第22話 靄を晴らす輝き
「ハァ……ハァ……」
「ハァ……ハァ……」
豚山に何度か木刀で殴られたのか、武尊と茶髪リーゼントの二人の顔や裸に剥かれた上半身には所々あざが付いており、頭からは少量だが血が流れ出ていた。
「テメーらも不幸だよな、黒澤諏方の舎弟になったばかりに、こんな目に遭っちまうなんてよ? だが選択肢を間違えたのはテメーらだ。今オレ様が付けている傷は、この豚山様に逆らった代償だと思うんだな!」
「あがッ!」
「ガハッ!」
再び武尊たちは豚山の木刀で何度も殴られる。重い痛みが身体に疾るたびに気を失いそうになり、できることはうめく声を漏らすだけ。いっそ気を失った方が、どれだけ楽であろうか。
だが――、
「今さらリーダー面とか、冗談キツいっすよ……豚山さん」
――茶髪リーゼントの精神は、まだ折れてはいなかった。
「テメー……」
「アンタは四天王のメッキを貼り付けて、ただ好き放題暴れてただけの暴君だ。……まあ、俺やB組の連中もアンタにあやかってやりたい放題やってたから、アンタだけを責めることもできねえっすけど……」
自嘲気味に茶髪リーゼントはそう吐き捨てるも、すぐさま彼は目の前のかつての支配者を睨み上げる。
「だけど、もうアンタの四天王というメッキは剥がれた。俺が舎弟として従うのは、諏方の兄貴ただ一人だけ。断じてアンタなんかじゃ――ガハッ⁉︎」
再度、木刀を顔面に叩きつけられる茶髪リーゼント。
「余計なことをベラベラ喋ってんじゃねえよ? テメーらは黙って、黒澤諏方が来るまでオレ様に殴られてりゃ――」
「――来ないですよ、アニキは」
そう口を挟んだのは、隣で同じく磔になったままの武尊であった。
「あ? 何が言いてえんだ、チビ野郎?」
「豚山さんがさっき言ってたじゃないですか、アニキの舎弟を名乗ってるのはボクたちの勝手だって? ……その通りですよ、アニキはボクたちを舎弟とは認めてない。だから……アニキにボクたちを助ける理由なんてないんですよ」
まるで悲痛な現実を吐露するように、武尊の表情はどこか寂しげなものであった。
「なんだよ? そんな薄情な奴を、テメーはアニキと慕ってるのか?」
「……あの人は」
呼吸を一つ。そして、少年の表情は力強いものに変わって顔を上げる。
「あの人は――ボクの憧れなんです」
少年が思い浮かべるは、少女と見紛うほどの綺麗な銀色の髪をゆらす漢の拳を振るう姿――。
彼の闘いを目の前にしてから、少年の瞳に映る景色の全てが変わった。
「あの人は、ボクに希望を見せてくれた。たとえ背が小さくても、自分より身体の大きな不良も倒せるんだって。アニキがB組に転校してきたあの日から、ボクの世界は変わった」
それまでは少年の瞳には、世界の全ての景色に薄い靄のようなものがかかっていた。幼い頃よりイジメられてきた少年の、おそらくは防衛本能のようなものなのだろう。別段それを不便に感じた事はないし、世界なんて暗いものだと早くに彼は諦めていた。
だがそんな靄を、あの銀髪の少年が晴らしてくれた。
見惚れてしまったのだ――ああ、世界にはこんなにも、綺麗で強い人がいたんだって。
「たとえあの人がボクたちを気にかけずに見捨てたとしても、それでもボクはあの人を――諏方のアニキを裏切らない……!」
「たけパシリ……お前……!」
自信のこもった声でそう告げる武尊に、茶髪リーゼントは呆けた息を漏らす。
腕力も体力もなく、頭も悪く、クラスでおどおどしてただけのクラスメイトの成長に、彼をイジメていた一人のはずである茶髪リーゼントは感動すら感じていた。もう隣にいるのはただのイジメられっ子ではない。二年B組の一員である『鷹走武尊』なのだ。
「……ハ、憧れねえ……くだらねえなぁ…………あ、そうだ!」
豚山は武尊の言葉をつまらなさげに鼻をほじりながら聞いていたが、何か思いついたのかその顔に邪悪な笑みを浮かべる。
「鷹走武尊――テメー、オレ様の子分になる気はないか?」
「…………え?」
突拍子もない豚山の提案に、武尊は身体の痛みも忘れてしばし呆然としてしまう。
「助けに来るかもわからねえ兄貴よりも、オレ様を選べって言ってんだよ。あと少ししたら、オレ様は四天王に戻る手筈になっている。そしたらテメーにも、うまい汁を吸わせてやるよ」
「なっ……誰があなたなんかに――」
「――それにテメー、このリーゼント野郎にイジメられてたんだろ?」
「っ……!」
「うっ……」
苦虫を噛み潰したような顔で目を逸らしてしまう茶髪リーゼント。
「コイツだけじゃねえ、二年B組の不良のほとんどがテメーをイジメてたはずだ。許せねえよなぁ、イジメってぇのはよぉ?」
「…………」
実に楽しげに、豚山は手のひらに木刀をリズミカルに叩いている。
「鷹走武尊……テメーがオレ様の子分になるなら、テメーに復讐する機会をくれてやる」
「…………」
「四天王に戻ったオレ様の後ろ盾があれば、二年B組でテメーに逆らえる奴はいなくなる。テメーが連中を殴ったり、バットでぶっ叩いても文句は言えねえってこった」
「…………」
「黒澤諏方にじゃなく、このオレ様に忠誠を誓うなら、テメーの心に燻っている連中への恨みを晴らさせてやる。手始めにどうだ? その縄をほどいてやるからよ、この木刀でそこのリーゼント野郎を思いっきり叩いてみねえか?」
「なっ⁉︎ 豚山さん、アンタ……」
豚山の提案に驚愕し、冷たい汗が茶髪リーゼントの頬を撫でる。
『裏切らない』――そう豪語した少年の忠誠心を復讐という言葉で揺さぶり、もう一人の人質を利用してこの場で裏切らせる――これこそが、豚山の真の狙いだった。
「復讐は気持ちいいぞぉ? 憎んだ相手を思いっきりぶっ叩いて、地べたに伏せさせて頭を踏みにじる快感は、下手なセッ◯スよりもトぶぜ? ……どうだ、鷹走武尊? たった一言でいい、オレ様に忠誠を誓うと言え。そうすれば、テメーのこの学校での地位は不動になる」
「…………」
無言で顔を伏せる武尊を見て、豚山の笑みがさらに歪む。もはや勝利すら彼は確信しえていた。
「――――――――ぺっ」
顔を上げた武尊は、正面に立つ豚山の頬に向けてツバを飛ばした。
「……………………あ? なんのつもりだ、これは?」
「昨日読んだ不良マンガに人質が敵にツバを吐くシーンがあって、マネしてみたかったんだ」
凍りついた空気をものともせず、武尊は不敵な笑みで豚山を見上げる。
「言ったでしょ? ボクはアニキを裏切らない。……たしかに、ボクをイジメた茶髪くんや二年B組の不良たちを恨んでないかと言われたらウソになる。でもボクは――」
少年は一度息を吸い、視線をまっすぐにして――、
「――ボクは、みんなと友達になりたいんだ!」
「っ……!」
武尊の願いを聞いて、茶髪リーゼントは思い出す。
『仲良くなれたと、思ったのになぁ……』
あの言葉は、武尊のまぎれもない本心であった。
「たしかに復讐は気持ちいいかもしれない……でも、その後には何もないし、仲良くなりたかった人たちを傷つけたことをきっとボクは後悔する。何より――」
黒澤諏方と出会い、武尊は初めて人は輝ける事を知った。
太陽のような強い輝きというよりは、月のような淡い輝き。それでも武尊にとっては諏方の輝きはあまりに鮮烈で、少年の心を強く焦がしたのだった。
「アニキの第一舎弟を名乗ったのなら、アニキの恥になるような生き方はしたくないッ……!」
もはや一切の怯えも見せず、イジメられっ子だった少年は豚山の誘いを正面から跳ね除けたのであった。




