第21話 桑扶高校屋上にて
『豚山様の投球フォームはどうよ? せっかくオレ様の子分がテメーの見舞いに来たら医者と話して留守つうからよぉ、豚山様自らテメーの病室の窓に携帯を投げ入れてやったんだよ』
静かな風がそよぐ病室――諏方は見知らぬ黄色の携帯を握りしめ、その電話先から聞こえるかつて一撃で敗った大柄の不良の声を聞いていた。
電話越しでも相変わらずねちっこい豚山の喋りに不快感を感じるも、今は冷静を保ち、諏方は投げ入れられたという黄色の携帯を一度見回す。
「……じゃあこれは、テメーの携帯なのか?」
『んなわけねーだろ。オレ様がそんな子供用携帯みたいなダサいもん使うかよ。そいつは――鷹走武尊の携帯だ』
「ッ――⁉︎」
豚山の口からその名を聞き、諏方は一瞬驚きで固まる。
彼の頭に瞬時に巡る疑問――なぜ、武尊の携帯を豚山が持っていたのか――。
『なんでオレ様があのチビの携帯を持っているのか――テメーは疑問を感じてるな?』
「っ……」
『おいおい、さっきからだんまり決め込んでんじゃねえよ? ……まあいい。親切な豚山様は、テメーの疑問にわかりやすく答えてやる』
答えを語る前に一呼吸入る。その奥に潜む小さな嗤い声に、湿度の高い邪悪が張り付いていた。
『鷹走武尊、それとコイツの名前は……まあいいや、茶髪のリーゼント野郎――この二人はたしか、テメーの舎弟になったんだよな?』
「……許可した覚えはねーがな」
『んなこたぁどうでもいいんだよ。テメーの舎弟二人、コイツらは今、オレ様のそばで人質として捕まっている』
「人質……⁉︎」
襲いくるさらなる驚愕。先ほどまでこの病室で自身の回復を喜んでくれていた二人が、なぜそのような状況下になってしまっているのか、諏方は理解が追いついてないでいる。
「テメー……その二人に何をしやがった……⁉︎」
『落ち着けよ、黒澤諏方。二人とは楽しくお喋りしてるだけだぜ。ただ……ムカつくことを言うたびに、ブン殴ってやってるんだけどなッ!』
「ッ……テメー……!」
電話向こうから聞こえる下卑た嗤い声に、諏方は思わず携帯を握り潰しそうになるほどの怒りが湧き上がる。
『さて、ここからが本題になるわけだが……ありきたりな言葉にはなるが、コイツらを返してほしかったら、今から学校の屋上に来い』
「なっ⁉︎ ……今から?」
『そうだ。入院中だとかテメーの都合は関係ねえ。身体を張ってでも、病院から抜け出してコッチに来い!』
「っ……」
諏方はしばらく無言になってしまう。当たり前ではあるが一週間意識を失い、目覚めたばかりの少年の調子が良好であるはずがない。
豚山一人ならまだ相手取る余裕は残っているが、彼は先ほど子分に見舞いに行かせたと言っていた。つまりは彼が今単独ではなく、複数で動いている可能性が高いという事。今の状態で複数の敵と対峙するのは、まさに無謀もいいところだろう。
『それとだ、ここに来るのはテメー一人でだ。テメーの仲間が何人いるかは知らねえが、誰かを連れて来る事はゼッテー許さねえ。……わかってるよな?』
「…………」
豚山にとって、黒澤諏方はまだ得体の知れない存在であるのだから、警戒をもって一人で来ることを指定するのは当然であろう。
だが――それは無用と言える心配であった。
「仲間なんていねえよ、オレには…………」
それはまるで、慟哭のような告白――。
仲間なんているはずもない――剛三郎に地下室に閉じ込められて以来、彼はいつだって孤独だったのだから。
『……フン、そいつは何よりだ。いいか? 今日中だぞ? 来なかったらテメーの舎弟どもは、二度とテメーに会えなくなると思いな!』
それを最後に、武尊の携帯がプツリと切れる。
「…………」
諏方は携帯をベッド横の小棚の上に置くと、深くため息を吐き出した。
ふと窓の外に目を向ける。青々とした空はいつのまにか暗い雲に覆われて、どんよりと空気をさらに重くしていた。
「……オレに、アイツらを助ける義理なんてねえ…………」
鷹走武尊と茶髪リーゼント――二人との交流など、転校初日に校内を案内してもらった程度しかない。アニキと呼んで彼らが諏方を慕っているのも、舎弟を名乗っているのも全て彼らが勝手にやっていることに過ぎない。
諏方自身も、二人のことを舎弟だとも仲間だとも思ったことなどないはずであった――なのに、
『――アニキ!』
『――兄貴!』
「…………ちっ」
――頭にこびりつくは、たった一日の交流しかないはずの二人の、自身へと向けられた純粋な笑顔であった。
◯
「…………これ、ホントにアイツ来るのか……?」
携帯を切る豚山の表情には、不安と疑念が混ざり合っていた。
鷹走武尊と茶髪リーゼント、黒澤諏方を兄貴と慕う二人の少年を人質に彼を一人で呼び出し、叩き潰す――それが豚山に言い渡した、獅子瓦壊兎の策であった。
豚山はある手段を使って一人で諏方を叩くつもりでいたが、念のための戦力として元々の子分二人とは別に、『黄金猛獣』傘下の不良も数名わざわざ貸し出してくれたのだ。
それでも豚山は浮かない表情でいるのは、黒澤諏方が果たして本当に学校の屋上に来るのか、未だに確信が持てないでいたからであった。
同じクラスメイトでアニキと慕っているとはいえ、たった一日しか交流のない二人に黒澤諏方が助けに来るほどの思い入れがあるとは思えない。家族ならともかく、鷹走武尊と茶髪リーゼントに人質としての効果は薄いのではないかと、豚山は疑問に感じていたのだ。
「なんだ貴様、獅子瓦さんの作戦を疑っているのか?」
そう威圧的に問いかけるのは、壊兎が貸し出した部下の一人である金属バットを持った金髪の不良であった。
「そ、そんな滅相もございません! し、獅子瓦さんの立てた作戦なら、必ずや成功すると信じておりますとも!」
「…………」
あわてて弁解する豚山に金髪の不良はなおも圧のある視線を向けるも、それ以上は何も言わなくなった。
豚山は心の中でホッと息をつくも、睨み返しそうになる衝動を抑えつける。
他の四天王や黒澤諏方など、高校に入ってからは自身とは明らかに違う別次元の強さを持つ不良がいるという現実を豚山は直視させられてきた。そのためか、気づけば彼なりに相手の実力がどれほどなのかをある程度測れるようにはなった。
目の前の金髪の不良――いや、彼だけではない。壊兎が派遣した部下の不良たちはみな、豚山よりも圧倒的な実力を持っている。ゆえに豚山は、壊兎に手駒として送られた彼らに逆らうことができないのだ。
「ちっ……にしても、待ってるだけってのも実に退屈なもんだ」
仮に壊兎の作戦通りに諏方が屋上に来るとしても、入院中ゆえ彼は病院からこっそり抜け出せなければならない。ここに到着するまでには、まだそれなりに時間はかかるだろう。
手持ちぶさたに握っていた木刀を軽く振り回しながら、豚山は人質である二人の前まで歩み寄る。
「わりぃ、また暇になったから引き続きサンドバッグになってくれよな?」
「ハァ……ハァ……」
「ハァ……ハァ……」
青空の下の桑扶高校屋上――。
貯水槽や室外機などのよくある設備以外に特に何か特別な物が置かれているわけではない、いたって平凡な景色の広がる屋上であったが、不良たちがたむろしたりサボりなどによく使われがちであったため、普段は使用が禁止されている。
そのため、今ここにいるのは豚山と彼の子分が二人、そして数人の金髪の不良たち――そして、
「みじめなもんだなぁ、仕える相手を間違えたばかりにこんな目に遭っちまってよぉ……そうは思わねえか、お二人さん?」
――そして屋上端のフェンスに磔にされ、ボロボロの学ランと身体を血まみれにした鷹走武尊と茶髪リーゼントの二人だけであった。




