第11話 見い出した才覚
「……俺です。はい……実は一つ、頼みがありまして……はい……はい……」
黒澤諏方との一戦を終えた後、八咫孫一は自身の携帯を取り出して、どこかへと電話をかけていた。口調はやたらと丁寧であったが声は極力小さく抑えており、倒れた諏方のそばにいる武尊と茶髪リーゼントには会話の内容は聞き取れない。
「…………はい……承知しております……はい……では、よろしくお願いいたします……」
通話を終えた孫一は携帯を学ランのポケットへとしまい、その視線を諏方に寄り添う二人へと向ける。
「救急車はこちらで呼んでおいた。腕の立つ医者のいる病院へと搬送させる。そこでならこの男の回復力次第だが、一週間程度で完治するだろう」
「……なんでいきなり、そんな親切にしてくれるんですか?」
孫一を睨むように見上げながらそう問いただすのは、先ほどまでほとんど怯えていただけの少年、武尊であった。出会ってからたった一日ではあるが、アニキと呼ぶほどに慕った男が倒されてしまったのだ。今は恐怖よりも、怒りの方が勝っているのだろう。
「たかパシリ……」
身体は震えているが、今までイジメられていただけの少年が見せた勇気に、イジメていた本人である茶髪リーゼントは驚きで呆けたような声を漏らした。
「……その男に利用価値ができた。今言えるのはそこまでだ」
孫一は二人の少年から警戒の視線を浴びつつ、それらを気にする事なくもう用はないと言わんばかりに立ち去ろうとする。
「…………くっ…………うっ……うぅ……」
「ッ――⁉︎」
「アニキ⁉︎」
「兄貴⁉︎」
孫一の手刀で気を失ったはずの銀髪の少年から、低くうめくような声がこぼれた。
「……驚いた。俺から二撃くらってなお、意識があるか」
驚きと感心が入り混じったような表情で諏方を見下ろす孫一。
「テメェ……さっきオレに足りないものがあるとか言ってたよな……なんなんだよそれは……何があれば、テメェに追いつけるんだ…………?」
「っ……」
苦しげでありながらも力強い声で問う諏方に、孫一は人差し指でメガネの中央を上げながら彼を見下ろす。
「黒澤諏方、今の貴様に足りないのは――経験だ」
「けい……けん…………?」
「貴様は基礎力は高いが応用力は低い。パワーもスピードも抜群だが、動きが単調すぎるんだ。闘いの心得はあるようだが、知識だけで闘えば基礎への対処法がわかっている相手には絶対に勝てない。喧嘩の流れは常に流動的……喧嘩の数だけ、戦術は存在する」
たとえパワーとスピードが高かったとしても、当たらなければ意味などない。単調な動きだけでは、闘いを熟知している相手にはその拳が相手に届く事はないのだ。
「経験を積め、黒澤諏方――喧嘩の数が、貴様を強くする」
「っ…………」
諏方は最後に助言を聞き届け、今度こそ気を失った。
「…………」
孫一はメガネに指を立てたまま、しばらく床に銀色の髪を広げて倒れる少年を見つめいたが、やがてため息を一つつくと開かずのはずの文芸部室の扉に手をかけて開き、部屋の奥へと姿を消していった。
「四天王のたまり場である開かずの文芸部室……ウワサは本当だったんだね」
「豚山さんよりはるかにつえーバケモノ……四天王があと二人も同じぐらいかもって考えると……どうなってんだよこの学校」
倒れた転校生を介抱しつつ、武尊と茶髪リーゼントはボロボロな文芸部室の扉をただ見つめ続けるのであった。
◯
「まごっさん! さっきの地響き、なんかあったんスか⁉︎」
「噂の転校生、もしかしてメッチャ強かった⁉︎」
四天王のたまり場である文芸部室に戻った途端、キラキラとした瞳の二人の男女に詰め寄られる孫一。
「うるさい! 暑苦しい! 久々の闘いだったのだから、少し休ませろ!」
二人に構わず、孫一は部室内の自分のイスへとドカっと座る。
「いやー、でもウチら以外にあんな強い気を放てる不良が来るなんてねぇ。で、ウチみたいに今日の転校生も四天王に誘うの?」
「まだわからん。少なくとも豚山よりは強いが、奴の存在はこの学校の秩序を乱しかねな――」
「――ちょ! まごっさん、口から血出てるッスよ⁉︎」
「ッ……⁉︎」
言われて孫一は初めて自分の口元からわずかだが、血が垂れ流れているのに気づいた。
「……防いだはずのあの一撃で、俺の内部にダメージを与えていたのか」
孫一は口元の血を指で拭い、何かを考えているような瞳でしばらく見つめる。
「……………………フフフ」
そして突然、ニヤリと口の端を吊り上げて、くぐもったような笑い声が彼の口から漏れ出る。
「ま、まごいっち?」
「夜空明里、猿崎晋也――近いうちに、この学校の勢力図を変えるぞ」
ドン引き混じりの視線を特に気にすることなく、孫一は学ランのポケットから取り出したハンカチで口元の残り血を拭き取り、不敵な笑みを浮かべて人差し指でメガネのブリッジを上げる。
「今日をもって、桑扶高校四天王から豚山猪流を除名。後日、黒澤諏方を新たに四天王に加える」
普段冷静で大きな動きを好まない孫一の大胆な宣言に、明里と晋也は驚きを隠せないでいた。
「さっきは冗談で言ったけど、いくらなんでも急すぎない? ウチですら転校してから四天王入りまで半年はかかったのに」
「むろん、黒澤諏方の実力はまだ貴様には遠く及ばんよ、夜空明里。だが――」
再度人差し指をかけたままメガネを押し上げて、孫一はさらなる大胆な発言を重ねる。
「――あの男、磨けば『三巨頭』に対抗しうる戦力になるやもしれん」
孫一の口から出た『三巨頭』という単語に、今度こそ明里と晋也はしばし言葉を失った。
「……今日はずいぶん野心っぷりが出るッスね。卒業までは、平和主義者でいる気じゃなかったんスか?」
「時と場合によるだろ、そんなもの」
心の底から愉しげな笑みで、孫一はやはり人差し指でメガネを押し上げた。
孫一は背後を振り返る。あるのは窓、その向こうの景色は夕日に照らされたオレンジ色の空。穏やかな景色のその先、これから不良界に吹き荒れるであろう嵐を見据えるように――彼の瞳は鋭く細められていた。




