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あたしのパパは高校二年生  作者: 聖場陸
外伝『黒澤諏方は高校二年生』シルバーファング結成編
290/322

第3話 少年が不良に至るまで③

 ――ジターノフ夫妻はロシア国家機関所属の元工作員(スパイ)である。




 元々はロシア(国家)と敵対する国の妨害や情報操作をメインの任務としていたが、日本の『政府特務機関』との連携任務で日本を訪れ、その際に日本の風習や文化を気に入り、ニコライの(アナスタシア)が日本に留学したのを機に工作員を引退。以降は妻とともに日本に移住したのだ。


 引退したとはいえ、元工作員である以上は命を狙われる危険性は当然あり、特別目立たないよう自宅は並び立つ他の家々とあまり変わらない洋風の外観に設計されている。


 だが日本好きが高じたためか内装のほとんどは和風に仕立て上げられており、かといって故郷も忘れられないためか一部の部屋は洋風になってたりと、実に奇妙な家の作りになってしまっているのだ。


 食卓に関しては和風の方に寄せられており、畳式の床にちゃぶ台と古き良き日本家庭を思わせる様相になっている。だが、ちゃぶ台の上には赤いスープ(ボルシチ)炊き込みご飯(プロフ)とロシアの家庭料理が並べられており、これまた空間に対してあべこべな組み合わせは見た者を混乱させてしまいそうだろうが、今食卓にはジターノフ夫妻の二人しかいない。


 二人は黙々と料理を口に運んでおり、まるで冷えきった夫婦のようにしばらく会話がなかった。




「…………黒澤諏方を引き取ってから一ヶ月が経ったか……彼の様子はどうだ?」




 半分ほど食べ進めたところで、引き取った少年をかいがいしく世話する妻に夫は尋ねる。


「……残念だけれど、引き取った最初の日以外は何も喋ってくれないわ。ご飯は食べてくれてるみたいだけれど……」


「……食事を摂るという行為は生きるための(おこな)いだ。つまりは、まだ死ぬつもりはないという事だな」


「それはそうだけれども……いつか食事にすら手をつけなくなるんじゃないかって思うと、不安でたまらないわ。それに……椿ちゃんも家にいる間は部屋に引きこもるようになっちゃったし……」


「……特務機関に所属してから二年、奴も部下を持つ頃だが、今の状態が続けば下にも示しがつかなくなるな」


 ――黒澤椿はニコライに引き取られて以降、ジターノフ夫妻と同じ工作員となるために彼に鍛え上げられてきた。


 虐待の日々を過ごした弟と比べるべきではないだろうが、幼少から受けてきた厳しいという言葉すら生ぬるいほどの過酷な訓練を受け、今では日本政府直属の軍事組織『政府特務機関』に所属するほど優秀な工作員へと成長できた。


 しかし、肉体的にだけでなく精神面においても鍛え上げたはずの椿であったが、廃人同然となってしまった弟の姿に想定以上のショックを受けた彼女は未だ立ち直れずにいた。


「フム……もう少し安静にして様子を見てもよかったのだが、仕方あるまい。荒療治にはなるが、()()()()()を投入するとしよう」


 そう言ってニコライは、自身の横に置かれた数枚の冊子を手に取った。




   ◯




「――入るぞ、黒澤諏方」


 ノックの後にそう告げて、ニコライは諏方の部屋となった洋室へと入る。


 諏方を引き取って以来、家の主人(あるじ)たるニコライが部屋に入ったのは今回で二度目。初日に諏方が寝静まった後に一度、彼の様子をうかがって以来となる。


 室内の様相は諏方を迎え入れるために整理した時とほとんど変わっていなかった。家具が増えたという事はもちろんなく、どころかすでに置かれていた物もベッド以外ほとんど動かされた形跡がなかった。ナタリアの言った通り、食事と睡眠だけが今の彼の一日を構成しているのだろう。




 ――十代後半の少年の日常と考えるならば、たしかにこれを生きていると形容するのは(はばか)られよう。




「調子はどうだ――と、訊くまでもないだろうな」


 諏方はベッドの上に膝を抱えて座っていた。瞳は(うつ)ろでどこを見ているかもわからず、呼吸すらしているかも怪しいほどに一切の動きも見せなかった。


「……一ヶ月前、君を引き取った時にも言ったが、君をそのような状態に追い込んだのは私にも一因がある。私たち夫婦が死ぬまで君にタダ飯を食わせ続けるのが責務だとするならそれも(まっと)うしよう。だが――()()()は、それを甘んじて受け入れるのか?」


「…………」


 強めの口調で問われるも、やはり諏方はまったく反応を見せない。


「……君が監禁されていたあの地下室、調べさせてもらったよ。水道や簡易シャワー、ランプ灯に長期保存可能なパン類や缶詰などの食料……最低限の生活基盤(インフラ)は整えていたが、それでも十年以上あのような場所で虐待を受け続ければ当然精神(こころ)も壊れよう。本来なら好奇心旺盛な幼少期から、閉鎖された空間に閉じ込められていたのならなおさらだ。だが――長い間監禁されていたにしては、君の肉体(からだ)()()()()()()()


「…………」


 この家に来てから食事はちゃんと摂っていたためか、少年の痩せ細って青みがかった顔にも多少生気は戻っている。だがそれ以前として、諏方の肉体にはほどよいバランスの筋肉がしっかりと付いていた。


 たしかに背丈は同年代の男子と比べても小柄ではあろうが、それでも美しさすら感じさせるほどの肉体美はとても長年監禁されていた人間のものとは思えないほどにガッシリとしていたのだ。


「……地下室の壁にあった大きな()()()()も確認したよ。まるでハンマーのような鈍器に叩かれたかのように、石ブロックが積まれた壁がクレーター状にヒビ割れていた。だが、アレは実際に鈍器で叩かれたものではない。ハンマーなどで叩けば中心部が平たく割れ、先の尖った物ならもう少し荒く削られる箇所ができるはずだ。だがアレは――そんな単純な破壊跡ではなかった」


「…………」


「例えるなら、先端が丸みを帯びた棒のような物で叩かれた――具体的に言うならば、まるで()()()()()()()()()、そんな破壊跡だった」


「…………」




「あの破壊跡は――君が拳で殴ってできたのものだな?」




「っ――」


 ほんのわずかだが、諏方の眉根がピクリと動いた。


「ストイックに壁の一点を狙い、何十、何百と拳を打ち続ける――アレはそうやってできた壁のキズだ。さらには読み書きを学ぶためのノートに、腹筋や腕立てなどの回数を記録した数字も羅列されていた。キサマは……黒澤剛三郎をその手で()()ために、あの地下室で身体を鍛えていたのではないかね?」


「ッ――!!」


 うつむいていた諏方は目を見開いて、ついに顔を上げてニコライの瞳を見上げた。


「やはりな……だが、それはもはや叶わぬ願いだ。奴は警察に捕まり、今は塀の中にいる。当時の君のような幼子(おさなご)を誘拐し、頭の狂った金持ちどもに売るのが奴の仕事だった。罪の重さゆえ、二度と表の世界に出てこれない可能性は十分にあるだろう。つまり君は――彼への復讐を遂げることはできない」


「っ……」




 ――そんなのはわかっていた。地下室から出られたあの日、出口の扉を開けたのがあの男ではなく、警察だったその時点でもうあの男は会え(殺せ)ないかもしれないと、あの時から全て悟っていた――。




 憎き男への復讐だけを糧にあの地下室を生きてきた諏方はしかし、その復讐が成し遂げられないであろう事実に拳を震わしていた。


「……ああ、悔しいだろうな。剛三郎への復讐のためにあの地下室での暮らしに耐え、鍛え上げた身体が無意味なものとなってしまったのだから。――だが、もしその拳を振るえる機会があるとすれば、どうする?」


「っ……?」


 少年の視線に疑問符が混じり入る。そんな彼の目の前の床に、ニコライは持っていた冊子を投げ落とした。


「それは『桑扶高校』という学校のパンフレットだ。偏差値は他の高校と比べても低く、荒くれどもが集う――いわゆる不良高校というやつだ」


「っ………………?」


 ニコライの言葉が続くほど、諏方の疑問符は増えるばかりであった。


 未だに要領を得られていないだろう少年の表情を確認し、ニコライは一旦タバコを取り出して火をつけて、煙をふかしながら少年に告げる。




「黒澤諏方――桑扶高校(不良どもの学校)に、入ってみる気はないか?」

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