこぼれていき、顔も真っ赤に染まってしまっていた。
「……約束通り、一人で来てやったんだ。さっさと二人を解放しろ」
「そう怖い顔で睨むなって。男と男の約束だ。ちゃんと人質は解放してやるよ。ただし……もう一つ条件がある」
諏方と交わされた約束は一人で屋上に来るという一点のみのはずだったが、卑怯にも豚山は後出しで条件の追加を言い出したのだ。
本来ならば「フザケんな!」と突っぱねたいところではあったが、人質が捕らわれたままな以上は下手に口出しするわけにもいかない。
「…………何をすればいい?」
「何もしなくていい。テメーは何もしなくていいんだ」
言うないなや、豚山は木刀を思いっきり振りかぶって、諏方の頭に勢いよく叩き落とした。
「ぐッ――⁉︎」
「アニキッ⁉︎」
「兄貴ッ⁉︎」
頭蓋に疾る痛みに思わずめまいが襲う。一撃で額が割れたか、血があふれてあっという間に諏方の顔を赤に染め上げていく。
だが諏方は歯噛みしてめまいを無理やり取り払い、下がった頭を上げて豚山を強く睨み上げる。
「おっと、反撃するなよ? 人質解放の条件は『何もするな』だからな。これからオレ様が満足するまで、テメーは物言わぬサンドバッグになるんだよッ!」
さらに一発、二発と、木刀が容赦なく諏方の頭に振り下ろされていく。
「ッ……ッ……」
諏方は豚山の提示した条件通り、黙って木刀の乱打を受け入れる。やがて木刀の矛先は頭だけでなく、身体にも浴びせられていく。
「ダ……ダメです……このままじゃ、アニキが死んじゃう……!」
「兄貴ッ! 俺たちに構わず、豚山の野郎に反撃してくだ――」
「――るせェッ!!」
「「「ッッ――⁉︎」」」
屋上そのものがゆれたと錯覚するほどに響く諏方の雄叫び。
すでに気を失ってもおかしくないほどの痛みを負うも、諏方は仁王立ちの構えを崩さないでいる。
「これはオレと豚山の二人だけの決闘だ! 外野が余計な口出しをすんじゃねえッ!」
反撃も許されない、一方的な暴力を受けるだけのただの蹂躙――しかしそれに耐えることすらも、彼にとっては侵されるべきではない神聖な決闘であったのだ。
「…………上等だ」
一方の豚山は気持ちよく痛ぶるための蹂躙を決闘と言葉にされ、未だ折れぬ諏方の精神に、消えかけた怒りを再び湧き上がらせる。
「黒澤諏方……テメーの意識が失せるか、泣いて許しをこうまで、遠慮なくいたぶってやるよッ!!」




