第28話 仮也の正体
加賀宮の横を通り過ぎた諏方は、ガラクタを踏み締めながらゆっくりと斜面を登り、ついに白鐘の前にまでたどり着いた。
「わりぃな、遅くなっちまった」
先程まで険しかった諏方の表情が、相手を安心させるための爽やかな笑みに変わる。
「うっ、うん……ありがと」
しかし、白鐘の方は心ここにあらずといった感じで、安堵の笑みを浮かべてはいるが諏方とは視線を合わせず、その身体はわずかにだが震えていた。その震えは、加賀宮達に捕まっていたことからではないと、諏方はすぐさまに悟る。
「――俺が、怖いんだな?」
「――っ!?」
そこでようやく、白鐘は銀髪の少年に目を合わせた。その瞳からは――違う!――のだと抗議したものだったが、その唇は震えて開けずにいた。
「……気にすんなって。無理もねえよ。お前にとって、いつもドジな父親が、実はおっかない不良でしたってんだ。そりゃあ、怖くもなっても仕方な――」
「――違う! あっ……あたしは……怖くなんか……ないっ……!」
まるで自身に言い聞かせるかのように、彼女は必死に言葉を紡ぐ。気づけば、彼女の瞳からは涙が流れていた。
「怖くなんかない……あたしを助けに来てくれたお父――――四郎なんか……怖く……ないもんっ……」
助けに来てくれた少年への感謝の想いと、圧倒的な力で不良達を次々と倒していった彼への恐怖。二つの相反する感情が、彼女の中で攻めぎ合っていた。
――助けに来てくれた彼にちゃんとお礼を言いたいのに、目の前の彼が父親とも、転校生の少年とも違う、別のナニかに見えて――その恐怖が、素直な言葉を口から出すことを許してくれなかった。
「…………」
なお震えている少女の前にまで歩み寄り、父親は娘の頭をそっと、優しく掻き撫でた。
「――っ!?」
その感触は――手の大きさが変わっていようとも、確かに父が幼い娘によくやっていたナデナデそのものだった。
「……バカだなあ、お前も。いちいち、親に気ぃつかってんじゃねえよ」
――彼女はいつだってそうだ。本当はか弱い一人の女の子なのに、他人を気遣って我慢する。我慢するために、自分を強く見せようとする。
ケンカすることも多かったが、いつも自身を気遣ってくれていた娘が、諏方には何よりもたまらなく愛おしかった。
少女の震えが少し収まる。それを見届けて、諏方は彼女の腕を拘束する縄に触れる。
「ちょっとおとなしくしてろ。今、縄ほどいてやるから」
諏方はなるべく娘の手首や足首を傷つけないように、ゆっくりと縄を解いてあげる。
その間彼は、少し離れた場所から二人を怪しげな笑みで見つめる黒スーツの男を横目に監視する。なぜか彼らに手を出してはこないが、いつでも対応できるように、諏方は最大限に警戒する。
「――よしっ、これで縄が解けたぞ」
白鐘を縛った縄を投げ捨てる。しかし、手足が自由になっても彼女は、未だ震えて動けずにいた。
「……っ」
そんな彼女の体を、諏方はそっと抱きしめる。
「――えっ!? おっ、おとう――なっ、何やってんの、四郎!?」
戸惑い、恥ずかしさで顔を赤らめる娘に、父は彼女を抱きしめたまま、先程と同じように頭を優しく撫でる。
「よく頑張ったな、白鐘……。怖かっただろ? それでも、ここまで我慢できたお前を、父は誇りに思うぞ」
「――っ!? …………おとう……さんっ……」
涙を流しながらも、父と名乗った少年にもたれかかる少女。彼女の息遣いが――諏方にとって、一番大切な人の鼓動が近くに感じられた。
――そんな二人を、乾いた拍手の音が祝福をした。
「――いいですねえ、これも親子愛と呼ぶべきでしょうか? 私、感動して思わず――手から火が出ちゃいました」
「っ――!」
諏方はすぐさま、娘の体を離して彼女を背に、手から炎を出す黒スーツの男と対峙する。
「……驚きもしないということは、やはり魔法を存じているようですね?」
「……ああ、姉貴から聞いてるよ。アンタの炎、燃やせる対象を選べるんだってか?」
「あねき……もしや、あの黒いジャケットの女性でしょうか?」
「…………」
「無言は肯定と見ておきましょう。しかし、よもや二千度の炎を浴びてなお、息があったとは……やはり、念入りに殺すべきでしたか」
その言葉に、諏方は警戒の視線に怒りを込める。
「そう睨まないでくださいよ。殺したくなってしまうでしょ?」
彼の手の平の炎が、一層強く燃え上がった。
「……しかし、貴方があの女性の弟君だとすれば、先程の不良達を軽くいなすその戦闘力にも納得がいきました。実を言うと、そこの少女を助けている隙に攻撃――なんて事も考えてはいたのですが、貴方は一瞬とて隙を見せなかった。その警戒心と胆力は、相当な修羅場を経験していなければ身に付けられません」
この会話の中でもなお、諏方は一切の警戒を緩まず、さりとて緊張は適度に、いつでも動けるよう身体を引き締めていた。
「……不思議な方ですね。様子から見て、我が主の想い人の父親で間違いではないのでしょうが、それにしても若すぎる。まあ、わずかに貴方のものではない魔力の残滓は感じますし、おおよそ下の方で隠れている同類の少女に若返らせてもらった――といったところでしょうか?」
男が、入り口の方で隠れていた魔法使いの少女に眼を向けると、彼女は青ざめた表情でピクンと身体を跳ねた。
「ですが……先程の貴方の戦闘には魔力を感じなかった。もし、その力が本来の貴方所以のものならば、貴方は非常に使えそうな人材になりそうです」
「使えそう――だと? テメェ……いったい何者なんだ? 魔法使いのテメエが、なんであのガキに付き従いやがる?」
諏方は威嚇するように、ガラクタだらけの床に強く足を踏みつける。相対する男はそれを意に介さず、視線を坂の下の方に移し、震える瞳で頂上の三人を見上げる自身の主を一瞥。その様子に、彼は冷笑を浮かべた。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。私の名は仮也。そこで仔猫のように震えている、加賀宮坊ちゃまの執事でございます」
「茶番はいらねえよ。どうせ、その名前も偽名かなんかなんだろ?」
「偽名とは酷い言われようです! ――まあ、間違ってはいないのですがねぇ」
「かっ……仮也……?」
信じられないものを見るような主の視線に、仮也はたまらなく愉悦を感じていた。
「……ここらが潮時と言ったところですか。ええ、私の目的――いや、人間界に来る魔法使い達の目的を知っていますか?」
仮也は、再び目の前の対峙者に振り返る。その笑みは、もはや邪悪さを隠そうとはしていなかった。
「我々が求むはただ一つ。人間界に存在するとされる『ある物』を手に入れるためです」
「まさか――魔女の宝玉の事ですか!?」
諏方には聞き慣れぬ単語を口にしながら、シャルエッテが入り口の方から思わず身を乗り出した。
「なんだそりゃ、シャルエッテ?」
「レーヴァテイン――『原初の魔女』と呼ばれた偉大なる大魔法使いが、死に際に自らの魔力を封じ込めたとされる、伝説の宝玉です。それを手にすれば、どんな魔法使いでも、あらゆる魔法を使いこなすことができる程の強大な魔力が手に入ると、古来より言い伝えられています」
仮也は同じ魔法使いである彼女の説明に頷き、自身の口で説明を引き継ぐ。
「本物を見た者がいないため、長らくただの言い伝えとされてきました。ですが、数十年前にこの人間界で、原初の魔女が生涯を終えたという噂が浮上されましてね。それ以来、私のような門魔法を使える魔法使いが、人間界に多く現れるようになったのです」
淡々と、だが少し楽しげに語る男。
「ですが、長らく伝説とされた宝玉だけあって、見つけるのは容易ではなかった。人間界に訪れた魔法使い達は皆、知恵を絞り、あらゆる方法でレーヴァテインの探索を行っています。そして私もまた、ある方法でレーヴァテインを探すことにしたのです」
そう言うと彼は、再び視線を主である加賀宮に向き直した。その瞳は、明らかな侮蔑の色が混じったものだった。
「――加賀宮家を乗っ取り、レーヴァテインを探索するための資金と人材を手に入れることです」
「…………えっ?」
先程まで震えていた加賀宮も、今の発言を受け、呆然とした表情で立ち上がる。
「なっ――何を言っているんだ、仮也? 今のはその……冗談だよ……なぁ……?」
「いいえ、言葉通りですよ、坊ちゃま。大企業ながらも、落ち目にあった貴方のご両親に目をつけた私は、言葉巧みに彼らを使い、加賀宮家を再興させました。そして、数年の時間をかけ、多くの財産と人材を積み上げて、最後にそれらを全て奪う予定だったのです。まあ……そこの銀髪の少年がここに乗り込んだおかげで、失敗に終わってしまいましたがねぇ」
「まさか……白鐘さんの誘拐を僕に提案したのは……」
「おお! 早くも結論に至るとは、さすがは坊ちゃまです! そう、今回坊ちゃまをけしかけたのは、罪を犯してもらい、それを告発するためです。一大企業の息子がレイプ犯だと世間に知られれば、騒ぎも大きいことになるでしょう。そして、坊ちゃまのご両親に叩き込んだ『詐欺罪』も暴かれ、加賀宮家はあっという間に犯罪者一家へ。私は、そのどさくさに紛れて、加賀宮家の財産を全て強奪。どうですか、坊ちゃま? 素晴らしいシナリオだとは思いませんか?」
「――嘘だっ! だって……だって、仮也はいつも僕を助けてくれて――」
「――相手の信用を得るのは、詐欺において基本中の基本です。それに、言ったではないですか? 人間とは、他人を糧にする生き物だと。今回は私が、あなた達家族を搾取する側に回ったに過ぎないことなのです」
「そんな……それじゃあ僕は……僕達家族は何のために今まで……」
ショックのあまり、加賀宮は膝をついてしまう。
「――あっ! 思い出しました!」
突然、シャルエッテが仮也を指差して叫んだ。
「私、あの人知ってます! 魔法界で多くの魔法使いを騙して、指名手配された凄腕の詐欺師。名前はえーと、確か……ヴァ……バルバニラさん!」
「ヴァルヴァッラ・グレイフルです!」
初めて、仮也――ヴァルヴァッラが、感情的な声を上げた。
「――コホン。私としたことが、取り乱してつい、無駄に本名を明かしてしまいました。――まあ、この場にいる者達を生かして帰す気などないので、どうでもいいことなのですが」
「――っ!?」
ヴァルヴァッラの瞳に、明確な殺意が宿る。
諏方はさらに警戒を強め、再び地に足を踏みつけた。
「――しかし、有名になるというのも困りものですね。よもや、君のような魔力の小さい、脆弱な魔法使いにまで私の名が知られていようとは」
再度、男は入り口に立っている同種へと、蔑みの視線で見下ろした。
「なっ――私は、脆弱なんかじゃ――」
「ですが、君はこの少年に、娘を助ける事を協力させられなかった。魔力を持たない、ただの人間にですよ? つまり、彼もわかっているのですよ。君が何の役にも立たない、落ちこぼれの魔法使いだとね」
同じ魔法使いであるヴァルヴァッラの言葉に、シャルエッテはショックのあまり、泣きそうな顔で杖を握り締める。
「違います……私は、落ちこぼれなんかじゃ……落ちこぼれなんかじゃ――」
「――そうだ。お前は落ちこぼれでも、役立たずでもなんでもねえよ、シャルエッテ」
――あの日、川で溺れた自身を助けてくれた少年の声に、白いローブの少女は、濡れた瞳で彼を見上げた。
「スガタ……さん……?」
「お前は、娘の居場所を探し当ててくれたじゃねえか? 姉貴の治療をしてくれたじゃねえか? その時点で、俺はお前に感謝してもしきれねえんだよ。それに――」
諏方は優しい言葉をシャルエッテに投げかけながら、目の前の男をまっすぐに見据えた。
「――言っただろ? コイツらは、俺一人で十分だって」
その声は、自信に満ち溢れたものだった。
敵は魔法使いという未知。しかも、特務工作員である姉を破った実力者であるのは諏方自身、もちろん承知している。
それでもなお、目の前の敵には負けないという揺るぎのない自信が彼にはあった。
根拠などない。ただ、娘を守るという強い意思が、彼の心を強固なものにしていた。
「……もう少し、理知的な方だと思っていたのですが、少し買いかぶりすぎましたかね? まあ、労力としては申し分ないのでいいでしょう」
そう言ってヴァルヴァッラは、手の平の炎をより強めた。
「では改めて――私の力になりませんか、銀髪の少年くん? レーヴァテインを手に入れるために協力してくれるのなら、貴方の娘は解放する事を約束しましょう。喜んでください、貴方には選ばれるだけの力と価値がある」
強まる炎は脅迫の意。
――眼を閉じ、深呼吸を一つ。
諏方は眼を開くと、一切の動揺なく、笑みすら浮かべ、まっすぐに敵をその瞳に捉え、そしてまた、ガラクタを踏み締めた。
「誰がテメエみたいなゲス野郎に従うかよ?」
その返答に、黒スーツの男は落胆の表情と共に嘆息する。
「……まさかとは思いますが、ご自身の立場をまだお分かりになっていないようですね? 私がやろうと思えば、ここ一帯を火の海にすることも出来ます。もちろん、我が狩炎魔法は燃やす対象を選べるゆえ、私自身が焼かれることはありません。貴方には選択肢など、初めからないのですよ? それとも――何の魔法も使えないただの人間である貴方に、この状況を打開する方法がおありでも?」
ヴァルヴァッラの手の平の炎は、彼の上半身ほどに巨大なものとなっていた。
――わずかばかりに沈黙が流れる。聞こえるは、燃え盛る炎の音のみ。
諏方は再び眼を閉じ、深呼吸する。そして、身体に伝う力の流れを、自身の足元に集中させる。
「……まだ気づかねえか、魔法使い? さっきから何で俺が、ガラクタの床を何度も踏みつけてると思う?」
「……っ?」
狩炎の魔法使いは、目の前の少年の問いかけの意図がわからず、訝しげな表情を見せる。
諏方は一度、背中側にいた娘へと振り返る。
「白鐘――ちょっと痛い思いするけど、我慢できるか?」
その時の少年の表情を、その言葉を――白鐘は知っていた。
――幼い頃、外で転んで膝をすりむいて大泣きした時、父親が頭を撫でながら、染みるタイプの傷薬を取り出して、
『白鐘、ちょっと痛い思いするけど、我慢できるか?』
そう問いかけてくれた事を思い出した。その時の父の優しい表情が、彼女の目の前にあった――。
「……大丈夫」
あの時と同じように、少女は強く頷く。
それを確認し、諏方は足を大きく振り上げ――、
「うぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおっっっ――――――――!!!」
雄叫びを上げながら、最大限の力で山の頂上を踏み貫いた。
「なっ――!?」
瞬間――強大な音と振動と共に、倉庫中央に聳えた残骸の山が崩壊し始めたのだった。




