第7話 転校生、黒澤諏方③
「テメー……なんのつもりだコラ?」
二メートルを越す巨体の全体重を乗せて不良の一人を踏み潰そうとした豚山の足。その足を止めたのは彼より何頭身も背の低い銀髪の少年の足だった。
「その足をどかせよ、転校生。じゃなけりゃテメーの足ごと踏み潰すぞコラ?」
「…………」
一般人なら聞いただけで身体を震わせるであろう豚山の脅し。しかし、諏方は表情一つ変えることなく、彼を見上げたまま足を動かさなかった。
「……いいぜ……テメーが望むなら、一生車イス生活を送らせてやるッ!!」
怒りが爆発した豚山はさらに足に力を込めて、茶髪リーゼントもろとも諏方の足を踏み潰そうとする。
しかし――、
「……足が…………動かねえ……⁉︎」
百二十越えの体重を乗せた足はピクリとも動かない。どれだけの力を込めようともまるで鉄のかたまりに足を乗せているかのように、諏方の足は頑丈でビクともしなかったのだ。
「な……何者なんだ、テメー……?」
先ほどまで圧倒的な威厳を放っていた豚山だが、その声色に焦りが混じり入る。
「て、転校生……お、俺を助けてくれてるのか……?」
困惑気味の声をこぼすのは、対峙する二人の下で未だ倒れていたままでいる茶髪リーゼントの不良であった。
諏方はそれには答えず、豚山を睨んだまま彼の方に向けて口を開く。
「おいブタ。テメェなんでコイツを必要以上に痛めつけた? オレに勝てなかった事に対する制裁なら、一、二発程度が限度だろ?」
足を止めたまま問いただす転校生に対し、豚山は焦りを隠すようにわざとらしく不敵な笑みを見せる。
「オレ様は桑扶高校四天王最強の豚山様だ……! 四天王最強という事は、この学校の最強でもあるという事。つまりオレ様はこの学校の王だ! そしてオレ様が管理するB組の生徒どもはオレ様の奴隷も同然。奴隷なら……王に何をされたって文句は言えねえだろうがッ!!」
横暴にして独善的な豚山の理論――だが、クラスの誰もが彼に反論の声を上げず、沈んだ表情でただうつむくことしかできなかった。
豚山の言う通り、彼の管理するB組は豚山の国であり、生徒たちはみな王の奴隷だった。
「――最近、基本的人権って言葉を学んだ」
深くくぐもった――しかし、不思議と耳を透き通るような綺麗で力強い声。
「人間ってのは、生まれた時から自由に生きられる権利が平等に与えられるらしい。その自由をおびやかすことは、誰にもできねえんだと」
「……あ?」
転校生の突然の説明に、豚山はただ戸惑う。その間も、彼の足は動かないままでいた。
「だけど、小っちぇ頃のオレにはそんな権利なんてなかった。狭い地下室に閉じ込められて、身体も精神も痛めつけられて、最低限の食事で生かされるだけの、奴隷以下の存在だった」
「……さっきから何が言いてえんだ、テメー?」
「似てるんだよ――剛三郎と豚山の醜顔がよ!」
「どわッ――⁉︎」
不良を踏みつけようとした足を抑えていた諏方の足が勢いよく振り上げられ、豚山はよろけそうになる。だがすぐさま体勢を立て直し、彼は怒りの形相を浮かべる。
「テメー……今この豚山様の美顔をブサイクつったなぁッ⁉︎」
教室を震わせるほどの豚の咆哮。それを真正面から浴びた諏方は、まるで驚いたように目を見開き――、
「わりぃ、さすがに顔について言及するのはまずかったな。今のは素直な感想で、悪口のつもりはなかった」
諏方にとっては素直な謝罪のつもりではあったが――当然、豚山にとっては煽りの言葉にしか聞こえなかった。
「ほざけェッッ――!!」
小柄な銀髪の少年に向かって、二メートル越えの巨躯が襲いかかる。
◯
「――で、いつまであの豚山に『四天王最強』を名乗らせるつもりなのさ、まごいっち?」
「そうスよ。四天王で一人だけ『気』も使えないし、実力も圧倒的にまごっさんの方が上じゃねえッスか。オレっち納得いかねえッス!」
文芸部室にて携帯小説を読んでいる少女――夜空明里と筋トレ中の少年――猿崎晋也が、読書中のメガネの少年に向けて揃って抗議する。
それに対しメガネの少年は本から目は離さず、だがイラだたしげに顔をしかめる。
「たわけ、納得するしないの問題ではない。不良たちの集まるこの桑扶高校において、まがりなりにも最低限の秩序が保たれているのは、あの豚山が矢面に立ってくれているからだ。この学校の最強があの程度だと他校が誤認されてくれている限りは、俺たちは余計な紛争に巻き込まれずに済む。……ただでさえ、あの『三巨頭』の一人である『金獅子』の傘下というだけでも目立つんだ。これ以上、この学校の秩序を乱されてたまるか」
感情はこもっていないが強めの語句を乗せながら、メガネの少年は豚山に四天王最強を名乗らせている理由を語った。
「むぅー……言いたいことはわかるッスけど張り合いがないつぅーか、ケンカこそが不良の本分ってやつじゃないんスか?」
「時代は変わったんだよ、猿崎……学校やチーム同士で争っていたのは昔の話。今は不良が不良を統制し、秩序を守る時代だ」
晋也はまだ不服げな表情を見せながらも、それ以上の反論はしなかった。
「でもさ、豚山が『教育的指導だぁッー!』とか言って転校生を襲いに行ったけど、その転校生が豚山を倒しちゃったらどうする? そうなったら、豚山の四天王最強神話が崩れちゃうでしょ?」
まるでそうなる事を望んでいるかのように、明里はからかうような口調でメガネの少年に問う。
「問題はないだろう。たしかに豚山は気を使えないが、それでも恵まれた体格によるパワーとスピードは並大抵の高校生では太刀打ちできん」
「でももし、転校生が『気』を使えるとしたら……話は変わってくるとは思わない?」
「っ……」
ただでさえイラだたしげな表情のメガネの少年は、さらに眉根を寄せる。少し間を置き、彼は中指でメガネの中央を押し上げながら――、
「その時は――」
◯
「あ……あ……」
「うそ……だろ……?」
武尊、茶髪、そして彼らを含むクラス全員が驚愕に目を見開き、教壇を見上げていた。
「なんだよ――弱えじゃねえか?」
つまらなさげにそうぼやくのは、銀髪の転校生の方。彼は自身に襲いかかった二メートル越えの巨漢の背中を手のひらに乗せ、まるでお盆を持ち上げるように豚山の身体を天高くかかげていた。
――たった一撃だった。
豚山は大声を上げながら両手を突き伸ばし、諏方に向かって猛スピードで突進した。
豚というよりまるで猪のように突進してくる豚山に対し、諏方はすぐさま身体をかがんで彼のふところへと入り、肘を突き上げて彼の腹部に打撃を与えたのだ。
肥満体型である豚山の腹は脂肪の塊であったが、脂肪の壁をめり込ませるほどの一撃は彼の意識を一瞬で吹き飛ばすほどの大打撃となったのだ。
「誰か救急車呼んどけ。とりあえず死んでねえから」
そう言うと諏方はポイっとゴミを投げ捨てるように、豚山の巨体を教室の床に放り投げてしまう。そして興味を失ったかのように彼からすぐに視線を外し、かわりに教室中の顔が固まっているクラスの生徒たちを見回した。
「――んで、これでオレがこの学校の最強って事でいいわけ?」
◯
「――潰すさ。この学校の秩序を乱す者は誰であろうと――」
本を閉じ、少年はメガネの奥の瞳を鋭く尖らせる。
「――桑扶高校四天王、八咫孫一がこの手で潰す」




